「いえ、そもそもお断りしようとしていた話ですので……」
「せっかくだし、家の中を案内するよ」
さあさあ、と、穏やかだがノーと言わせない笑顔で永徳は言う。
「あの、私は」
「堅苦しいのもなんだから、縁側に行こうか。その方が緊張もほぐれるだろう」
ささやかな抵抗虚しく、突然の見合いは楽しげな美丈夫によって勝手に進行されていく。先ほど見た日本庭園が一望できる場所に出て、一瞬景色に目を奪われたものの。早く帰りたい一心で、いつ退出を申し出ようかとタイミングを伺う。
「俺の見た目が気になるかい。年齢とだいぶ違うじゃないかと」
違う、問題はそこじゃない。だがまあ、それは疑問に思っていたことでもあるし、聞けることなら聞いてみたくはある。
「五十は過ぎているよ。人間の人間で言うところの中年真っ只中だねぇ」
「人間でいうところの、とは……」
そういえば人間の女性をこの家に迎えるのも久々だなぁ、などと言う彼は、まるで佐和子の質問など聞いていない。
「この見た目がなかなかネックでね。いい加減身を固めようと、結婚相談所などに登録しようと試みたこともあったんだが。本人確認で引っかかるのだよ。どう見ても五十代というのは嘘だろうと」
「あっ、へぇ……」
——なんかもう、疲れちゃった。単にお見合いを断りに来ただけで、こんなに長居をするつもりもなかったし。
「うわの空だな。顔色も悪い。これでは見合いも進まないなあ」
佐和子の浮かない様子に気づいたのか、永徳はこちらの顔を覗き込んでくる。
急に目の前にやってきた綺麗な顔に動揺し、咄嗟に二歩下がる。近くで見ても肌のキメが細かくて、これで五十代は絶対に嘘だ。きっと彼はたまたま遊びに来ていた富士子の親類の坊ちゃんで、狐に摘まれたような自分を揶揄って楽しんでいるに違いない。
こめかみがキュウ、と締め付けられるように痛んだ。
こういうタイプの人間は、あまり好きではない。
「私、本当にそろそろ帰らないと」
「そうか。だけど、その顔色のまま帰すわけにはいかないね。途中で倒れられては敵わないし」
顎に手を当て、考えるような素振りをしたあと。
「よっこらせ」
「ひゃあ!」
ぐらついていた視界が半転する。なんと彼は佐和子を横抱きに抱えていた。
「は、はなして!」
「大丈夫、客間に連れて行くだけだ」
そう言って、軽々と佐和子をもといた客間に運ぶと、「手品を見せよう」と、佐和子の顔の前で手をひらひらさせる。突然甘い柚子の香りが鼻をくすぐったかと思えば、永徳の手のひらが退いた先、「鮨」と文字の入った湯呑みが目の前で湯気を立てていた。
「疲れを取るお茶だ。飲んでいくといいよ」
「あの……これ、今どうやって」
「まあまあ。タネは企業秘密だから。効果の高い薬湯だと思って飲んでみなさい。きっと今晩はぐっすり眠れるはずだ」
自信ありげにそう言う永徳は、子どもにありもしない魔法の話をするような胡散臭さがある。
「ありがとうございます。では、いただきます……」
湯呑みを両手で包み、ゆっくりと中身を口に含む。まろやかな甘みが口の中いっぱいに広がり、柑橘の爽やかな香りが鼻を抜けると、不思議なことに先ほどまでの頭の痛みはすっかり消えてしまった。モヤのかかっていたようだった思考も、くっきりとしてきた気がする。
「このお茶……すごいですね。魔法みたいです」
「まあ、魔法みたいなものかもな」
クック、と笑う永徳の横顔は、障子を透ける日の光を帯びて、白磁のような輝きを放っていた。この浮世離れした容姿の人が「魔法」だなんていうと、うっかり信じてしまいそうになる。
「さて、鳥海さんと言ったかな。これで少し頭がスッキリしただろう。まずはお互いのことをもっと知ろうじゃないか」
——お茶代くらいはおしゃべりをしないといけないかな……。
「君はどんな仕事をしているんだい? ずいぶん疲れているようだけど」
見合いの定番の話題ではあるのだが、この話を振られると大変気まずい。
「実は三ヶ月前に辞めていまして……今は働いてはいません」
「おや、そうなのかい。退職の理由を伺っても?」
喉に異物が詰まったような苦しさに襲われ、下を向く。お願いだからそれ以上掘り下げないでと懇願するも、相手は興味津々といった様子で質問を重ねてくる。
「それだけしんどそうな様子を見るに、仕事で体を壊したとか」
「まあ……そんな感じです」
「なぜそんなになるまで仕事を?」
さすが親子というだけあって、富士子と同じくグイグイと人の事情に入り込んでくる。観念した佐和子は、ため息をついて、重い口を開いた。
「……憧れていた部署に異動になって、張り切っていたんです」
新卒三年目、営業としてそれなりの成績を残していた佐和子は、もともと希望していたマーケティング部への異動を言い渡された。喜び勇んで部署の扉を叩いたものの、万年人手不足の花形部署では丁寧な指導などしてもらえず、目まぐるしくすぎる日々に振り回されていた。そして。
「小さなプロジェクトを任されたんです。とある製品のプロモーション企画で。自分なりに頑張ったんですけど、大失敗に終わりまして」
膝の上で握られた拳に力が籠る。吐き出し始めたら、止まらなかった。
「数百万の予算を無駄にしてしまって。もともと、とろいとか、融通が効かないとか、言われてはいたんですけど。プロジェクトの失敗が決定打になって、『使えない社員』の烙印を押されちゃったみたいで。大量の雑用を押し付けられるばかりになってしまって」
「ふむ」
「これまでの自分のすべてを否定された気がして。気づいたら、食事も、睡眠も取れなくなっていました。最終的に、会社に向かう電車に乗れなくなってしまって」
うしろ向きな返答で、さぞがっかりしただろう。霊魂といえど母親が気に入って連れてきた娘なら、もっとちゃんとしたお嬢さんだと思って期待していたかもしれない。
——なんで初対面の人に、こんなこと話してるんだろう。みっともない。
同期の友人たちは皆、キラキラと活躍できている。暗い顔をして勤務しているのは佐和子だけ。それが惨めさを加速させ、ちっぽけなプライドから誰にも相談できず、ついにダウンしてしまった。
「で、今後はどうするんだ。どこかに再就職するんだろう?」
「……まあ、いつかは。とりあえずは療養中です」
話しながらどんどん暗さを増していった声は、終わりにかけて尻窄みになっていた。すると突然、永徳が自分の膝を打つ。
「よし、いいことを思いついた!」
弾かれたように顔を上げれば、キラキラとした笑顔を振り撒く永徳の顔が目に入る。
「花嫁修行の一環として、家業を手伝っておくれよ。ちょうど人手不足なんだ」
佐和子はもはや、あいた口が塞がらなかった。
「せっかくだし、家の中を案内するよ」
さあさあ、と、穏やかだがノーと言わせない笑顔で永徳は言う。
「あの、私は」
「堅苦しいのもなんだから、縁側に行こうか。その方が緊張もほぐれるだろう」
ささやかな抵抗虚しく、突然の見合いは楽しげな美丈夫によって勝手に進行されていく。先ほど見た日本庭園が一望できる場所に出て、一瞬景色に目を奪われたものの。早く帰りたい一心で、いつ退出を申し出ようかとタイミングを伺う。
「俺の見た目が気になるかい。年齢とだいぶ違うじゃないかと」
違う、問題はそこじゃない。だがまあ、それは疑問に思っていたことでもあるし、聞けることなら聞いてみたくはある。
「五十は過ぎているよ。人間の人間で言うところの中年真っ只中だねぇ」
「人間でいうところの、とは……」
そういえば人間の女性をこの家に迎えるのも久々だなぁ、などと言う彼は、まるで佐和子の質問など聞いていない。
「この見た目がなかなかネックでね。いい加減身を固めようと、結婚相談所などに登録しようと試みたこともあったんだが。本人確認で引っかかるのだよ。どう見ても五十代というのは嘘だろうと」
「あっ、へぇ……」
——なんかもう、疲れちゃった。単にお見合いを断りに来ただけで、こんなに長居をするつもりもなかったし。
「うわの空だな。顔色も悪い。これでは見合いも進まないなあ」
佐和子の浮かない様子に気づいたのか、永徳はこちらの顔を覗き込んでくる。
急に目の前にやってきた綺麗な顔に動揺し、咄嗟に二歩下がる。近くで見ても肌のキメが細かくて、これで五十代は絶対に嘘だ。きっと彼はたまたま遊びに来ていた富士子の親類の坊ちゃんで、狐に摘まれたような自分を揶揄って楽しんでいるに違いない。
こめかみがキュウ、と締め付けられるように痛んだ。
こういうタイプの人間は、あまり好きではない。
「私、本当にそろそろ帰らないと」
「そうか。だけど、その顔色のまま帰すわけにはいかないね。途中で倒れられては敵わないし」
顎に手を当て、考えるような素振りをしたあと。
「よっこらせ」
「ひゃあ!」
ぐらついていた視界が半転する。なんと彼は佐和子を横抱きに抱えていた。
「は、はなして!」
「大丈夫、客間に連れて行くだけだ」
そう言って、軽々と佐和子をもといた客間に運ぶと、「手品を見せよう」と、佐和子の顔の前で手をひらひらさせる。突然甘い柚子の香りが鼻をくすぐったかと思えば、永徳の手のひらが退いた先、「鮨」と文字の入った湯呑みが目の前で湯気を立てていた。
「疲れを取るお茶だ。飲んでいくといいよ」
「あの……これ、今どうやって」
「まあまあ。タネは企業秘密だから。効果の高い薬湯だと思って飲んでみなさい。きっと今晩はぐっすり眠れるはずだ」
自信ありげにそう言う永徳は、子どもにありもしない魔法の話をするような胡散臭さがある。
「ありがとうございます。では、いただきます……」
湯呑みを両手で包み、ゆっくりと中身を口に含む。まろやかな甘みが口の中いっぱいに広がり、柑橘の爽やかな香りが鼻を抜けると、不思議なことに先ほどまでの頭の痛みはすっかり消えてしまった。モヤのかかっていたようだった思考も、くっきりとしてきた気がする。
「このお茶……すごいですね。魔法みたいです」
「まあ、魔法みたいなものかもな」
クック、と笑う永徳の横顔は、障子を透ける日の光を帯びて、白磁のような輝きを放っていた。この浮世離れした容姿の人が「魔法」だなんていうと、うっかり信じてしまいそうになる。
「さて、鳥海さんと言ったかな。これで少し頭がスッキリしただろう。まずはお互いのことをもっと知ろうじゃないか」
——お茶代くらいはおしゃべりをしないといけないかな……。
「君はどんな仕事をしているんだい? ずいぶん疲れているようだけど」
見合いの定番の話題ではあるのだが、この話を振られると大変気まずい。
「実は三ヶ月前に辞めていまして……今は働いてはいません」
「おや、そうなのかい。退職の理由を伺っても?」
喉に異物が詰まったような苦しさに襲われ、下を向く。お願いだからそれ以上掘り下げないでと懇願するも、相手は興味津々といった様子で質問を重ねてくる。
「それだけしんどそうな様子を見るに、仕事で体を壊したとか」
「まあ……そんな感じです」
「なぜそんなになるまで仕事を?」
さすが親子というだけあって、富士子と同じくグイグイと人の事情に入り込んでくる。観念した佐和子は、ため息をついて、重い口を開いた。
「……憧れていた部署に異動になって、張り切っていたんです」
新卒三年目、営業としてそれなりの成績を残していた佐和子は、もともと希望していたマーケティング部への異動を言い渡された。喜び勇んで部署の扉を叩いたものの、万年人手不足の花形部署では丁寧な指導などしてもらえず、目まぐるしくすぎる日々に振り回されていた。そして。
「小さなプロジェクトを任されたんです。とある製品のプロモーション企画で。自分なりに頑張ったんですけど、大失敗に終わりまして」
膝の上で握られた拳に力が籠る。吐き出し始めたら、止まらなかった。
「数百万の予算を無駄にしてしまって。もともと、とろいとか、融通が効かないとか、言われてはいたんですけど。プロジェクトの失敗が決定打になって、『使えない社員』の烙印を押されちゃったみたいで。大量の雑用を押し付けられるばかりになってしまって」
「ふむ」
「これまでの自分のすべてを否定された気がして。気づいたら、食事も、睡眠も取れなくなっていました。最終的に、会社に向かう電車に乗れなくなってしまって」
うしろ向きな返答で、さぞがっかりしただろう。霊魂といえど母親が気に入って連れてきた娘なら、もっとちゃんとしたお嬢さんだと思って期待していたかもしれない。
——なんで初対面の人に、こんなこと話してるんだろう。みっともない。
同期の友人たちは皆、キラキラと活躍できている。暗い顔をして勤務しているのは佐和子だけ。それが惨めさを加速させ、ちっぽけなプライドから誰にも相談できず、ついにダウンしてしまった。
「で、今後はどうするんだ。どこかに再就職するんだろう?」
「……まあ、いつかは。とりあえずは療養中です」
話しながらどんどん暗さを増していった声は、終わりにかけて尻窄みになっていた。すると突然、永徳が自分の膝を打つ。
「よし、いいことを思いついた!」
弾かれたように顔を上げれば、キラキラとした笑顔を振り撒く永徳の顔が目に入る。
「花嫁修行の一環として、家業を手伝っておくれよ。ちょうど人手不足なんだ」
佐和子はもはや、あいた口が塞がらなかった。
