「ミコトさんは、どんな風に人を殺してるんですか?」
 深夜のとある道の駅。彼の車の助手席で、先程自販機で購入した缶コーヒーを開けながら、カナデが脈略なく唐突に尋ねてきた。
 彼はカナデを一瞥し、同じく缶コーヒー、ではなく、ペットポトルタイプのカフェオレを開ける。瞬間、その見た目でカフェオレとはギャップを感じて惚れ直しそうです、と心底胡散臭い表情のカナデに感想を述べられた数分前の出来事が脳裏を過った。どの見た目ならギャップを感じないというのか疑問である。
 適当なことを宣うカナデを雑に遇うか否か一瞬だけ迷ったが、詐欺師相手に駆け引きのような真似をしても勝率は低いと判断し、彼は素直に応じた。
「相手に殺され方の希望があればできるだけそれに沿いますが、なければその時の気分でどう殺すか決めています」
 彼は淡々と言い、カフェオレに口をつける。ホットではなくアイスでいい季節になっていた。
「わざわざ希望聞いてあげるんですか?」
「死にたがっている人間限定ですが」
 そう付加すると、まだ一人だけではあったが、確かに自分は自殺志願者ではない人間も殺したのだということを改めて実感した。
 その人間には何も聞くことなく、好き放題に殺していた。希望を尋ねるという選択肢すらなかった。言うまでもなく、死にたがりではないからだ。死にたがりではない人間にどう殺されたいか問うたところで答えなど出るわけがない。無駄である。
「希望ってどんな希望があるんですか?」
 カナデは缶コーヒーには口をつけず、また質問を繰り出してきた。やけに質問が多いような気がしないでもない。
 カナデに誘われドライブをし始めてからずっと、そんなことを聞いてどうするのかというような取るに足らないことを尋ねられていた。何か企んでいるのか、何か吐かせようとしているのか、猜疑心を抱いてしまいそうになりながらも、彼は冷静に、下手に嘘は吐かずに答えた。
「血が嫌いだから血は出さずに殺してほしいとか、苦しまずに死にたいからそうしてほしいとかですね。好きに殺していいというのも確かありました」
「それをどのようにして叶えてあげたのか聞いてもいいですか?」
「構いませんが、今日は凄く好奇心旺盛ですね」
「惚れた相手と長時間車内で二人きりですからね。ミコトさんについてたくさんの情報を得る絶好のチャンスです」
 コーヒーで口内を濡らすカナデの横顔を見つめる。裏があるのかないのか分からなかったが、それを疑ってしまう時点で彼はまだカナデを内奥では信じ切れていないのかもしれない。深く知ろうとしてくるカナデも同じだろうか。
 互いの背中を預けられるくらいの信頼関係がなければ、きっとどこかで綻びが生じる。彼もカナデのことを知る必要がある。
「後で俺にもカナデさんのことを教えてください」
「俺に興味持ってくれてるんですか? 物凄く嬉しいです。ミコトさんには何もかも正直に打ち明けますよ。約束します」
 カナデが彼の方を向く。彼は目を合わせた。瞳孔が開いていた。
 裏切ったら殺すと事前に伝えている。嘘を吐いても同様である。それをカナデが忘れていなければ、自分を騙すような真似はしないはずだ。殺されたくなければ。
 彼は甘いカフェオレを飲み、キャップを閉めて片手を空けた。その手をカナデに向けて伸ばし、無防備な首を掴む。カナデは驚くこともなく彼を凝視する。冷静だった。抵抗一つしない。
 急所である首を掴まれても全く動じない人間は初めてだ。自殺志願者であっても、多少のリアクションはする。緊張や期待、中には恐怖もあったかもしれない。
「ノーリアクションですか」
「殺さないと分かってますから」
「俺は一応何人も殺してますよ」
「俺を殺す予定で来てくれた時に身につけていた手袋を今はしていませんし、俺はミコトさんを裏切ってもいませんから」
 その答えが聞けたら十分だった。カナデは覚えている。その上で、今このタイミングで殺されるわけがないと確信している。それは彼を信頼している証左でもあるように思えた。
 彼はカナデから手を離す。カナデの首には彼の指紋がべったりと付着しているだろう。予定にない殺しはしない。衝動的な殺しはしない。そのことを、手袋の有無で見破られている。思っている以上に、彼はカナデに信用されていた。
 閉めたばかりのキャップをまた開ける。カフェオレは好んで飲んでいるが、喉の渇きを潤す飲み物としては向いていない。それでも飲んでしまうのは、単純に美味しいからである。理由など、それだけだ。カナデと手を組むことを決めたのも、人を殺したい彼にとって利益があり、美味しい話だからだ。途中でその味が変わってしまわないように、カナデに繋いだ手綱は決して離さない。
「血が嫌いな人は首を絞めて殺しました。苦しまずに死にたいという人は急所を狙って殺しました。希望がない人は殴り殺したり絞め殺したりするくらいで、特に凝った殺し方はしていません」
 カフェオレを飲み、気を取り直して話を戻す。普通であれば通報されるような会話が続いていても、大きな枠組みとしては同類のカナデが相手であればその心配もない。
「良い意味で誰にでもできる殺し方なわけですね」
「そうなりますね」
 下半身のものを切り取って食わせる所業もしたが、わざわざ後付けする必要もないだろう。その方法も、誰にでもできないわけではない。死体をバラバラに切断して処分するような人間もいるのだから、それと比べると彼の犯行など可愛いものである。
 切断、と考えて、彼はふと思う。死体を切断したら気持ちいいかもしれない。生きたまま切断するのも気持ちいいかもしれない。機会があれば、他の犯罪者のようにバラバラに切断してみるのもいいかもしれない。そうしてみたい。やってみたい。どうせ殺すのなら、まだ未経験の方法で殺ってみたい。殺りたい。
 殺しのモチベーションが上がった。既に埋まっている予定、カナデの檻の中にいる金蔓でいろいろと試してみたいものである。後輩カップルがコンビニに来た時に思いついた刺殺に加えて切断。まだまだ新たな感覚を味わえる可能性がある。
「ミコトさんが人を殺すところを見てみたいんですが、いいですか?」
 カナデの意表を突く発言に、彼は無言で横を向いた。室内灯のおかげで見えている顔は胡散臭く微笑っているが、冗談を言っている顔ではない。全くもって突拍子もない。好奇心が行き過ぎている。深夜テンションにでも入ってしまったのだろうかと彼は的外れなことを思ったが、冷静に会話を続けた。
「見てもいいことはないですし、カナデさんが今引っ掛けている金蔓を殺す時に見ようと思えば見られませんか」
「それはそうですが、いつになるかまだはっきりとしていませんし、何より事前に生で見ておきたいんです。言葉だけでは十分には伝わらないミコトさんの本領を」
 カナデの言い草が少々気になった。まるでこれから殺しをしてもらおうとしているような、そんな気配を感じる。
 彼は一呼吸置き、カフェオレを飲んだ。口を冷たくし、落ち着いた調子で問う。
「まさかとは思いますが、これからすぐですか」
「よく分かりましたね。そのまさかですよ。今日を逃したら、またしばらく会えないかもしれませんから」
「それは難しいお願いです。直近で誰かを殺す予定は今のところありませんので」
「それなら、これから予定を作って殺しに行きませんか?」
 予想だにしない提案に、彼は思わず言葉に詰まってしまった。これから予定を作って殺しに行くとは大胆不敵であり、慎重に事を進める節のある彼にとっては信じられない行動である。
 殺すこと、それ自体に抵抗はないが、思いつきで殺すことには抵抗があった。今日は殺人をするつもりではなかったため、その準備などできていない。カナデに言われるがまま適当な予定を作って即実行したとて、衝動的な行動とほぼ変わらないのではないか。
 断るべきである。流されて、殺しに行って、どこかでミスでもしたら元も子もない。しかしながら、殺したいという欲求が芽生えていることも事実であった。
 暫しの間、頭を悩ませる彼は、ひとまずカナデが作ろうとしている予定を聞いてから判断しようと口を開いた。
「一体どんな予定を作るつもりですか」
「今は肝試しのシーズンですから、人目につきにくそうな心霊スポットにでも行って、そこにいる人を全員殺すとかどうですか?」
「この近辺に心霊スポットがあるかどうかも、そこに人がいるかどうかも一か八かじゃないですか」
「でも可能性はゼロではないと思うんですよ。心霊系YouTuberというジャンルもありますし」
「心霊系YouTuberですか」
 向かった先でそのようなYouTuberがいたとしたら、一人二人ではない確率が高そうである。複数人をほぼ同じタイミングで殺したことは、父娘を殺したあの一回しかない。それも二人だ。三人以上だった場合は未知である。何の用意もしていない中で、相手が自分たちの人数よりも多い時、全員を始末することができるのか。一人でも殺し損ねたら今までの行為が全て水の泡になる恐れがある。カナデは殺しを見たいだけで、自分が殺すことはきっとしない。それができる人であれば、そもそも金蔓を最終的には殺してほしいと自分に頼むはずがなかった。人を騙すことはできても殺すことはできないと本人も言っていた覚えがある。とどのつまり、殺しを見ることはできても実際に殺すことはできない人なのだ。できそうな人なのに、それはできない人なのだ。
 彼自身、殺すことに罪悪感はなかった。恐怖心もなかった。懸念事項はそれではなく、誰一人取り逃がすことなく殺せるか否かである。逃げられたら追いかける必要があるが、足の速さに自信があるとは言えない。そのため、逃げられたら終わりだと考えるべきだ。終わりにさせないために、絶対に逃げられないよう詰めなければならない。それには一人では限界がある。カナデの協力が必須だ。
「もし本当に殺しに行くのなら、カナデさんも手を貸してくれますか」
 コーヒーを喉に通すカナデを見遣る。喉仏が上下して、飲み口からゆっくりと唇が離れた。その唇が、徐に開く。
「もちろん何でもしますよ。殺しているところを見たいとミコトさんに無理を言っている自覚はありますから」
「自覚があるなら撤回してほしいですが」
「それはできないですね。もう見たくて見たくてたまらなくなっています。ミコトさんも殺したくなっていませんか?」
 目を合わせられる。彼は思わず視線を逸らす。否定はできなかった。できなかったが、見透かされていることが妙に癪に触った。
 詐欺師に口では勝てないと分かりきっているため、煽られても無駄な口論をしたくない彼は息を吐き出した。殺したい気持ちはある。冷却期間は十分に設けた。人を殺したい。殺せるのなら、殺したい。自分は決して、善人ではない。そして今は、コンビニ店員でもない。
 彼はあれこれ考えるのをやめ、欲求に従うことを決めた。我慢できなくなって暴走してしまうよりも、自制が利いている時にしっかり満たしておく方が賢いだろう。今までもそうして来た上に、今回はカナデがいる。一人ではない。
「言い出しっぺとしてそれなりのことをしてもらいますが、いいですか」
「どうぞ。何でも指示してください。殺すことはできませんが、それ以外なら喜んで引き受けますから」
 互いの意思を確かめ合うように二人は見つめ合った。不穏な空気が流れていく。彼は間を置いて、人差し指を立てた。
「とりあえず一つだけ、絶対に失敗してほしくないことがあります」
 前置きをすると、それは何かとカナデが先を促した。彼は淡々と続けた。
「相手が複数人いた場合、俺が一人を殺している間に、一目散に逃走しようとする人が出てくると思います。その逃走を必ず阻止してください」
「逃走者が何人もいた場合はどうしますか?」
「その時は、殺すのを後回しにして、ひとまず全員の動きを封じることを優先します。瀕死にさせておけば、そう簡単に身動きは取れないはずです」
「分かりました。とりあえず、何があっても全員をその場に留めさせておけばいいわけですね」
 彼は頷き、阻止する時は足を狙うのが定石です、と付け加えた。足を痛めつけ、膝をつかせることができれば、逃走のペースは大幅に落ちるはずだ。四つん這いでは二足歩行よりもスピードは出ない。
 上手くいくかどうかは分からないが、やるべきことは決まった。あとは向かった先の心霊スポットに人がいるかどうかだ。いなければ殺すのも、殺しを見るのも、諦めるしかない。もしいたら、全員を殺すだけだ。
「俺から言い出したので、責任持ってちょこっと心霊スポットを調べてみますね。少しだけ待っていただけると助かります」
 カナデは缶コーヒーを飲み干してから、空になった缶を膝の上に置いた。両手が空いたところでスマホを取り出し、画面に指を滑らせ始める。片手では素早い操作はできないと踏んだのだろう。
 余裕のある態度は崩さず、しかし意外にも集中して検索するカナデを尻目に、彼は残りのカフェオレを飲んでペットボトルを空にした。キャップを閉める。自分も心霊スポットを調べようかと思ったが、二人が同じことをするのは効率が悪い。検索はカナデに一任し、彼はその間にゴミを捨てに行こうとカナデに声をかけた。
「その空き缶、俺のと一緒に捨てて来ますよ」
「本当ですか? ありがとうございます。優しいですね。普通に惚れ直します」
 相変わらずの惚れた何だの発言を流した彼は、カナデから空き缶を受け取り車から降りた。
 車外からカナデを盗み見る。人を殺すところを見たいなど変わっている人だと彼は思ったが、殺人が快楽に繋がる彼自身も大概普通ではなかった。
 殺人鬼の彼も詐欺師のカナデも、明らかに良心が欠如している。人を殺すことも、人を騙すことも、彼らからすれば食ったり眠ったりする行為と同じであった。だからこそ、まるで買い物に行くように人を殺しに行こうとしている。人を殺す人を見に行こうとしている。殺される人間に、ほとんど焦点は当てていない。
 設置されている分別用ゴミ箱に缶とペットポトルを捨てた彼は、まっすぐ車に戻った。
「ミコトさん、ここどうですか?」
 乗り込むや否や、待ち構えていたようにカナデにスマホを向けられた。コンビニで後輩に画像を見せられた時の記憶と重なったが、カナデのスマホの距離感は後輩と違ってちょうどいいものである。近くもなく、遠くもない。
 スマホの画面には、見た人の恐怖心を煽るかのようなおどろおどろしいトンネルの画像が映っていた。あまり整備されていない印象だ。人の手がほとんど加えられていないことが窺える。ここに人が来ることなどあるのだろうかと疑問に思うが、それはどこの心霊スポットを見ても感じることであるかもしれない。故に、場所はどこであっても一緒であった。
「俺はどこでも構いません」
「でしたらこのトンネルにしてみます。ハズレを引いても恨まないでくださいね」
「ご心配なく」
 彼は車のエンジンをかけた。カナデにそのトンネルの住所を教えてもらい、ナビを設定する。
 ドライブの予定が、途中で殺人の予定に変わるとは思っても見なかったが、人を殺せるのなら通常の方法と違っていても良しとした。新鮮な気分を味わえるかもしれない。
 彼は緊張感や高揚感を胸にシートベルトを締め、早速車を道の駅から出した。
「誰か人はいると思いますか」
「いたらラッキーくらいの感覚ですね」
「同感です」
 車を走らせながら短い会話を交わす。人がいた時に殺ることは決定したが、それを実行できるかどうかの確率は限りなく低いだろう。それでもゼロではない。そのゼロではない可能性にカナデは賭け、突飛な提案をしたのだとすると、ギャンブルが過ぎるようにも思う。詐欺師はそのような賭けに強そうではあるものの、運が味方するかどうかは結果が出るまで誰にも分からなかった。
 カナデと一言二言話しつつ、ナビに従うこと数十分。目的地周辺だと思われる場所に到着した。ナビはまだ案内を終えていなかったが、指示する先は道が極端に狭くなっており、Uターンして帰ることも考えるとそれ以上車を進めるのは躊躇われた。今の時点でもそれほど道は良くないため、その向こうは更に悪路になっているだろう。
「ここから先は車だと小回りが利きそうにないですね」
 カナデも同じ意見のようである。彼は車を邪魔にならないスペースに置いてエンジンを切った。シートベルトを外して降車し、ナビが案内していた先を見る。奥まった場所でもあるせいか、月明かりはあまり届いていない。しかし、全く何も見えないわけではなかった。
 トンネル付近に人がいるかどうかの判断はまだできないため、いた場合に備えた行動を取ろうと彼は静かに足を進めた。自分の存在にできるだけ気づかれないよう、スマホのライトに頼ることもせず野生の勘で地を踏んだ。
「ライト点けずに行くんですね」
「光があると目立ちますから」
 足元を照らすことなく歩き出した彼の隣を、同じく人工的な光に頼ることをしないカナデが陣取る。合わせてくれたのだろうと思いながら、彼は砂利道をどんどん奥へと進んで行った。
 二人揃って、心霊スポットへ向かっているという恐怖心もないまま歩き続けていると、視線の先で自然のものではない光が見えてきた。微かに人の話し声のようなものも聞こえる。
 彼は暗がりでカナデと目を合わせた。目があったと分かるくらいには闇に慣れ始めていた。
「持ってますねミコトさん」
「持ってるのはここを選んだカナデさんじゃないですか」
 何はともあれ、これは僥倖だ。人がいる。つまり殺せる。カナデからすれば、それを見られる。勝率の低い賭けに勝ったことは、彼にスイッチを入れさせるには十分だった。
 使う予定はなかったにしても、手袋を車に乗せて置くくらいのことはしておいても良かったかもしれないと今更後悔したが、ないものは仕方がない。他で代用して、最低限、指紋を残さないように殺したい。
 彼は標的との距離を縮めながら、何かないかとあれこれ思案し、結局自らの服に落ち着いた。羽織っていた薄手のパーカーを脱ぐ。これで首を絞めるくらいはできるはずだ。
「カナデさん、指紋には注意してください」
「指紋ですか? 分かりました」
 カナデが直接手を下すことはないだろうが、気をつけておくに越したことはない。イレギュラーの殺人であっても、やれるだけのことはやっておきたいのだった。
 カナデと足並みを揃えながら突き進む。微かだった人の声が徐々にはっきりしたものに変わっていく。学生と思しき男子の声のようだった。二人は夜に溶け込むようにどちらからともなく息を潜めた。
「お前、なよなよしてる上に優柔不断すぎるよな。いつになったら決めんの?」
「早くしろよ。お前のせいで俺ら帰れないじゃん」
「ラストチャンスでもう一回聞いてやるけど、ここのトンネルを一人で往復するか、金属バットで最低二十回殴られ続けるか、全裸でダンスでも披露するか、選べよ。どれかやってくれたら解放してやるってこっちは言ってんの。分かる?」
「ど、どれも、いや、いやです……」
「嫌だって? 調子乗んなよ」
 鈍い音が響いた。足か手で、もしくは金属バットで暴行を加えた音に違いない。呻き声も聞こえた。明らかに、心霊系YouTuberの類ではなかった。
 声の数からして、相手は四人。一人は金属バットを所持しており、一人はスマホのライトでその場を照らしている。そして一人は両手が空いており、一人は地面の上で丸くなっている。
 まず狙うのは金属バットの男子だろう。金属バットは十分な凶器となり得る。頭をかち割られたらこちらが殺されてしまうかもしれない。そうなる前に殺して、金属バットを奪ってしまいたい。それを手に入れてしまえば、素手よりも遥かに楽に殺せる。金属バットで撲殺するという初めての経験も味わえる。
 彼の集中力は途端に上がった。三人を通り越して四人をまとめて殺せる。この機会を逃すわけにはいかない。全員絶対に殺す。
 脱いだパーカーを両手で握り締め、ペースを落とすことなく金属バットの男子の背後に迫った。気づかれても構わない。先手必勝だ。逃走しようとする人間はカナデに任せておけばいい。
 リンチに集中している三人のうち一人が、不意に何かの気配を感じたかのようにパッと振り返った。その瞬間、驚愕の声を上げる。連れの声に反応して咄嗟にこちらを見る金属バットの男子の首に、彼は躊躇なくパーカーを回した。
「え……」
 一番最初に殺ると決めた男子の口から気迫に欠けた声が漏れた。
 突然の出来事を前に、必死に状況を理解しようとするかのような数秒の沈黙がその場に落ちる。彼はその間に、抵抗しようとする男子の膝裏を乱暴に蹴り、次いで背中を足で踏んで押し、首にパーカーを食い込ませた。男子は両手で首に隙間を作ろうとしている。金属バットは手放されていた。
「お、おい、冗談だろ……。お前、何だよ、誰だよ、いきなり何して……。おい、やめろ、やめろよマジで……」
 強気な態度はどこへ行ったのか。完全に動揺している一人の男子は、スマホを持つ手を震わせながら弱々しい声を上げた。逃げることも助けることもできずに慄いている。
 一人は腰を抜かしたようなリアクションだったが、もう一人は何やら叫びながら果敢に挑もうと襲いかかってきた。彼は人を踏んで首を絞めたまま顔を上げた。迫る男子と目が合うと、男子の方が萎縮する。彼は霊すらも怖気付きそうなほどの無表情だった。それでも彼の中には、これまでと同じように滾るものが確かにあった。
「これは君たちの手に渡ると危ないので、こちらでお預かりしますね」
 彼の影に隠れていたカナデが、怖がらせないようにとばかりに明るく宣いながら、地面に転がっている金属バットを伸ばした服の袖を使って拾った。その行動を、この場にいる男子たちは誰も止められない。予期せぬ異様な闖入者二人にひたすら混乱している様子だった。彼らはそれを意に介さず、計画を遂行する。
「まだ死んでないですか?」
「死んでもしっかり殺すことが大事ですから」
「それならこれで殴った方が余計な体力を使わなくて済みそうですよ」
 カナデが預かると称して拾った金属バットを我が物顔で差し出してきた。結局はそれで殴り殺すつもりでいたため、指示をしなくても当然のように凶器を入手してくれたカナデの行動はありがたかった。本人にそのつもりはないかもしれないが、気が利く男である。
「こちらの手に渡っても危険なことに変わりはありませんね」
 彼は男子の首からパーカーを引き抜き、金属バットに指紋をつけないようにカナデから受け取った。男子は失神しているのか、もう既に息をしていないのか、首が解放されたとて動かなかった。しっかり殺るのは後でも良さそうだ。
 彼は目を上げ、まだ傷のついていない人間を順に見た。言葉を失くしていた男子たちが悲鳴を上げる。躊躇なく人の首を絞めた彼が金属バットを握り、見定めるような視線を向けたことで、更なる身の危険を感じたかのような必死の叫声だった。
 金属バットを持つ手を動かした。その瞬間、パニックに陥った男子二人が、彼の足の下にいる友人であろう男子と、リンチに遭い既に瀕死になっている男子を置いて逃走しようとする。
 一人はカナデに任せ、一人は殴ることを瞬時に決断した彼は、足を縺れさせる男子、先程襲いかかろうとしてきた男子の頭目掛けて金属バットをフルスイングした。躊躇がなく、また容赦もなかった。
 濁点がついたような鈍い音がし、パーカーの布越しから確かな手応えを感じた。地面に倒れるような重たい音も後に続く。苦しそうに呻く声も耳が拾う。
 嗜虐心が刺激され、彼の全身に快感が走った。初めてにしては上出来だ。気持ちいい一発だ。当たれば一撃で足止めできる金属バットは有能だ。
「凄い音しましたね」
 低い位置からカナデの声が聞こえ、彼は顔を向けた。カナデは約束通り捕らえたもう一人の男子を俯せに倒し、その上に腰を落ち着かせていた。男子は必死に踠いているが、カナデが座っている位置は膝裏辺りである。男子が膝をついて腰を上げたり足を曲げたりすることは困難な状況であった。
 彼はまだ元気な男子を殴る前に、這ってでも逃げようとし始めた男子の頭にもう一度金属バットを振り下ろして止めを刺した。動きが止まる。
 徹底的に殺すことは後回しにし、彼は次の標的に近づいた。錯乱し、日本語かどうかも分からない言葉を発して無駄に足掻く男子の頭に狙いを定める。
 カナデがじっとこちらを凝視していた。そこはきっと特等席だ。彼は金属バットを握り直し、やはり躊躇なく、人の頭に叩き込んだ。男子の口から呻き声が漏れる。その声を消すために、彼はほとんど間を置くことなく、凶器と化した道具で再び頭をかち割った。
「とんでもないサディストですね。容赦なさすぎて逆に惚れ惚れします」
 人の膝裏に座って平然としているカナデも似たようなものではないかと彼は思ったが、口にはせずにスルーした。
 彼は忘れることなく残りの一人に目を向け、血液の付着した金属バットを握ったまま歩き出す。腰を上げたカナデが付いてくる気配を感じながら、死んだように横たわっている男子の傍に立ちその姿を見下ろした。
 男子は逃げない。体を起こそうともしない。今の間に死んでしまったのかと思ったが、それとなく息遣いは感じた。まだ生きてはいる。生きてはいるが、恐らくもう諦めている。自殺志願者を中心に殺してきた彼の勘が働いた。
 彼は金属バットを杖代わりにして膝を折り、瀕死の男子に尋ねた。
「どんな風に殺されたいか、希望はありますか」
 耳を澄ませて返事を待つ。男子はなかなか喋らない。喋る気力すら湧かないのだろうか。だとしたら、好きに殺すしかない。返答を待っていたら日が暮れる、否、夜が明ける。
 諦めて立ち上がろうとした時、足元から微かに声がした。男子が何か喋ったようだが、小さすぎて聞こえず、もう一回いいですか、と彼は聞き直して今一度耳をそばだてた。
「痛いのは嫌いです。痛いのはもう嫌です。もう楽になりたいです。楽にしてください。助けてください」
「そうですか。分かりました」
 一度は聞き取れなかった要望を聞いてすぐ、彼は金属バットを手放し、パーカーを手袋代わりにして首を絞めた。これは苦しいだけで、痛くはないはずである。
 殺せたら後はどうでもいい彼にとって、男子の身に起きたことに関心はなかった。男子が受けた痛みにも共感できなかった。それが可能な人間であれば、人を殺して快楽を得ることなどない。
 首を絞め続け、生が感じられなくなっても絞め続け、手が疲れ始めたタイミングで離す。男子は静かに絶命したようだが、念には念を入れて殺すことに拘る彼は、その場を立ち、絞めた首を踏み潰した。体重をかけて踏み潰した。
 一頻り押さえつけたところで気が済み、再び金属バットを掴み取る。楽に殺させてくれた、瀕死だった男子にもう用はない。彼は最初に始末した男子に目をつけ後頭部をバットで突いた後、狙いを定めてぶん殴った。ぶん殴った。ぶん殴った。何度も殴った。殴った。殴った。一連の動作に迷いはなかった。他の二人を殴ることにも迷いはなかった。
 殴り殺した人間をまた殴り、殴り殺した人間をまた殴り、殴り殺した人間をまた殴り、殴り殺した人間をまた殴り、殴り殺した人間をまた殴り、殴り殺した人間をまた殴った。彼は三人を徹底的にぶちのめした。満足するまで叩きのめした。生を殴る行為も、死を殴る行為も、どちらも快感だった。
 四人の人間を殺しまくったことで、心も体もすっきりするほどに満たされた彼は、息を吐きながら金属バットを投げ捨てた。パーカーを腕に引っ掛ける。
「帰りますか」
 人を殺害して損壊したことに罪悪感もなくカナデに呼びかけると、カナデは次は自分の独擅場だとばかりに死んだ人間の衣服を指紋に注意しながら弄り始めた。何をしているのかと思ったが、一切制止することなく好き勝手殺らせてくれた手前、口を挟むことは憚られる。彼は黙って事の成り行きを見守った。
 カナデは死体の衣服のポケットに順に手を突っ込み、何やらあるかないかの確認をしている。目的のものがあればそれを引っ張り出して中身を開け、その中のものを躊躇なく抜き取る。
 すっかり夜に目が慣れた彼は見た。カナデが探っているのは財布であり、奪っているのは紙幣であることを。大金は入っていないだろうが、それでも一枚残らず盗っていた。まとまった金を騙し取れる詐欺師であるのに、やけに貧乏臭い行動であった。
「お待たせしました」
 奪った金を自身のポケットにしまいながら、カナデが彼の傍に寄った。彼は何も言わず、何も聞かず、カナデを一瞥してから歩き出す。カナデは後に続き、彼と肩を並べて歩いた。
「ミコトさんが人を殺すのを生で見られて良かったです。迫力満点でした」
「そうですか」
「非常に少ないですけど、俺も金を盗れましたし、なんだかんだ言って一石二鳥でしたね」
 一石二鳥と口にするカナデも彼と同じで、罪悪感はないようである。死体に対しても恐怖心は皆無で、それだけでカナデのことを多少なりとも知れたような気がした。
 息をするように平気で罪を犯す二人は、ライトも点灯せずに夜道を進んでいく。人を殺しても、金を盗んでも、彼らの心が乱れることはないのだった。