私が暮らしているのは、中部地方愛知県のとある町。中京圏の中心となっている街から電車で三十分程度の場所に位置しており、県内三位の面積と人口を誇っている。中央には一級河川が流れており、東西を大雑把に二分している。私はこの河川の東側に暮らしている。
 自宅から徒歩五分に最寄り駅がある。そこから、電車、バスと乗り継いで学校へ向かうことになる。中学までは自転車で通学をしており、電車に乗る機会は少なかった。電車で通学することにも緊張した。前もって、交通ICカードの代わりになるアプリをスマホにダウンロードし、一往復分の運賃をチャージしたが、それも滞りなく機能するのか不安だったし、改札を通れなかったときに知らない人達から注目されることを想像しただけでも胃が痛かった。ピッと短い電子音とともに改札は開いた。
 駅は普通電車しか停まらないので、遊びに出掛ける時には特急が停まる隣駅まで車で移動することが多い。それ故に、この駅の利用者は少ないと思い込んでいたが、ホームには大勢人がいた。歩けば人にぶつかり、足を止めれば後ろから人がぶつかる。人でごった返した場所だった。ほとんどが会社員で、私のような学生の姿はなかった。
 計画通りだった。私は学生に会いたくない。同じ学校でも、他校でも。同学年でも他学年でも。学外で制服姿の人間を見るだけで身体が強ばる。学内で生徒に会ってもそうは思わない。校門を潜るまでは、私の中でスイッチがONにならないのだ。誰かに会って突然スイッチを入れることはできないし、OFFの状態を見られることも嫌だった。これは小学校の頃から変わっていない。友人であろうと学外で会うことを嫌い、放課後に誰かと学外で遊ぶことは少なかった。学校の知人との関わりは校内で完結させたかった。学外までそれを持ち込むと、歯止めが効かなくなり、どこまでも関係を続けなければならないような気がした。違う制服を見つけても、自分を律しなければならない気持ちにさせられた。一種の呪いのようなものだった。
 だから、私はいくらか早い時間に登校することにした。この調子ならば、朝のホームルームの一時間前には学校に到着する。学外で生徒に会うことなく登校できるはずだ。どこで出くわすか分からないので、油断は禁物。
 電車はダイヤ通りにやってきて、私を運んだ。バスに乗り換えるために三駅先で降車した。その駅で降りたのは私だけで、入れ替わりに会社員がどっと乗車した。これほどの人数が箱の中に収まるわけがないと決めつけていたが、出発時刻には乗車し終え、電車の扉は閉まった。窓から見えた車内は、人で押し固められた地獄絵図と化していた。会社員は更に電車に揺られて大きな街で降車するのだろうと予想できたが、大勢の人が詰め込まれた空間にいることは、私には我慢ならないだろう。
 構内の案内に従って、バス乗り場に向かう。そこに停まっていたのは赤と白を基調としたカラーリングのバスで、まるで消防車や救急車のような色だった。何度も行き先を確認して乗車する。バスを利用するのはいつ以来だろう。高校の試験当日や説明会は、お母さんの運転する車で向かったので、今日のルートは通っていない。最後にバスに乗車したのは、記憶にないほど前のことのように思う。
 車内は運転手と私の二人だけだった。出発までまだいくらか時間はあったが、他に乗客が来ないことを願った。進行方向右側、後ろから二番目の席に座った。二人掛けの席だが、他に乗客はいないので、私の隣にバッグを置いた。窓は雨で濡れていた。雨の勢いは弱まらず、きっと学校の桜も散っているだろうなと思った。天気予報で「桜が満開になるでしょう」なんて言っていたけれど、この雨が予報に反映されるようになってからは「桜の見頃ですが、雨で早く散りそうです」と物憂げに天気予報士が伝えていた。桜が楽しみだったわけではないが、寂しさがあることも嘘ではなかった。

 実はスクールバスというものが存在している。三月の学校説明会の際に利用者は申し出をするように言われた。自宅から学校までの距離が規定を満たしていることが条件だった。私はその条件に当てはまった。距離の規定、つまり自転車通学が困難な遠方に住んでいることである。私は、始業前から学校の生徒と顔を合わせることも嫌ったし、先輩方と同じ空間に閉じ込められることはもっと嫌った。
「本当に申し込まなくて良いの?」
 お母さんの心配を無碍にするようで申し訳ないが、首を立てに振って、
「申し込まなくていい」
 と断言した。
「市バスで通うから」
 その言葉にお母さんは眉間に皺を寄せた。スクールバスを利用することで料金は取られない。わざわざお金をかけて市営バスで登校する理由が分からなかったのだろう。
「まあ、陽菜子がそこまで言うなら、いいけど」
 納得がいかないながらも、私の意見を尊重してくれた。「だけど」と付け加えて、その費用は誰が工面するのかと問われた。
「私が稼ぐから」
 苦し紛れの答えではなく、前から用意していたものだ。本来なら無料のスクールバスに乗れば良いところを私の勝手で市バスを利用するのだから、その費用は親には頼れない。私を雇ってくれる宛てはある。アルバイト先から突きつけられた条件は「働いてもらうのは五月から。四月は学校に慣れるだけでも大変だろう」ということだけだった。四月、五月はお年玉の残りを使ってバスに乗る。その先はアルバイト代で賄う算段だ。ただ、私が通うことになる高校では、正当な理由が無い限りアルバイトは禁止されている。「人に会いたくないから市バスを使う。その賃金稼ぎ」というのは正当な理由とは到底思えない。明言されているわけではないが、一般的には生活費や学費を稼ぐためというものだろう。のこのこと教師に相談しに行けば、返り討ちに遭うところだった。つまり、許可証のない私はモグリのアルバイターとなる。自宅近所の個人経営の書店なので教師達の巡回も少ない見通しだ。