一ヶ月の夏、僕らは思い出を見る

 毎年来る夏、この時期は嫌いだ。昔亡くした幼馴染の姿が一番鮮明に浮かんでしまうから。
 夏休み、誰かと遊ぶわけでもなく、家で何もない日々が過ぎていくのを待っているだけ。やることがないから外を眺めているとたまに降る雨に身を任せてどこかにふらふらといきたくなるようなそんな夏だ。
 毎年、家で待っていたらどれだけ暑くても、どれだけ大雨でも幼馴染がニコニコしながら遊びに来ていた。それが嬉しくて、楽しかった。
 今年は静かだ。もしあの時自分が周りを見ていたら、その一つの簡単なことができていたら隣に幼馴染がいたという後悔と、青春やまだまだ先の長かった人生を奪ってしまった罪悪感に苛まれて何かに縋りたくなる。
 
 人生は正解か不正解かの二択を常に選んでいくものだと思う。墓参りを終え、学校に来てみたがもちろん誰もいなかった。わからない何かを求めて彷徨う毎日の中のワンピース。これは不正解なのだと痛感する。
 正解があるということはもちろんもう一方は不正解。今までなら軽くみていたが、身近に死を感じて理解した。
 普段なら気にならない不正解も、今は呪いのように蓄積する。もう限界だったのだろう。幼馴染がいないこの世界は。
 身も心もが死にたいと叫んでいる。これが正解だと思い込むしかなかった。
 正解を見つける気力も、生きようと思えた自分ももうなかった。風に身を任せてあとは終わらせるだけだった。
 だからなのか。普段なら絶対に疑問を持つ言葉に、その彼女の一言についていってしまった。正解か不正解かなんて、どうでもよかった。とにかく、なんでもいいからどうにかなって欲しかった。

 「この夏を全部、私に預けてくれませんか」