追憶の夏 〜神社で出会った君とのこと〜(仮)

 あれから時がたち…。
「おはよう、みんな!」
 夢香の溌剌とした声が、山の麓に響く。
 早いもので、探検活動が始まったあの日から2ヶ月半が経とうとしていた。
「今日は何するの…?」
「良い質問ですねとしみー君!もう聞き取り調査は十分な量できたから、今日からは4人全員で本格的に山の調査に乗り出すよ!」
「分かりました〜夢香先生!」
 何故か先生口調で話す夢香と、それに便乗する時音を横目に見ながら、俺は別のことを考えていた。
「あれ、どーしたの虹輝くん。もしかして寝不足?」
 夢香の声で我に帰る。
「あぁ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「昨日夜更かししてたんじゃないのか…?」
「いや違うって…」
 夢香に本音をぶつけたあの日以来、心なしか、夢香の表情に明るさが戻った気がする。父親との確執がどうなったのか本人の口からはまだ聞けていないが、本人が自分から話すときまで待つのが正解なのだろう。
「まあいいや。早いうちに調査始めちゃおつか!山を登った回数が多いことに定評がある虹輝くんには上の方の調査をお願いしても良い?」
「そんな定評知らないけども、それで良いよ」
 あの神社には人智を越える力…時間を操る力がある。神社周りに慣れていて、尚且つ唯一時音の正体を知っている俺が適任だろう。すると時音が言った。
「じゃあ、私も上の方行っていい?山の安全は保証できないし、虹輝1人だと危ないと思うから」
「おっけー!じゃあお昼頃にまた会おう」

 何度通ったかも分からない山道を二人で登り始める。八月になったこともあって、頭上の太陽は殺人的な熱を放っている。
「いやぁ、暑い暑い。崩壊した村では考えられないほどの気温だよこれは」
「てっきり、崩壊した村は世紀末的な暑さをしているもんだと思ってた。違うんだ」
「前言ったように、崩壊した村では太陽が昇らないからね。かといって南極みたいな寒さになるわけでもないんだよね。本当不思議。人間の科学力では全く説明がつかないよね」
 未来世界の話をしているとどうしても、あの夜に一部盗み聞きした時音と男の会話を思い出してしまう。結局あのことについて時音には一切話していない。
 そろそろ、踏み込むべきなのだろうか。
「あ、そういえばさ」
 山道を歩きながら、何でもないような口調で時音が言う。

「あの日の夜、聞いてたよね?私たちの話」

 鼓動が一気に早まる。真夏の熱気が肌を突き刺す。目の前の女の子が、得体のしれない何かに見えてくる。
 まさか、気づかれていたというのか。
「別に、怒っているわけじゃないよ。ただ、理由が聞きたいだけ」
 時音の表情からは、感情が読み取れなかった。ただ、ここで中途半端に隠し事をするのが得策では無いということは直感的に感じていた。
「…本当に偶然だったんだ。見覚えのある男が山の中に入っていくものだから、好奇心で追いかけた。そうしたら時音も出てきて…何だかよく分からなくなった。それと同時に…時音はまだ隠し事があるんじゃないかって、思ってしまった」
「ふーん、なるほどねぇ」
 その返答からも、相変わらず感情が読み取れない。
「山の上の調査っていう名目でさ、ちょっと付いてきてくれない?」

 例の神社に到着した…かと思えば、時音は神社を横目に通り過ぎ、奥の細道を突き進んでいった。慌てて俺も追いかける。
「こんな道があったのか…」
 以前に時音と一緒に来たときは山の更に上の方へと登って行ったが、今回はその道ともまた違う、別のルートを通ってどこかへ行くらしい。前回みたく山の崩落に巻き込まれる危険性は低いだろうと思い、ひとまず安堵する。
 舗装されていない獣道を、5分ほど歩いただろうか。二人並んで歩くのがやっとなくらいの細い道が少しずつ開けてきた。
「ここが、私の寝泊まりしている場所」
 そう言って時音が指さしたのは、深緑の広葉樹に埋もれるようにしてポツンと一軒だけ建っている、酷く寂れた茶色い小屋だった。外観だけ見ると、到底人が住んでいるようには見えない。
「ここに…一人で?」
「ちょっと待っててね」
 俺の疑問の吐露を無視して、時音はその小屋の中へと入る。
 30秒程経って、時音が中から出てくる。
 一人の男を連れて。
「あっ…」
 時音と一緒に出てきたのは、俺たちを神社から追い払った、そしてあの夜時音と話をしていた、例の男だった。男は俺のことを視界に捉え、眉をひそめる。
「お前は…どこかで見た記憶があるな」
「少し前に、神社に入ろうとしたらあなたに追い払われました」
 少しばかりの嫌味も込めて話すと、男はやれやれといった具合にため息を吐く。
「えっと…虹輝、落ち着いて聞いてね。この人は柴戸剛。私と一緒に、未来から来たんだ」
「……」
 実のところ、あの夜に時音とこの男、柴戸の会話を聞いてしまったあたりから、何となくそんな気がしていたのだ。彼が神社の関係者を名乗っていたことも説明が付く。俺たちを追い払ったのも、神社が持つ非科学的な力を理解していたからなのだろう。
「村が崩壊した後、私たちは出会った。ここじゃ語り切れないくらい色々な葛藤をして、私たちは過去に戻ってきた。剛はね、この時代で唯一未来のことを知っている仲間なんだよ」
 色々と思うことはあるが、少なくとも村が崩壊する未来を防ぐ協力者は一人でも多い方が良いと思う。柴戸とも、仲良くなっておいたほうが良いだろう。
「俺は、藤高虹輝。時音が未来から来たことを知ってしまって…村の崩壊を防ぐために協力したいんだ。よろしく頼む」
「オレは、柴戸剛だ」
 相変わらずの鋭い目つきを向けられて、少しばかりの敵意を感じる。
 柴戸の簡素な自己紹介が終わると、時音が話し始めた。
「私が人と人との繋がりを強くするために動いていて、剛は村で自然災害が起きないように自然環境に目を配っているんだ」
「自然災害?」
「前にも言ったけれど、村が崩壊する前兆として不自然な自然災害が多発していたんだ。だから、災害を対策することもちゃんとした対策になっているはずなんだよ」
「あぁ、そういえばそんな話をされたな…」
 時音と柴戸で、役割分担をしているのか。俺が思っている以上に、村の崩壊を防ぐためのプランがしっかり練られているようだった。
「言っておくが、」
 柴戸が話し始める。
「オレは村の住民から見つからないように活動している。悪いが、時音のようにお前と馴れ合うつもりはない。村で見かけても声を掛けるなよ」
 それだけ言い残し、柴戸は小屋の中へと戻っていった。
「…剛、人付き合いが少し苦手なんだ。でも、根は良いやつだから安心してね」
 時音のことを信用していないわけではないが、柴戸は本当に良いやつなのか、まだ俺には判断が付かなかった。

 忙しさも相まって、日々は光の速さで過ぎていった。
 村の外の研究者に話を聞きに行った日もあったし、発表用の原稿をひたすら書き続けた日もあった。
 そうして八月も中旬に差し掛かろうとしているある日の夜。俺は自室で中々寝付けずにいた。
「外にでも出てみるか」
 じいちゃん家の扉をこっそりと開け、外に出てみる。幸い今日は熱帯夜というわけでもなく、程よく涼しい夜風が顔を掠めた。
 静寂の中に、遠くから虫の声がこだまする。少し視線を上げれば、夏の大三角にだって手が届きそうだ。こんな美しい自然に囲まれていると何だか感傷的になって、普段は考えないようなことまで考えてしまう。時音と柴戸と、それから俺たちの未来のことだ。
 少なく見積もっても、未来から来た2人は1年以上はこの時代に留まってくれるのだと思っていた。しかしそれは俺の妄想でしかなく、保証された事実というわけではない。未来から来ている不安定な存在であるからこそ、いつこの時代からいなくなってもおかしくはないのだ。
 時音がいつか俺たちの前からいなくなる。その事実から、俺はこの数か月間逃げ続けていたのかもしれない。俺は、時音との別れに耐えることができるんだろうか。夜空を見上げながら考える。
 結論はすぐに出た。きっと、無理だ。時音がただひたむきに村の未来を守ろうとする姿に、目標を成し遂げようとする姿に、俺は憧れにも似た感情を抱いていた。俺も時音のように、一つの目標に向かって地道に積み重ねができるような、そんな人間になりたいと思った。時音がいなくなったら、この憧れの感情もきっと褪せていくのかもしれない。それが、ただただ怖かった。
 もしこのまま何かを成し遂げたいという衝動に駆られぬまま大人になったとき、俺は自分の人生を肯定できるのだろうか。

 結局あの夜、自室の布団に戻った後もあまり寝られなかった。翌日早めに目が覚め、今日は探検活動はお休みだったことを思い出す。一日中部屋の中でゆっくりしても良いのだが。
 時音に会いたいと、そう思った。昨日あんなことを考えてからというもの、未来に対する不安が一層強まった。時音に会いに行きたい。たわいのない会話をしたい。その一心で身支度を整える。
 朝方から俺は一人で山へと向かった。行先は勿論、時音が住んでいる小屋だ。
 アスファルトが朝日を反射していて、体全体に熱を感じた。首回りから汗が垂れるが、そんなのお構いなしに前に進んだ。大切な人のことを思い、一歩一歩地面を踏みしめた。
 普段から見せる花が咲くような笑顔。その笑顔の裏に本来背負う必要のないような大きすぎる使命を抱えていて、それを成し遂げようと過去に戻る決断を下せる強さ。色々な場面での時音のことを、想った。
 そうだ、俺は時音のことを…。

「あれ、虹輝⁉どうしたの?」
 時音の住処に顔を出すと、ちょうど時音が外にいた。
「何だか、無性に会いたくなってさ」
「それだけで暑い中山を登るなんて…行動力あるよね、虹輝って。家を飛び出していった夢香を追いかけていったときにも思ったけどさ」
「だって…時音と一緒にいられる時間って限りがあるからさ。後悔だけはしたくなくて」
 時音は意表を突かれたような表情を一瞬だけ見せた後、照れくさそうに眼を泳がせた。
「そ、そんなこと言われたら照れちゃうじゃんかぁ…。ま、安心してよ。何も言わずに居なくなることなんてないからさ」
 口元を緩めながらそう答えた。本人の口からそれが聞けて、ひとまず肩の荷が下りたような気がした。
「まぁせっかくだし、小屋の中においでよ」
 初めて、時音と柴戸の住処へとお邪魔する。踏み入れた瞬間床がミシミシと声を上げた。この小屋は内面も相当年季が入っている。玄関から見て左にドアが一つ、正面にもドアが一つあった。
「左の方が私の部屋で、正面の方が柴戸の部屋ってことになってるよ。あ、剛は朝早くから出かけたから残念ながら会えないよ~」
 ”残念ながら”という部分をやけに強調して話してきた。俺と柴戸の仲が良好ではないことは知っているだろうに…。
 そんな俺の思考を汲み取ったのか、時音は部屋のドアを開けて口角を上げながら話す。
「この前言葉を交わすことの大切さが分かった気がするって言ってたのはどこの誰だっけかなぁ~?」
「いや悪かったって…」
「夢香ちゃんに言ってたじゃん、苦手なら苦手で良いんじゃないかな…って。あ、今の声真似ちょっと似てたかも?まぁとにかく、対話してみなよ。対話が少なくなって人と人の繋がりが希薄になった慣れの果てが、村の崩壊だからさ」
 こればかりは正論なので何も言い返せない。確かに、時音に協力すると言った手前柴戸と会話をしないわけにはいかないだろう。
 ひとまず時音の部屋の中に入る。一般的な女子高生のように可愛いグッズやメイク道具が置いてある…わけでもなく、ベッド代わりにしているらしい長めのベンチとクーラーボックス、机といった簡素なものしか置いていない。
「やっぱり、物が少ないんだな」
「うん、過去に遡る上で荷物は最小限にしてきたから。ベンチとか机も、偶然小屋の中にあったものを使っているし」
 生存するための必要最低限の物しか置いていない辺り、時音が想像以上に過酷な生活をしていることが見て取れる。本来送るはずだった高校生活における青春ライフは、村の崩壊と同時に終わりを告げてしまったのだろう。
 村が救われたらその先の未来で当たり前の幸せを享受してほしいと、強く願う。
「…もしも村が崩壊する未来が変わったら、時音も普通の生活を送れるんだよな。俺、もっと頑張る」
 俺がそんな決意を示した時。
 それは本当に一瞬だった。
 時音が瞳を震わせ、何かに怯えるような表情を浮かべたのだ。今すぐにでも夏の暑さの前に溶けてしまいそうな、そんな表情。それはまるで陽炎のように不安定で、儚いもののように見えた。
「そう、だね。未来が変わったら…ね」
 この時に、尋ねればよかったのかもしれない。どうしてそんなに消えてしまいそうな顔をしているのかと。そうすれば…。

 俺は、後悔せずに済んだのかもしれない。

 その後、山の中で作業をしているらしい柴戸の元へと行くこととなった。柴戸とコミュニケーションを図るためだ。
 結局時音はすぐに明るさを取り戻した。まるでさっきの表情が嘘であるかのように。俺も、深く詮索することは辞めようと思った。
 小屋から出て、少しばかり歩く。すると、ヘルメットを被りながら木の根元で何かの作業をしている柴戸が見えた。
「柴戸」
 呼びかけると、柴戸も俺の方を一瞥する。すぐに視線を元の方に戻しながら一言。
「…何しに来た」
「何か、俺に手伝えることは無いかな。俺、時音たちに協力するって誓ったから。少しでも力になりたい」
「オレの作業は時間と気力を多く使うぞ。生半可な覚悟じゃ絶対に無理だ」
「生半可なんかじゃない。時音から、未来世界がどれくらい過酷なものなのか聞いたんだ。それが近いうちに訪れるのは俺だって耐えられない。俺には、覚悟がある」 
 すると柴戸は作業の手を止め、こちらへ一歩踏み出す。鋭い眼光で睨まれる。
「未来世界の過酷さを知っているだと?じゃあお前は、村が崩壊する瞬間の尋常でない地響きを知っているのか。目が覚めた瞬間に辺りが暗闇に包まれてる絶望感を、村の至る所に転がる死体が放つ異臭を、狂ったように泣き叫ぶ村人を、太陽が昇らない村を、お前は、知っているのか!!」
「ちょっと剛、落ち着いて…」
 俺が、間違っていた。
 目の前にいる自分と同い年の2人を、自分と近しい存在だと思っていた、でも、実際は違う。生きることすらままならない未来世界で死線をくぐりぬけ、そんな未来を変えるために時間を遡った。村で平穏な日々を送る俺とは、何もかもが違うのだ。
 二人が持っているものを俺は持っていないし、俺が持っているものを二人は持っていない。
「…二人とも、ごめん」
「いやいや、虹輝は悪くないっ…」
 時音が言い終える刹那。
 背中から、心臓を揺らす咆哮が聞こえた。
 ウゥゥゥゥゥ…!
 振り返ると、真っ黒い毛で覆われた、巨石のような体が俺たちに近づいてきていた。熊だ。
「く、熊!?」
「馬鹿な!熊よけの対策は講じていたはずだぞ!」
 俺は勿論、二人も突然の出来事に動揺を隠せずにいた。
 熊との距離はおよそ10メートルくらい。恐怖で思考が途切れるには十分だった。
 そんな俺たちをお構いなしに、熊が勢いよく突進してきた。時音の方に向かって。
 俺は生まれて初めて、自分の命の危機を感じた。だというのに、いったいどうしてだろう。
 気づけば俺は時音を両手で突き飛ばし、熊の標的を無理やり俺に変えていた。
 直後に鈍い音が聞こえ、鈍痛に襲われると同時に…

 俺の視界は、ブラックアウトした。