●語り手・木村登志江さん(62歳/インタビュー時は籠目原結婚相談所を退職済) 聞き手・久遠
退職の日はもともと決まってたんですよ。『あのこと』が原因じゃありません。わたしももう、歳ですから。
籠目原結婚相談所でのわたしの仕事はお着物のお着付けで、結婚相談の業務には全くかかわっておりませんでした。
……はい、そうです。和装でお式を挙げたいカップルがいたら、わたしの出番が来るんです。
お着付けの仕事がなければ暇ってことになりますけど、わたしは籠目原結婚相談所で働きつつ、個人の着付け師として他所でも仕事を請け負っておりましたから、割と忙しかったですよ。
今はお式本番の他に、前撮りと言って、お写真だけを撮る日を設けるのが普通なんです。つまり、一組のカップルで、少なくとも二回はお着付けをするのね。
成人式を迎えるお嬢さまも、本番と前撮りで二回振袖を着るのが主流でしょう。それと同じです。
和装でお式を挙げる場合、花嫁さんだけでなく、花婿さんもお着物をお召しになりますよね? それから、親族の方もお着物という場合が多い。
だから和装のお式が決まると、わたしたち着付け師はもうてんてこ舞いです。
今はただでさえ着物に携わる人が減っていますから、自分で着付け師を捜すのはなかなか難しいでしょうね。よしんば見つかったとしても、結構なお代を取られるはずですよ。
でも籠目原結婚相談所の場合は、わたしのような着付け師を何人か抱えているんです。これもサービスの一環ですね。
ですからいつでも和装のお式に対応できますし、ご自分たちで着付け師を手配するよりだいぶお安いお値段で、前撮りの日とお式の当日、お着付けができます。
左海家と廉崎家のお式……ええ、もちろん覚えておりますよ。
わたしが着付け師として、最後にかかわった方々ですもの。
同じことを何度も言うようで申し訳ないけれど、わたしが着付け師を辞めたのは、あの式のあとに起こった『例の件』が原因じゃありません。
固い帯をぎゅっと結んだり、裾や袖を整えるのに中腰になったり……着付け師って意外と力を使うんですよ。何十年もやっているうちに、わたしったら手の筋を傷めちゃってね。
もうだいぶ前から指先に力が入らなくなっていたの。だから最近はもっぱら、花嫁さんではなく花婿さんや親族の方のお着物を担当しておりました。
やはりお式の主役は花嫁さんでしょう。それ以外の方のお着付けなら、少しだけ気楽にできますから。
ああ、義久さんと結花さんは前撮りをなさらなかったのよ。お式の当日に、ご親族さまたちと集合写真をお撮りになっただけで済ませたの。
前撮りをするとなると余分にお金がかかりますから、それを浮かせたかったとお聞きしています。
だから、お二人がお着物をお召しになったのは、お式の当日のみなの。
わたしはご成婚に至るまでのことにはかかわっていませんでしたから、義久さんと結花さんにお会いしたのはお式の日が初めてということになります。
わたしはその日、両家のお父さまと義久さんに羽織袴をお着せしました。女性陣は、別の着付け師が担当したのよ。
だから花嫁の結花さんとはあまりお話しできませんでしたけど、それでも白無垢のお着付けが仕上がって、お式に臨まれた彼女はとてもお綺麗でした。
あれほど和装の似合う方もなかなかいないわ。
お召しになっている花嫁さんが素敵だからかしら。こころなしか、お着付けにいつもより気合いが入っている気がしました。
結花さんに白無垢を着せたのは、籠目原結婚相談所の着付け師で、田代志津さんという方です。
志津さんはいわばわたしの同僚ですけれど、籠目原結婚相談所に来てまだ日が浅くて……確か入社は二〇二四年の八月くらいだったかしらね。それまでは別のところでお仕事をされていたみたい。
志津さんの着付けの腕前は、相当ですよ。わたしなんかより、かなりお上手。
籠目原結婚相談所にはスキルアップ研修というのがあって、たまに着付け師同士で着物を着せ合って腕前を確認することがあるんですけど、志津さんに着せてもらった訪問着は、まるで肌に吸い付くように馴染みました。どうやったらあんなに上手く着せられるのかしらね……。
とにかく、志津さんは花嫁さんのお着付けをよく引き受けてくれて、手を痛めていたわたしとしてはとても助かりましたよ。
その志津さんが、結花さんのお着付けを終えたとき、うっすらと涙ぐんでいたの。
『素敵なお嫁さんね』って……。
それほど、結花さんのお姿は完璧だった。
だから、とても残念に思います。
まさかあの結花さんが――花嫁さんが……。
お式のあとすぐ、亡くなってしまうなんて……。

