追憶の夏 〜神社で出会った君とのこと〜(仮)

 夢を見ていた。
 俺は、夢香と俊道と一緒に村の川沿いを歩いている。夢香が話し始めた。
「私ね、将来は村から出て教師を目指したいって思ってるんだ」
「…良いね、夢香に似合ってそう」
「そう言う俊道はどうなの?」
「僕は、一旦県外に出て高齢者の介護について学んでみたいな。村の外で人生経験積んでみたいし。まぁ、最終的には村に戻ってこれたら良いなって思ってる」
「二人とも、すごいな。なりたい姿が決まっていて…」
 こういう手の会話をすると、俺は自分の将来に対する不安に襲われる。理想像が定まっている二人の話を聞くと、胃を鷲掴みにされるような劣等感に襲われる。俺は将来何がしたいのだろう。何ができるのだろう。
「…ねぇ、何か聞こえない?」
 夢香の一声で、俺は思考を辞める。
「これは、地鳴り?」
 大地を揺るがすほどの轟音は、どんどん俺たちに近づいているように感じた。それは段々と大きくなる。
「な、何、地震!?」
 大地が揺れる。揺れる。揺れる。立つことすらままならなくなった時、一瞬視界が真っ黒になった。
 次に視界が開けたとき、俺は信じられないものを見た。
 川沿いに生えた植物は枯れ果て、先程まで顔を出していた太陽は消えている。
「俊道!夢香!」
 隣を見やると、二人がうつ伏せで倒れていた。
「おい!二人とも目を覚ましてくれ!」
 声が枯れるまで叫ぶ。叫んで叫んで、叫び続けた。


「うぐっ…」
 目を覚ます。背中に柔らかい草の感触を感じた。辺りを見回す。俺は何故か、山の中で寝そべっているようだった。頭がずきりずきりと痛む。先ほどの夢のせいだ。
 もしや、あれが村の崩壊なのだろうか。ただの夢でしかないはずなのに、五感で感じるすべての感覚が妙にリアルだった。
 崩壊する村。なりたい姿のない自分。不安定な未来。考えたくもないことばかりが脳を埋め尽くす。
「…目覚めたか」
 声のする方に視線をやると、柴戸がそこに座っていた。
「俺、何でここに…痛っ!?」
 体を起こそうと腕に力を入れた瞬間、稲妻の如き激痛が走った。
「さっき時音を庇ったときに熊から攻撃されたときの傷だ。今は安静にしな」
 柴戸の冷静な説明を聞き、熊に襲われたことを思い出す。
「そうだ、時音は!?大丈夫なの?」
「時音は先程のショックで小屋で寝込んでいるが、無事だ。お前のおかげでな」
 そう言いながら柴戸は口元に薄く笑みを浮かべた。それがどんな感情の表れなのかは分からなかった。
「あぁ良かった…あれ、俺はなんで小屋じゃなくてここで寝ていたんだ?」
「…オレがお前を連れてきた。お前と、二人で話をしたかったからだ」
 柴戸の態度が、明らかに軟化している。何が直接の原因なのかは分からないが、これは柴戸に歩み寄るチャンスなのではないだろうか。
「俺と、話を?というか、ここは山の中の何処なんだ?」
「ここは、小屋がある場所から少し離れた高台だ。向こうを見てみな」
 ゆっくりと起き上がり、柴戸が指さす方向を見る。すると、驚くべき景色が広がっていた。
 なんと、ここからは村全体を一望することができた。俺たちが通う簡薙高校もいつもお世話になっている商店も、村を流れる川も、全てを一度に見渡すことができた。
「す、すごい…山の中にこんな場所があったなんて」
「いつの時代でも、オレは困ったときはここにきて村を眺めていた。20年の時を遡るうちに変わってしまうものはいくつもあるが、ここから見える景色はいつも変わらない」
 柴戸は、村を見下ろしながら答える。あの鋭い目つきではなく、何か優しいものをみるような目だった。
「…藤高。今朝は感情的になってすまなかった。それと…時音を助けてくれてありがとう」
 そして柴戸は俺の方を見て、そう言った。
「そんな、大げさだよ。俺は結局気を失っちゃったんだし。あの後、柴戸が熊を追い払ってくれたってことなんだろ?」
「確かに、お前が時音を庇った後に俺が熊を追い払った。だが、時音が怪我を負わなかったのは、間違いなくお前のおかげなんだ」
 柴戸は俯き、続けた。
「…正直な話、熊が襲い掛かってきたあの瞬間オレは足がすくんで動けなかった。時音やお前の安全と俺の身の安全、二つを天秤に掛けたとき、本当に一瞬迷いが生じた。そのせいで、怪我を負わせてしまった」
 柴戸は心の底から思い詰めているような表情をしていた。俺は初めて、柴戸の中にある弱さを見た気がした。
「教えてほしい。何故あの瞬間、お前は自分の危険を顧みずに動くことができたのだ?」
 柴戸の声が夏風と共に耳に届く。
 一体何故、俺は時音を庇ったのか。あの瞬間のことを思い返しても、正直必死だったとしか言いようがないけれど…。あえて言葉にするのなら、この一言に集約される気がした。
「大切な人を…守りたかったから」
 無性に恥ずかしくなり、夏風に流されて消えてしまいそうなくらいの声量になってしまったが、柴戸の耳には確かに届いていたようだった。
「…そうか。お前は、本当に…」
 本当にという言葉の後に何を言おうとしたのかまでは分からなかった。
「…オレの身の上話を、少し聞いてくれないか?」

***

 オレは、元々村の住民ではなかった。高層ビルが隙間なく並んでいるような大都会が出身だ。オレの親は両方とも大手企業で働くエリートで、自分の息子にも同じような道を歩ませたいという身勝手な欲望があった。そのせいでオレは小さな頃から、茶道やプログラミングなどの大してやりたくもない習い事なんかもやらされた。出来が悪いものならば、罠にかかった小動物を憐れむ時のような視線を向けられる。
 オレがしっかりやるべきことをこなしてさえいれば両親は何も言ってこないが、あいにくオレは両親の期待をことごとく超えられなかった。両親から腫れ物のように思われていることを、オレは何となく察していた、他人から軽蔑の視線を向けられることを恐れたオレは幼稚園でも他人と上手く関わることができなかった。そうしてオレが小学校に上がろうとした時。
「ちょっと出かけてくるから、留守番を頼んだよ」
 何気ない口調でそう言って、両親は出かけた。
 そうして、二度と帰ってこなかった。

***

「柴戸の両親に…何があったんだ?」
「なに、簡単な話だ。オレは両親に捨てられたんだ」
 あまりにも単調に、柴戸はそう言ってのけた。
「詳しいことはもう覚えていないが、オレはその後児童養護施設に引き取られた。そこで数年暮らしているうちに、両親に関する情報が入ってきた。そこで初めて、両親がドイツでベンチャー企業を立ち上げていたことを知った」
「ドイツ…?」
「あぁ。海外で事業を始める計画がオレが生まれる前から始まっていたのかどうかは知らないが、海外でキャリアを積むためにはオレは、出来損ないのオレは邪魔でしかなかったんだろう。だから、捨てられた。それだけだ」
 自分たちの仕事を優先するために平気で子どもを捨てる。人として最悪な行為。
「そんなことって…」
「元々両親からよく思われていないことは分かっていたし、オレも両親のことを愛してなどいなかった。悲しみより苦しみより先に、諦めの感情が湧いた」
 柴戸は、淡々と話し続けた。
「オレが12歳になろうとした時、転機が訪れた」

***

 養子。その言葉の意味を、オレはその時初めて理解した。
 これから中学生になろうとしていた時期、オレの身を引き取ることを希望する夫婦が現れたと聞かされた。真っ先に思い浮かんだのは、「また捨てられないだろうか」ということだった。無意識のうちに、誰かに見捨てられることに対する恐怖が肥大していたのだと悟った。
 それでも、当時暮らしていた児童養護施設にも友達なんてのは居なく、居心地は良くはなかった。それだったら、新たな環境に賭けてみるのも手なんじゃないか。幸い、その引き取り手は養護施設からずっと離れた田舎に住んでいるらしい。環境を変えるにはまたとないチャンスだ。そう思ったオレは、夫婦に引き取られることを選んだ。
 狭苦しい大都会からずっとずっと離れた一つの村。オレを捨てた両親も、殺伐とした養護施設も何もかもを忘れて、ここで人生を始めよう。
 その村の名は…簡薙村。

 簡薙村に初上陸した日。新幹線で2時間、電車で1時間半、バスで1時間という正気の沙汰ではない移動を乗り越えて体力が限界に近づいていた。しかし、都会とは全く違う景色の移り変わりにオレは少しだけワクワクしていた。未来に希望を持つことなんていつぶりだろうか。
 引き取ってくれる夫婦と、初めて顔を合わせた。
「私たちは、まだあなたが背負ってきた苦しみを深くは知らない。だけれど、あなたの未来を支えてあげたいと思っているの」
 夫婦の柔和な瞳からは、邪な感情が一切読み取れなかった。しかし、この時はまだオレを引き取ってくれた理由を知らなかったから、まだオレは警戒の念を拭い切れずにいた。