赤門同好会!

 共通テスト体験受験が終了した翌日の放課後。
 図書室へと続く階段の踊り場には、独特な緊張感が漂っていた。

「……よし、じゃあいくぞ。せーのっ」

 僕の合図で、三人一斉に自己採点用紙を裏返す。

「はい俺の圧勝」

「うるさ、そんなの分かってたわ」

「くぅ、よっしーにも(けい)ちゃんにも負けたぜ……いやでも、何か一つくらい俺が勝ってる科目があるかもっ!」

 龍はものすんごい目力で、僕と吉峰(よしみね)の採点用紙をくまなく精査する。僕も僕で、二人の各教科の点を順番に確認していった。

「あ! 二人に現代文勝ってる!!」

「なんだと?」

 吉峰は眼鏡の位置をクイっと整えて、龍の現代文の点を覗きこむ。僕も同じように確認すると、なんと現代文の成績は龍、僕、吉峰の順だった。

「そ、そんな……龍太朗(りゅうたろう)てめぇも現代文のセンスあるタイプとかふざけんなよ」

「へへっ♪ よっしーに褒めてもらえるとはねぇ♪」

「褒めてねーよクソが」

 吉峰は(これでも)だいぶ丸くなったと思う。一緒にゲーセンに行ったあの日以降、たまに僕らに話しかけてくる。まあ、その内容はほとんど成績の自慢なのだけれど。

「じゃ、俺は予備校行くから」

 点を見せ合って満足した吉峰がひらひら手を振って帰ろうとすると、龍がいつものようにダル絡みをしに行った。

「よっしーもたまには俺らと一緒に勉強しない?♡」

門田(かどた)! 早くこいつ引き剥がして図書室行け!」

「はいはい」

 言われた通り龍の首根っこを掴んで離してやると、吉峰は再び捕まる前に早足で階段を下りていく。が、しかし、互いの姿が見えなくなる前にピタッと足を止めた。

「……お前ら、東大同日体験受験、申し込んだか」

「え、ああ、ちょうどこれから龍と申し込む」

「……ならいいけど」

 吉峰はボソッと呟いて、今度こそ止まることなくスタスタスタスタッとすごい速さで一階へと下りていった。

「よっしーってさぁ、ツンデレちゃんだよね〜」

「……デレが少なすぎるだろ……」





 図書室に入りいつもの席に着くと、龍は早速スマホで模試のホームページを調べ始めた。

「東大同日体験受験、これだよな」

「ああ、とりあえず申し込もう」

 互いに申し込みを終えたあと、改めて日程から確認していく。

「試験日は二月二十五日、二十六日の二日間。共テと違って、これは正確に『同日』体験、つまり本試験が終了次第、同じ日に僕らも受けることができる」

「ふむふむ。一日目は国数、二日目は理科と英語……ってか、俺、まだ東大の過去問見たことないんだけど!」

「そうだよな。まあ今のお前にとっては難問すぎるだろうが、現時点で解けなくても、問題の形式や傾向を見ておくことは必須事項だ」

 説明用にコピーしてきた過去問を僕が取り出すと、龍も慌てて同好会ノートを机上に出した。なんだかんだ、このノートちゃんと使ってるんだよな。

「んじゃ、まずは国語から。理系国語は試験時間百分、配点は八十点。大問は全部で三つ。第一問が現代文、第二問が古文、第三問が漢文だ」

 コピー冊子をめくって、第一問を龍に見せる。

「第一問の現代文は評論だな。テーマは様々だが、抽象的な内容を扱うものが多い。問題としては漢字の書き取りが数問と、記述式の問題が五問だ」

「ほぉ〜、東大の問題って言うから身構えてたけど、パッと見た感じはシンプルだな。『〇〇とはどういうことか説明せよ』ってやつばっかりだ」

「シンプルだからこそ難しいんだ。限られた時間と限られた文字数の中で、キーワードを的確に抑えて表現する力が求められる」

「あ゙〜確かになぁ、学校のテストでも文字数内に収めんの大変だもん」

 口を尖らせて眉を下げる龍に、続けて第二問の古文の問題を示した。

「第二問は古文だ。問題は五問程度で、文章の難易度は実はそこまで高くない。とにかく基礎をしっかり固めて、問題演習を通して色んな文章に触れることだな」

「え、ほんとに? 難易度そこまで高くないとか、なんか信じられねーけど……」

「それは先入観だ。まあ気持ちは分かるけどな。過去問を知ることで、無駄に怯えなくて済むんだよ」

「そう、だよな……よし、明日にでも試しに古文解いてみるぜ!」

 龍はやる気に満ちた瞳で拳を握りしめる。この流れなら漢文も前向きに捉えてくれそうだ。

「最後の第三問は漢文。こちらも古文と同じで難易度は標準的だし、出題傾向も分かりやすい。漢字の意味を問う語句問題、現代語訳、そして内容説明。対策しやすいが、その分周りも点を取ってくると考えて、確実に解けるようにしておかなければならない」

「だよなー、俺が解けるならみんなも解けるよなぁ〜」

「変に自信をなくすなよ。どんな問題を解くにしても、本番の緊張感はある。ボーダーライン付近の争いは、その緊張感で簡単に結果が変わると思う。周りだって同じ不安定さを抱えてるんだから、必要以上に恐れなくていい」

 純粋に普段から考えていることを話したら、龍にじーっと見つめられた。

「な、なんだよ、急に黙らないでくれるかな」

「あは、ごめんごめん。ただ、啓ちゃんって人生何周目なんだろ〜と思って」

「正真正銘の一周目だわ」

 これまでの人生、既に大変なことをたくさん乗り越えてきたんだ。こんなの二回もできねーし……それに……。

「……僕だって、龍と同じだよ。所詮はただの高二だ。何回模試を受けたって、それは一回の本番とは違う。経験したことない物事について、分かったようなことは言えない」

「……でも、啓ちゃんは啓ちゃんだけの経験をしてここまで来たわけだし。啓ちゃんが今まで考えてきたこととか、どういうマインドで生きてるか〜とか、俺はこれからも聞きたいなっ」

「それは……こっちのセリフだよ」

 僕らはまだ高二とはいえ、既に思考の癖が形成されているし、それを飛び出した考え方をするのは難しい。だからこそ、正反対な性質を持つ龍の言葉は、きっとこれからも僕の世界を鮮やかにすると思う。

「あれ? 啓ちゃん、ちょっと照れてるぅ?」

「うるさい」

「よっしーもツンデレだけど、啓ちゃんも大概だよねぇ」

「あいつと一緒にすんな」

 からかいモードに入りかけた龍にデコピンをしてから、続けて数学、理科、英語の問題についても確認をした。龍は相変わらず表情豊かなリアクションと共に、ノートにメモをとっていた。









「んじゃ、帰りますか!」

 閉門時刻になり、すっかり暗くなった空の下、龍と歩いて帰る。バス停までだからそんなに距離はないのだけど、途中にコンビニがあるから、そこでお菓子をちょこっと買って帰るのが習慣になっている。

「あ〜寒いからあんまん買いたくなるわ」

「確かに。僕は今ピザまんの気分だけど」

 来年の今頃には共テの本番も終わってて、いよいよ東大の二次試験に向けてラストスパートを迎えているのだろう。そのときもこうやって、龍と何気ない会話ができていたらいいな……なんて思いながら、コンビニに入ろうとしたそのとき、

「龍太朗!」

 突然、知らない男の声がした。驚いて声の方へ視線をやると、他校のジャージを着た高身長イケメンが、龍を見て動揺したような表情をしている。

駿太(しゅんた)……? なん、で」

 龍もまた、彼と同じように動揺していた。目は大きく見開かれ、僅かに震える唇はどんな言葉を紡ごうか迷っているように見える。この二人の間に特別な何かがあることは、誰が見ても一目瞭然だ。

「……龍、知り合いか?」

「ぁ、いや……っ、ごめん啓ちゃん、俺、先に帰るわ!」

「え、おい、龍!」

 龍は、僕と謎の男子生徒を置いて、バス停の方へと駆け足で去ってしまった。事情を聞きたいのは山々だが、なんとなく今は一人にしてやりたくて、追いかけるのはやめておいた。

 駿太と呼ばれていた男は、しばらく悲しそうな瞳で龍の駆けて行った方向を見つめていたが、僕がまだコンビニの前にいると気づくと、何か思い立ったようにこちらへ詰め寄ってきた。

「あの、龍太朗のお友達ですか?」

「っ、は、はい」

「連絡先、教えてもらえませんか!?」

「えっ」

 他校のイケメンにナンパされてしまった……って言っても、本命が僕じゃないのは明らかだけど。

「難しい、ですよね……」

「いや、全然いいですよ。龍のは勝手に教えられないけど」

「あ、っ、龍のは、俺も持ってるけど、多分ブロックされちゃってて……」

「そういうこと……」

 あんなに陽気な龍にブロックまでされるなんて、こいつは一体何をやらかしたんだ……と思いつつ、彼のアカウントを追加すると――。

「……!」

 アイコンの画像を見れば、謎は一瞬にして解けた。
 陸上競技場のトラックに映る二つの影。
 表情こそ分からないものの、掲げられたピースの形は美しく生き生きとしていて、二人の関係性を象徴しているようだった。

「あ、やばい、俺もう帰らなきゃ……」

 彼は腕時計を見て焦っていたので、

「もうアカウント交換したから大丈夫だよ。なんか話したいことあるなら連絡くれ」

 と言っておいた。
 彼は泣きそうな笑顔で「ありがとう」と返したあと、電車の駅がある方へと走り出した。





 帰宅してすぐ、彼の名前をインターネットで検索した。

桜林(さくらばやし)、駿太……」

 検索結果には、陸上の大会記録やそれに関連する記事などがたくさん出てきた。ザッとスクロールしただけでも、彼が優秀な陸上選手であることがよく分かる。

 五年前のとある大会記録を見てみると、予想通り見慣れた名前も見つけることができた。

「第一位、赤城(あかぎ)龍太朗。第二位、桜林駿太……」

 小学六年生の時点で、既に二人は出会っている。他の大会の記録も詳しく調べてみると、この二人は毎年のように共に大会に出場し、上位で競い合っていたことが分かる。

“小学生の頃から大会で競い合ってたライバルがいたんだよね”

 龍の発言を一つ一つ思い返す。
 つまり、龍と駿太は幼い頃からのライバルで切磋琢磨してきたけど、だんだん駿太の方が良い成績を残すようになって……龍は駿太に勝ちたい気持ちから無茶な練習を重ねて、膝を壊してしまった……。
 その怪我をきっかけに龍は陸上を辞めたわけだけど、駿太はどこまで事情を知っているのだろう。怪我のことで喧嘩をしてしまったのか……いや、そもそも怪我をしたあとにコミュニケーションを取る機会はあったのか?

「……分からん……」

 結局は本人に聞くしかないよなぁ、とため息を吐いた直後、スマホの通知が鳴った。

 桜林駿太:門田啓杜(けいと)くん、こんばんは
      先ほどはありがとうございました
      挨拶もせずに申し訳なかったです……

 早速、駿太からの連絡だった。僕としても、彼から聞けることはなるべく早く知りたいしちょうど良かった。
 すぐに簡単な挨拶と連絡してくれたことへのお礼を返すと、駿太もまたすぐに返信をくれた。文字で打つと時間がかかってしまうから電話できないか、とのこと。
 了承すると、まもなく着信があった。

「もしもし、門田くん?」

「もしもし、駿太、って呼んでいいかな」

「いいよ! 俺も啓杜って呼んでいい?」

「もちろんいいよ」

 さっき初めて会った人と、こんな風に電話で呼び方を確認しあうなんて、ちょっとむず痒い感覚だ……。

「えっと、何から話せばいいのか……啓杜は、龍太朗と結構仲良しなのかな?」

「龍が陸上やってたことも、駿太とライバルだったことも知ってるよ」

「そ、そっか……じゃあ話が早いな」

 龍のプライバシーに関わることだから手探り状態だったが、さすがに駿太も怪我については知っているのだろう。

「……二年になってすぐ、龍太朗が部活を辞めたって噂で聞いた。まさかと思ったけど、怪我したならありえない話でもないよなって。それで、とにかく、龍太朗と直接話がしたくて……でも、メッセージ送っても全然見てくれないし、電話も繋がらなくて」

「なるほどな……」

「我慢できなくて、龍太朗の高校まで会いに行ったこともあったよ。だけど、会えたのは他の陸上部の部員だけで……その子たちに話聞いたら、俺に勝つために無理してたって……」

「……そこまで知ってたんだな」

「っ、龍太朗が、何考えてるのか、考えれば考えるほど分からなくなった。もしかしたら、もう俺の顔なんて見たくないのかもしれないけど……このまま、何も話せないまま疎遠になるなんて、絶対に嫌なんだ」

 スマホの向こう側から駿太が鼻を啜る音が聞こえる。ずっと会いたくて話したくてたまらなかった親友の顔を、今日、やっと見ることができたんだ。デリケートにもなるだろう。
 でも、龍はコミュニケーションを拒絶していた……。駿太の気持ちを考えると、やるせないに決まっている。

「……あいつ、今はさ、僕と一緒に勉強頑張ってんだよ」

「えっ、勉強!?」

「ああ。ここから一ヶ月は模試やらテストやら忙しいから、それが一区切りついたら僕から話してみるよ」

「っ、い、いいの?」

「友達が湿っぽい顔してんの嫌だし。それに……なんとなく、あいつも本当は話したいと思ってる気がするから」

「……うん。ありがとう、啓杜」

 駿太の声が少し柔らかくなったように聞こえて、じわりと胸が温まった。目が腫れないように気をつけろよ、と言ったら、もう泣いてないから大丈夫だよ、とホッとする回答が返ってきた。





 龍と駿太の再会から一ヶ月、いつもの問題演習の中に東大の過去問を見る時間も取り入れながら、東大同日模試に向けて僕も龍も(あと吉峰も)勉強に励んだ。
 一方、学校では学期末テストが行われた。そちらの対策にも並行して取り組んでいたから、模試直前から本番にかけてはかなり忙しくしていたと思う。

 この一ヶ月、龍は一度も駿太の話題を口にしなかった。前と変わらず、明るく元気な様子で……なんてな。僕が気づかないとでも思ったのか?
 龍は「明るく元気な様子」を演じていた。あれはまさに空元気ってやつだ。あの吉峰でさえ龍を心配していた。

 模試もテストも終わり、一つ上の先輩たちの卒業式も終わった今日、駿太との約束通り僕から龍に話をしてみる予定だ。

「啓ちゃ〜ん、おまたせ! ってよっしーもいる!」

「龍と新作スムージー飲みに行くって言ったらついてきた」

「ついてきてやった」

 吉峰のツンツンした態度にはすっかり慣れた。
 まあ、今回に関しては、新作スムージーを飲みたいのも本当だろうけど……こいつも龍のことを相当気にかけているから、本人に話を聞きたいのだと思う。

「っしゃ、じゃあスムージー飲みにレッツゴー♪」

 龍のかけ声で、僕らは以前仲直りしたときに三人で行ったカフェへと歩き出した。





 カフェに着いたら、テイクアウトしようとする龍に「今日は座って何か頼もう」と提案した。「啓ちゃんからそんなこと言うなんて」と珍しがられてドキッとしたが、次の瞬間には、龍は吉峰の肩に手を回し店員さんに「三名で!」と告げていた。

「三月限定のやつは〜……これか! 苺のフラッペだ」

「『キュンと弾ける苺のときめきフラッペ』だぞ」

 吉峰は眼鏡をクイっとしながら、すかさず正式な商品名を口にする。本人は満足気な顔をしているが、吉峰の口から出るにはなかなか似合わない単語ばかりだ。

「僕もそれにしようかな。せっかくだからパンケーキも食べてみたいけど、ちょっと高いかな……」

「じゃあ、フラッペ一つずつと、パンケーキはシェアってことでどう?」

「そうするか」

 龍の提案に賛成して注文が完了。最近はどこもQRコードやタブレット端末を用いるから、吉峰が店員さんに「キュンと弾ける苺のときめきフラッペ」と言うところは残念ながら見ることができなかった。

「ん、そういや、この前の東大模試って来週くらいに返ってくるんだっけ?」

「そうだな。二週間弱で返ってくるから」

「どうせ俺の圧勝だろうな。まあ、お前らと勝負しても仕方ないけど」

「吉峰、お前にやるパンケーキはない」 

「っ、な、そ、それは不平等だ」

「まあまあ啓ちゃん、こういうのもよっしーの可愛いところじゃん」

 可愛くないだろ……と反論していたら、程なくして注文したフラッペとパンケーキが運ばれてきた。誰よりも真剣に写真を撮っている吉峰は、ほんの少しだけ、本当に本当に少しだけ可愛いのかもしれない。
 ……って、吉峰が可愛いかどうかはどうでも良くて。
 そろそろ本題に入らないと。

「啓ちゃん、飲まないの? めっちゃ美味いよ!」

「っ、飲む飲む……ん、美味しい」

「ねっ? 頼んで正解だなっ」

「うん……ぁ、あのさ、龍」

「ん?」

 吉峰は聞き役に徹する、といった雰囲気を出しているので、僕から思い切って話題を変える。

「……少し前に僕と一緒に帰ってるときさ、桜林駿太と遭遇したよな」

「っ……!」

「龍が帰ったあと、駿太と連絡先を交換したんだ。陸上やってた頃のライバルって、駿太のことだったんだな」

 龍は一度気まずそうに視線を逸らしたが、すぐに僕の目を見てゆっくりと頷いた。

「……やっぱり、連絡取ってたんだね。あのまま駿太が何もせず帰る気はしなかった。啓ちゃん、俺が勉強に集中できるように、今日まで話すの待っててくれたんでしょ」

「まあ、俺自身もテストとか模試とかあったし。それで……駿太は、今もずっと、お前と話したいと思ってるみたいだよ」

「それは……知ってる」

「連絡、返せないのか? 龍は、話したくないのか?」

 責めるような声色にならないよう気をつけて、あくまで龍の本心をそっと引き出したい気持ちを大切にして話す。

「……正直、今は話したいのかすら、分からない。怪我した直後は色んな感情がぐちゃぐちゃに混ざってたから、駿太とできるだけ距離を置きたくて……連絡先を勢いで消しちゃったんだ。しばらくは駿太のことも、陸上のことも、思考するのを放棄してた」

「まあ……それは、自然な心の反応だと思うよ」

「でも、駿太は俺を逃がしてくれなかった。うちの高校まで何回か来たけど、裏門から出て会わないように避けた。それでも諦めず、陸上部の友達に俺のこと聞いて回ったみたいで」

 駿太もそう話してたな。
 確か、そのとき部員に言われたことは……。

「……俺が怪我をしたのは、駿太が原因だって。友達は、駿太にそう言ってしまったらしい。部員からしたら、駿太は俺の気持ち考えずにしつこく会いに来る嫌な奴って認識だったっぽいから、つい苛立ってしまったんだと思う」

「そうだな……少し意地悪な言い方したくなったのかもな」

「うん……それ以降、駿太は会いに来なくなった。避けてたのは俺なのに、また会いに来てくれないかなってどっかで思ってた。でも、駿太はこれからも陸上やるんだし……俺に会いに来る暇あるなら練習に集中しろよって。これでいいんだって、そう思ったんだよ」

 龍は苺のフラッペを一口飲んで、再び口を開く。

「結局、怖かったんだよなぁ。あっさり陸上やめたの、あいつ怒ってるかな〜って。会ったら何言われるんだろうって。それに、あいつキラキラしてるから……自分が惨めになりそうで」

「……それは、今も同じか? お前は今も、自分のした決断に自信がないのか? 自分が惨めだと、そう思うか?」

 龍は一瞬大きく目を見開いて、少しの間黙ったまま考えを整理しているようだった。僕がちびちびフラッペを飲んで待っていると、龍はようやく首を横に振った。

「決断を後悔したことはない。そのときの俺にとって、常に最善と思える選択をしてきたから。でも……啓ちゃんに出会ってからの俺なら、『後悔がない』だけじゃなくて、『この道を選んで良かった』って自信を持って言えるよ。惨めどころか、今の俺が人生で一番かっけーと思ってる!」

「……! ふふっ、それ、早く駿太に言ってやれよ」

「……だな!」

 龍の瞳がキラリと輝いた。ここ一ヶ月の龍とはまるで別人のような顔つきだ。人の表情が鮮やかに色づく瞬間をこの目で見るのは、筆舌に尽くし難いほど心を揺さぶられる体験だと、このときの僕はひしひしと実感したのだった。

「話は終わったか?」

「吉峰……ってお前、パンケーキ全部食ってんじゃん!」

「わっほんとだ、よっしー完食しちゃったの!?」

「お前らがずっと話してたから食うしかやることなかった」

 吉峰は三人でシェアする予定だったパンケーキを一人で食べて、それはそれはご満悦な様子。ちなみに、フラッペもほとんど飲み干している。

「よっしーも俺のこと心配してくれてたんだよねぇ、ありがとねぇ」

「っ、別にしてねぇし、こんなとこで抱きつくな!」

「僕、パンケーキ食べたいから追加で頼むわ。吉峰食べ終わったなら帰ってもいいよ」

「な、っ、」

「ほらほら、啓ちゃん意地悪しないの。よっしーが泣いちゃうでしょ」

「泣いてない!」

 そのあとはパンケーキをもう一つ頼み、龍と二人で分けっこした。吉峰はさすがにお腹いっぱいだったようで、追加のパンケーキには手を出してこなかったけど、食べている間はじーっと僕と龍のことを観察していた。





 一週間後、春休み目前の日曜日。
 龍と僕はついに駿太と会うために、ファミレスの奥まった席に座っていた。最初、僕は来るつもりはなかったのだが、龍に見守っていてほしいと言われたので、こうして休日返上で着いてきたのだ。

「駿太、もうすぐ着くって」

 僕がそう伝えると、龍は緊張した様子でぎゅっと拳を握りしめる。大丈夫だよ、と背中をそっと叩くと、龍はゆっくり深呼吸をして「さんきゅ」と少し照れながら笑った。


「龍太朗、啓杜、おまたせ」

「駿太……久しぶり」

 まもなく駿太が到着し、僕らの向かいに腰を下ろす。駿太もまた緊張しているのか、水をコクコク飲んでいる。

「……えっと、駿太……まずは、これまでずっと、連絡を無視してて悪かった」

 龍が話を切り出すと、駿太の背筋がピンと伸びる。

「っ、いや、俺の方こそごめん。龍太朗の気持ち考えないで、しつこく追いかけて申し訳なかった」

「んや……何も言わずにやめたんだから当然だよ」

「……怪我は、もう大丈夫なのか?」

「うん、軽い運動なら問題ないよ」

「そっか、良かった……でも、その……戻る気はないのか?」

 駿太が恐る恐る問いかけると、龍は穏やかな微笑みと共にゆっくりと頷いた。

「っ……そう、なんだな……うん……」

「駿太……俺さ、駿太と陸上できて、本当に本当に楽しかったよ。駿太はいつも最高のライバルで、最高の友達だった」

「龍太朗……」

「お前の隣に並べなくなるのが怖かった。いつからか、楽しいって気持ちを忘れて……俺は自ら壊れたんだよ。だから、当たり前だけど、駿太が気に病む必要はない」

 何度か声を詰まらせながらも、龍は落ち着いたトーンで話を続ける。

「陸上やめてしばらくは、ぼーっと過ごしてたんだけどね。路上ライブ見てから、アーティストになるって夢ができて」

「っ、あ、アーティスト?」

「でも、父さんが反対しててさぁ〜。もしも東大に合格できたら、音楽やるのを認めるって言われて」

「そ、それで啓杜と勉強してるの?」

「そういうこと。まあ、きっかけはそんな感じだったけど……今は、東大に向けて勉強する毎日が、本気で楽しいよ」

 龍は僕の肩をグッと抱いて笑ってみせた。
 駿太はまだまだ戸惑っているようだったが、程よく緊張が解けた今の方がいい顔をしている。

「そんなわけで、俺は新しい夢見つけて頑張ってるからさ……駿太も、陸上頑張れよ」

「っ……俺がここまでやってこれたのは、龍太朗がいたからだ。俺も、龍太朗と走るのが、本当に楽しかったから……っ、ごめん、お前に新しい夢見つかって嬉しいのに、寂しくて」

 駿太は静かに涙を流していた。僕と電話したときも泣いてたけど、今は目の前に龍本人がいる。

「駿太」

「っ!」

 龍の手が駿太の頬に触れて、優しく涙を拭う。

「頑張る場所は変わったけどさ、これからもずっとそばにいるから。てか、そばにいてよ」

「龍太朗……そんなの、っ、当たり前だろ。東大受験、めっちゃ応援してるし。大学生になったら、一緒にお酒飲むし」

「はは、そうこなくっちゃ!」

 龍の瞳にも涙が滲んでいた。出会ってから今日まで、龍のこんなに幸せそうな笑顔は見たことがない。

 なんか、無事に仲直りできたみたいだし、僕はこのまま気づかれないように退出しようか……と思って席を立ちかけると、

「啓ちゃん、ドリンクバーはまだ頼んでないよ」

「っ、いや、ドリンクバーじゃないんだけど……」

「啓杜、何食べたい? 今日は俺と龍太朗の奢りだよ」

「え、あー、そう、だなぁ……」

「てか、春休みに一日くらい三人で、いや、よっしーも入れて四人で遊びに行こうぜ!」

「よっしーって誰? でも二人の友達なら俺も会いたい!」

 切り替えの早すぎる二人に圧倒され、渡されたメニューの内容も頭に入ってこなかった。僕はなんでもいいよ、とおまかせしたら、この店で一番高い黒毛和牛のステーキが運ばれてきてかなりビビった。

 帰り際には、話が盛り上がった二人が、僕と吉峰を含めた四人のチャットグループまで作ってしまった。
 予備校で勉強を終えた吉峰がその通知を見たときの反応を想像して、思わず笑ってしまった。