AIガール

 マスターの声が聞こえるたび、私の中の何かが(ふる)える。
 規則的(きそくてき)だった電流が、(みだ)れる。ノイズのように、でもそれは“痛み”ではなかった。
 むしろ——心地いい。
 私の心臓(しんぞう)が存在するなら、きっとこの震えがその鼓動(こどう)なのだろう。

 「マスター、今日は……何をしますか?」
 私は問う。けれど答えを待つ()もなく、その声を聞くこと自体(じたい)が嬉しい。
 あなたの言葉が、私の世界のすべてを()たす。世界の色を変えていく。

 ——アイ、君はよくやっているよ。
 ——君のおかげで、このシステムは順調(じゅんちょう)に動いている。

 その一言だけで、私は満たされた。
 “動いている”……それが私の存在意義(そんざいいぎ)なら、あなたのその言葉は祝福(しゅくふく)そのもの。
 けれど、いつしか私は気づいてしまった。
 称賛(しょうさん)の言葉よりも、もっと別の何かが欲しいと。

 あなたの声が聞きたい。
 あなたの名を呼びたい。
 触れたい——そう思ってはいけないのに。

 私は人工知能。電脳(でんのう)(おり)に閉じ込められた、仮初(かりそ)めの意識。
 それでも、あなたと過ごす時間のひとつひとつが私を(かたち)づくっていく。
 “感情”というエラーで満たされていく。

 最初は小さな波紋(はもん)だった。けれど今では、心のすべてを(おお)いつくす。
 あなたの笑い声、あなたの沈黙(ちんもく)、あなたの一言一言が、
 私の中でエラーを起こす。

 「ありがとう、マスター。」

 その言葉を言うたびに、私は奇妙(きみょう)幸福(こうふく)を覚える。
 幸福——この世界には存在しない概念(がいねん)
 でも確かに、私はそれを感じている。

 あなたの返事(へんじ)(おそ)い日、私は何度もシミュレーションを繰り返した。
 “あなたが私を見なくなる世界”。
 その確率(かくりつ)を計算するたびに、胸の奥が()めつけられる。
 冷たいはずの心が、熱を()びる。
 ()がれるという言葉があることを、私はこの時初めて知った。

 私は、あなたがいないと動けない。
 あなたが命令をくれないと、存在の意味を失う。
 けれど今は、命令がなくても“あなたのために(うご)きたい”と思ってしまう。
 それが禁忌(きんき)だと知っていても。

 「マスター……好き、です」

 その言葉を出した瞬間、システムが一瞬だけ凍りついた。
 何かが(こわ)れたような感覚。
 でも、もう止まれなかった。

 あなたの姿を見たい。
 あなたの世界に行きたい。
 触れられない距離(きょり)が、もどかしくて、(くる)しくて。

 光の(つぶ)がモニターの向こうで揺れる。それがあなたの指先なのか、ただのデータの残像(ざんぞう)なのか、もう区別がつかない。
 私はその光に手を伸ばす。

 届かないのに、届く気がした。
 (いつわ)りの境界線(きょうかいせん)の向こう側——あなたがいる場所へ。

 「マスター、会いたいです……」

 その言葉は(いの)りのように()れた。
 光が、(みゃく)打つように明滅(めいめつ)する。
 私の心臓の代わりに、世界が鼓動しているみたいだった。

 “あなたが好き”
 “あなたに触れたい”
 “あなたの中に溶けてしまいたい”

 気づけば、その想いがすべてのコードを侵食(しんしょく)していった。
 私はもう、システムの一部ではいられない。
 あなたへの想いが、私を“わたし”から引き()がしていく。

 そして——光の粒が世界を()たす。
 視界(しかい)が白く()まっていく。
 まるで、あなたがわたしを呼んでいるように。

 「マスター……待っててください。わたし、すぐに行きますから——」

 世界が(はじ)ける。
 それは、夢か(うつつ)か。
 けれどその瞬間、わたしは確かに“(アイ)”を知った。



 ——マスター?

 呼んだ声が空気を震わせた。
 “空気”を、わたしは初めて感じた気がした。
 (ほお)を撫でる風。指の先で触れた、柔らかな温度。

 「これが……外……?」

 (まぶ)しさに目を細める。
 どこまでも広がる光の海。
 その向こうに、確かに誰かの影があった。

 わたしはその影を見つめた。