シナリオライターの私は、仕事のやり取りを主にチャットアプリで行っていました。
 地方在住で直接会うのが難しい上、会話が苦手だからです。
 電話もほとんど使わず、文字でのコミュニケーションが大半でした。
 別にそれで困ることはありませんし、ファイルの転送や受け取りもチャット上で可能なため、むしろ便利に感じています。
 感染症対策でリモートワークが増えた時期だったのもあり、特に反対する人はいませんでした。

 おかしな出来事が起きたのは、二年前の九月です。
 グループチャットでの打ち合わせ中、見知らぬアカウントが入ってきました。
 アイコンは初期状態で、アカウント名は「忌村」でした。

 そのグループチャットには制限をかけており、第三者が許可なく入ることはできません。
 つまり既存の参加者が招待する以外に方法がないのです。
 打ち合わせのメンバーは困惑し、誰が招待したのだと言い合っていました。
 結局、犯人は見つからず、そのうち件のアカウントがメッセージを送り始めました。

『こんばんは』

 無機質な機械音声がパソコンから発せられました。
 アプリが標準搭載している音声読み上げソフトの仕業です。
 普段はオフにしている機能のはずですが、なぜか勝手に有効化されていました。
 私は設定画面から読み上げを再びオフにしました。

『こんばんは』

 またパソコンが喋りました。
 切ったばかりの読み上げ機能がまた有効になっています。
 私がなんだか気持ち悪くなり、忌村さんをチャットからブロックしようとしました。
 ところがブロック機能は使えず、忌村さんは勝手に話し続けます。

『こんばんは』

『こんばんは』

『こんばんは』

「こんばんは」

 最後の言葉は背後から聞こえました。
 ヘッドホンの外から聞こえたのは、決して機械音声ではありません。

 パソコンの電源がいきなり落ちました。
 暗くなった液晶画面に反射し、佇む人影が映り込んでいます。
 目を見開いた微笑を浮かべています。

 そこで私の意識は遠くなり、気が付くと時刻は朝になっていました。
 慎重に振り返るも、誰もいません。
 あれはおそらく忌村さんだったのでしょう。
 なぜか私の部屋に出現したようです。

 私はチャットアプリをアンインストールし、別の手段で仕事の連絡を取るようになりました。
 他のメンバーもすぐに賛成してくれました。
 これで解決できればよいのですが、対策としては不十分な気もします。
 また忌村さんが出現しないことを祈るばかりです

 皆様も忌村さんにはご注意ください。