「それじゃあ行こうか、虹輝」
時音が加入してから5日後。7月上旬。俺と時音の2人で例の山の麓に来ていた。
「はぁ…」
「どうしたの?元気無いね」
「またあの山に登るんだもんな、元気なんて出るはずないだろ」
これまでの4日間で、俺たちがどんな探検をしてきたのかをひたすら時音に教えた。
そして今日は、もう一度山に登って調査するグループと村人に聞き込みを行うグループに分かれて活動しようという算段だ。
話し合いの結果、俺と時音が山を登り、夢香と俊道が聞き込みをすることになった。神社のすぐ近くまで足を踏み入れたことがある俺たちが山を登るべきなのは何となく理解できるのだが…やはり山登りは骨が折れる作業だ。
「熱中症にならないようにね」
「ああ。わかってる」
一歩一歩土を踏み締めて進んでいく。
「そういえばさ」
「何かな」
「あの神社の付近に男の人がいるんだ。初めて神社に行った時、その人に追い払われてさ。正直、めちゃくちゃ怖かったから…見つからないように気をつけよう」
昼はあの男との、夜は時音との不可解な出会いがあったせいで、神社に対して軽いトラウマがある。
「…男?どんな見た目だった?」
軽い忠告のつもりで話したのだが、時音は眉を顰めて何か考え込んでいた。
「えっと…髪は黒くて目は吊り目で、首に赤いスカーフみたいなのを巻いてた」
吊り目だったのは、俺たちに対して怒っていたからなのかもしれないが。
「…そっか」
もしかすると、時音もあの男に会ったことがあるのかもしれない。
そんなことを考えながら立ち入り禁止のテープを潜り抜け石段を登り、やがて神社に到着した。
「…誰もいなさそうだよ?」
時音の問いかけに頷く。神社の周りはやはり閑散としており、どこか近づき難い雰囲気を放っている気がする。
「ああ、気配を感じない。今日は大丈夫そうだな」
そう思い神社の扉に手をかける。しかし、扉が開くことはなかった。
「…鍵がかかってるな」
「そりゃそうかー。だってこの神社、結構曰くつきだもんね」
今までに調べた文献の中には、この神社は中に守り神が住んでいるなどという記述も見られたくらいだから、よくよく考えれば鍵がかかっていて当然だ。
「せっかく登ってきたのにな。これじゃあ何も収穫がない」
ため息混じりにそう言うと、時音が俺に向けて人差し指を立てた。
「上だ!」
「…え?」
「もぉーッ、虹輝ったらつれないなぁ。つまり神社よりも上に登ってみようってことだよ」
“上”の意味がようやく理解できた。
「え、ここより上に行くって…かなり危険じゃないか?」
「それを言ったら立ち入り禁止の神社に入ってる時点で十分危険ですー。ほら、行くよ!」
時音は有無を言わさない勢いで俺の腕を掴んで上へ進もうとした。不覚にも、心臓が跳ねた。女子に腕を掴まれたくらいで動揺するとは情けないものだと自虐する。
「分かった分かった。暗くなる前に帰れば大丈夫だよな。よし行こう」
2人で縦に並んで、神社より奥の未踏の領域に足を踏み入れていく。まるで探検家にで
もなったような気分だ。
足元には太い木の根っこが点在しており、少し気を抜いただけで足を引っ掛けて転んでしまいそうだ。
「見て見て!すっごく高いよ」
時音が指差す方向を見てみると、眼下に崖が見えた。そこまで標高が高い山ではないが、落ちたら大怪我を負ってしまいそうなくらいの高さはあった。無意識に背筋が凍る。
「…高いな」
「もしかして怖がってる?」
「う、うるさいな!」
心中を言い当てられて思わず動揺する。
「そっちこそ怖くないの?」
「別にー。不安定な場所を歩くのは慣れてるからね」
一体どんな環境で育ってきたんだ、と心の中で突っ込みを入れる。聞いてもおそらく教えてくれないのだろう。
「ま、焦らず登ってこうよ」
「そうだな」
再び登り始める。立ち入り禁止のエリアなため、道は舗装されていないし安全の為の柵すらも無い。焦って登ろうものなら、本当に取り返しのつかないことになりそうだ。
「そういえば時音はさ」
「ん?どうしたの?」
怖さを紛らわすためにも、気になっていたことを聞いてみることにした。
「今は俺たちの探検に合わせてくれているけど、時音自身がしてみたいことって無いの?」
「私の…やりたいことかぁ」
少しの間の後、時音は続けた。
「私はただ、この村の為になることをしたくてね。虹輝たちの探検には大賛成だから安心してね」
「なるほどな」
「それはそれとして、私のやりたいことは…言葉の良さを伝えるってことかな」
「言葉の良さ?」
時音の言葉をオウム返しする。
「虹輝は、言霊って知ってる?」
言霊。それは、発する言葉には霊力が宿っているとされる考え方だ。明るい言葉を使えば明るい結果が訪れるし、その逆も然りだ。
昔、本で読んだことがある。
「そう、それだよ。言葉には絶大な力があるんだ。言葉一つで他人の生き方を変えることだってある。良い方向にも悪い方向にもね」
一度聞いたことがある話のはずなのに、俺は時音の言葉一つ一つに確かな重みを感じた。
「私は言霊を信じてる。言葉が人と人を繋いで、言葉が誰かの背中を押してくれる…これって当たり前のようだけど、すごく素敵なことだと思うの。だから、言葉で皆が温かく繋がる、そんな村になって欲しいな」
俺は言葉も忘れて時音の儚げな横顔を見ていた。不思議な出会い方をした少女が、こんなにも真っ直ぐな志を持っている。ただ純粋に、かっこいいなと思った。
「時音は…この村のことが好きなんだな」
「もちろんだよ」
「時音はこの村出身なのか?」
どさくさに紛れて時音の正体に一歩近づこうとしたのだが…時音は押し黙ってしまった。
「…そこに関しては、まだ言えないんだ」
先程とは打って変わって、張り詰めた声色で時音は言った。
「言えないってどういうことだよ?」
「ごめん、結構複雑なんだ。でも、いつか絶対に教えるから。約束する」
「まあ…言いたくないんなら詮索する気は無いけどさ。でも、大事な仲間として時音のこと知りたいから、」
約束だ。
俺はその言葉を最後まで言い切ることができなかった。なぜなら、突如、浮遊感を覚えたからだ。
時音の青ざめた顔が視界に入ると同時に体が重力に吸われ急降下を始めた。内臓があらゆる方向から圧迫される感覚に陥った。時音が何か叫んでいる。
そうか。足元が崩れて、山道から落下したのか。
そう認識すると同時に、頭に強い衝撃を感じて俺の意識はぷつりと切れた。
「ねえ虹輝?」
気がついた時、俺は何事もなかったかのように立ち尽くしていた。先程感じた痛みも、全て無くなっていた。
「…え?」
辺りを見回してみると、例の神社と、心配そうにこちらを見る時音が目に映った。
…何が起こっている?
「なあ時音…?俺たち、さっきまで山奥にいたよな?それで、俺が山から落ちたんだよな?」
だとしたら、なんで俺は神社の前に無傷で立っているんだ?
「……」
「でもここ神社の前だし…俺、夢でも見てたのかな?」
動揺を隠しきれない俺を前に、時音はただ無言で立っていた。
「なんか言ってくれよ!」
「…失敗か」
「…え?」
「虹輝、さっきまでの出来事を全て夢だって割り切るか、信じ難い真実を聞くか、選んで」
あまりにも突然、俺は選択を迫られた。しかし、俺の中で答えはすぐに浮かび上がった。
「…割り切れるわけ、ないだろ」
あまりにも不可解な話だから。時音が大切なことを教えてくれたかけがえのない時間だったから。伊美時音という人間に一歩近づくことができた時間だったから。夢と割り切れるわけが、無かった。
「教えてくれ、何が起こったのか」
時音の目を見据えて、言った。
「うん分かった。単刀直入に言うとね…」
一瞬の沈黙。世界に自分たち二人しか存在していないかのような錯覚に陥る。
「君が山から落ちた瞬間、私が時間を巻き戻したの。だから、山奥に入る前の、神社付近にいた時まで戻ったんだよ」
「ちょっと待て、ストップ」
右手を広げて静止をする。俺の脳ではとてもじゃないが理解が追いつかない。
時間遡行なんて可能なのか。仮に可能だったとして、何故時音がそれを使えるのか。ダムが決壊したかのように疑問が溢れ続ける。
「一つずつ聞いてもいいか?」
「うん、長くなりそうだから場所を移そうか」
2人で訪れたのは、下山したところにある東家だ。ここなら日光を遮れるし、村の中心部が近いから比較的安全だ。
「それで…時間を巻き戻すって、そんなSF小説みたいなことが現代の科学でできるのか?」
時音はリュックに常備しているらしい団扇で顔を仰ぎながら答えた。
「確かにタイムリープは非科学的な事象だし、現代の科学でできるかも分からない」
「じゃあ一体どうして…」
「君も知っているはずだよ。この世の理を捻じ曲げるほどの不思議な力を」
突拍子もない話のはずなのに、俺はその話に心当たりがあった。ここ最近の行動を思い返してみる。
まず、探検活動で散々調べてきた伝承。100年程前に書かれた「守り神は農作物が不作だった年に恵みの雨を降らせた」だとか「守り神に祈った途端、行方不明になっていた子供が戻ってきた」とか、信憑性に欠ける情報。裏を返せば、非科学的な事象だ。
そして時音と出会ったあの夜。神社付近を歩いていたら、不自然に突然電話が切れた。
山が本来なら立ち入り禁止であることや謎の男が俺たちを追い払ったことも、全て繋がっているのかもしれない。
「その不思議な力って…この神社が関係してるよな?」
ここまで来れば、それはもう揺るがない事実だった。
「その通り。これを見て欲しいんだ」
時音は自分のリュックを漁り始める。やがて取り出したのは、一冊の紙の束だった。
「何だよこれ…」
それは一般的な紙には程遠く、端々が黄ばんでおり、紙の材質も書かれている文字の書体も明らかに現代のものではない。まるで、何百年も前から受け継がれてきた古文書のようだ。
「随分と時間がかかったよ。この資料に辿り着くまで。とりあえず、一緒に読んでみよう」
紙の束がゆっくりと開かれる。まず目に入ったのは、大きな字で書かれた注意書きのようなものだった。
「簡薙神社守り神の詳細をここに記す。村外への口外はこれを禁ず…って書いてある」
「守り神の詳細!?俺たちが、一番求めていた資料じゃないか!」
ここ1ヶ月の資料集めにおいて、中々核心に迫ることが出来なかった“守り神”。その秘密が、紙数枚を隔てて目の前にある。心臓が高鳴りを覚えたのは言うまでもない。
「中、読んでもいいか?」
「村外に流出しちゃダメって書いてるけど、虹輝も村の関係者みたいなものだし良いと思うよ」
それを言ったら時音だって最近転校してきたではないか…と言いかけたが、最近の行動から見るに村に関係しているのは間違いなさそうなので、下手なことは言わないでおく。
俺は一つ深呼吸をして、古文書を開いた。
壱、守り神の概要
簡薙村には遥か昔から守り神が住み着いていて、我々村民の安寧を守ってきたとされている。守り神と特に繋がりが強い簡薙神社についての調査結果を記す。
まず、神社周辺の地質、植生、磁気、空気中の酸素濃度などの様々な要素を数年に渡り調査したところ、この山自体が神社を中心に特殊な環境を持っていることが分かった。
その中でも特に磁場が異常だった。そこに目をつけて我々は更に調査を進める。すると、山の内外で時間の流れが僅かに異なることが明らかとなった。正確には、山の中、特にも神社に近づけば近づくほど時の流れは遅くなる。
調査団の間で守り神という上位存在が時の流れを歪めているという仮説が出たが、結局守り神の正体に近づくことはできていない。更に深い部分まで調査を進めようと思ったその時、一人の調査員が数日間失踪。一週間の捜索を経て見つかるが、その調査員は“1ヶ月先の未来世界に迷い込んだ”と証言を残す。その出来事をきっかけに調査は大きく進み、やがて、神社付近の時の流れの差異が原因で時空を超えてしまう現象が発見された。守り神が起こしたとされる非科学的な事象は全て時空超越によって説明できることから、守り神の正体がこの現象そのものであることは確定か。
任意のタイミングで時空を超える技術、そしてその悪用を防ぐ術を考えるのが今後の課題となるだろう。
内容は大体こういうことだった。
衝撃的な事実の数々に押し粒されそうになりながら、俺は“壱”と書いてある章を最後まで読んだ。
「守り神に祈ったら行方不明の子供が戻ってきたって言う話も、その子が時間を超えてしまったと考えれば説明がつくもんな…」
急に体が脱力感を覚えた。突拍子もない事実を少しずつ受け入れ始めているからなのか、守り神自体は存在しないという夢の無い現実にショックを受けているのか、又はその両方か。
「どう?信じてくれる?」
時音は恐る恐るというように俺の顔を覗き込んだ。
「ちなみにこの資料はどこで手に入れた?」
「すごく管理が厳重だった。一般人にはまず手が出せないだろうね。それこそ…何度も時間遡行することで少しずつ管理法を暴いていくことでもしない限りね」
「…やっぱ正規ルートじゃ手に入らないんだな」
時音曰く、書物庫の鍵を管理していると思われる人物を片っ端から追跡して、その人が鍵を持っていなかったり追跡がバレたりしたらその都度タイムリープ。これを繰り返して鍵を手に入れたのだそう。とてつもない根気である。
「ってことはさ、時音は任意のタイミングで時を越えられるのか?」
「そこが難しいところなの!」
良い質問だ!と言わんばかりに団扇で俺を勢いよく煽いできた。
「一応、軽度の時間遡行なら可能なんだけどね、まだ制御しきれない部分があるの」
「というと?」
「さっきも、本当は私だけが記憶を保持したままタイムリープする気でいたんだけど、何故だか君まで記憶を引き継いでしまっていたから…」
タイムリープは、本人だけが記憶を保ったまま時間を巻き戻して“分岐点”まで戻り、そこから別の未来を作るというのが基本らしい。さっきの事例で言えば、本当は時音だけが記憶を保って神社付近で会話していた時刻まで戻り、「山奥まで登る」か「山奥まで登らない」かという未来の分岐をやり直すはずだった。しかしながら、山奥で落下した記憶を俺まで保持したままタイムリープをしてしまったということだ。
「さっき失敗かって言ってたのはそういうことだったんだな」
「うん、まさか君まで巻き込むとは思わなかった」
「まあそれでも…助けてくれてありがとう」
何だかこそばゆくなり、呟くように感謝を伝える。時音がいなかったら間違いなく俺は大怪我を負っていた。時間遡行という荒技とはいえ、命の恩人であることには変わらないから。
それから俺たちは俊道の家に戻り、夢香や俊道と合流した。そして2人に、事のあらましを話した。
「時間…遡行?」
最初こそ驚かれたが、詳細を話すと意外にもすぐに受け入れてくれた。
「時音ちゃん、初めて会った時不思議なオーラ放ってたもん。時を越えられるのも納得だよねー」
「時間超えられるとか、かっこよ…」
田舎特有の、人同士の繋がりの強さというやつのおかげだろうか、全く疑いの目を向けずに受け入れられた。
そこからは、部屋でくつろぎながら時音の時間遡行についての話を聞く時間が始まった。聞く話の全てが新鮮で自分たちの探検活動に活かせるものだったため、俺らは必死にメモを取りながら話を聞く。
聞き終えた後、雑談をしながら内容をまとめる。気づけば空が赤みを帯びてきていた。
「いや〜、ホントすごいね時音ちゃん!今日1日でこんなに多くのことを知れるなんて思わなかったよ」
「いやいや、むしろ、私の話を信じてくれてありがとね」
夢香は未だに興奮を抑えきれない様子でそう言った。しかし笑みを浮かべる時音の方を見ると、何か思い詰めている表情をしているようにも見えた。
「そろそろ暗くなりそうだし、今日は解散?」
俊道の一言に皆で頷く。具体的に何をやるかは決まっていないが、活動の続きは明日になりそうだ。
俊道の両親に一言挨拶をし、俊道家の玄関を出る。
日が沈み始めているとはいえ、今は7月だ。夜でも十二分に暑い。どこかで蝉も泣いている。
「…じゃ、また明日」
「またねー」
夢香の家は俺の祖父の家と真逆の方向にあるため、帰り道は重ならない。行き帰りは基本的に1人だ。
そこでふと考えつく。
時音の家はどこなのだろう。
考えたことも無かった。いや、考えないようにしていたと形容するのが正しいのかもしれない。だって、俺は時音の素性を何も知らないから。
「時音の家ってどっち方向?」
「私暇だから、虹輝の家まで着いていくよ」
そう言って強引に進み始めた。微妙に会話が噛み合ってないというか、話の核心を避けて通っているような、微かな違和感が浮かんだが、仕方がないので着いていく。
俺の祖父の家に帰るまでには、両脇に広がる田んぼを一望できる道路を通る必要がある。道路といっても国道のように舗装された大きなものではなく、更には一車線しかない(村では車が通ること自体が珍しいため、実はあまり問題とされていない)。
「いやー、まさか皆がタイムリープのこと受け入れてくれるなんてね」
夕焼け空を仰ぎながら時音が言う。
「俺もびっくりした。田舎の人って良い意味でそこら辺が寛容なんだなって」
「やっぱり好きだなぁ、こういう雰囲気が」
時音の柔和な視線からして、心からの本音なのだろう。
「守りたいなぁ、絶対に」
次の一言に、俺はまた一つ違和感を覚えた。隣を見やる。穏やかな顔のまま時音は歩く。俺はやっぱり時音が分からない。
守るとは何だ。素性を明かしてくれない時音が、そこまでして村に執着する理由は何なのか。村が好きだからと言ってしまえばそれまでなのかもしれないが…やはり違和感が拭えない。
「私の顔に何か付いてる?」
「え、なんで」
「いや、ずっとこっちの方見てくるから…」
どうやら考え事に夢中で、時音をぼーっと見つめてしまっていたらしい。
「…なんだか、素敵だなって」
言い終えた瞬間に気づく。今のは勘違いを引き起こしかねない発言だったのではないか。案の定、時音は面食らった顔で俺を見つめる。
「あの、変な意味はないんだけど…」
「へ〜、虹輝ってそんな風に攻めてくるタイプなんだ?別に嫌いじゃないけどねー」
俺の弁解も虚しく、時音はいたずらっ子のような目で俺を見てくる。別に俺は攻めてなどいない。
「あーもうそういうことでいいや」
時音の、言霊についての話とか村への思いやらを尊敬しているのは間違いないが、正体が分からないこともあって、正直な話、自分と遠い存在だとさえ思ってしまっている節がある。
しばらくの間無言で歩く。村の自然が奏でる音だけを聞きながら歩くのも悪くないなと思う。
「…ねぇ」
祖父の家が見えてきたあたりで、時音が言った。
「君はこの村のこと好き?」
「うん。村に直接住むのはまだ1ヶ月くらいだけど…温かいなって思うよ。すごく居心地が良い」
質問の意図は分からなかった。だから、ありのままを答えた。
「だよね。私もだよ」
やはり今日の時音はどこか寂寥感を纏っている。ここで別れたら、そのまま夕焼けに溶けて消えてしまいそうなくらいに。
だから俺は。
「時音」
彼女の名を呼んだ。呼んだ瞬間、確信した。
俺は、時音のことを知りたいんだ。これからも一緒にいたいから。
「教えて欲しいんだ、君のこと」
時音は微かに目を見開いた。その目を確かに見据えて俺は続ける。
「きっと、俺たちに軽々しく言えないような事情が絡んでるんだと思う。無理にとは言わない。だけど…もし、時音が今悩んでるんだったら、話を聞くことくらいはできる。俺は、辛いことをみんなで背負えるような、そんな仲間でありたいんだ」
言葉が夕闇に溶けてゆく。
やがて、時音は薄く笑った。
「…私、そんなに悩んでそうな顔してた?」
「まあ、顔っていうか雰囲気かな。時々、悲しそうな、寂しそうな雰囲気を纏ってる気がする。特にここ数日」
「そっかぁ、隠し通せてると思ってたんだけどなー」
時音は虚空を見つめている。思案しているのだろうか。俺に正体を打ち明けるかどうかを。
「…そうだね、君の言うとおりかもね」
時音は改めて俺の方を向く。釣られるようにして、俺も背筋を伸ばす。
「複雑な話だから、整理する時間をくれないかな?そうだね…また明日、この時間に2人で話せる?」
「うん。大丈夫だけど…俊道たちも呼ぶ?」
「いや…虹輝だけがいいな。とりあえず今は」
虹輝だけがいいという言葉に、場違いにも不意に心が揺れる。
「じゃあ明日のこれくらいの時間に、虹輝の家に迎えに来るね…それじゃ」
ひらりと手を振り、足早に去っていく。その姿が見えなくなるまで、俺は立ち尽くしていた。
「ただいまー」
「おう虹輝!風呂沸いてるから入っちゃいな」
祖父の溌剌とした声に促されるまま、風呂に入る。昔ながらの風呂だが、1人で足を伸ばせるくらいには大きい。
湯船に浸かる。風呂で疲れを癒しながら一日の出来事を振り返るのが俺のルーティーンだ。今日は…本当にいろいろなことがあった。山に登って、事故に巻き込まれたかと思えば時音が時間を巻き戻して助けてくれて…守り神と時間遡行の関係、そして時音の秘密を知った。改めて、随分と色濃い一日だったと感じる。
思えば、ここ最近は予想だにしないような日々の連続だ。もちろん、探検活動という非日常のおかげでもあるのだろうが、やはり時音の存在は大きいのだと思う。時音は、いつも俺たちに知らない世界を見せてくれる。
ということは…明日時音から聞かされる真実もまた、俺にとっては想像もできない内容なのだろう。恐怖が全く無いわけでは無いが、俺の中で一つ決めていることがある。
どんな内容であっても、俺は時音の存在を受け入れる。
時音が加入してから5日後。7月上旬。俺と時音の2人で例の山の麓に来ていた。
「はぁ…」
「どうしたの?元気無いね」
「またあの山に登るんだもんな、元気なんて出るはずないだろ」
これまでの4日間で、俺たちがどんな探検をしてきたのかをひたすら時音に教えた。
そして今日は、もう一度山に登って調査するグループと村人に聞き込みを行うグループに分かれて活動しようという算段だ。
話し合いの結果、俺と時音が山を登り、夢香と俊道が聞き込みをすることになった。神社のすぐ近くまで足を踏み入れたことがある俺たちが山を登るべきなのは何となく理解できるのだが…やはり山登りは骨が折れる作業だ。
「熱中症にならないようにね」
「ああ。わかってる」
一歩一歩土を踏み締めて進んでいく。
「そういえばさ」
「何かな」
「あの神社の付近に男の人がいるんだ。初めて神社に行った時、その人に追い払われてさ。正直、めちゃくちゃ怖かったから…見つからないように気をつけよう」
昼はあの男との、夜は時音との不可解な出会いがあったせいで、神社に対して軽いトラウマがある。
「…男?どんな見た目だった?」
軽い忠告のつもりで話したのだが、時音は眉を顰めて何か考え込んでいた。
「えっと…髪は黒くて目は吊り目で、首に赤いスカーフみたいなのを巻いてた」
吊り目だったのは、俺たちに対して怒っていたからなのかもしれないが。
「…そっか」
もしかすると、時音もあの男に会ったことがあるのかもしれない。
そんなことを考えながら立ち入り禁止のテープを潜り抜け石段を登り、やがて神社に到着した。
「…誰もいなさそうだよ?」
時音の問いかけに頷く。神社の周りはやはり閑散としており、どこか近づき難い雰囲気を放っている気がする。
「ああ、気配を感じない。今日は大丈夫そうだな」
そう思い神社の扉に手をかける。しかし、扉が開くことはなかった。
「…鍵がかかってるな」
「そりゃそうかー。だってこの神社、結構曰くつきだもんね」
今までに調べた文献の中には、この神社は中に守り神が住んでいるなどという記述も見られたくらいだから、よくよく考えれば鍵がかかっていて当然だ。
「せっかく登ってきたのにな。これじゃあ何も収穫がない」
ため息混じりにそう言うと、時音が俺に向けて人差し指を立てた。
「上だ!」
「…え?」
「もぉーッ、虹輝ったらつれないなぁ。つまり神社よりも上に登ってみようってことだよ」
“上”の意味がようやく理解できた。
「え、ここより上に行くって…かなり危険じゃないか?」
「それを言ったら立ち入り禁止の神社に入ってる時点で十分危険ですー。ほら、行くよ!」
時音は有無を言わさない勢いで俺の腕を掴んで上へ進もうとした。不覚にも、心臓が跳ねた。女子に腕を掴まれたくらいで動揺するとは情けないものだと自虐する。
「分かった分かった。暗くなる前に帰れば大丈夫だよな。よし行こう」
2人で縦に並んで、神社より奥の未踏の領域に足を踏み入れていく。まるで探検家にで
もなったような気分だ。
足元には太い木の根っこが点在しており、少し気を抜いただけで足を引っ掛けて転んでしまいそうだ。
「見て見て!すっごく高いよ」
時音が指差す方向を見てみると、眼下に崖が見えた。そこまで標高が高い山ではないが、落ちたら大怪我を負ってしまいそうなくらいの高さはあった。無意識に背筋が凍る。
「…高いな」
「もしかして怖がってる?」
「う、うるさいな!」
心中を言い当てられて思わず動揺する。
「そっちこそ怖くないの?」
「別にー。不安定な場所を歩くのは慣れてるからね」
一体どんな環境で育ってきたんだ、と心の中で突っ込みを入れる。聞いてもおそらく教えてくれないのだろう。
「ま、焦らず登ってこうよ」
「そうだな」
再び登り始める。立ち入り禁止のエリアなため、道は舗装されていないし安全の為の柵すらも無い。焦って登ろうものなら、本当に取り返しのつかないことになりそうだ。
「そういえば時音はさ」
「ん?どうしたの?」
怖さを紛らわすためにも、気になっていたことを聞いてみることにした。
「今は俺たちの探検に合わせてくれているけど、時音自身がしてみたいことって無いの?」
「私の…やりたいことかぁ」
少しの間の後、時音は続けた。
「私はただ、この村の為になることをしたくてね。虹輝たちの探検には大賛成だから安心してね」
「なるほどな」
「それはそれとして、私のやりたいことは…言葉の良さを伝えるってことかな」
「言葉の良さ?」
時音の言葉をオウム返しする。
「虹輝は、言霊って知ってる?」
言霊。それは、発する言葉には霊力が宿っているとされる考え方だ。明るい言葉を使えば明るい結果が訪れるし、その逆も然りだ。
昔、本で読んだことがある。
「そう、それだよ。言葉には絶大な力があるんだ。言葉一つで他人の生き方を変えることだってある。良い方向にも悪い方向にもね」
一度聞いたことがある話のはずなのに、俺は時音の言葉一つ一つに確かな重みを感じた。
「私は言霊を信じてる。言葉が人と人を繋いで、言葉が誰かの背中を押してくれる…これって当たり前のようだけど、すごく素敵なことだと思うの。だから、言葉で皆が温かく繋がる、そんな村になって欲しいな」
俺は言葉も忘れて時音の儚げな横顔を見ていた。不思議な出会い方をした少女が、こんなにも真っ直ぐな志を持っている。ただ純粋に、かっこいいなと思った。
「時音は…この村のことが好きなんだな」
「もちろんだよ」
「時音はこの村出身なのか?」
どさくさに紛れて時音の正体に一歩近づこうとしたのだが…時音は押し黙ってしまった。
「…そこに関しては、まだ言えないんだ」
先程とは打って変わって、張り詰めた声色で時音は言った。
「言えないってどういうことだよ?」
「ごめん、結構複雑なんだ。でも、いつか絶対に教えるから。約束する」
「まあ…言いたくないんなら詮索する気は無いけどさ。でも、大事な仲間として時音のこと知りたいから、」
約束だ。
俺はその言葉を最後まで言い切ることができなかった。なぜなら、突如、浮遊感を覚えたからだ。
時音の青ざめた顔が視界に入ると同時に体が重力に吸われ急降下を始めた。内臓があらゆる方向から圧迫される感覚に陥った。時音が何か叫んでいる。
そうか。足元が崩れて、山道から落下したのか。
そう認識すると同時に、頭に強い衝撃を感じて俺の意識はぷつりと切れた。
「ねえ虹輝?」
気がついた時、俺は何事もなかったかのように立ち尽くしていた。先程感じた痛みも、全て無くなっていた。
「…え?」
辺りを見回してみると、例の神社と、心配そうにこちらを見る時音が目に映った。
…何が起こっている?
「なあ時音…?俺たち、さっきまで山奥にいたよな?それで、俺が山から落ちたんだよな?」
だとしたら、なんで俺は神社の前に無傷で立っているんだ?
「……」
「でもここ神社の前だし…俺、夢でも見てたのかな?」
動揺を隠しきれない俺を前に、時音はただ無言で立っていた。
「なんか言ってくれよ!」
「…失敗か」
「…え?」
「虹輝、さっきまでの出来事を全て夢だって割り切るか、信じ難い真実を聞くか、選んで」
あまりにも突然、俺は選択を迫られた。しかし、俺の中で答えはすぐに浮かび上がった。
「…割り切れるわけ、ないだろ」
あまりにも不可解な話だから。時音が大切なことを教えてくれたかけがえのない時間だったから。伊美時音という人間に一歩近づくことができた時間だったから。夢と割り切れるわけが、無かった。
「教えてくれ、何が起こったのか」
時音の目を見据えて、言った。
「うん分かった。単刀直入に言うとね…」
一瞬の沈黙。世界に自分たち二人しか存在していないかのような錯覚に陥る。
「君が山から落ちた瞬間、私が時間を巻き戻したの。だから、山奥に入る前の、神社付近にいた時まで戻ったんだよ」
「ちょっと待て、ストップ」
右手を広げて静止をする。俺の脳ではとてもじゃないが理解が追いつかない。
時間遡行なんて可能なのか。仮に可能だったとして、何故時音がそれを使えるのか。ダムが決壊したかのように疑問が溢れ続ける。
「一つずつ聞いてもいいか?」
「うん、長くなりそうだから場所を移そうか」
2人で訪れたのは、下山したところにある東家だ。ここなら日光を遮れるし、村の中心部が近いから比較的安全だ。
「それで…時間を巻き戻すって、そんなSF小説みたいなことが現代の科学でできるのか?」
時音はリュックに常備しているらしい団扇で顔を仰ぎながら答えた。
「確かにタイムリープは非科学的な事象だし、現代の科学でできるかも分からない」
「じゃあ一体どうして…」
「君も知っているはずだよ。この世の理を捻じ曲げるほどの不思議な力を」
突拍子もない話のはずなのに、俺はその話に心当たりがあった。ここ最近の行動を思い返してみる。
まず、探検活動で散々調べてきた伝承。100年程前に書かれた「守り神は農作物が不作だった年に恵みの雨を降らせた」だとか「守り神に祈った途端、行方不明になっていた子供が戻ってきた」とか、信憑性に欠ける情報。裏を返せば、非科学的な事象だ。
そして時音と出会ったあの夜。神社付近を歩いていたら、不自然に突然電話が切れた。
山が本来なら立ち入り禁止であることや謎の男が俺たちを追い払ったことも、全て繋がっているのかもしれない。
「その不思議な力って…この神社が関係してるよな?」
ここまで来れば、それはもう揺るがない事実だった。
「その通り。これを見て欲しいんだ」
時音は自分のリュックを漁り始める。やがて取り出したのは、一冊の紙の束だった。
「何だよこれ…」
それは一般的な紙には程遠く、端々が黄ばんでおり、紙の材質も書かれている文字の書体も明らかに現代のものではない。まるで、何百年も前から受け継がれてきた古文書のようだ。
「随分と時間がかかったよ。この資料に辿り着くまで。とりあえず、一緒に読んでみよう」
紙の束がゆっくりと開かれる。まず目に入ったのは、大きな字で書かれた注意書きのようなものだった。
「簡薙神社守り神の詳細をここに記す。村外への口外はこれを禁ず…って書いてある」
「守り神の詳細!?俺たちが、一番求めていた資料じゃないか!」
ここ1ヶ月の資料集めにおいて、中々核心に迫ることが出来なかった“守り神”。その秘密が、紙数枚を隔てて目の前にある。心臓が高鳴りを覚えたのは言うまでもない。
「中、読んでもいいか?」
「村外に流出しちゃダメって書いてるけど、虹輝も村の関係者みたいなものだし良いと思うよ」
それを言ったら時音だって最近転校してきたではないか…と言いかけたが、最近の行動から見るに村に関係しているのは間違いなさそうなので、下手なことは言わないでおく。
俺は一つ深呼吸をして、古文書を開いた。
壱、守り神の概要
簡薙村には遥か昔から守り神が住み着いていて、我々村民の安寧を守ってきたとされている。守り神と特に繋がりが強い簡薙神社についての調査結果を記す。
まず、神社周辺の地質、植生、磁気、空気中の酸素濃度などの様々な要素を数年に渡り調査したところ、この山自体が神社を中心に特殊な環境を持っていることが分かった。
その中でも特に磁場が異常だった。そこに目をつけて我々は更に調査を進める。すると、山の内外で時間の流れが僅かに異なることが明らかとなった。正確には、山の中、特にも神社に近づけば近づくほど時の流れは遅くなる。
調査団の間で守り神という上位存在が時の流れを歪めているという仮説が出たが、結局守り神の正体に近づくことはできていない。更に深い部分まで調査を進めようと思ったその時、一人の調査員が数日間失踪。一週間の捜索を経て見つかるが、その調査員は“1ヶ月先の未来世界に迷い込んだ”と証言を残す。その出来事をきっかけに調査は大きく進み、やがて、神社付近の時の流れの差異が原因で時空を超えてしまう現象が発見された。守り神が起こしたとされる非科学的な事象は全て時空超越によって説明できることから、守り神の正体がこの現象そのものであることは確定か。
任意のタイミングで時空を超える技術、そしてその悪用を防ぐ術を考えるのが今後の課題となるだろう。
内容は大体こういうことだった。
衝撃的な事実の数々に押し粒されそうになりながら、俺は“壱”と書いてある章を最後まで読んだ。
「守り神に祈ったら行方不明の子供が戻ってきたって言う話も、その子が時間を超えてしまったと考えれば説明がつくもんな…」
急に体が脱力感を覚えた。突拍子もない事実を少しずつ受け入れ始めているからなのか、守り神自体は存在しないという夢の無い現実にショックを受けているのか、又はその両方か。
「どう?信じてくれる?」
時音は恐る恐るというように俺の顔を覗き込んだ。
「ちなみにこの資料はどこで手に入れた?」
「すごく管理が厳重だった。一般人にはまず手が出せないだろうね。それこそ…何度も時間遡行することで少しずつ管理法を暴いていくことでもしない限りね」
「…やっぱ正規ルートじゃ手に入らないんだな」
時音曰く、書物庫の鍵を管理していると思われる人物を片っ端から追跡して、その人が鍵を持っていなかったり追跡がバレたりしたらその都度タイムリープ。これを繰り返して鍵を手に入れたのだそう。とてつもない根気である。
「ってことはさ、時音は任意のタイミングで時を越えられるのか?」
「そこが難しいところなの!」
良い質問だ!と言わんばかりに団扇で俺を勢いよく煽いできた。
「一応、軽度の時間遡行なら可能なんだけどね、まだ制御しきれない部分があるの」
「というと?」
「さっきも、本当は私だけが記憶を保持したままタイムリープする気でいたんだけど、何故だか君まで記憶を引き継いでしまっていたから…」
タイムリープは、本人だけが記憶を保ったまま時間を巻き戻して“分岐点”まで戻り、そこから別の未来を作るというのが基本らしい。さっきの事例で言えば、本当は時音だけが記憶を保って神社付近で会話していた時刻まで戻り、「山奥まで登る」か「山奥まで登らない」かという未来の分岐をやり直すはずだった。しかしながら、山奥で落下した記憶を俺まで保持したままタイムリープをしてしまったということだ。
「さっき失敗かって言ってたのはそういうことだったんだな」
「うん、まさか君まで巻き込むとは思わなかった」
「まあそれでも…助けてくれてありがとう」
何だかこそばゆくなり、呟くように感謝を伝える。時音がいなかったら間違いなく俺は大怪我を負っていた。時間遡行という荒技とはいえ、命の恩人であることには変わらないから。
それから俺たちは俊道の家に戻り、夢香や俊道と合流した。そして2人に、事のあらましを話した。
「時間…遡行?」
最初こそ驚かれたが、詳細を話すと意外にもすぐに受け入れてくれた。
「時音ちゃん、初めて会った時不思議なオーラ放ってたもん。時を越えられるのも納得だよねー」
「時間超えられるとか、かっこよ…」
田舎特有の、人同士の繋がりの強さというやつのおかげだろうか、全く疑いの目を向けずに受け入れられた。
そこからは、部屋でくつろぎながら時音の時間遡行についての話を聞く時間が始まった。聞く話の全てが新鮮で自分たちの探検活動に活かせるものだったため、俺らは必死にメモを取りながら話を聞く。
聞き終えた後、雑談をしながら内容をまとめる。気づけば空が赤みを帯びてきていた。
「いや〜、ホントすごいね時音ちゃん!今日1日でこんなに多くのことを知れるなんて思わなかったよ」
「いやいや、むしろ、私の話を信じてくれてありがとね」
夢香は未だに興奮を抑えきれない様子でそう言った。しかし笑みを浮かべる時音の方を見ると、何か思い詰めている表情をしているようにも見えた。
「そろそろ暗くなりそうだし、今日は解散?」
俊道の一言に皆で頷く。具体的に何をやるかは決まっていないが、活動の続きは明日になりそうだ。
俊道の両親に一言挨拶をし、俊道家の玄関を出る。
日が沈み始めているとはいえ、今は7月だ。夜でも十二分に暑い。どこかで蝉も泣いている。
「…じゃ、また明日」
「またねー」
夢香の家は俺の祖父の家と真逆の方向にあるため、帰り道は重ならない。行き帰りは基本的に1人だ。
そこでふと考えつく。
時音の家はどこなのだろう。
考えたことも無かった。いや、考えないようにしていたと形容するのが正しいのかもしれない。だって、俺は時音の素性を何も知らないから。
「時音の家ってどっち方向?」
「私暇だから、虹輝の家まで着いていくよ」
そう言って強引に進み始めた。微妙に会話が噛み合ってないというか、話の核心を避けて通っているような、微かな違和感が浮かんだが、仕方がないので着いていく。
俺の祖父の家に帰るまでには、両脇に広がる田んぼを一望できる道路を通る必要がある。道路といっても国道のように舗装された大きなものではなく、更には一車線しかない(村では車が通ること自体が珍しいため、実はあまり問題とされていない)。
「いやー、まさか皆がタイムリープのこと受け入れてくれるなんてね」
夕焼け空を仰ぎながら時音が言う。
「俺もびっくりした。田舎の人って良い意味でそこら辺が寛容なんだなって」
「やっぱり好きだなぁ、こういう雰囲気が」
時音の柔和な視線からして、心からの本音なのだろう。
「守りたいなぁ、絶対に」
次の一言に、俺はまた一つ違和感を覚えた。隣を見やる。穏やかな顔のまま時音は歩く。俺はやっぱり時音が分からない。
守るとは何だ。素性を明かしてくれない時音が、そこまでして村に執着する理由は何なのか。村が好きだからと言ってしまえばそれまでなのかもしれないが…やはり違和感が拭えない。
「私の顔に何か付いてる?」
「え、なんで」
「いや、ずっとこっちの方見てくるから…」
どうやら考え事に夢中で、時音をぼーっと見つめてしまっていたらしい。
「…なんだか、素敵だなって」
言い終えた瞬間に気づく。今のは勘違いを引き起こしかねない発言だったのではないか。案の定、時音は面食らった顔で俺を見つめる。
「あの、変な意味はないんだけど…」
「へ〜、虹輝ってそんな風に攻めてくるタイプなんだ?別に嫌いじゃないけどねー」
俺の弁解も虚しく、時音はいたずらっ子のような目で俺を見てくる。別に俺は攻めてなどいない。
「あーもうそういうことでいいや」
時音の、言霊についての話とか村への思いやらを尊敬しているのは間違いないが、正体が分からないこともあって、正直な話、自分と遠い存在だとさえ思ってしまっている節がある。
しばらくの間無言で歩く。村の自然が奏でる音だけを聞きながら歩くのも悪くないなと思う。
「…ねぇ」
祖父の家が見えてきたあたりで、時音が言った。
「君はこの村のこと好き?」
「うん。村に直接住むのはまだ1ヶ月くらいだけど…温かいなって思うよ。すごく居心地が良い」
質問の意図は分からなかった。だから、ありのままを答えた。
「だよね。私もだよ」
やはり今日の時音はどこか寂寥感を纏っている。ここで別れたら、そのまま夕焼けに溶けて消えてしまいそうなくらいに。
だから俺は。
「時音」
彼女の名を呼んだ。呼んだ瞬間、確信した。
俺は、時音のことを知りたいんだ。これからも一緒にいたいから。
「教えて欲しいんだ、君のこと」
時音は微かに目を見開いた。その目を確かに見据えて俺は続ける。
「きっと、俺たちに軽々しく言えないような事情が絡んでるんだと思う。無理にとは言わない。だけど…もし、時音が今悩んでるんだったら、話を聞くことくらいはできる。俺は、辛いことをみんなで背負えるような、そんな仲間でありたいんだ」
言葉が夕闇に溶けてゆく。
やがて、時音は薄く笑った。
「…私、そんなに悩んでそうな顔してた?」
「まあ、顔っていうか雰囲気かな。時々、悲しそうな、寂しそうな雰囲気を纏ってる気がする。特にここ数日」
「そっかぁ、隠し通せてると思ってたんだけどなー」
時音は虚空を見つめている。思案しているのだろうか。俺に正体を打ち明けるかどうかを。
「…そうだね、君の言うとおりかもね」
時音は改めて俺の方を向く。釣られるようにして、俺も背筋を伸ばす。
「複雑な話だから、整理する時間をくれないかな?そうだね…また明日、この時間に2人で話せる?」
「うん。大丈夫だけど…俊道たちも呼ぶ?」
「いや…虹輝だけがいいな。とりあえず今は」
虹輝だけがいいという言葉に、場違いにも不意に心が揺れる。
「じゃあ明日のこれくらいの時間に、虹輝の家に迎えに来るね…それじゃ」
ひらりと手を振り、足早に去っていく。その姿が見えなくなるまで、俺は立ち尽くしていた。
「ただいまー」
「おう虹輝!風呂沸いてるから入っちゃいな」
祖父の溌剌とした声に促されるまま、風呂に入る。昔ながらの風呂だが、1人で足を伸ばせるくらいには大きい。
湯船に浸かる。風呂で疲れを癒しながら一日の出来事を振り返るのが俺のルーティーンだ。今日は…本当にいろいろなことがあった。山に登って、事故に巻き込まれたかと思えば時音が時間を巻き戻して助けてくれて…守り神と時間遡行の関係、そして時音の秘密を知った。改めて、随分と色濃い一日だったと感じる。
思えば、ここ最近は予想だにしないような日々の連続だ。もちろん、探検活動という非日常のおかげでもあるのだろうが、やはり時音の存在は大きいのだと思う。時音は、いつも俺たちに知らない世界を見せてくれる。
ということは…明日時音から聞かされる真実もまた、俺にとっては想像もできない内容なのだろう。恐怖が全く無いわけでは無いが、俺の中で一つ決めていることがある。
どんな内容であっても、俺は時音の存在を受け入れる。


