お昼ご飯は食堂に行って、一人で食べることにした。普段は教室で千尋と寧々と三人で机を合わせて弁当を食べていたが、今日は空気が悪く、三人で食べようと言えるほどに私の心は強くなかった。巾着袋に入った弁当を片手に食堂に向かう。初めての食堂は思っていた以上に賑わっていて、空席を見つけるだけでも一苦労だった。
「由衣はいつもここで食べているのか」
 人がごった返していて、由衣の姿は見えなかったが、今は一人でいたい気分だった。
 食堂には様々な学年の生徒が集まっていた。皆、定食を頼んでいて、弁当を食べている人は少なかった。弁当を広げている人は友人と食事を楽しんでおり、私のように一人で箸をつついている生徒は少なかった。みんな、あっという間にたいらげ、次第に空席が目立つようになる。
「都築さん。隣良い?」
「うん、いいよ」
 隣に座ったのは同じクラスの大槻。細身長身の彼女は長い髪を後ろで一つに束ねている。細い目は鋭い。もしかして、睨んでいるんじゃないだろうな。よく城ヶ崎と一緒にいるところを見かける。話し掛けてきたということは、私の肩に城ヶ崎の手がかかったということか。死刑宣告のようだ。恐怖を感じているはずなのに、諦めが強く、緊張を感じなかった。
「ご飯食べたら、私と一緒に来て欲しいんだけど、いいかな?」
「断れるやつ?」
「ごめん、ちょっと無理かも」
「だよね。行くよ。どこに?」
「多目的室。授業じゃ使ったことはないけど、すぐそこ。分かるでしょ?」
「うん。あそこね。わかった」
 昼休みの特別教室。そこには人気がないことが容易に想像ついた。嫌な予感がする。
「大槻さんはご飯食べたの?」
「食べたよ。弁当」
「そう、早いね」
 会話で気を紛らわそうとしたが、内容が淡泊すぎて、狙いが外れた。
 弁当を食べ終え、巾着袋にしまう。それを片手に大槻と多目的室へ向かった。私が弁当を平らげている間も、多目的室へ向かう間も、私が話し掛けない限り大槻は一切口を開かなかった。食事をしているところを他人に見つめられているのは気分が悪かった。
 大槻は普段から口数が多いほうでは無かった。だけど、城ヶ崎とは仲良さそうに話しているところを見た。気が合うのか、長いものに巻かれているのかは分からない。きっと彼女なりの処世術がそうさせているのだ。
「ねえ、これから袋だたきにあうのかな?」
「それはない。城ヶ崎は手をあげるような真似はしない」
「本当? 私、痛いのは嫌なんだよね」
「誰だってそうでしょ」
「城ヶ崎以外が手をあげるっていうのも無しだよ?」
「……」
 答えてくれなかった。嫌だなぁ、痛いのは。
 実のところを言うと、殴られる心配は一切していなかった。なんせ、まだ昼休みだ。ここで痣でも作れば、授業を抜け出してでも職員室に駆け込めば良い。そんな選択肢を私に与えるほどに間抜けな相手だとは思っていない。
 いよいよ、多目的室に到着する。
「職員室に入るより緊張するんだけど」
 大槻は何も言わなかった。代わりに扉を開け、その向こうにいる人物に話し掛けた。
「連れてきたよ」
 多目的室の中には城ヶ崎と、その取り巻き三人がいた。クラスでは見かけない顔もいた。教卓に腰を下ろしている城ヶ崎は相も変わらず偉そうにふんぞり返っていた。中に入ると大槻が後ろ手に扉を閉めた。カーテンは閉め切っており、光は入ってこない。カーテンの隙間から見える校舎の外も暗い。当然か。今日は雨だ。思えば、この暗さはバスの中に似ていた。それなのに、隣には由衣がいない。目の前に城ヶ崎がいる。なんて最悪な状況なんだ。
「大人しく来てくれて嬉しいよ。都築陽菜子さん」
 甲高く、ねっとりした声が耳にまとわりつく。
「こうして話をするのは初めてだよね?」
 卑しい笑顔がこちらに向けられていた。由衣の冷たげに見えるけれど、優しい笑顔とは正反対で、私には目の前の笑顔は不気味に感じた。由衣のものは偽りのないものだったが、城ヶ崎のものは違う。相手を油断させるための偽りのものだ。
「私、興味の無い人とは話さないのよ。言っている意味は分かる? これまで全くあなたに興味は無かったけれど、今は違う。あなたに興味があるの」
「城ヶ崎さんが興味を持つような人間じゃないと思うけど」
「そうね。あなたにはあまり興味が無い。ただ、高瀬とは仲が良いの? それだけが気になって。素直に答えてもらえると嬉しいのだけれど」
 背筋が凍るとはこのことを言うのだろう。足が棒のように硬く、背中に冷や汗が流れる。困惑する私を見れば答えは明白だった。城ヶ崎が鼻で笑う。
「ああ、イエスでもノーでも、あなたの答えはどっちでもいいの。ごめんね、無駄な質問だった。だって、もう知っているから。あなた、高瀬と一緒に登校しているんでしょ? 雨の日の登下校、バスで一緒にいるところを見たやつがいるのよ。今日もバスから二人仲良く降りてきたって知っているんだから」
 嫌な気配を感じたが、やはり見られていたのか。きっと五月、私達と一緒にバスに乗っていた誰かが城ヶ崎に報告し、それがきっかけで見張られていたのだろう。
「何で由衣のことを嫌うの?」
「あはは、由衣だって。本当に仲が良いのね。……あいつはね、すかしているじゃない? そこが嫌いなんだよね。入学式の日に私を無視もした。嫌うには十分。だからさ、あいつと関わるのはやめなよ」
「……全然理由になってない」
「はぁ、仕方ないな。丁寧に教えてやるよ。ここは学校だよ? そして、私達は子供だ。学校で子供が社会性を学ぼうとしている。それなのに、高瀬は協調性の欠片も見せない。それってどうなの? 協調性のないやつは痛い目をみるって教えてやろうっていうの。親切だろ?」
 社会性? 協調性? どの口が言うのか。
「私が高瀬を嫌っている。そいつと仲良くするってことは、私に嫌われるってこと。私に嫌われていいのなら仲良くすればいいけれど。それって、どういう意味か分かってる? もちろん、あんたにも危害を加え得る。それから高瀬にも。んー、あとはそうだね。早川と榊原とか言ったっけ? あいつらも巻き添いでもいいよ。それでどうかな?」
 千尋と寧々も?
「あの二人は関係ないでしょ」
「あんたと高瀬だけじゃ、自業自得。あんたと仲の良い二人も一緒なら、罪の意識が芽生えるでしょ? 二人に危害が加わるのは嫌だろ? だったら高瀬と関わるのをやめろ。高瀬を見捨てるのか、二人を犠牲にするのか。それだけだ、簡単だろ」
 私は頷くしかなかった。
 教室の前は大槻、後ろは他のクラスの男子。目の前に城ヶ崎と取り巻きが二人。逃げることは叶わない。逃げたところで問題を先延ばし、大事にするだけだ。選択肢が無かった。
「素直でいいじゃん。そうでないとね。約束、だよ」
 私はもう一度頷いた。
 何が約束なものか。一方的な命令でしかない。
「それじゃあ、そういうことだから、仲良くやりましょうね、都築さん」

 授業が終わると、一目散に帰る。打ち合わせしたわけではないけれど、私も由衣もそうしていた。そして、バス停で合流。とは言っても一切会話はない。少し距離を置いてバスを待つ。バスがやってきて、乗車したら「今日も、いつものところでいいよね」なんて由衣が話し掛けてくる。そして、二人が隣同士に座る。それが日常だった。

 今日も授業が終わり、由衣が教室を出て行くところを見送った。千尋と寧々も早々に帰路についていた。遠くで城ヶ崎がニヤけながらこちらを見ている。「分かってるよ。距離を置けばいいんでしょ」と向けられた笑顔に対し、心の中で返事をする。
 教室に居づらく、自習室に逃げ込む。時計はバスの出発時刻を過ぎていた。由衣はもう行ったはずだ。次のバスは三十分後。万が一にも由衣が待っていた場合に備えて、更にもう一本後、一時間後のバスに乗ろう。それまで、時間を潰さなければならない。自習室を利用するのは初めてだ。何人もの生徒が利用しており、ルールを守っていた。静かに過ごすこと。勉強のために利用すること。そのほかにも細則はあったが、主なものはその二つ。皆がそれを守っており、扉の開け閉めの音が大きく聞こえた。
 机にノートを広げるけれど、全く勉強する気にはなれず、ただただ天井を見て過ごした。今頃由衣はどうしているだろう。もう駅に着いて電車に乗っている頃だろうか。
 私がバス停に来なかったことに対して、由衣は何を思うだろう。何も思わずにバスに乗ったのだろうか。寂しいと思ったのだろうか。申し訳ないと思うが、由衣と一緒にいることで彼女や千尋や寧々にも迷惑を掛けてしまう。だから、私が今ここにいることは、仕方の無いことなのだ。私の行いを正当化するために、そう思うようにした。城ヶ崎の手のひらの上で踊らされているなんて思いたくはなかった。