【住所はこちらです。父と二人暮らしをしています。父はクソ野郎です。もし出会してしまった場合は、ついでに其奴を殺してしまってもいいので、何が何でも私を殺してください。必ず、殺してください。私は自分が死ぬことができれば、後のことはもうどうでもいいんです。だから、どうか、私を殺しに来てください。お願いします】
 覚悟が決まっていると感じるメッセージが届いたのは、彼が仕事中の時だった。
 新たな殺しに選んだ相手は女子高生で、家では父親からの虐待、学校ではいじめを受けていると、聞いてもいないのに身の上話をされていた。学校にも家にも居場所がない女子は、必ず殺してと強い気持ちで死を乞い願うほどに人生に絶望している。それは殺してやらなければならない。父親がいたら父親も殺していい。もしかしたら一度に二人も殺せてしまうかもしれない。カナデの金蔓を殺す前に、一回くらい自殺願望のない人間を殺す練習はしておいた方がいいだろう。棚からぼたもちのような展開だ。
 その複雑で重たい境遇に関心のない彼は、殺すことだけを考えていた。死ぬことができれば後はどうでもいいと女子が言っているように、彼も殺すことができれば後はどうでもいいのだった。相手が虐待を受けていようが、いじめを受けていようが、彼は微塵も同情せず、共感もしない。そのため、身の上話をしても彼には少しも響かず、届かず、無意味であった。
【本当に殺しに来てくれるんですね? ありがとうございます。到着したら勝手に家に入っていいです。玄関の鍵は開けています。もし父も殺す場合は、残酷に殺してください】
 日時を決め、彼はその当日の午後に出発した。玄関の鍵は開けているらしく、着き次第勝手に入っていいようだ。
 ナビに従ってハンドルを操作し続けること数時間。目的地に到着した。家の隣のスペースに車を停め、エンジンを切る。スイッチを切り替えるように手袋を嵌めた彼は、すっかり暗くなっている外へ降り立った。
 前回の自殺志願者は失敗作だった。今回の本命の方はすんなり殺させてほしいものである。そうではない人間がいた場合には少々手がかかってしまいそうだが、殺すことに変わりはない。女子の言葉を借りるのなら、必ず殺す。
 これまでと違って、現場には死にたがってはいない人間がいる可能性があるため、いつも以上に気を引き締めて、緊張感を持って、油断することなく挑む必要があった。分かってはいるが、それでも、一度に二人も殺害できるかもしれないという高揚感が胸を弾ませている。彼の外側は冷静に見えるが、内側は興奮して熱くなっていた。この時間は、彼の人生に潤いを齎してくれるのだ。
 女子の家の窓からは明かりが漏れている。一階も二階も電気が点いているため、女子のみならず父親もいるであろうことがほぼ確定する。
 彼は足元に気をつけながら玄関へと向かい、人気がないことを確認してから扉に手をかけた。そこに躊躇いはなかった。彼はまるで自分の家に帰って来たかのように扉を開ける。引っかかることなく簡単に動いた。
 不法侵入をするのは初めてだが、この家に住んでいる人から許可を得ているのだから、これは不法な侵入にはならないだろう。彼は誰にともなく屁理屈を思い浮かべ、インターフォンも押さず、声掛けもせず、他人の家に足を踏み入れた。
 入った瞬間、臭った。生ゴミのような臭いだった。思わず鼻を押さえてしまいながらも、彼は歩みを進めた。足が何かを蹴った。ガサ、とナイロン袋が擦れるような音がした。玄関は暗い。ここに灯りは届いていない。目を凝らしてみると、玄関付近にはいくつものゴミ袋が溜まっていた。定期的なゴミ出しをしていない家のようだ。臭いの元はこれで間違いない。長時間の運転の元を取りたいが、あまり長居はしたくない家であった。
 殺されるにしても、人を呼ぶのだからもう少し綺麗にしてくれてもいいのではないかと、彼はゴミ袋を避けたり跨いだりしながら思うが、虐待やいじめを受けて人生に絶望している人間がそこまで気を遣えるはずもないだろうか。玄関の鍵を開けてくれていただけありがたいと思うべきかもしれない。
 死にたがっている人間の家が雑然としていることは確かにあったが、ここまで臭いは酷くなかった。長居したくないと思うほどに汚いと感じることもなかった。低レベルの争いだが、失敗作のデブの男の家の方がまだましなくらいである。
 彼は上がり框に足を乗せた。靴を履いたままだったが、構わずに殺しに向かう。まずは一階の明るい場所を目指して廊下を進んだ。すると、二階の方から、何かが壁にぶつかるような鈍い音がした。耳を澄ませる。何を言っているのかはっきりとは聞こえないが、誰かが怒鳴っているような声がする。その隙間に紛れ込むようにして、女の叫んでいるような声もする。二階に親子が揃っているのか。怒鳴り声と叫び声。不穏な気配がぷんぷんだ。
 親子がそこにいるであろうことが分かっても、彼はすぐに二階に行こうとはせずに、そのまま階段前を通り過ぎて電気の点いたリビングへと入った。案の定、もぬけの殻だ。
 部屋は掃除が行き届いておらず、非常に汚かった。玄関に放置されていたゴミ袋の中身をぶちまけたかの如く、様々なゴミが散乱している。息をするのが嫌になるほど臭くてたまらない。
 早く殺して帰ろうと、彼は臭いを我慢して凶器になるものを物色する。彼は殺人鬼ではあるが、殺しに使える道具類は持参したことがなかった。素手でも殺すことは可能で、いざとなったら対象の家にあるものを使えばいい。使い方によっては全てのものが凶器になり得るのだ。
 ただ、恐らく今回は、激しく抵抗するであろう相手がいる。殺傷能力の高い凶器を事前に準備しておくに越したことはない。
 どこの家庭にもあるもので、殺しによく使用されるものは、やはり包丁だ。彼は洗い物が残されている台所で包丁を探し出し引っ掴んだ。どこにでもある普通の包丁である。切れ味がいいかは分からなかったが、使い古されていても切れないことはないはずだ。
 その他、ゴミの中に埋もれてしまっていたカッターとハサミを発見した彼は、念には念を入れ、それらをまとめてズボンのポケットに押し込んだ。
 凶器探しも程々にして、彼は二階で殺されるのを待っている女子の元へ、ようやくその足を進める。
 できるだけ音を立てずに階段を上り、二階の廊下を踏んだ。荒々しい怒号や悲痛な叫び声、人が出す生活音のようなものが部屋の中から響いている。虐待を受けていると聞いていたが、今がその虐待の最中だと言わざるを得ないような声や音だった。
 彼はドアノブを握り、捻った。鍵はかけられていない。包丁を持ち直してから静かに開けると、二人の人間がベッドの上で絡んでいるのが真っ先に目に飛び込んできた。
 全裸で腰を振り咆哮を上げていた男が、何かの気配に気づいたかのように咄嗟に動きを止め、俊敏な動作で出入り口を振り返る。目が合った。彼は眉一つ動かさずに歩き出した。
「……誰だお前。何人ん家に許可もなく入ってきてんだよ」
 何も知らない男からすればごもっともな問いだが、女子の中におっ立てたものを突っ込んでいる状態で言われてしまうとあまりにも間抜けに見えてしまった。情けなくて汚い尻である。その尻を持つ人間は、実の娘を強姦している性犯罪者である。
 彼は父親から逃げられずにいる女子の傍らに立ってその姿を見下ろし、自分の正体を婉曲的に明かした。
「殺しに来ました」
「は? 今何つった?」
「あ、あなたが、そ、そう、なんですか……?」
「ああ? お前がなんかしたのかよ、この汚ねぇブスが」
 弱々しく掠れた声を上げ、彼の言葉に反応を示した女子の顔面を父親が殴る。もう既に数え切れないくらい殴られたのか、女子の顔は赤く腫れ上がっていた。服も全て剥ぎ取られてしまっている。彼を前にしても隠そうともしない。いや、隠したくても隠せないのか。女子の両手は後ろで拘束されているようだった。
 自分と女子の間に割って入ってくる父親は非常に邪魔だった。女子からは殺してもいいと言われている。彼もそのつもりである。先に始末しておかなければ、女子の殺しに集中することができない。
「どんな風に殺されたいか、今から考えておいてください。できるだけ希望を叶えますので」
「おいお前、さっきから何なんだよ。不法侵入で警察……」
 最後まで聞かずに、彼は手にしていた包丁で父親の顔面を切りつけた。父親が女子にしていたように、ぶん殴る要領で線を描いた。
 彼の躊躇のない動きに反応できなかった父親が、自身の顔を触った。手についた血液を見て、え、とそれまでの勢いを失くした情けない声を漏らす。
 彼は再度無言で包丁を振り上げ、間髪を容れずに振り下ろした。今度は咄嗟に防御してみせる父親だったが、包丁は顔面をガードした腕の肉を容赦なく切った。
「おい、待て、待て、お前、俺のこと、殺す気か……?」
 彼の口は動かない。代わりに包丁を振り下ろした。それが答えだった。
 彼の行動を制止しようとする父親の手のひらが切れた。赤い線が浮かび上がる。父親は彼から逃げようと腰を引いた。女子の中に入っていたものが外に出て震えて立ち上がる。最後まではできていなかったようで、父親の下半身は元気溌剌だった。
 彼は距離を取ろうとする父親を繰り返し何度も包丁でぶん殴り、それから、徐にベッドに上がった。股を開かされていた女子はその足を閉じて身を引いている。
 顎を上げ、裸で尻を引き、顔や腕から血を流している父親の弁慶を、彼は無表情のまま蹴った。靴を履いたままであったことが功を奏し、爪先で蹴りを入れられた。父親が悶絶する。反射で脛を押さえようとして身体が丸まったところで、彼は次に鼻柱を狙って爪先を叩き込んだ。父親の顔が天井を仰ぎ、上半身が後ろへ倒れそうになる。両足が緩く開いた。彼はすかさずそこを掻き分け、股間を思い切り踏み潰した。靴を履いていなければやろうとは思わない所業であった。
 父親が声にならない声を上げる。彼に蹴り上げられ傾いだ上半身がベッドの外へ投げ出され、落ちる身体を支え切れずに無様に頭をぶつけた。ベッドにまだ残っていた腰が滑り落ち、床と彼の足に挟まれる。彼はベッドから下り、ぐりぐりと執拗に股間を嬲った。
 父親の顔が歪んだ。局部を踏まれている痛みと快楽が同時に襲いかかっているようだが、元々いきり立っていたそこは快楽を優先してしまったらしい。腰が震え、先端から体液が噴出した。女子の中で果てるつもりだったのだろうが、その欲望はもう叶わない。
 思いがけない絶頂に混乱し、余韻に浸ることさえできなくなっている父親は、鼻血を流しながら身を捩って彼から逃れようとする。彼は股間を踏んでいた足で今度は顔面を潰し、その行動を制した。暴れる父親の両手が彼のズボンを掴む。冷静に身を屈めた彼は、握ったままだった包丁で肉を切る。切る。切る。父親の握力が弱くなる。
 彼はまとわりつく両手を振り払うように足を上げた。父親の顔面が血塗れになっている。靴裏についた血液や精液を裸体に擦り付けるようにして拭うと、その足で腹部を踏んで蹲み込み、汚いその顔を見下ろした。自分が上だとばかりに舐めた態度を取っていたくせに、今は恐怖に震え上がっている醜い顔がそこにあった。歪んでいる顔がそこにあった。
 包丁の刃を立て、頬を平手打ちをするように切り裂く。途中引っかかりを覚えたが、勢いをつけて強引に刃を進めた。口が裂けた。大量の血液が喉に流れ込んでいるのか、父親は呼吸が上手くできていない様子だった。気にしなかった。気にせず、逆手に持ち直した包丁を口内へ突き刺した。上から体重を乗せた。
 手を抜かずに殺しながら、無事に死の間際まで追い込むことができていると彼は能面のような顔つきのまま思う。表情がなかったが、内心では熱く滾るものを抱えており、それは、何かにのめり込んで没入している時のような気持ちいい高揚感に似ていた。
 力んでいた父親の身体から次第に力が抜けていく。踏んでいる腹は凹み、仰向けで何度も吐血し、黒目はぐるぐると回っているように見える。それも数秒後には落ち着き、光を消失した。空いた片手で瞼を開いてみる。瞳孔が散大している。口内に突き立てていた包丁を引き抜いた。先端から鮮血が滴った。
 息絶えた父親を暫し観察していると、ふと背後から視線を感じ、振り返った。一糸纏わぬ姿のままである女子の虚ろな瞳と目が合い、覇気のない声で問われる。
「其奴は……」
「死にました」
「死んだ……。死んだ……。死んだんだ……。ああ、よかった、よかった……。死んでくれて、よかった……」
 女子は頬を濡らした。自分をひたすらに苦しめていた人間から解放された歓喜からか、自分が間違いなく死ねることへの安心からか。その理由は、彼には判別できなかった。
「私がお願いした通りに、酷い方法で殺してくれて、ありがとうございました……。本当に、本当に、ありがとうございました……」
 涙ながらに告げられる。自ら要望を出したとはいえ、実の父親が目の前で殺されたにも拘らず、女子は深い感謝を述べてみせた。彼には想像もつかないほどに壮絶な人生を送ってきたのであろうことが、その言動から窺える。それこそ、死を決意するほどに。
 彼は女子の礼には返事をせずに、ピクリとも動かなくなった父親に再び焦点を合わせた。死にたがりではないということもあり、いつも以上に手荒な真似をしてしまったが、徹底的に殺して殺すことに例外はない。寧ろ、死を尊いものとして認識していない人間こそ、抜かりなく殺しておかなければならない。
 もう少し殺してから、本来の標的である女子を殺す。この家はゴミ屋敷でずっと臭いため、早めに帰宅したい気持ちは依然としてあるが、先を急いでもいいことはない。急がば回れである。
 腹に片足を乗せたまま腰を上げた彼は、何の感慨もなく、まるで無機質な段差を下りるかのように床を踏んだ。広がっている血液は避け、父親の全体図を眺める。ベッドに両足を引っ掛けたような格好悪い姿で、おまけに全裸で死んでいる。実の娘を強姦するような父親には、綺麗な死など必要ない。性犯罪者に対して世間が望んでいることは、死刑または去勢である。
 同じ犯罪者で、とりわけシリアルキラーだと言う他ない彼であっても、強姦は理解できなかった。強姦をするくらいなら殺人をした方が絶対にいい。殺人の方が興奮する。その快楽を知らないのはもったいないと感じる。
 強姦よりも殺人。殺人をすることで快感を覚える。だからこそ、年頃の女子の裸を見ても、彼は少しも熱くならず、興奮もしないのだった。
 生前に娘を襲い、一心不乱に腰を振っていた父親の下半身に目を向けた。すっかり縮こまっている。熱湯をかけられ小さくなったムカデみたいだ。
 彼は膝を折り、血に染まっている包丁の刃を剥き出しの生殖器の根元に押し当てた。スライドさせる。繰り返す。
「あの……、私のこと、殺して、くれるんですよね……?」
「殺しますので、もう少しだけ待っていただけますか」
 殺し終わったはずなのに、別の作業に取りかかる彼を見て不安げな声を漏らす女子に、彼は顔も見ずに平坦な調子で告げた。いつもはその時を待つ側だが、今は待たせている側である。父親が絡むような真似をしていなければ、女子は無駄でしかない長話をせずに秒で殺させてくれたかもしれない。殺しに来ました。今すぐ殺してください。はい殺しました。終了。
 彼は無言で手を動かし続け、女子は無言で待ち続けた。異様な時間が流れている。普通であればパニックになっていてもおかしくない状況だが、自分の死と父親の死を切望したのは女子本人である。混乱して騒いだり逃げたりせずじっとしていることからも、揺るぎない覚悟が垣間見えた。
 絶望は、人を死へと導く。あと一歩踏み出せずにいる死にたがりの背中を、彼は迷いなく押している。本人のために、というよりも、彼自身が快楽を得るために。
 死体を甚振る彼は、父親の陰部を半ば引きちぎるようにして切断した。手袋越しであっても他人のものを触るのは不愉快だったが、致し方ない。しっかり殺しておかなければ気が済まないのだ。
 切り離したものを、彼は父親の血塗れの口内に無理やり押し込んで片付けた。口が裂けていることもあり、収まり切らない分はそこから少し飛び出しているが、自分のものを頬張って食べているように見えなくもない。滑稽である。自業自得である。
「お待たせしました。どんな風に殺されたいか、考えましたか」
 足元の死体に瞬く間に興味を失くした彼は、女子を振り返りようやく本題に入った。女子は暫し黙り込み、それから、決意を固めた様子で彼を見上げた。
「ずっと苦しんできました。学校でも、家でも。だから、死ぬ時くらい、苦しまずに死にたいです」
「分かりました。後悔はないですか」
「あるわけないです。あったら裸であることを全力で恥じています。サディスティックに人を殺すあなたを前にして怯えています」
 望んでいた死が近くなったことで高揚しているのか、変なところで自信を持って発言してみせる女子は、珍しいタイプの自殺志願者なのではないかと彼は思った。
 即座に断言するほどに強い意思を感じる返事を聞いた彼は、即答するためにベッドに上がり、死を待ち望む女子に歩み寄る。苦しませずに殺す。難しそうだが、急所を狙えば問題ないだろうか。
 女子の前に片膝をつく。頭か首か心臓か。どこでもいいだろうが、全部を順に傷つければ確実に殺せるはずだ。彼は包丁を握り直した。
「あ、ちょ、ちょっと、待ってください」
 さっさと手にかけてしまおうとしたところで、何かを思い出したかのように止められる。まだ何かあるのかと彼は無言で女子の顔を見つめた。女子は不快な汚物を見た時のような表情を浮かべて唇を開いた。
「その包丁、彼奴の体液とか、付いてますよね……? 違うのにできませんか……?」
 殺す寸前で新たな要望を追加され、彼は殺戮の証となっている包丁に目を向けた。確かに、既に死んだ父親の血液だったり精液だったり唾液だったりが付着している。最後には股間まで切り落としている。目の前の女子が嫌悪するのも無理はない。
「構いませんが、他に拾ってきた凶器では頼りないと思います」
 文句を言わずに包丁を投げ捨てた彼は、ズボンのポケットを弄る。ゴミ屋敷から発見し、念のためにと拾っていたカッターとハサミを取り出して見せた。女子はそれらを見るや否や、それでいいです、あの包丁じゃなければ何でもいいです、と凶器に使用するには少々頼りないように思える文房具で殺されることを即決する。
 これは彼の力量が試されていた。包丁よりも攻撃力は低いだろう文房具で、苦しませることなく死に至らしめなければならない。それが今回の標的の希望である。
 カッターもハサミも、上手く使えばどちらも刺すことはできるだろうが、同時にどちらも何かを切る用途の道具である。本来の使い方を利用して殺す方が、一番殺傷能力が高いだろうか。
 手始めに彼はカッターの刃を出した。女子が尖った先端を見てごくりと唾を飲む。自信を持っていても多少の緊張はしているのか、はたまた期待に胸が高鳴っているのか。どちらであっても関係はない。彼がすることは何が何でも殺すことだけである。
 出した刃を、大人しくしている女子の首の横且つ顎の下辺りに押し当てた。皮膚を破り、血液が顔を出す。女子は若干顔を歪ませながらも、決して揺らがないその意思は固かった。
「最期に見る人の顔が、クソみたいな男でもなければクソみたいな連中でもない、あなたみたいなかっこいい人でよかったです」
「そうですか」
 淡々と答えながら、彼は勢いよく首を切った。鮮血が噴き出し、女子の身体を赤く染めていく。
 頸動脈を狙ったが、一発で上手く仕留められるとは思えなかったため、彼は二発三発と同じ箇所を殺傷した。血液がとめどなく溢れ、力を失くした女子が頭から倒れ込んでくる。彼は支えようともせず咄嗟に避けた。後ろで両手を拘束されたまま、土下座をするように頭を垂れている女子を無感情に見下ろした。次いで無傷な反対側の首に刃を入れた。分厚い紙をカッターで根気強く切断するように、何度も何度も何度も。繰り返し、何度も何度も何度も。
 彼の瞳孔は開いていた。首を切って殺すことに夢中になっていた。女子はもう既に絶命している。それでも徹底的に殺すことに拘る彼は、未だ手を止めない。
 カッターの刃が入りにくくなった。切るというよりも削るような感覚に近くなっている。これはもう使い物にならないだろう。何回か刃も折れていた。欠片は切った首の内側に埋もれている。
 彼はカッターを手放し、ハサミに持ち替えた。まだ繋がっている首の外側、喉の辺りの皮膚を少しずつ切っていくが、カッターと比べるとなかなか上手くいかず、やりにくい。暫し悪戦苦闘していたが、早々に諦め、代わりに女子の髪の毛を切って気分を入れ替えた。パラパラと毛を落としてから、何とはなしにハサミを首に突き刺してみる。何度目かの晴れやかな気持ちが彼の胸を満たした。
 気持ちがいい。人を殺すのは、気持ちがいい。死体を甚振ることすら、気持ちがいい。
 二人の人間を好きなだけ殺しまくった後は、一階にある洗面所で返り血の確認をした。顔面が血で汚れているが、服は黒で統一しているおかげか、そこに飛び散っているであろう血液はそれほど目立ってはいない。ひとまず顔に付着している血を洗い落とそうと、水を出してから手袋を外した。裸の手で物を触らないように細心の注意を払いながら顔を拭い、濡れていても構わずに手袋を嵌め直してから水を止める。鏡を見て返り血がしっかり落とせていることを確かめた彼は、いつもはしている腹拵えをする気にもなれないほどに汚れ切っているゴミ屋敷を後にしたのだった。