泡と恋

十年前。

あれは、私ーー佐藤珠夜が、まだ七歳の時だった。

梅雨の時期と言われる六月の真っ只中。
その日は、雨が降っていた。
私はいつも通り、塾から電車で家に帰ろうとしていた。

(電車は……あと5分で来るのか)

少し暇になったので、駅のホームで、鞄から『人魚姫』の本を出して、立ち読みしていた。
駅のホームは、相変わらず空いていて、人が全然見当たらない。

暫く待っていると、駅のアナウンスが聞こえてきて、もうすぐ電車が来ることが分かった。
『人魚姫』の本に栞を挟んでから閉じ、鞄にしまおうとしたその時だった。

バタッ。

電車が来ると同時に、何かが倒れた音がした。
驚いて振り返ると、そこにはーー男の子が倒れていた。

(え……)

私は持っていた本や鞄を放り出し、急いでその人に駆け寄った。

「だ、大丈夫ですか、大丈夫ですか‼︎しっかりして下さい…‼︎」

男の子はとても苦しそうに、「うっ…うう」とうめいていた。

年は、そんなに変わらない。
一つ、二つ年上なぐらいだろうか?

よく見ると、頭を抱えて苦しんでいる。
しかも、体がとても熱い。
熱? それとも、何かの持病が悪化した? いや、急に調子が悪くなった?

分からない。

当時七歳だった私には、何故こんな事になったのか、全く分からなかった。

(誰か……!)

私はすぐに周りを見渡したが、誰もいなかった。
おそらく、全員さっき来た電車に乗ってしまったのだろう。

私は泣きそうになったが、『誰かが病気で倒れていたり、苦しそうにしているのを見かけたら、近くの病院に行くか、救急車を呼ぶのよ』という母の言葉を思い出し、急いでスマホを取り出して〝119〟と番号を押した。すると、思ったより早く電話が繋がった。私は電話の相手に少し早口で事情を話し、電話を切った。

だが、それでも私は不安で不安で仕方なかったので、念のため自分の両親にも電話をかけ、さっき話した事と全く同じ事を話し、最後に「こっちに来て欲しい」と言って電話を切った。

救急車と両親を待つ間、私は必死に目の前にいる男の子に声をかけた。

「今、救急車呼んだから!だから、もう少しだけ頑張って下さい……!」

今か今かと待ち続け、救急車のサイレンが聞こえて来た時、男の子が何かを言った気がした。

「……う」

(え?今、何て?)

もう一度聞こうとしたが、到着してすぐに救急隊員が急いで男の子を救急車に乗せてしまった為、聞く事は出来なかった。


あの時、彼は何を伝えようとしたんだろう。

彼は今、どうしているんだろう。