午前中に体育の授業があった。本来ならば、運動場でソフトボールをするカリキュラムになっていた。雨の中でスポーツをするほどスパルタな教育方針ではないので、体育館でバレーボールをすることになった。チームを分けて遊び半分に試合をするのなら楽しいけれど、これはレクリエーションではなく、飽くまで体育の授業である。準備運動をした後、二人組になってトスとレシーブの練習をし、最後の数分で試合をするという。「始めから試合やりたいよ」誰もが面倒臭さを口に出していた。
体育の授業では時折「二人組になって」と言われる。これがくせ者である。私と千尋、寧々の三人をどのようにすれば二人組にできようか。千尋や寧々が他のクラスメイトとペアを組むこともあるが、私がこのグループから抜けて、由衣とペアになることが多かった。
「今日は私が別の子と組むよ」
「また高瀬さんのところにいくの?」
私は良かれと思って一人離れようと思ったが、千尋に呼び止められた。口を尖らせた、その表情は不機嫌な子供そのもので、私が由衣とペアを組むことが不服なのだとすぐに分かった。
「うん。ダメかな?」
「ダメじゃないけどさ。陽菜子って、こういう時に高瀬さんのところへ行くよね」
「ほら、高瀬さんって……いつも一人だからペアを組みやすいっていうか」
「そう、いいけど。行こう、寧々」
いいけど、だってさ。
それなら何故呼び止めたのか。最後まで不服そうだった。「由衣とペアを組みたいから」と言っていれば満足したのだろうか。彼女の不満の根源に何があるのかは私に理解し難かった。千尋よりも足の速かった由衣。そのことを今でも根に持っているのだろうか。それとも他にも気に入らないことがあるのだろうか。考えたところで、私には彼女の気持ちが分からなかった。
「虫の居所が悪いだけだから、気にしないで」
寧々はそう言うと千尋と一緒にボールを取りにいってしまった。寧々は物分かりが良い。察しが良いのだろう。きっと私と由衣の関係について勘づいているのだろう。寧々がどこまで私達の関係を知っているのかは分からないけれど、無闇に踏み込まず、千尋のフォローをしてくれるので助かっている。
「由衣、ペア組もう」
「いいの? 早川さんたちは?」
「大丈夫。私達、三人だから、誰かが別の人と組まなきゃいけないし」
「そう。それならいいけど」
ボールを籠から取り出して、ポン、ポンとトスの練習をする。由衣はバレーボールも上手で、ミスをするのは私だった。二十分ほど練習をして、残りの時間で試合をした。チームは体育教師が適当に決め、生徒はそれに従った。全員が一度にコートに入るわけではなく、適宜交代をしながらゲームを進めた。
コートの外にいると、千尋が寄ってきた。
「陽菜子ってさ、高瀬さんと仲はいいの? さっきも楽しそうに話していたけど」
「そう? そういうつもりはないけど」
惚けるが、千尋は先ほどと同じように膨れっ面だった。私の嘘をお見通しだと言いたげに、目を細める。
「仲、いいんじゃないの?」
「何で?」
同じ質問を繰り返すことは、それは彼女からすれば確信していることがあるのだ。私が逃げようとする先に通せんぼをして、求める答えに誘い込もうとしている粘着さを感じた。答えを持っているのに、それを私から聞き出さないと千尋は満足をしない。
「そう見えた。他の皆は高瀬さんと関わることを嫌がっているのに、陽菜子はそうじゃない。自分からペアを組みに行っているし、楽しそうにしていたよ」
「だから、そんなことないって言っているでしょ。それに、私が誰と仲良くしようが、千尋には関係ないでしょ」
繰り返される問答と、自分の爪の甘さに苛立って、強い口調になってしまった。口に出してから後悔した。
「ごめん」
謝るが、遅かった。一度出てしまった言葉は取り返しが付かず、千尋の表情はみるみる内に軽蔑と侮蔑の入り混ざった醜悪なものへと変わっていった。
「ああ、いいよ。そうだね、私には関係のないことだものね。だけど、これは親切で言ってあげる。あの子に関わっても碌なことはないよ。陽菜子も同じように孤立させられるだけ。今のうちに、仲良くするのはやめた方が良いよ」
「それって、城ヶ崎を怖がっているの?」
「……そうだよ。その通り。私はあいつが怖い。あいつの周りには何故か人が集まっている。どれもまともなやつではないけれど、高校生活において数の暴力に勝るものはない。分かるでしょ」
この、学校という閉鎖的な環境下で教室は私達の世界の全てだと言っても過言ではない。一週間のうち大半は登校をし、一日のほとんどの時間を過ごす場所。学外のコミュニティに属している人は少ない。だからこそ、教室という空間が持つ重大さは計り知れない。たった三十数名の教室。その多くが城ヶ崎の支配下にあるとする。学校生活を円滑に過ごすためには城ヶ崎に目を付けられないことが一番大切なのである。それを皆が感じ取っている。だからこそ、由衣は今でも一人で、私のように彼女に近づく者は異端だった。
「高瀬さんは他人に興味がないんだ。話し掛けてもそっけない返事ばかりで。そんな態度だから城ヶ崎にも目を付けられる。このままでは陽菜子も巻き添いを食うことになるよ」
由衣が他人に興味が無い? そんなことはない。これまでに彼女は私の話を沢山聞いてくれた。もっと話したいと言った駅のホームでも、アルバイトの話をしたバスの中も。彼女はいつだって興味を示してくれた。由衣は不器用で、自分を貫くことしか知らない。それに気が付いていないのは、みんなの方じゃないか。
「もっとちゃんと由衣と話せば分かる。みんな話もしていないのに勝手なことばっかり言って。なんで……」
人の気持ちを分かろうとしないの。
「やっぱり仲がいいんじゃん。由衣だってさ」
しまった。カッとなってボロが出ていることにも気が付かなかった。
「まあ、いいけど。勝手にしなよ。ただ、私達は巻き添いになるのは嫌だよ」
それっきり、千尋は私と口をきかなかった。
何を言っても無視される。「あっそう」と躱されるだけだった。千尋からしてみれば、すでに私は由衣の仲間で、城ヶ崎の標的だった。
そんな私達を見ていても寧々はいつもと変わらず冷静だった。
「千尋ちゃんは私が宥めておくから、陽菜子ちゃんは高瀬さんを大切にしてあげて」
「うん。ありがとう。寧々は千尋や城ヶ崎みたいに、由衣と仲良くしないほうが良いって思わないの?」
「思わないよ。私も中学の時に高瀬さんとは仲良くしようと試みたんだけど。上手くいかなくて。それっきり。だから、陽菜子ちゃんは高瀬さんを一人にしないであげて。高瀬さんも一人は寂しいって本当は思っているだろうから」
寧々は由衣と同じ中学に通っていた。深い付き合いでなくとも、長い付き合いではあったから、彼女に対して理解があったのだろうか。「大切にしてあげて」か。そうだね。寧々、ありがとう。きっと千尋もいつか分かってくれる。楽観的かもしれない。だけど、そう思うことでしか、私の心を保てなかった。友人に見放された悲しみと由衣を悪く言われた怒り、由衣を守りたい気持ちが溢れそうになり、どの気持ちが主導権を握っているのか分からなくなる。このぐちゃぐちゃになった心を壊さずにいるためには、信じるしかなかった。
体育の授業では時折「二人組になって」と言われる。これがくせ者である。私と千尋、寧々の三人をどのようにすれば二人組にできようか。千尋や寧々が他のクラスメイトとペアを組むこともあるが、私がこのグループから抜けて、由衣とペアになることが多かった。
「今日は私が別の子と組むよ」
「また高瀬さんのところにいくの?」
私は良かれと思って一人離れようと思ったが、千尋に呼び止められた。口を尖らせた、その表情は不機嫌な子供そのもので、私が由衣とペアを組むことが不服なのだとすぐに分かった。
「うん。ダメかな?」
「ダメじゃないけどさ。陽菜子って、こういう時に高瀬さんのところへ行くよね」
「ほら、高瀬さんって……いつも一人だからペアを組みやすいっていうか」
「そう、いいけど。行こう、寧々」
いいけど、だってさ。
それなら何故呼び止めたのか。最後まで不服そうだった。「由衣とペアを組みたいから」と言っていれば満足したのだろうか。彼女の不満の根源に何があるのかは私に理解し難かった。千尋よりも足の速かった由衣。そのことを今でも根に持っているのだろうか。それとも他にも気に入らないことがあるのだろうか。考えたところで、私には彼女の気持ちが分からなかった。
「虫の居所が悪いだけだから、気にしないで」
寧々はそう言うと千尋と一緒にボールを取りにいってしまった。寧々は物分かりが良い。察しが良いのだろう。きっと私と由衣の関係について勘づいているのだろう。寧々がどこまで私達の関係を知っているのかは分からないけれど、無闇に踏み込まず、千尋のフォローをしてくれるので助かっている。
「由衣、ペア組もう」
「いいの? 早川さんたちは?」
「大丈夫。私達、三人だから、誰かが別の人と組まなきゃいけないし」
「そう。それならいいけど」
ボールを籠から取り出して、ポン、ポンとトスの練習をする。由衣はバレーボールも上手で、ミスをするのは私だった。二十分ほど練習をして、残りの時間で試合をした。チームは体育教師が適当に決め、生徒はそれに従った。全員が一度にコートに入るわけではなく、適宜交代をしながらゲームを進めた。
コートの外にいると、千尋が寄ってきた。
「陽菜子ってさ、高瀬さんと仲はいいの? さっきも楽しそうに話していたけど」
「そう? そういうつもりはないけど」
惚けるが、千尋は先ほどと同じように膨れっ面だった。私の嘘をお見通しだと言いたげに、目を細める。
「仲、いいんじゃないの?」
「何で?」
同じ質問を繰り返すことは、それは彼女からすれば確信していることがあるのだ。私が逃げようとする先に通せんぼをして、求める答えに誘い込もうとしている粘着さを感じた。答えを持っているのに、それを私から聞き出さないと千尋は満足をしない。
「そう見えた。他の皆は高瀬さんと関わることを嫌がっているのに、陽菜子はそうじゃない。自分からペアを組みに行っているし、楽しそうにしていたよ」
「だから、そんなことないって言っているでしょ。それに、私が誰と仲良くしようが、千尋には関係ないでしょ」
繰り返される問答と、自分の爪の甘さに苛立って、強い口調になってしまった。口に出してから後悔した。
「ごめん」
謝るが、遅かった。一度出てしまった言葉は取り返しが付かず、千尋の表情はみるみる内に軽蔑と侮蔑の入り混ざった醜悪なものへと変わっていった。
「ああ、いいよ。そうだね、私には関係のないことだものね。だけど、これは親切で言ってあげる。あの子に関わっても碌なことはないよ。陽菜子も同じように孤立させられるだけ。今のうちに、仲良くするのはやめた方が良いよ」
「それって、城ヶ崎を怖がっているの?」
「……そうだよ。その通り。私はあいつが怖い。あいつの周りには何故か人が集まっている。どれもまともなやつではないけれど、高校生活において数の暴力に勝るものはない。分かるでしょ」
この、学校という閉鎖的な環境下で教室は私達の世界の全てだと言っても過言ではない。一週間のうち大半は登校をし、一日のほとんどの時間を過ごす場所。学外のコミュニティに属している人は少ない。だからこそ、教室という空間が持つ重大さは計り知れない。たった三十数名の教室。その多くが城ヶ崎の支配下にあるとする。学校生活を円滑に過ごすためには城ヶ崎に目を付けられないことが一番大切なのである。それを皆が感じ取っている。だからこそ、由衣は今でも一人で、私のように彼女に近づく者は異端だった。
「高瀬さんは他人に興味がないんだ。話し掛けてもそっけない返事ばかりで。そんな態度だから城ヶ崎にも目を付けられる。このままでは陽菜子も巻き添いを食うことになるよ」
由衣が他人に興味が無い? そんなことはない。これまでに彼女は私の話を沢山聞いてくれた。もっと話したいと言った駅のホームでも、アルバイトの話をしたバスの中も。彼女はいつだって興味を示してくれた。由衣は不器用で、自分を貫くことしか知らない。それに気が付いていないのは、みんなの方じゃないか。
「もっとちゃんと由衣と話せば分かる。みんな話もしていないのに勝手なことばっかり言って。なんで……」
人の気持ちを分かろうとしないの。
「やっぱり仲がいいんじゃん。由衣だってさ」
しまった。カッとなってボロが出ていることにも気が付かなかった。
「まあ、いいけど。勝手にしなよ。ただ、私達は巻き添いになるのは嫌だよ」
それっきり、千尋は私と口をきかなかった。
何を言っても無視される。「あっそう」と躱されるだけだった。千尋からしてみれば、すでに私は由衣の仲間で、城ヶ崎の標的だった。
そんな私達を見ていても寧々はいつもと変わらず冷静だった。
「千尋ちゃんは私が宥めておくから、陽菜子ちゃんは高瀬さんを大切にしてあげて」
「うん。ありがとう。寧々は千尋や城ヶ崎みたいに、由衣と仲良くしないほうが良いって思わないの?」
「思わないよ。私も中学の時に高瀬さんとは仲良くしようと試みたんだけど。上手くいかなくて。それっきり。だから、陽菜子ちゃんは高瀬さんを一人にしないであげて。高瀬さんも一人は寂しいって本当は思っているだろうから」
寧々は由衣と同じ中学に通っていた。深い付き合いでなくとも、長い付き合いではあったから、彼女に対して理解があったのだろうか。「大切にしてあげて」か。そうだね。寧々、ありがとう。きっと千尋もいつか分かってくれる。楽観的かもしれない。だけど、そう思うことでしか、私の心を保てなかった。友人に見放された悲しみと由衣を悪く言われた怒り、由衣を守りたい気持ちが溢れそうになり、どの気持ちが主導権を握っているのか分からなくなる。このぐちゃぐちゃになった心を壊さずにいるためには、信じるしかなかった。
