(なぜあの夜にあのまま連れ出さなかったのだろうか……)

 由紀から事の詳細を聞いた蒼弥は腑が煮え返る思いだった。
 強い怒り、憎しみが自分の中を支配する。
 加納家のことはもちろんだが、和花が冷たい環境にいると分かっていながらすぐに手を差し伸べられず、さらに辛い思いをさせてしまった自分にも腹が立った。
 あの夜、あのまま和花を加納家から連れ出し、証拠を後から集めて突きつけることもできたはず。
 自分の判断の間違いが和花が苦しむ原因になったかと思うと胸が張り裂けそうだった。

「色々準備をしていましたが、間に合わず申し訳ございません」

「……準備ですか?」

 由紀は何が何だか分からないとでも言いたげな、きょとんとした顔をした。

「はい。実は加納家について色々と調べさせて頂きました。和花さんを現状から救う為に」

 何の罪もない人に、あんなに素敵な人に悲しい思いをさせた罪は重い。
 和花の屈辱を晴らし、制裁を受けさせよう。
 その思いから部下の力も借りて膨大な量の資料を読み漁り、関係のある者に聞き込みを行い徹底的に調べ上げた。

 調べれば出てくる加納家の黒い噂の数々。頭が痛くなるほどに彼らは隠れて色々やってきたようだ。
 まだまだ調べたりないが、今は和花を救うことが優先である。

「さぁ、行きましょう。和花さんを助けに」

 蒼弥は手早く身の回りを片付け、荷物を待つ。ふと入り口を見ると小山といつの間にか冴木が立っていた。

「行くのか?蒼弥」

「冴木さん、いつの間に」

 緊迫した時だというのにも関わらず、にやにやと口元を緩める冴木に蒼弥は一瞬顔を顰めた。
 だがそれもほんの束の間に過ぎなかった。
 冴木の顔付きがきり、と変わり蒼弥に対して品行方正に敬礼した。

「後のことは俺たちに任せて、お前は彼女のことだけを考えて動け」

「仕事の方は私達が片付けておきますし、何かあればすぐに駆けつけますから」

 小山も冴木に倣って敬礼し蒼弥を促す。

「冴木さん、小山さん……」

 あぁ。なんて良い人たちに囲まれているのだろう。改めて実感する。
 ただでさえ蒼弥の個人的な調べ物で時間を割いてしまい、冴木と小山で分けても手が足りない程に期限までの仕事が山積みになっているのに、快く送り出してくれる二人に感慨無量だった。

「本当にありがとうございます」

 最大限の感謝の気持ちを込めて一礼すると「やめろよ〜」と冴木の間伸びした声や「こんな状況なのに何でそんなに楽観的なんです?」と呆れ返る小山の声が耳に入った。

「ふっ」

 いつも通りの部下たちのやりとりに強張っていた蒼弥の表情が和らぎ小さな笑みが溢れた。
 知らない間に身体に力が入り過ぎていたのだろう。頭の中は如何に和花を救い出すか、加納家に天罰をくらわせるかで埋め尽くされていたから。
 しかし、怒りの感情に任せれば見えるものも見えなくなってしまう。それに気付いた蒼弥は目を閉じると一つ大きく深呼吸し、冴木、小山の顔を見渡してきっぱり言い放った。

「後は頼みます」

 従来の蒼弥であれば自分の事、気持ちを後回しに仕事を優先にしていた。だが、今回は譲れない。頼れる部下に一任し自分は自分の為にやることをしよう。
 心なしか後を任された二人も清々しい顔をしていた。
 仕事以外に、さらには一人の女性に興味を持った上司の表情を見て安心しているようにも見える。

「それでは参りましょうか」

「はい!」

 蒼弥と由紀は二人に見送られながら日が傾きはじめた外へ足を踏み出した。