「九条さん、さっきの方どなたです?」

 隣を歩く小山が躊躇しながら聞いてくるが、そんな言葉は耳に入らなかった。

(藤崎和花さんか……)

 まさか二日連続で会えるとは思っていなかった。
 日々様々な人と関わる自分が、和花と名乗る娘のことを一目見て気付けたのは、昨夜のことがよっぽど印象に残っていたからだろう。

 彼女は、やはりどこか様子がおかしかった。
 おどおどした自分を卑下するような物言いと無表情な姿。
 今日も今日とて、具合が悪そうな青白い顔に着古した着物。
 隣にいた同僚と思われる女性の方も似たような小豆色の着物に身を包んでいるが、生地の痛みはなく新しい。それに、体調も良さそうだ。

 それなのに彼女だけ雰囲気が違うのはなぜだろうか。
 賑やかな街並みに似合わない装いに違和感を覚えた。
 しかし,違和感の中に興味をそそられるところもあった。
 まず、丁寧な立ち居振る舞い。
 言葉遣いと細かい所作の丁寧さが見て取れる。名家に生まれたものならば、幼い頃から教養や所作をみっちり叩き込まれる。
 実際に蒼弥自身も、名家九条家の跡取りとして厳しく躾けられてきたが、そんな蒼弥でも一目置いてしまうほどの美しさだった。
 もしかしたら彼女は良いところの出なのかもしれない。

 そして、蒼弥を目の前にしても動じない態度。
 今まで出会ってきたご令嬢は、分かりやすく頬を赤らめ、機嫌をとってくる。持って生まれた美貌や家柄をとやかく言うつもりはないが、皆上辺だけしか見ていないのがすぐに分かる扱いをされてきた。
 今でさえ、街を歩くと注目の的だ。
 それなのに、あの娘は顔色ひとつ変えずに淡々と受け答えをする。しかもその内容も、自分を着飾って見せるのではなく、自らをへりくだった言い方だ。

 気になる。彼女のことがとても。
 一人の人、しかも女性の方に関心を寄せたことなどこれまでなかった。
 自分がおかしい。

「九条さん?大丈夫です?九条さーん?」

 大袈裟に名を呼ぶ小山の声に、はっとする。
 彼女のことを考えすぎていた。仕事中だというのに。

「すみません、大丈夫です」

 深く息を吐く蒼弥に小山はまた質問した。

「さっきの彼女、お知り合いですか?なんだか体調が悪そうに見えましたが」

「やはりそう見えましたか?」

「え?えぇ、まあ……」

 食い気味に聞かれ、小山は困惑しながら首を縦に振った。
「やはりそう見えるよな」とまるで呪文を唱えるようにぼそぼそと蒼弥は呟く。

「なにがあったんです?九条さん」

 あまりにも心配そうに聞く小山を見て、蒼弥は渋々、昨夜のことを説明した。

「そんなことがあったんですね」

 あらかた説明すると、小山は腕を組み唸った。

「なにか引っ掛かることでも?」

「いや、なにかって引っ掛かることだらけですよ」

「そうですよね」

 二人は仕事のことをそっちのけで、和花についてあれこれ考え始めた。

「きっと和花さんは加納屋の使用人の方かなにかなんでしょうね。九条さんが持っていった着物を見て泣いたということは、それに似た何かに思い入れがある……とか?」

「思い入れ……」

「その着物はどちらで購入されたんですか?」

「確か母が……藤崎屋という呉服屋で……あ」

「え?」

「藤崎屋……」

「藤崎屋なんて呉服屋帝都にありましたっけ?」

「いや、今はない……」

「え?」

 蒼弥の頭の中に、一つの仮説が立った。
 彼女は名を藤崎和花と名乗った。
 蒼弥が知っている呉服屋と同じ苗字。
 まさかとは思うが、今はなくなった呉服屋「藤崎屋」とあの娘は、なにか関わりがあるのだろうか。
 蒼弥の母が気に入って贔屓にしていた呉服屋、藤崎屋は一年前に前触れもなく突然潰れた。
 もし、昨日の着物が彼女にとって思い入れのあるもので、それを見て涙を流したとしたら、話の辻褄は合うのかもしれない。 

(色々調べてみるか)

 話についていけず、首を傾げる小山を置き去りにし、蒼弥は一人話を進めるのだった。