私の趣味は釣りです。
 休日に車で遠征し、一人でのんびりと釣りをしに行くのです。
 良い景色を眺めながら気ままに待つのも好きです。
 余計なことを考えないために、必ずスマホの電源を切って過ごしています。
 所謂デジタルデトックスですね。
 普段は常にパソコンと向き合っているので心地よいものです。

 その日は穴場のダム湖を訪れました。
 意気揚々と新品の釣り具を準備していると、先客がいることに気付きました。
 その人は穏やかな笑顔で釣り糸を垂らしています。
 帽子には大きく「忌村」と書かれていました。
 変なファッションですが、そこまで気にするほどでもありません。
 都会に出れば奇抜な格好の人がたくさんいますから、目の前の釣り人は普通の範疇でしょう。

 そんな忌村さんは、足元にクーラーボックスを置いていました。
 カタカタと中で音が鳴っています。

 私は忌村さんに「調子はどうです。よく釣れますか?」と訊きました。
 忌村さんは「足りないので」と答えました。
 それ以上は何も話しません。

 よく分からない返答です。
 どういう意味か理解できませんでした。

 応答に困った私は「今日の何を狙ってますか」と質問しました。
 忌村さんはまたも「足りないので」と答えました。
 表情を変えず、じっと釣りに集中しています。

 私は、忌村さんが頭のおかしい人だと悟りました。
 少なくとも気持ちのいい会話ができる相手ではないようです。
 もしかすると、釣りを邪魔されてくなくて変な返しをしているのではないか。
 この時はそこまで邪推していました。

 忌村さんには関わるべきではない。
 そう考えた私でしたが、ダム湖を見つめるうちに決断が鈍りました。
 このスポットは釣れそうな予感がしたのです。
 根拠のない直感ですが、移動したくないと思ってしまいました。

 結局、私は忌村さんから少し離れた位置で釣りを始めました。
 すると一分もせずにヒットしました。
 強烈な引きを感じ、私は大物だと確信しました。

 逃がさないように調節しつつ、獲物を慎重にたぐり寄せていきます。
 そうして私は見事に釣り上げました。
 ところが針に引っかかった物体を目にした瞬間、私は凍り付きました。

 それは人間の右手だったのです。
 断面からは血が滴り、割れた骨が露出しています。

 私は大声を上げて尻餅をつきました。
 パニックに陥って落とした釣り竿も拾えずに固まっていると、忌村さんがこっちにやってきました。
 忌村さんは「足りないので」と言いながら、私の釣った右手を針から外して持ち去りました。

 元の場所に戻った忌村さんはクーラーボックスを開けました。
 クーラーボックスから人間の手足がはみ出していました。
 先端がぴくぴくと痙攣しています。

 忌村さんはそれらを押し込むと、右手も中に仕舞いました。
 そして、こちらに背を向けて作業を始めます。


 ぱちん、ぱちん。
 ぱちん、ぱちん、ぱちん。


 軽い音はホッチキスを連想させました。
 私の位置からでは何をしているのか見えません。
 ぱちんぱちんと音だけが聞こえてきます。

 まさか……「足りないので」と連呼していたのは……。

 私は悲鳴を上げてその場から逃げました。
 釣り具をすべて置き去りにしましたが、まったく惜しくありません。

 忌村さんの真意は分かりません。
 ただ、深く関わってはいけないのは間違いないでしょう。

 皆様も忌村さんにはご注意ください。