白嶺宮は丘の上の緑豊かな土地に立ち、高原のような風に吹かれている。 
 そこで育まれる水源は、白嶺領の隅々に水を巡らせているらしい。
 咲希はある日、領内の樹木を見に来ていた。水源から流れる水が滞りなく恵みを与えているか、樹皮から生育状況を確かめていた。
 咲希が樹を調査して驚いたことには、白嶺領の木々はどれも年輪を重ねているのに健やかであることだった。
 咲希は歩みながら伸びをして、ふとつぶやく。
「水と空気がきれいだからかしら。ここは気候もおだやかだもの」
 咲希が顔を上げると、木立の間から陽光が差し込んでいた。きらきらと金色が混じり、咲希を明るく照らし出す。
 光をみつめた直後にそうであるように、咲希が顎を引いたとき、世界が一瞬暗闇に沈んだ。
 けれどその暗闇は白昼夢を伴って、咲希は立ったままそこに白嶺領とは違う土地を見ていた。
 そこには枝葉がしおれ、雪が吹きつけて枯れかけた樹が立っていた。まもなく倒れるのではと思うほど、その樹には力がなかった。
 雪さえも降らない白嶺領で、咲希が今までそのような樹に出会ったとは思えない。けれど咲希は遠い昔、それを見たような錯覚があった。
 ……冬の日、納屋の裏にその樹は立っていて、咲希はその下で井戸水を汲んだような気がする。
 ふいに咲希がめまいを感じてよろめくと、周囲の人々があっと声を上げるのが聞こえた。
 咲希は意識を失って、少し熱も出したらしい。目覚めたら白嶺宮の居室で、心配そうに宮様が咲希を覗き込んでいた。
「樹の夢を見たかな?」
 宮様はそう言って、背中を支えて体を起こしてくれる。
 立ち仕事を続けたための貧血だったのか、体が重かった。咲希は宮様に抱えられたまま、水を渡される。
 ひとごこちつくと、咲希はそっと宮様にたずねる。
「樹の夢……ですか?」
「おとぎ話だよ」
 宮様はそう告げてから、言葉を続ける。
「白嶺領の木々はとても長く生きてきたから、時々夢を見るらしい。それで、遠い土地の樹が見た光景を目の前に描くのだそうだ」
 それは宮様の言うとおり、不思議なおとぎ話だった。
「人では生きられない長い時を生きる木々なら、そういうこともあるかもしれませんね」
「うん。それより、体は大丈夫?」
 宮様に問われて、咲希は微笑む。
「平気です。ただの立ちくらみだったみたい」
 咲希が水を飲んで深呼吸すると、胸のざわつきも収まっていた。宮様を見上げると、彼は先ほど咲希の背を支えたように優しくそのまなざしを受け止めた。
「あ」
「今日はもう休みなさい」
 宮様は咲希を横たえて、そっと頬に触れる。
「大げさです」
「君は僕の妻だもの」
 さらりとそんなことを言って、宮様は微笑んだ。
 それは夢のような言葉で、とても実感などなかったけれど、頬に触れる冷たい手が心地よかった。
「まだ……樹を診ないと」
 つい目を閉じてしまって、咲希は樹の夢のことを考えた。
 通り過ぎた冬の樹の夢は、どこかの地で本当にあったことなのだろうか。
 けれど宮様は、樹に思いを馳せた咲希を優しくたしなめた。
「木々はまた診ればいい。僕は誰より、咲希に健やかでいてほしいんだ」
 なんだか過保護にされていて、咲希はちょっとむずかゆかった。
 宮様が注ぐのはどこまでも続くような木立のような慈愛で、咲希は目がくらみそうだった。