「おい人……じゃなくて下っ端! さっさと来いよ、遅えよ。そっちじゃねえ、こっちだ、プレス受付もわかんねえのか、お前は!」
「す……すみません」
佐和子が連れてこられたのはどこかの山の頂上付近で、かなり空気が薄い。おまけにあやかし世界においてタクシーの役割を担う「火車」というものは、非常に乗り心地が悪かった。火を纏った大きな車輪がついた籠のようなあやかしなのだが、上下左右にとんでもなく揺れる。会場に到着するまでに何度も吐きそうになったが、すんでのところで踏みとどまった。結果、佐和子はフラフラだった。
真っ青な顔の佐和子に呆れ顔を向けつつ、宗太郎はテキパキと受付を済ませていく。「あやかし瓦版」以外にも、あやかし界にはメディアがあるというのは永徳から聞いていたが。報道関係者専用の受付には二十名以上が列をなして並んでいた。受付名簿をチラリと盗み見れば、「テレビ局」「新聞社」「雑誌社」「オンラインニュース」と、人間の世界同様、さまざまな媒体がある。
——こんなにたくさんあるんだ。びっくり。
感心しているうちに、横にいたはずの宗太郎の姿がもう消えている。慌てて周囲を確認すると、遥か先を進んでいる緑の甲羅が見えた。
「ぼやっとすんな! 場所取りだ。走れ!」
佐和子がついて来れていないことに気がついた宗太郎は、後方の佐和子目掛けて怒鳴り散らす。
「ちょ……ちょっと待ってください……!」
「待てるかぁ、この野郎! 場所取りが命なんだよ、死ぬ気で走れ!」
まだ火車酔いの残る佐和子を気にすることなく、宗太郎は凄まじい勢いで疾走していく。
受付で渡された「PRESS」の腕章をわたわたとつけながら、彼に置いていかれないようにと必死に走った。宗太郎が特別せっかちなのかと思いきや、他の報道関係者らしきあやかしたちも三脚を持って走っているので、「場所取りが命」というのは本当らしい。
佐和子がようやく宗太郎に追いつく頃には、各々が確保した場所で慌ただしくビデオカメラの準備を進めていた。手伝おうとしたのだが、「お前はもういい! 邪魔んならないところで待ってろ!」と怒鳴られてしまった。
手持ち無沙汰になった佐和子は、ここでようやく、会場を見渡す余裕が出た。
深い森の奥。濃い緑色をした背の高い針葉樹が、会場をぐるりと囲んでいる。森を相撲大会のためだけにくり抜いたかのような広場の中心には、真新しい土俵が据えられている。それを囲むように色とりどりの座布団や敷物が敷き詰められ、さまざまなあやかしたちが今か今かと始まりを待っていた。
「立派な土俵だなあ……」
しっかりと塗り固められ、美しく整えられた土俵に目が奪われる。公平を期すため大会の会場が毎回変わるので、開催地が決まってから「河童相撲組合」なる団体が開催日の直前に土俵を作るのだと、火車の中で宗太郎が話していた。
「おい下っ端、俺がメモをとりながら写真を取るから、お前がビデオカメラを守れ。いいか、失敗すんじゃねえぞ」
それだけ言い残すと、首から一眼レフカメラを下げた宗太郎は、他の記者たちの合間を縫ってどこかへ行ってしまった。
「守れって言われても……ビデオはもう土俵全体が映るアングルで固定されてるし、これ、特にやることないよね? まあ、盗まれたりしないように、見張ってろってことかな? 下手にズームとか、引きとか、私がいじらないほうがいいよね?」
ひとりそう呟いた瞬間、観客席の方から一斉に歓声が上がる。力士たちが土俵入りを始めるようだった。
◇◇◇
蜘蛛の糸のように細く白い長髪を揺らし、男は木の上から会場を見渡していた。
黒ずくめの衣装は森に馴染み、それが一層髪色の白さを引き出してる。
男は目を皿のようにして会場を探す。
「匂う匂う、人間の匂いだ」
左右に首をおり、コキコキと鳴らしながら鼻を鳴らす。
「忌まわしいやつめ、人間があやかしの世界に居座ろうとするとは」
巨大な尾が揺れ、鋭利な歯が口元から覗いた。
「我らの故郷を奪っておいて、さらにこちらの世界にまで干渉しようとする」
言葉は地響きのように震え、沸々と湧き上がるマグマのような怒りを孕む。
「それがどんなに罪深きことか。やはり山本五郎左衛門、お前が人間になどうつつを抜かすからいけない。腑抜けの息子もまた然り。大魔王の家系が聞いて呆れる」
赤く長い爪は、ガリガリと木肌を削り、今にも憎き人間の肉を裂こうと蠢いている。
だがどんなにこの手で殺してやりたいと思っていても、それは叶わない。姑息な術のせいで直接の危害を加えることはできないと知った。
「笹野屋永徳。安易に人間をこの場に招き入れたこと、後悔させてやる」
邪悪な笑いを浮かべた男は、大きく枝をしならせながら、土俵の方に向かって飛び降りていった。
◇◇◇
「いやあ、楽しみだなあ。今年はやはり沖縄の潮騒(しおさい)が優勝か」
「いやいや、和歌山の津野山(つのやま)もかなり仕上げてきていると聞いているぞ」
「まあ、今年は潮騒と津野山の一騎討ちだろうなあ。他に目立った力士は聞いておらんし」
佐和子の周りにいる記者たちは、今日の取り組みについてやんややんやと楽しそうに議論している。大会はトーナメント戦となっていて、潮騒と津野山が優勝の最有力候補のようだ。
盛り上がる初回戦を眺めつつ、佐和子はビデオカメラのディスプレイを覗き込む。狐面が邪魔だったので、顔の側面にずらして装着し直した。
——よし、ちゃんと録れてる。これなら大丈夫かな。
河童の力士たちは人間の世界の力士ほど皆体格が良いわけではなく、引き締まった体をしていた。しかし力は非常に強いようで、相手の体を軽々と頭上に持ち上げたり、まわしを掴んでぐるぐる回した上、場外へ放り投げたりと、激しい戦いを見せている。息をもつかせぬ試合展開に、いつの間にか佐和子も取り組みに夢中になっていった。
「宗太郎さんが毎年力を入れているのも頷けるな。……ん? あれ」
ふと目をやった観客席の方に、揃いの白い装束に身を包んだ団体客がいるのが見えた。遠目でよく見えないが、あきらかにそこだけ同じ色味で統一されているので、独特の存在感を放っている。
「あのあやかしたち、なんだろう」
「ぎゃあああああ!」
佐和子のつぶやきに被せるようにして、あたりに響き渡るような凄まじい悲鳴が上がった。一瞬静まり返った会場だったが。すぐに相撲へと注目が戻り、騒がしさを取り戻すが、観客の声援に混じって聞こえた悲痛な呼び声が、佐和子の耳を捉えた。
「おい! 下っ端! 助けてくれ、頼む」
その声は、宗太郎のものだった。
「す……すみません」
佐和子が連れてこられたのはどこかの山の頂上付近で、かなり空気が薄い。おまけにあやかし世界においてタクシーの役割を担う「火車」というものは、非常に乗り心地が悪かった。火を纏った大きな車輪がついた籠のようなあやかしなのだが、上下左右にとんでもなく揺れる。会場に到着するまでに何度も吐きそうになったが、すんでのところで踏みとどまった。結果、佐和子はフラフラだった。
真っ青な顔の佐和子に呆れ顔を向けつつ、宗太郎はテキパキと受付を済ませていく。「あやかし瓦版」以外にも、あやかし界にはメディアがあるというのは永徳から聞いていたが。報道関係者専用の受付には二十名以上が列をなして並んでいた。受付名簿をチラリと盗み見れば、「テレビ局」「新聞社」「雑誌社」「オンラインニュース」と、人間の世界同様、さまざまな媒体がある。
——こんなにたくさんあるんだ。びっくり。
感心しているうちに、横にいたはずの宗太郎の姿がもう消えている。慌てて周囲を確認すると、遥か先を進んでいる緑の甲羅が見えた。
「ぼやっとすんな! 場所取りだ。走れ!」
佐和子がついて来れていないことに気がついた宗太郎は、後方の佐和子目掛けて怒鳴り散らす。
「ちょ……ちょっと待ってください……!」
「待てるかぁ、この野郎! 場所取りが命なんだよ、死ぬ気で走れ!」
まだ火車酔いの残る佐和子を気にすることなく、宗太郎は凄まじい勢いで疾走していく。
受付で渡された「PRESS」の腕章をわたわたとつけながら、彼に置いていかれないようにと必死に走った。宗太郎が特別せっかちなのかと思いきや、他の報道関係者らしきあやかしたちも三脚を持って走っているので、「場所取りが命」というのは本当らしい。
佐和子がようやく宗太郎に追いつく頃には、各々が確保した場所で慌ただしくビデオカメラの準備を進めていた。手伝おうとしたのだが、「お前はもういい! 邪魔んならないところで待ってろ!」と怒鳴られてしまった。
手持ち無沙汰になった佐和子は、ここでようやく、会場を見渡す余裕が出た。
深い森の奥。濃い緑色をした背の高い針葉樹が、会場をぐるりと囲んでいる。森を相撲大会のためだけにくり抜いたかのような広場の中心には、真新しい土俵が据えられている。それを囲むように色とりどりの座布団や敷物が敷き詰められ、さまざまなあやかしたちが今か今かと始まりを待っていた。
「立派な土俵だなあ……」
しっかりと塗り固められ、美しく整えられた土俵に目が奪われる。公平を期すため大会の会場が毎回変わるので、開催地が決まってから「河童相撲組合」なる団体が開催日の直前に土俵を作るのだと、火車の中で宗太郎が話していた。
「おい下っ端、俺がメモをとりながら写真を取るから、お前がビデオカメラを守れ。いいか、失敗すんじゃねえぞ」
それだけ言い残すと、首から一眼レフカメラを下げた宗太郎は、他の記者たちの合間を縫ってどこかへ行ってしまった。
「守れって言われても……ビデオはもう土俵全体が映るアングルで固定されてるし、これ、特にやることないよね? まあ、盗まれたりしないように、見張ってろってことかな? 下手にズームとか、引きとか、私がいじらないほうがいいよね?」
ひとりそう呟いた瞬間、観客席の方から一斉に歓声が上がる。力士たちが土俵入りを始めるようだった。
◇◇◇
蜘蛛の糸のように細く白い長髪を揺らし、男は木の上から会場を見渡していた。
黒ずくめの衣装は森に馴染み、それが一層髪色の白さを引き出してる。
男は目を皿のようにして会場を探す。
「匂う匂う、人間の匂いだ」
左右に首をおり、コキコキと鳴らしながら鼻を鳴らす。
「忌まわしいやつめ、人間があやかしの世界に居座ろうとするとは」
巨大な尾が揺れ、鋭利な歯が口元から覗いた。
「我らの故郷を奪っておいて、さらにこちらの世界にまで干渉しようとする」
言葉は地響きのように震え、沸々と湧き上がるマグマのような怒りを孕む。
「それがどんなに罪深きことか。やはり山本五郎左衛門、お前が人間になどうつつを抜かすからいけない。腑抜けの息子もまた然り。大魔王の家系が聞いて呆れる」
赤く長い爪は、ガリガリと木肌を削り、今にも憎き人間の肉を裂こうと蠢いている。
だがどんなにこの手で殺してやりたいと思っていても、それは叶わない。姑息な術のせいで直接の危害を加えることはできないと知った。
「笹野屋永徳。安易に人間をこの場に招き入れたこと、後悔させてやる」
邪悪な笑いを浮かべた男は、大きく枝をしならせながら、土俵の方に向かって飛び降りていった。
◇◇◇
「いやあ、楽しみだなあ。今年はやはり沖縄の潮騒(しおさい)が優勝か」
「いやいや、和歌山の津野山(つのやま)もかなり仕上げてきていると聞いているぞ」
「まあ、今年は潮騒と津野山の一騎討ちだろうなあ。他に目立った力士は聞いておらんし」
佐和子の周りにいる記者たちは、今日の取り組みについてやんややんやと楽しそうに議論している。大会はトーナメント戦となっていて、潮騒と津野山が優勝の最有力候補のようだ。
盛り上がる初回戦を眺めつつ、佐和子はビデオカメラのディスプレイを覗き込む。狐面が邪魔だったので、顔の側面にずらして装着し直した。
——よし、ちゃんと録れてる。これなら大丈夫かな。
河童の力士たちは人間の世界の力士ほど皆体格が良いわけではなく、引き締まった体をしていた。しかし力は非常に強いようで、相手の体を軽々と頭上に持ち上げたり、まわしを掴んでぐるぐる回した上、場外へ放り投げたりと、激しい戦いを見せている。息をもつかせぬ試合展開に、いつの間にか佐和子も取り組みに夢中になっていった。
「宗太郎さんが毎年力を入れているのも頷けるな。……ん? あれ」
ふと目をやった観客席の方に、揃いの白い装束に身を包んだ団体客がいるのが見えた。遠目でよく見えないが、あきらかにそこだけ同じ色味で統一されているので、独特の存在感を放っている。
「あのあやかしたち、なんだろう」
「ぎゃあああああ!」
佐和子のつぶやきに被せるようにして、あたりに響き渡るような凄まじい悲鳴が上がった。一瞬静まり返った会場だったが。すぐに相撲へと注目が戻り、騒がしさを取り戻すが、観客の声援に混じって聞こえた悲痛な呼び声が、佐和子の耳を捉えた。
「おい! 下っ端! 助けてくれ、頼む」
その声は、宗太郎のものだった。
