「ねえ、ななこちゃん。隣のクラスの橋本くんがカンニングしたって、聞いた?」
お弁当のたまご焼きをお箸でふたつに割りながら、すうちゃんがそう言った。すうちゃんはたまご焼きの一欠片を口に含み、咀嚼する。
すうちゃん、こと、石井すずのは、普段から移動教室やお昼休みを共に過ごす、仲の良い友人である。
そんな彼女の口から放たれた、カンニング、の言葉はなんだか不穏だったけれど、急に舞い込んできたゴシップには興味がある。なぜならわたしも、一般的な女子高生同様、誰かの噂話を嗜好としているからだ。
「カンニングって、何のテストで?」
「この前の模試らしいよ」
「模試でカンニングとか、何の意味あるの? 自分の力にならないじゃん」
共通テストまであと98日! と黒板の隅っこに書かれた誰かの文字がふいに視界に入る。
こんな時期にカンニングをして、なんの意味があるのだろう。本番にカンニングをするならまだしも、模試でそれをしたところで本番の点数が上がるわけでもないだろうに。まったくもって無意味である。
あほくさ、と言って、隣のクラスの橋本をこき下ろそうとしたとき、すうちゃんが言った。
「……でも、したくなる気持ち、ちょっとわかるなあ」
「は、なんで」
「だってー。模試の判定がひとつ上がるだけで、なんかこう、気持ちが楽になる気がする」
「そういうもん?」
「うん、私は、そうかも」
「それが偽りでも、無意味でもいいの?」
「んー、まあ言ってしまえば、本番の点数以外は全部無意味だけど。でも、ちょっとでも模試の判定が上がれば、たぶん偽りでも嬉しくなっちゃうかも。そういう気持ちなら、うっすら理解できちゃうんだよねー」
べつにしないけどー、と言いながら、すうちゃんは最後のたまご焼きを口に含んで、お弁当の蓋を閉めた。
わかるようで、わからないような。
本番の点数以外は無意味、というすうちゃんの言葉を頭のなかで反芻する。たしかにそうだし、カンニングで上げた判定が精神の安定につながる、という歪んだ論理も理解できなくはないけれど、それでもやっぱり、おかしいよな、と思う。
ひとくちだけお茶を飲んで、お弁当を仕舞った。
「ななこちゃんは、あたま良くてうらやましいなー。私にも分けてほしい」
「……そうかな」
「だって、T大狙ってるんでしょ? 私にはむりだもん」
すうちゃんは、すこしだけ思い詰めたような顔をしながら、曖昧に笑う。
数ヶ月後には大学入試共通テストが控えている。きっとふたりとも、余裕はない。
地元では一番偏差値が高いものの、全国的な水準における進学校には到底なり得ない、いわゆる自称進学校という言葉がある。そんな言葉が、この高校の特徴を端的に示していた。
受験は団体戦だとか、3年生0学期だとかいう訳のわからない単語に教師が洗脳されている。某通信教育企業の外部講師がやってきて謎の講義を聴かせられる。やけに国公立大学への進学にこだわり、旧帝大進学者が出た暁にはそれを学校教育のおかげだと言い張る。うちの高校はそんな、絵に描いたようなべたべたの自称進学校だ。
そういういびつさには反発しているものの、それをどうにかできるほどの技量をもたないわたしたちは、居心地の悪い環境に身を置いて、受験という終わりの見えない長距離走を、息切れしないように走っている。
とはいえ、いつの間にかもう環境のせいにもしていられなくなってきた今日この頃。口に出す言葉も愚痴もなにもかもが、受験とか、将来とか、そういった不安定な2文字に支配されていた。
すうちゃんは地方国立大を、わたしは旧帝大への進学を目指している。お互いに経済的な余裕はないから、できれば国立に行きたい。だから、普段の定期テストや模試の成績に応じて、たぶんふたりとも、ちょっと背伸びした志望校を掲げてはいる。
だけど模試の結果はいつだってEとかDとか、そういった不穏な記号ばかりだった。現役生は最後に伸びるから、なんて言葉を信用していいのか、もはやわからなくなっている。
だけど、すうちゃんから向けられる憧れの眼差しは、ほんのすこしだけ、気持ちよかった。
わたしが旧帝大を目指しているから。すうちゃんの成績がわたしの成績よりもいつもほんのちょっとだけ低いから。すうちゃんがわたしを褒めてくれるから。だからわたしはほんの少しだけ、生きやすかった。
最低だ、とは思うけれど、自己肯定感の保守において、わたしはすうちゃんを手放すことができそうにない。だからといって別に、すうちゃんが嫌いなわけではないのだけれど。
「すうちゃん。つぎ、自習だっけ?」
「うん、日本史の先生がお休みだから」
「ラッキー。ほんと、授業ぜんぶ自習だったらいいのに」
「言えてる」
そこまで会話をしたところで、予鈴が鳴った。すうちゃんが自分の席に戻っていく。
先生すら教室に来ない自習の時間はそれなりに捗るかと思っていたけれど、昼休みのテンションのまま、授業時間になってからも喋り続けている男女グループがすこしばかりうるさくて、先生がいないことをいいことに、わたしはワイヤレスイヤホンを着けた。
肩まで伸びるセミロングヘアのおかげで、パッと見ではイヤホンをつけているかどうかわからないし。ていうかそもそも自習時間に喋る人が悪いし。なんて、自分に言い訳をしながら、イヤホンを装着して過去問演習をすこし進めた。解説を読んで、わかったふりになり、細かい計算は飛ばしながら要点だけをノートにまとめ、もう少し効率的にできる方法はないのかしら、とか思っては、なんだか少し不安になった。
イヤホンからはバンドマンが軽快に恋を歌っているのが聴こえる。気分じゃないなあ、と思いながらも曲をスキップする作業すらも面倒で、聴きたくもない曲を聴いて、たまにイヤホンを突き抜けて聞こえてくる陽キャ男女の笑い声をBGMにしていた。
◇
5限目の自習が終わり、そのまま6限目の現代文の授業を受ける。この教科は受験にあまり関係がないので、軽く流した。放課後になる。
放課後の時間は平等である。だが、その時間をどこでどう過ごすかは、生徒に一任されている。家で勉強する派、塾で勉強する派、学校の自習室などで勉強する派など、そこにはさまざまな派閥が存在する。わたしは学校の自習室で居残りをする派ではあるけれど、日によっては家に帰ることもある。わたしの勉強スタイルはそこそこぐらついていた。
だが、今日はそれよりも、大きなことが起きた。
「ななこちゃん、私、もうやだ、あのひとたち、むりだ」
放課後の教室の端っこで、すうちゃんが泣き出した。
教室には、いつも目立たない地味な男子と、害のなさそうな女子が数名いるだけだった。すうちゃんは窓際で、教室の中には背を向けるようにしながら、しずかに両目からぼろぼろと涙を流している。
すうちゃんの言う、あのひとたち、に心当たりがないと言えば嘘になるが、確証もない。わたしはすうちゃんの隣で、相槌を打った。
「あのひとたちって?」
「……5時間目の自習のとき、百合ちゃんたちのグループがずっと喋ってたの、覚えてる?」
思い出した。
日本史の授業が自習になったとき、ずっと喋っているグループがあった。イヤホン越しに彼女たちの笑い声が確かに聴こえた。たしかに、騒がしかったかもしれない。
「あー、うん。喋ってたかも」
「だよね!? うるさくなかった?」
「イヤホンしてたから、あんまり気にしてなかったけど……でも、すうちゃん、百合ちゃんたちと席近いよね?」
「そうなの。私、静かなところじゃないとダメなタイプで。もうずっと耳に入ってきて、やらなきゃいけないことができなくて、集中できない自分にも、ひとの気持ちがわからない百合ちゃんも嫌で。でもさあ、そんなこと、百合ちゃんに直接言えるわけないじゃん」
すうちゃんの口から、ぽろぽろと呪詛がこぼれ落ちてくる。目に涙を溜めながら、必死にそう零すすうちゃんに対して、心の中でそっと、「べつにそんなの気にしなければいいのに」なんて、つめたい言葉を放つわたしの方が、たぶんよっぽど性悪だ。
「百合ちゃん、総合型で大学決まってるから、そういうとこ鈍いよね」
まじでひとの気持ちわからないんだと思う、とまで言ってあげると、すうちゃんは安心したような顔をした。
百合ちゃんは、教室の真ん中で、ひときわ大きな声で笑うグループの、さらにその真ん中にいるタイプの人種だ。つやつやの肌には、先生に咎められない程度の化粧を施していて、ロングヘアの毛先には、くるんと可愛らしいカールがついている。ぱっとひらいた、視力の良さそうな瞳には威圧感がある。そして彼女は、その眼光のイメージ通りの振る舞いをするひとだから、わたしはほんのすこし、百合ちゃんが苦手だった。
そんな百合ちゃんは、すでに総合型選抜で、東京にある私立大学への進学が決まっている。一般受験をしなくても将来が決まっていて、余裕のある百合ちゃんが羨ましい反面、わたしはほんのすこしだけ、百合ちゃんのことも見下している。
もし、わたしがT大に受かれば。そうしたら、百合ちゃんよりもよい大学に行ける。
より有名な大学に。より偏差値の高い大学に。そういう風潮は確かにあるし、わたしだってそんな風潮に毒されている。みんなだって、そういうことを考えている。この教室では、国公立に行くこと、そして有名な大学にいくことが正しいとされている。
なのに百合ちゃんはその真逆をいく。推薦で私立大学への入学を決めて、毎日楽しそうに笑っている。わたしはなぜか、それが憎いと思うと同時に、ほんのすこし妬ましくて、そしてまた、彼女を見下していた。わたしはそんな曖昧な精神状態を抱えながら、平気なふりをして生きている。
「ななこちゃんは、強いよね」
すうちゃんが、ポケットティッシュで瞳に溜まった涙を拭いながら言った。
「わたしが?」
「うん。百合ちゃんたちがうるさくても、ちゃんと自衛できるし、いつでも飄々としてて、きちんと成績もいいし。すごいなって、思う」
純度100%の善意であることはすぐにわかった。すうちゃんは、わたしのことが大好きだから。
わたしとすうちゃんは、クラスカーストでいうと真ん中よりもすこし上くらいの立ち位置にいる。スカートを短くしてもべつに陰口を叩かれることもないし、化粧だって、すこしはしてる。学年には世間話ができる程度の友人がそこそこいる。彼氏が途切れないというほどじゃないけれど、それなりに恋愛だってしてきた。
それでも、わたしたちが完璧に対等というわけではなかった。どちらかといえばすうちゃんよりもわたしの方が世渡りもうまいし、成績だって、運動神経だって、すべてにおいてわたしの方がほんのすこしだけ、すうちゃんよりも得意だった。すうちゃんはそんなわたしを慕ってくれて、いつもお昼休みになるとわたしの席に来るし、いつもわたしの意見を優先してくれる。そんなところに、わたしはいつも、ゆがんだ優越感を抱いているのだ。
もちろん、今だって。
「すうちゃんは絶対大丈夫だからね。絶対受かって、百合ちゃんのこと見返そうよ」
なんて、口先では言っているけれど、正直すうちゃんの進路なんて、どうでも良かった。
◇
共通テストまであと◯日! の数字が徐々にすり減っていくと同時に、わたしは根拠のない自信と現実の間にある乖離に悩まされ続けた。
いつまで経っても上がらない判定に、いつまで経っても解けない問題に苛立った。解説を何度ノートに書き写しても自分の力で考えられるようにはならなかった。けれど自分の実力不足に見ないふりをしたくて、わたしはずっと、T大を目指している自分に酔いながら、なんとか自尊心を保っていた。
きっと、それが良くなかった。
わたしはプライドばかりが高かった。他人に対して見せる強がりばかりがじょうずで、中身はずっと空っぽだった。本当は数列の漸化式があまりよくわかっていないのに、関係代名詞と関係副詞の使い分けですらも曖昧なのに、英語長文なんて雰囲気で解いているからいつも共テ模試で6割くらいしかとれないのに、苦手な科目から逃げて得意な科目ばかりを勉強して、逃げていた。
……だから、わたしは失敗したのだ。
「共通テストまで−2日」と黒板の隅に書かれている。誰かの悪ふざけだ。0日が過ぎてマイナス。ばかみたい。
うちの高校では、共通テストの自己採点を、わざわざ学校ですることになっている。そのまま得点表を先生に提出して、その後の三者面談で役に立てるのだそう。
ひどい有様だった。
急に泣き崩れる女子。珍しくふざけていない野球部の男子。いつもより静かな教室。机に突っ伏す男子。静かに拳を握る委員長。
誰にも興味なさそうな百合ちゃん。
……そして、表情の読めないすうちゃん。
わたしは、たぶん落ち着いていた。顔には出さなかった。何度計算してもスマホの電卓に表示される得点率、0.683の数字が他人事のように思えた。
T大受験で推奨される得点率は8割。わたしの点数は、7割にすら満たなかった。
これじゃあ、きっとT大には行けないだろう。二次の足切りに引っかかって、そもそも二次試験の会場に行けないことだって、ありうる。ていうか、この点数で、受かるわけない。
そんな予感だけが本物だった。
心にはぽっかり穴が空いたような気分だった。これは、共テの点数が足りなかったことに対する絶望とは多分違っていて、どちらかといえば、ずっと見ないふりをしていた現実を見た、みたいな。そういう、虚構を実感で穴埋めをするみたいな、自分の身体が自分の身体じゃない感じがした。
簡単に言えば、失敗した。
誰に諭されなくてもその理由はもう痛いほどにわかっていた。基礎ができていなかった。基礎ができていないのに、難しいことばかりをやろうとして、色々な参考書に手を出して、難関大を目指している自分に酔っていた。ほら、わかってる。わかってるから、大丈夫。
だけど、足がすこし震えていた。
◇
「ななこちゃん、駅まで一緒、いこ」
自己採点のその日の放課後、珍しく休み時間の間もわたしのところに来なかったすうちゃんが、真っ先にこちらにやってきた。
わたしはまだ、すうちゃんの点数を知らない。うまくいったのかどうかも知らない。
わたしの頼みの綱はすうちゃんだけだった。すうちゃんも点数が低ければ、今年の共テは難しかったのかも、とか、なんとでも言い訳ができる。だから、わたしはすうちゃんが失敗していることを願っていた。
学校を出て、駅まで舗装されたアスファルトの道を歩いているとき、すうちゃんが言った。
「ななこちゃん、共テ、どうだった」
「……あんまり、良くなかった」
「あ。……そっか」
すうちゃんの返事は歯切れがわるい。すうちゃんはわたしをどう思っているんだろう。そしてすうちゃんは、いつだってわたしよりほんの少しだけ後ろにいるすうちゃんは、きちんと期待通り、わたしよりも下にいてくれるのだろうか。
「すうちゃんは?」
できるだけすうちゃんを見ないようにしながら、躊躇いがちに探りを入れた。
だが、すうちゃんはわたしの期待を裏切った。
「あの、なんかね。8割超えたんだよね」
あたまが真っ白になった。
「え、共テ?」
「……うん。共テ」
いつだってすうちゃんは、わたしよりも下だった。
……だけど、すうちゃんは正しく努力をしてたんだ。
わからない問題があれば、すうちゃんはいつもわたしに聞きにきた。わたしがあまり理解できていない青チャートや過去問を回している間、すうちゃんは教科書の例題を何度も何度も解いていた。わたしは当時、教科書なんか回したって意味ないじゃん、と思っていたけれど、きっと、そうやって、わたしが固められなかった基礎を固めていたんだ。だから、その努力が花開いて。すうちゃんは。すうちゃんは。
「ななこちゃん。もしかしたら私も、T大受けるかも」
……嫌だ。
私もT大受けるかも、って何? わたしがT大を受ける前提でいるということ? わたしは共テで7割にすら届かなかったのに?
仮に、すうちゃんと一緒にT大に出願したら。それでわたしが足切りで不合格になったら。受験できたとしても、わたしだけが落ちたら。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
やめてよ、すうちゃん。ずっとわたしの下でいて。行かないで。教室の隅で泣いてるすうちゃんでいて。
なんて、自分自身の不安を誤魔化すように、すうちゃんに吐き捨てた。
「……すうちゃんって、ちょっと、鈍くない?」
「え、?」
「わたしが失敗したって言ってんのに、自分は8割超えたとか言って、どうしたいの?」
重くなる足取りの中、すうちゃんの顔を見たくなくて、ずっと側溝の線をたどっていた。
「……ごめんね」
すうちゃんが震えた声で言う。
足りない。こんなんじゃ、足りない。
止まらない。なぜか、止まらない。
「すうちゃんって、いつもそうだったよね。わたしにわからない問題聞いて、時間ばっかり奪ってきて、さんざん利用するだけ利用して、自分ばっかり成功して」
「ななこちゃ、」
「わたし、共テ7割もいかなかったの。T大なんか出願すらできない。だけどそれを言いたくなかったからこうやって濁したのに、なんですうちゃんはその壁を勝手にすり抜けて癪に障ることばっかり言うの? 自己中だと思わない?」
違う、違うんだよ。
わたしが、ただ自分の失敗をすうちゃんのせいにして、楽になりたいだけなの。下に見てたすうちゃんが成功したのが気に食わないだけなの。
ほんとうは、わたしが醜いのに。
「ずっと迷惑だった。自習したいのに、百合ちゃんのときみたいに泣かれたら、嫌でも一緒にいなきゃいけなくなるし、すうちゃんに褒められるたびにそれがプレッシャーになったの。そうやって、わたしのこと落として、見下して楽しかった? すうちゃん、わたしの友達なのにそんなことすら察してくれないの?」
最低だ。すうちゃんを見下して利用してたのは、わたしだったのに。
「……ななこちゃん、ごめっ、ごめんね、わた、わたし、そんなつもりじゃ、でも、ごめんなさい、ほんとにっ、ごめ、」
急に細切れになった言葉に、はじめて顔を上げると、すうちゃんが泣いていた。
百合ちゃんのときよりも、切迫した顔をしていて、前みたいに瞳に涙を溜めるような泣き方じゃなくて、もう堪えきれずにずっと頬を濡らしてるみたいな、そんな泣き方だった。
——やってしまった、と思った。
「え、まって、すうちゃん、」
「ごめん、ごめんね、っひ、ごめんなさい、ななこちゃん、私のせい、私のせいだから、っ」
「ち、違うの。すうちゃん、違うって」
伸ばした手を、弱々しい手で振り払われた。
「ごめん、もう、多分私、何してもななこちゃんに迷惑かけるから、もう、へいき、ほんと、泣いてごめんなさい、ごめんね、迷惑かけたくないの、わたし、ほんとにななこちゃんのこと、尊敬してたから、ごめんなさい、」
立ち止まって、ばかみたいに謝罪を繰り返すすうちゃんを見ていると、なぜか泣きたくなってしまった。だけどすうちゃんよりも優位に立ちたかったわたしは、すうちゃんに背を向けた。
なんで、こんなわたしのこと好きだったの。おかしいじゃん。わたし、ずっとすうちゃんのことを見下していたのに。
わたしはすうちゃんを置いて逃げた。
◇
わたしとすうちゃんの仲違いは、たぶん、誰の目にも止まっていなかった。
みんな、じぶんのことで精一杯だったのだ。共テが終わって志望校を変えたり、国立二次試験の対策をしたり。そもそも共テ後は自由登校になる。わたしとすうちゃんが行動を共にしなくても、誰も気にしていなかった。
それが楽でもあって、だけどどうしようもなくしんどかった。
わたしは国公立の受験をとりやめて、滑り止めですでに合格していた私大に進学することにした。
わたしは自分が惨めだった。滑り止めに進学してしまったこともそうだけど、なにより、すうちゃんに八つ当たりをした自分が、日に日に嫌いになっていった。
季節は順当に進んでいく。
3月1日には制服の左胸に花を挿した。
その数日後には国立前期組の合格発表が続いた。SNSでは同級生のひとたちの合否情報が流れてきて、見たくないのに見てしまって、字面のきらめきに頭が痛くなった。
わたしは受験期に我慢していた漫画やゲームに没頭することで、何かを誤魔化した。
すうちゃんは志望校を上げて、T大を受験した。
合格したことも、聞いていた。
すうちゃんに謝りたい、けれど、今更謝って何になるのだろう。わたしはすうちゃんに謝る事で、自分が楽になりたいだけかもしれない。
すうちゃんからの連絡はない。
当たり前だ。わたしがすうちゃんを突き放したのだから。
だけど。たった一度でいいから、すうちゃんと話せたら。
ただしく努力をしたすうちゃんを認められなくてごめんなさい、と、ただそんなことを伝えて、じぶんの気持ち悪いところを思い切り軽蔑してもらいたい。けれどこれはわたしのエゴだ。すうちゃんはそれを望んでいないかもしれないのに。
そんなことを考えながら、時間だけが過ぎた。
そんな夜。
一件のメッセージがスマホを震わせた。
〈すうちゃん、明日引っ越すらしい〉
共通の友人からだった。
〈すうちゃんに連絡してあげて〉
〈すうちゃんがななこのこと気にしてる〉
わたしはすうちゃんに甘えてる。
自分を否定しないすうちゃんに甘えて、すうちゃんを見下して、それでも自分をきらいにならないすうちゃんを支配した気分になっていた。
だけど強いのはわたしじゃなくてすうちゃんだった。教室の隅で泣いて、不安になって、だけどそんな負の感情と戦って、乗り越えたすうちゃんは、だれよりも強かった。
それなのにわたしは。すうちゃんに連絡しないままで、ずっと逃げている。やりたくない基礎固めから逃げて、自分の弱いところから逃げて、国立受験からも逃げて、すうちゃんからも、逃げている。
もう、逃げたくない。
発信ボタンを押した。



