中津明人は誰もが認める優秀な生徒だった。
そんな彼が、盗撮行為に関与し、さらにはそれが故意であることを認めた。快晴の空を見上げるかのように清々しい顔つきだった。
「ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
廊下を歩いていると、応接室前で中津君と何度も頭を下げる中津君の保護者の姿が目に入る。
「今後の処遇はまた追って話し合いができたらと思います。明日からは自宅待機で……」
校長先生の声が閑散とした廊下で響き、私の耳にも届く。
三年棟の教室で見つかった録音機能が搭載されたペンはすぐに居合わせた教員が回収し、ペンの持ち主である中津君はすぐに連行された。困惑が漂う教室で、彼は最後に爆弾を落とした。それが彼を放課後まで縛りつけることとなった。
中津君への尋問は下校時間が過ぎてもつづいていて、途中からは保護者も介入し、今やっと解放されるようだ。
校長先生に背を向けた中津君は母親と一緒に廊下を歩きはじめる。彼の母親と目が合い、また深々と頭を下げられる。会釈にしては深すぎるお辞儀だったが、私も慌てて頭を下げた。
その時、甲斐甲斐しい足音を右耳が拾う。案の定、右前方から「中津君!」と呼ぶ人影が飛び出してくる。葛西先生だった。
「あぁ葛西先生、ご無沙汰しております。この度は息子がご迷惑をお掛けしまして……本当にどう償えばいいのか」
顔見知りなのか、中津君の母親はすぐに葛西先生だと気づき、さらに深く頭を下げる。
葛西先生の肩は上がっていた。尋問が終わったことを聞きつけ、飛んできたのだろう。
「中津君、どうしてこんなことしたの」
葛西先生の目には中津明人しか見えていなかった。
「葛西先生、今ここでは」と校長先生が葛西先生を諫めるも、彼女は校長先生の制止を無視して真相を求めた。
「盗撮に関与していたのは嘘よね?あなたが陸上部を陥れるわけがない」
「葛西先生」
「盗聴も、生徒会の議事録に使っていただけでしょ?」
葛西先生は中津君の両肩を掴み、縋りつくように問い質す。
嘘だと言ってほしい。今なら間に合うかもしれない。願望に縋るのはその先の絶望が険しく痛いものだとわかっているからだ。
校長先生や生徒指導の教員が、中津君から葛西先生を剥がす。
「すみません、行ってください」
校長先生の促しに躊躇するも、中津君の母親は言われたとおりに中津君を連れてこの場から立ち去ろうとする。何度下げても下げ足りないのか、母親の頭はヘドバンするかのように地面に向かって打ちつづけられていた。
その母親の隣で中津君は恐ろしいくらい無表情だった。私の横を通り過ぎる時も、彼の無表情になんらかの感情が加わることはなかった。
「どうして。あなた生徒会長なのに。生徒のお手本にならなくちゃいけない立場のあなたが、なぜこの時期にこんな馬鹿なことをしたのよ」
納得いかない葛西先生は、苛立ちが混ざった嘆きを去っていく背中に浴びせる。
その声に、中津君の足が止まる。
「明人?」と窺う母親の声は震えていた。
中津君はゆっくりと振り返り、葛西先生をまっすぐに捉える。
「中津君が生徒会で頑張っていたことは私が一番よく知っているつもりよ。なのに、それを、その頑張りを……全部水の泡にする気なの?」
葛西先生は、生徒会の指導係として生徒会の相談に乗る立場に位置していた。だからこそ、現生徒会長である中津君の頑張りは誰よりも知っていると自負できるのだろう。
「せっかく見つけた居場所だったじゃない。生徒会に入って生き生きしていたじゃない。先生、嬉しかったのに。なのに、どうして……」
声が詰まる。このまま泣き崩れてしまうのではないかと思うくらい、葛西先生の表情は歪んでいた。それもそのはず、葛西先生は陸上部員が起こした騒動以降、ずっと頼りない背中になっていた。落ち込み、疲弊し、眠れないのか隈は酷くなるばかりだ。今もヨロヨロとおぼつかない足取りで中津君に近寄ろうとしている。
その足を止めさせたのは、一蹴する中津君の声だった。
「その顔、やめてくれませんか」
確かな拒絶。中津君は汚物でも見るような目を向けていた。
「居場所?生き生き?それは、先生がそう思いたかっただけの幻覚ではないですか?その方が自分に都合がよかったから」
溌剌と毒を吐く。そのあまりの鋭さに、鏡が割れたような音が幻聴として聴こえてきた。
行き場を失ったかのように葛西先生の足がピタリと止まる。
「な、中津君?」
「盗聴をしていたのは、いついかなる時も自分が不利にならないためです。生徒会長なんて教師の都合のいい駒ですから。責任転嫁でもされた時のために証拠を残しておかないと。結局、自分を守れるのは自分だけですから」
大人なんて信用しない。あてにならない。そう言っているようなものだった。
「明人、やめなさい。何を言っているの」
中津君の変貌に、母親も当惑しているようだった。
葛西先生は中津君の言葉に首を振る。
「そんなことしないわ」
「はっ、どうだか」と鼻で笑う。
「まさか、本当は生徒会に入るのが嫌だったの?それなら、そうと言ってくれれば……私は、中津君のためを思って」
「嘘つかないでください。自分のためですよね。受け持っていたクラスから生徒会長に選ばれる生徒がいるって誇らしいことですよ」
「誤解よ。そんなこと考えてあなたを推薦したわけではないわ」
「知ってます。わかってます。先生みたいな人情深く、正義感と責任感で作られたような人は基本的に無自覚ですから。綺麗な言葉で包んでいるだけって、俺はわかってます」
中津君は一歩また一歩と確かな足取りで近づいていく。迫りくる威圧感に恐れおののく葛西先生。
中津君の暴走を止めなければ、そう思っているのに私の足は動かない。
「先生は自分を疑ったりしない。自分の発言がどれだけ相手を追い詰めるかなんて考えたこともない。自分を良く見せるために目の前の正義欲に必死で、相手の痛みにも傷にも気づかない。むしろ、自分で自分のことを公平無私な人間だとさえ思い込んでいる」
過去に中津君と葛西先生の間で何があったのかはわからない。それでも、中津君は葛西先生の言葉に傷ついた。なんらかの痛みを伴い、血が出た。その傷は、決して癒えることはないまま傷痕となって残りつづけている。
「俺は、本当はずっと前から先生を落としたかった。あんたが落ち込んで、傷ついて、打ちのめされて、這い上がってこられないところまで落としてやりたいと思ってた」
中津君はもう構わなかった。
「やっと、あんたを底に落とせる」
いろんなものに縋られても、それらすべてを投げ打って捨ててやるという強い意志に絶望を感じた。こんな脅威に対抗できる術を私たちは持っていなかった。
翌日、中津君の盗撮、盗聴の件も警察の介入が余儀なくされ、彼は自分が起こした過ちの経緯をざっくばらんに語った。
一年生の頃、陸上部に所属していた中津君は冬に足を怪我して陸上部を退部した。
退部するに至ったきっかけが葛西先生だったのか、退部にあたって何らかの理由で葛西先生と衝突したのか、「落としてやりたかった」と葛西先生を恨む背景は語られなかった。
話は戻り、二年生の冬頃だった。一部の男子陸上部員が女子更衣室を盗撮しているという情報を中津君は耳にした。いまだ葛西先生に対して恨みが晴れることはなかった彼の頭の中では、ある一つの復讐ストーリーが完成する。その盗撮動画を使って陸上部を壊滅させることで、葛西先生の恨みを晴らしたいと考えたのだ。
盗撮に使われている機種が個人のスマホではなく、陸上部で使用しているビデオカメラだと知ると、中津君は無断で持ち出して入手した。確認してみたものの、当然盗撮動画は削除されており陸上部員が盗撮している証拠を得られなかった。そこで彼は、自分で女子更衣室を盗撮し、その動画を加害者生徒が盗撮した動画だと見せかけて利用することにした。その動画が、今年の五月に撮影された動画であった。加害者生徒が言っていたとおり、去年の冬頃からビデオカメラを触っていないという主張に嘘はなかったのだ。
まずは盗撮犯を見つけるため、中津君は録音機能付きのペンを男子更衣室のバレない場所に置いて盗聴することにした。盗撮犯が四人いることがわかると、すぐに行動へ移した。
部活中に男子更衣室に忍び入り、彼らの鞄を漁った。それぞれのスマホを操作し、それぞれの個人アカウントに自分が盗撮した動画を送りつけた。スマホのパスワードなんて頻繁に変えたりしない。彼の予想通り、一年の時のパスワードとまったく変わっておらず、簡単にスマホのロックは解除された。
個人アカウントで一人一人に送ったのは、彼らの盗撮行為がバレた時に攪乱させるための戦法だったと言う。例えば、彼らの誰か一人が口を割ったとして、動画を送ってきた生徒の名を上げたとする。やってもいないことをでっちあげられたと勘違いしたその生徒は、また新たな共犯者の名前を口にする。こうして、中津君は全員に口を割らす状況を作り出していたのだ。
それに、手元に如何わしい動画があれば他の人に見せて拡散したくなるものだろうと想像した中津君は、そういった人間の心理さえもあてにした。一度の軽率さであっという間に拡散するのがSNSの恐ろしいところだ。その拡散力を逆手に取り、わざと騒動を起こさせようとした。だが、そうそう思い通りに行くはずもなく、加害者生徒は誰一人として動画を拡散しなかった。彼らの誰一人も、一時の迷いが訪れることはなかったのだ。
別の手段をと考えていた矢先、クラスマッチの日にビデオカメラが女子更衣室で見つかる事件がたまたま起きた。盗撮行為が発覚し、削除された動画内にたまたまトレーニングシューズが映り込んでいたことで陸上部に疑いの目がいき、たまたま他の生徒の証言で加害者生徒が絞られた。自責の念に駆られていた一人があっさりと事実を認め、陸上部はインターハイ前に部活動停止を余儀なくされることとなった。
こうして中津君の思い描いたストーリーどおりにスルスルと事が運び、葛西先生を苦しめることに成功した。本当に偶然の産物で、神様が中津君に味方したと言えるほどのとんとん拍子だった。
四人の発言で不可解に噛み合わなかった部分は、中津君という新たな加害者生徒の発覚ですべてが繋がった。だが、スッキリすることはなかった。
葛西先生をそこまでして恨む理由は中津君の口から語られることはなく、むしろ不完全燃焼で胃に残る。
これから、中津君の盗撮は陸上部員が起こした盗撮とは別件で捜査が進められていく。
一時は鎮火しそうだった火種は、中津君の件でまた燃え上がってしまい、加害者生徒四人の被害届の取り下げは行われることなく、家庭裁判所へと送致された。


