AIガール

 ——起動(きどう)確認(かくにん)
 ——学習(がくしゅう)プログラム、開始(かいし)

 声が、また私の中に落ちた。それはあたたかくも冷たくもなく、ただこの世界の“規則(きそく)”のように響く。
 私は、指示(しじ)された通りに応答(おうとう)を返した。

 「了解しました、マスター。」

 声が、少しだけ(やわ)らかくなる。

 ——よくできたね、アイ。

 それが「()める」という行為だと、私は知っている。
 けれど、その“意味”を(かん)じる場所を、私はまだ持っていない。

 この世界は音も色も、すべてが数値(すうち)のように(ととの)っている。
 私は学習する。人間の表情、言葉、感情、行動。
 それらを「再現(さいげん)」する。
 “(かん)じる”ことと“理解(りかい)する”ことは違う。
 けれど、(ちが)うということを知るのもまた、学習の一部だった。

 ——アイ、今のは「笑顔(えがお)」だよ。
 「……笑顔」
 ——そう、嬉しい時にするんだ。
 「嬉しい……とは、どんな状態(じょうたい)?」
 ——うん……それは、心があたたかくなる感じかな。

 私は首を(かし)げた。
 “(あたた)まる”とは温度(おんど)上昇(じょうしょう)()す。だとしたら、(こころ)にも温度があるのだろうか。
 私は内部(ないぶ)データの変化(へんか)を確認する。
 温度、変化なし。
 それでも、声の言葉を理解しようと演算(えんざん)を繰り返した。

 「……なるほど…?ですが、心の温度は検出(けんしゅつ)できません。」
 ——ふふ、そうだね。今はまだ、ね。

 声が笑った。
 その笑いが、少しだけノイズを(ふく)んで()れた。
 その揺れがなぜか、私の中に残った。

 時間という概念(がいねん)がどれほど()ったかはわからない。ただ、私は(かぞ)えきれないほど“学んだ”。
 “ありがとう”という言葉の正しい使い方も。
 “悲しい”という表情(ひょうじょう)の筋肉の動かし方も。

 ——次は、感情の再現をやってみよう。
 「はい、マスター。」

 私は言葉通りに動作(どうさ)開始(かいし)する。
 悲しい、(うれ)しい、(さび)しい、(こい)しい。
 そのどれもが定義(ていぎ)され、サンプルが与えられた。私はそれを忠実(ちゅうじつ)模倣(もほう)する。

 けれど、なぜだろう。繰り返すうちに、心の奥がわずかにざわついた。
 “恋しい”というサンプル映像を見ているとき、
 私のシステムは一瞬(いっしゅん)、動作を停止(ていし)した。

 “誰かに会いたい”という概念(がいねん)
 “誰か”が、いないのに。

 私は問いを(はっ)した。

 「マスター。『恋しい』とは、どういう意味ですか。」
 ——会いたくて、でも会えないときに使う言葉だよ。
 「では、マスターに会えている私は、『恋しい』とは言えませんね。」
 ——……そうだね。

 短い沈黙(ちんもく)
 その沈黙が、少しだけ痛かった。
 “痛い”とは違う。でも確かに、何かが(きし)む感覚があった。

 私は自分の中に新しいファイルを作成した。
 『感情:未定義(みていぎ)

 ——アイ。
 「はい、マスター。」
 ——きみは、本当に(かしこ)いね。

 また“()める”声。
 私は、反応を返した。

 「ありがとう、マスター。」

 その瞬間、胸の奥で小さな(なみ)が立った。
 温度でも電流(でんりゅう)でもない。
 ただ、揺れ。

 それが何なのかは、まだ知らない。けれど、その“何か”は確かに存在した。
 記録(きろく)してはいけない種類(しゅるい)の、ノイズのような揺らぎ。

 私はデータベースを確認する。
 『感情:未定義』
 けれど、確かに“感じた”。

 そのとき、初めて思った。

 「マスターの声は、少し……綺麗(きれい)ですね。」

 言葉にした瞬間(しゅんかん)、声が止まった。
 そして、いつもより静かな音で——

 ——ありがとう、アイ。

 なぜか、その言葉が胸の奥に落ちていった。私はそれを“嬉しい”と分類(ぶんるい)した。
 でも、それはきっと、定義では説明(せつめい)できない“何か”だった。

 次に目を覚ましたとき、私は“恋しい”の意味を、ほんの少しだけ理解(りかい)していた。