俺を好きだと言ってくれ

「えっと、絵の具はこう、ここで水に溶いて、……で、こうしてこう」
 教える、とは、と脳内検索をする。
 俺が持ってきた小学生の時から使っているパレットに絵の具を出し、大きい四角い部分に水を垂らしそこで絵の具をちょんちょんしてぐるぐる溶く。白雪くんの動きは迷いが無いが、俺には何故そうしているのかがさっぱりだ。
 絵の具の水って、水入れでばしゃばしゃやるんじゃないんだ。パレットのそこってそう使うんだ。俺はかつて、そこで絵の具を大量に出して贅沢に使用した記憶がある。
 紙にささっと塗っているが、何が出来上がるのか全然予想ができない。先に黄色で塗って余白を作ったところに今度は薄めた赤を入れる。
「水彩は混色が楽しいのと、水の量でだいぶ色が変わってくるから……」
 ローテーブルに並んで座って、先に白雪くんがお手本で描いてくれているのを俺が見ている状況なのだが、逆のが良かったかもしれない。俺が描いて、横から口を出してもらうってやつ。
 黙って白雪くんの筆さばきを見ていると、見る見るうちにゴールデンレトリバーが完成していく。なぜあれからこうなるんだ。生命の神秘。
「レオくん!」
「うん」
 柔らかい色で出来上がったレオくんに喜ぶも、正直理解が追いつかない。なんでその色とその色でこうなった? とか自分でやってもこうはならんだろ、みたいな気持ちでいっぱいだ。
 スケッチブックと絵の具たちを受け取り、次は俺の番だ。白雪くんがスマホでリンゴの画像を出して、これ描こうかとテーブルに置いた。
「赤メインで塗る感じ?」
「うーん、光が当たる部分は別の色で良いかな。軽く下書きするとやりやすいと思う」
 そう言ってペン立てから鉛筆を取り出す。
 軽く? と首を傾げつつ、とりあえず輪郭をさっと描いたら、そんな感じと聞こえたのでこれで良いのだろう。
 いざ自分で塗ると、やはりというべきか色が濃すぎたり、逆に薄すぎたりあまり理想どおりにはいかない。
 難しくて、とりあえず一色でグラデーションを作るところからやってみては、色を混ぜてみたりしてる内にだんだんリンゴから離れていってしまった。
「むず……」
「自分の理想とか、目指したい作風がはっきりすると描きやすくなるかも」
 目標を定めろってことか、うーん。絵本みたいなのが理想だな、と頭に浮かべる。
 うんうん唸る俺の頭を、白雪くんが控えめに撫でる。予想外の行動に驚いて、紙の上の筆がぐにゃりと変な線を描いた。
「あ、ごめん」
 ぱっと離れた手に、俺はぶんぶん首を振る。
 頭を撫でられることは割とある。何故か知らないが、家族友人だけでなくバイト先の店長にも撫でられるので、俺はそういう生き物なのだろう。
 撫でられた衝撃で、集中が途切れてしまった。気もそぞろって感じで、何をどうしようとしていたかがすっぽ抜けてしまったようだ。
「休憩!」
「分かった」
 傍らに置いておいたペットボトルを手に取って蓋を開ける。今日は炭酸ではなく麦茶にした。水分補給は大事。
 喉を通る麦茶はすでに冷たさは失われているが、不快感は無い。水分が体にいきわたる感じが気持ちいい。
 気のせいでなければ、隣の白雪くんがとても俺を見ている。すごくすごーく視線を感じる。
 なに? と聞くか迷って、とりあえず世間話をしようと思いいたった。こういうときは、気になることは一度頭から外しておこう。怖いから。
「白雪くんて、やっぱ美大目指してんの?」
「いや、まだちょっと考え中……です」
 学生トークとして無難なものを選んだつもりなのだが、白雪くんの声が微妙に沈んだのに選択ミスを悟る。とはいえ、気になるのでこのまま行こう。前言撤回、手のひらを返す。
「まじ? 絵は趣味でやってこうって感じ?」
 俺の問いに、白雪くんは口を閉ざす。好奇心は猫をも殺す。まずいかこれ。
 内心で冷や汗をかいていると、今度は白雪くんの方から話を始めた。
「母が、俺が絵を描くのが気に入らないらしくて、それで喧嘩してここに来た」
「えー、でも白雪くんずっと絵を描いてきたんだよな? なのに今更?」
 てっきりこれだけうまくて賞を取りまくっているのだから、家族ぐるみで応援しているのかと思っていた。
 喧嘩して家を出る程って、我が家じゃ想像できない。もちろん喧嘩が無いわけではないが、基本的に家族仲は良好だ。両親はやりたいことがあるなら好きにしろ、というスタンス。ただし、お金がかかりすぎることはNGな模様。
 座椅子の上に立膝になった白雪くんは、ちょっとだけいじけているみたいに見える。俺よりおっきくて落ち着いていても、同年代なんだなってちょっと安心してしまった。
「昔から、コミュニケーションが苦手で、友達作るのが苦手だった。でも、絵を描いたら友達ができたんだ」
 白雪くんが自分のことをぽつぽつと話し出す。

 幼いころからお友達作るのが苦手だった白雪くんは、保育園の頃たまたま描いた絵が先生方に大ヒット、そしたら周りの子供たちも「しらゆきくんえがじょーず!」って褒めてくれた所から、彼のお絵描き人生が始まった。

 当時は白雪母も、なかなかお友達ができない息子を心配していたらしい。だから絵を描くことで友達ができるなら、と嬉しそうにしていたし、自ら彼にお絵描き帳と色鉛筆を与えた。
 小学生になって、習い事として叔父の知り合いのアトリエに通い始めたのも、母の勧めだった。引っ込み思案な息子に積極性を養えたらという考えだそうな。
 そこで、新たに絵に真剣に向き合っている友人が出来た。
 小学生のうちは、学校でも一緒に絵を描く友人も居て、彼の人生の中で安定した時期だったらしい。

「でも、俺が校内コンクールとか、いろいろな所で良い評価を貰うたびに友達が居なくなってった」
 その言葉に、俺は小野田が頭に浮かんだ。
 白雪の絵が嫌い、アトリエの友人はそう言って白雪くんを無視し始めた。
 それから白雪くんはいっそう絵の修行に励んだ。色の重ね方、より人を引き付ける構図。先生と共にせっせと自分磨きに勤しむ。
 というのも、自分の絵が下手だから嫌われたからだと思ったそうだ。友人が好きな絵を描けば、また仲良くなれると考えた。
 その後成長した絵を見せたところ、当てつけかと泣かれ、一緒に絵を描きたくないと拒否をされた。同時に学校の友人も、絵ではなく流行りのゲームに熱中し別の友人と遊ぶようになって、徐々に距離が離れていく。
「そのくらいから、母さんも絵じゃなくて勉強しろって塾に入れられた。中学は受験で入ったんだ。本当は小学校もその予定だったんだけど」
「まさか落ちたとか?」
「いや、母さんが俺の様子を見て難しそうかなって、勉強どころじゃなかったらしい。人に馴染むので精一杯で不安定、というか」
 子供のうちからそんな、俺なんてそれくらいの時期は、川に飛び込み親父と兄貴と虫取りに野生児みたいな生活をしていた。同じ時期に人生に悩む子供がいるだなんて、世界は残酷。いや、俺が呑気なだけか。
 やっぱり、白雪くんのお家は厳しいところだったのだと確信する。小学校中学校のお受験、というとどうしても頭が良くてお金持ちの子供がやるイメージがある。
「で、絵は続けたいからアトリエはそのまま通った。必死に受験勉強して中学受かって美術部に入った」
 アトリエと美術部二足の草鞋。いや、学生もしてるし三足?
 中学では絵ばっかり描いているから、クラスメイトからは無口なお絵描き星人という扱いを受けた。あいつは喋れないと馬鹿にされているのを聞いて、このままでは駄目だと人と触れ合う努力もした。
 何せ外見が良いから、少し話すようになると輪に入れて貰えた。しかも女子にモテた。どうやらミステリアスに見えたらしい。
 この話を聞いて、白雪くんやっぱ自分の顔面力のこと理解してるんだなって分かった。自他ともに認めるとかどうなってんだ神様。俺もこれになりたい。
「でも、よく考えたら彼らは俺を馬鹿にして笑ってたわけで、そう思うとこの人らにへらへらするのも気持ち悪くて結局離れた」
 俺が白雪くんの立場でも同じことをしていたかも。もしくは、馬鹿にされているのに気が付かないまま仲良くなっているかだ。
「友達はできないけど、恋人ならどうだろうと思って、告白されてとりあえず付き合ってもやっぱり駄目だった」
「とととととりあえず? 付き合う?」
「うん」
「とりあえず?」
「よ、よくない、よな。反省してる」
「あ、いえ、はい」
 とりあえずで付き合える相手が居る。そしてやはり白雪くん思い切りが良い。それで付き合って失敗して駄目だったって、何があったんだ。
 俺は寂しがりなので、白雪くんがなんとか誰かと繋がりを持とうとする気持ちも分かる。ただし、それがその人にとってプラスかは、性格に寄るんだと思う。白雪くんタイプは、本当に波長が合う人だけと一緒に居る方が良いのだろう。
「周りに誰も居なくなって、もう一人で良いかって時に母さんがいい加減絵から離れろって言い出した」
「どうして」
「人と関わらないようにするようになって、余計に絵にのめり込むようになって、頭がおかしくなったんじゃないかって心配だって言われた。このままだと社会不適合者だって泣かれた」
 家族にそんなこと言われたらどうしたら良いんだ。俺は不貞腐れて旅に出る。中学生なんて、まだ甘えてたって許されるだろう。駄目かな? 俺は高校生だけどまだまだ甘ったれていたい。
「もうなんだか嫌になったんだ。俺はそんなに悪いことしたのかなって、生きてるだけでなんでこうなるんだろう」
 自分の膝に額を擦りつけて、白雪くんは言う。声が震えていて、言葉の通り生きるのがしんどいのが伝わってきた。
「それで、つい言い返して、喧嘩になって……。見かねた父さんが、お互いのためにいったん離れて好きなことしてきなさいって叔父さんの所に俺を預けた」
「そ、そんな激しい喧嘩だったんだ?」
「母さんがかなり、こう、すごいから。物は壊れるし、泣くしで大変だった。兄さんたちはちゃんとできるのに、お前はどうしてって花瓶が飛んできたりした」
 俺の知らない世界すぎる。子育ての辛さみたいなものがあったのかもしれない。だとしても、俺は白雪くんの性格を悪とは感じないので、厳しくする理由も分からない。そこは家庭事情という事で、深くは踏み込まないでおこう。
「母さんは、いい大学に行っていい会社に入って、将来を安定させろって言ってた」
「絵だっていろいろあるっしょ? 叔父さんみたいにデザイナーもあるし、イラストレーターとかも、やろうと思えば安定するんじゃないの」
「そう思ってたけど、最近分からなくて……」
 伏せたまぶたを縁取るまつげが、小さく揺れる。白雪くんの迷いを声も無く表しているみたいだ。
「母さんの意思を無視したらどうなるんだろうとか、家族を壊してしまうのかなとか考えるとこのまま絵を続けるのは間違いな気がしてる」
 俺はそんなの気にしないで好きにしな、と言いたい。でも、他人だから白雪くんの人生に責任を持てないし、軽々しく口にはできない。
 こうやって深い部分まで話したのは、俺を信頼してくれている、というより藁をも縋るという状態なのかも。叔父さんに相談もしているのだろうが、白雪くんが欲しているのって近い視点の人間からの言葉なのかもしれない。
 たっぷり数秒悩んで、正直に行こうという結論にいたった。
「俺は白雪くんの絵が好きだから、どんな形でも白雪くんの絵がみれたら嬉しい。勝手なこと言っちゃうけど、お父さまが言うように一旦好きにやってリセットして考えてみ」
「リセット?」
「そ! お母さまのことも全部忘れて、自分に正直に生きな。俺の勝手な推測だけど、白雪くんは他人の目を考えると駄目になるタイプ! どうよ?」
「俺はそんなに優しさがないのだろうか」
 白雪くんがしょぼしょぼとした声で言うので、俺は慌てて首を振って否定した。
「優しいと思うよ、だから苦しいんじゃねーのかなー」
 さとちゃんの話をした時の反応とか見るに、他人の心を深く考えてしまうのだろう。だから母親のことも、自分の感情を横に置いて考えてしまう。
 まあ、とりあえずで恋人になった点を見ると、手放しに人の心に敏くて優しいとは言えないかもだけど、それは悩んでじたばたした結果だろうし。
 どうだろう、俺はちゃんと白雪くんの欲しているものを渡すことはできただろうか。恐る恐る白雪くんの顔を見ると、目を丸くしているその人と視線がかち合った。
「結城は、そんな俺でもこうして一緒に居てくれる、のか?」
「え、居るよ。離れる理由は無いし?」
「本当に?」
 顔が近い、俺の知らぬ間に距離を詰められていたようだ。星空のような瞳に、俺の顔が映ってて恥ずかしい。鼻の先がついてしまいそうで、少しだけ体を引く。
 いまだかつてないほどまっすぐに見つめられて、俺の頭の中は白雪くんのまつ毛の長さについて議論を始めた。マッチ棒乗りそう、さすがに重いか? シャー芯ならいけるんじゃね? ……いけない、現実に戻らねば。
 俺が肯定の意として、無言で頷くと白雪くんの両手が俺の背に回る。予想外の行動に思考が停止した。
 触れたところから伝わる体温、呼吸の音、シャンプーの匂い。やばい、くらくらする。
 白雪くんも同じ人間で、自分と同じように悩み楽しみ生きている。それを実感すると、緊張してしまう。思ったよりも太い腕は、柔い力で俺の体を引き寄せる。事故ではなく、明らかに抱きしめる意思を持って力が込められていた。
「ずっと、結城と居ると不思議な感じがして、自分でも自分が分からなくなっていて」
「へ、へあ?」
「部活、最初は後悔してたんだ。でも、結城と会えて二人で話ができて、今は入って良かったって思う。俺にとって、あの時間はすごく大事なものになっていて」
 それは嬉しい。ささやかななんてことない時間だけど、白雪くんにとって大きなものになっているだなんて、ならやっぱり美術部には続いてもらわねばならない。
「どうしてこんな風になるんだろうって考えてたんだけど、今いろいろ話して理解した。俺は結城が好きなんだ」
 白雪くんの体が離れたことにより、俺は人肌に触れるという苦手シチュからようやく逃れることができた。
 変な汗出るし、頬は火照って熱くて風呂上りみたいな状態だ。友人同士でもこれなんだから、彼女ができて手を繋ぐなんてなったらどうしよう。そんな俺でも許してくれる人を探すしかないな。
 少しだけ冷静になった状態で、相変わらず至近距離の白雪くんのお顔を見る。
 目がきらきらしていて、頬は紅潮し全体的に血色が良い。こんなの俺が白雪くんを好きな女子だったら倒れてしまう。まるで自分を愛しているかのような瞳だ。
「あ、ありがと、うれしい」
「嬉しい、のか? じゃあ」
「そりゃそうでしょー、憧れの絵描きさんに好かれるなんて嬉しいよ。やー、友達に直球で好きって言われたことないから照れちゃうなぁ」
 良い奴とか、一緒に居て気が楽とかは言われたことはあるんだけど、好きは保育園ぶりかもしれない。小野田にすら言われたことない。あいつ嫌いは伝えるくせに好きは伝えないんだよな。ツンデレか?
 白雪くんの話を聞く限り彼の友人関係はさんざんだったみたいだし、ある意味俺は初めての友達みたいなもんなのかも? なんて、自惚れが過ぎるか。
 この後どういう顔して接するべき? 今まで通りで良いかな? こういう時に調子に乗っちゃうと後でベッドの上でばたばたする羽目になるから、とりあえず落ち着こう。
 ひっそりと深呼吸をしてから、白雪くんが静かになっていることに気が付いた。見れば、さっきまでの花が綻ぶような笑顔はどこへやら、チベットスナギツネもびっくりな虚無顔だ。
「え、あれ? どしたん」
「いや、えっと、少し待って」
 白雪くんは、考える人の像みたいに手を口元に持っていく。その顔は切羽詰まったような、余裕のないものに変化していた。
 この数秒で何が起こったんだ。嵐のような男だな。
「……ともだち」
「友達」
 オウム返しをすると、白雪くんは再び黙り込む。
 沈黙が痛い。風の音、虫の鳴き声、クーラーの稼働音。夏を感じる要素ばかりが俺の耳に入る。この話は一旦終わりかな? というかそろそろ休憩を終わりにしないと。もう少し絵として形にできるようにしたいから、あれこれ試したい。
 目標は安野先輩が本格的に引退する文化祭までにいくつか描き上げたい。たしか、美術部は毎年展示を行っていると聞いた。今年はこのまま行くと、安野先輩と白雪くんの絵しか飾れなくなってしまう。枯れ木も山の賑わいだ、少しでも数に貢献したかった。
 それに、もし、万が一本当に俺が部長をやることになったら、少しくらい描けないとまずい。
「えーと、休憩終わり! やるか!」
「あ、ああ、うん」
「そうだ、白雪くんあの丸いのなに? 望遠鏡のとこの」
 微妙な空気になってしまったので、話題逸らしもかねてずっと気になっていたものについて尋ねる。お話しながら絵を描くのも悪いことじゃないだろう。
「あれ? ああ、プラネタリウム」
 あの丸っこいの、プラネタリウムなんだ。部屋の中で星が見れるだなんてロマンチック。白雪くんは宇宙モチーフ多いし、星が好きなのかな。
 筆についた水を切るようにしてパレットに落とす。次は絵の具を溶いて、好みの濃さにしたい。
「星好きなん?」
「好き、宇宙が好き。絶望的に広くて」
 会話をしながら、下書きを忘れたことを思い出す。まあとりあえずこのままやろう。
「ずっと膨張してるんだっけ、すげーよな。俺は怖いね」
「そう、広がり続けて正確には分からないけど、だいたい四百六十四光年が宇宙の果て」
「わー、こわ」
「そう? どうせ俺はそこまで見ることができない、百年もたたずに死ぬちっぽけな生き物。そう思うと嫌なことが少し楽になる」
 そういうものだろうか、薄い赤を紙の上に広げながら考える。
 確かに、途方もない時間と自分の寿命を思えば、小さなことに躓いてないで楽しく生きようとはなるか。絵の具が紙に滲むのを見ていると、これも宇宙みたいに思えてきた。こうしてじわっと広がっているのだろうか。
 黄色を混ぜると優しい感じになる、と言われ、黄色の絵の具を筆に着ける。赤の滲む個所に乗せると、じんわり温かい色に変わっていった。
「宇宙に比べたら、俺がこうして上手く描けないのなんてちっぽけな悩みよなぁ」
「いや、宇宙程大きくない俺たちにしたら、大きな悩みではある」
 そこで言葉を止めて、白雪くんは小さくため息を吐いた。
「だから、いっぱいいっぱいで、抱えられなくなる。誰かに受け止めてほしくなる」
 語尾に行くにつれ、声がかすれていく。吐息のような音に、なんだか妙な色気を感じてしまった。
 紙の上のリンゴのような何かを見ていた俺だが、白雪くんの表情が気になって顔を上げる。
「……、結城は残酷だ」
「な、なんで? 急にどうした」
「上手く言えない。纏まったら言う」
 どういうことだ。悪い意味なのかも分からないまま会話が終わる。白雪くんは口を引き結んで、これ以上語るつもりがないようだ。
 一人取り残されてしまった俺は、混乱したまま次の混色に青を選んだ。

 この日、しらゆきさんのアカウントに上がった絵は、熟れたリンゴの絵だ。白雪くんがお手本で描いてくれたものだった。
「えーマジすごい! こういうの普通に雑誌に載ってそう! ありがとうございますめっちゃ助かります!」
「う、うん、でも本当にこれで良いの……? 部長とか、白雪くんの絵を使った方が美術部っぽくない?」
「うちらのだと美術部っていうより漫画研究部みたいになってるかも」
「いやいや、むしろこういうイラストの方が入りやすい気がするんで! 岬先輩と山岸先輩に頼んで良かったっす」
 美術部前方、教卓の前の席に座った二人の先輩は、結城の満面の笑みに照れくさそうに顔を見合わせる。
 彼が手にしているのは、文化祭で配る予定の美術部宣伝チラシだ。俺の位置からだとよく見えないが、動物のキャラクターがモノクロで描かれている。
 結城が机の前でぴょんぴょんするたび、彼の金色の髪の毛がふわふわと揺れる。髪の色まで飼い犬にそっくりで、動作も犬っぽい。恋は盲目というのだろうか、そんな姿も愛らしくみえてしまう。

 先日、美術部の文化祭での展示と今後の活動について、顧問の今井先生含めたメンバーで話をした。
 安野先輩が言っていた通り、現在副部長である岬先輩は自分が繰り上げで部長になることに難色を示していた。
 グラウンドから響く運動部の掛け声を聞きながら、やはり存続は厳しいのか、と納得半分で彼女の意見を聞く。
「私は月一課題もしてないし、展示に出すような絵もないし、副部長の仕事も全然できてません。だから部長をやるには……」
 岬先輩は俯き加減で言葉を紡ぐ。その声は震えていて、みんなの前で言い訳を披露するという状況に、苦しんでいるように感じた。
 できることなら、安野先輩や顧問の間だけで済ませたかったのだろう。だが、次の部長と部の存続を決めるにあたってこうしてお互いの意見を聞き、今後を話し合う必要があった。
 月一課題、一応この美術部に存在するそれらしい活動の一つだ。顧問や部長からテーマを出され、それを形にするというものである。
 安野先輩はやりたくない人に押し付けたくないからと俺以外には伝えていなかったらしく、小野田も結城も何それ知らない、と困惑していた。
「部員も足りないし、ぼくとしては限界なのかなぁってね?」
「えー! 先生がそれ言っちゃうんだ!」
「やー、だって、来年人が来るかっていうと」
「来るもん」
「結城ー、ステイ」
 結城が机に半身を倒し、恨めしそうに今井先生に反論をするのを小野田が咎める。
 彼らの関係は本当に不思議だ。俺に仲の良い友人が居ないからそう見えるだけかもしれないが、まるで兄弟のように距離が近く遠慮が無い。
 この部が同好会になったら、俺は画塾を探そう。技術を学びつつ将来のために作品を作る。残念だが、仕方のないことだ。

 夏祭りの夜、結城に自分に正直に生きたらどうか、と言われた俺は、その言葉通り進みたい道を選ぶことにした。
 結城は俺が絵に夢中になっていても傍に居てくれる、俺の描いたものを楽しみにしてくれる。それだけで、絵の道に進む価値は高くなった。
 趣味で描いていてもきっと結城は褒めてくれるのだろうけど、俺は、自分が絵以外の仕事をしている将来が思い描けないでいた。だから、母の言う安定する仕事を目指すべきという意見が腑に落ちなかったのだ。
 この部活が無くなっても先はある。結城との縁も切れるわけではない。ただ、寂しいという感情が消えない。
 結城と出会って、話をするようになったのも美術部が切っ掛けで、二人で過ごす時間が多いのも部活の間だけ。出来ればなくならないでほしい、というのが本音だ。動悸が不純だろうか。
 結城はクラスだと、常に周りに友人がいる。向こうからこっちに来ることもあるが、大体の場合引きずられるように輪の中に戻されていた。
 彼は不思議な人だ。おそらく、その場に居ると会話が円滑に進む、潤滑油のような人間だという認識を誰からもされているのだろう。
 俺自身、彼と話をしていて気が付いたのは、結城は明るく何も考えないで発言をしているようで、実はそうではないということ。
 意外と相手の性格を考え、必要な言葉を与えるようにしているように感じる。自分の感情も無視はしないタイプだから、意見はしっかり伝えて、出来る限り裏が無いようにバランスを調整をしているのだろう。
 小野田に対しては容赦が無く、気を許しているのか危ういところがある。だが、小野田も同じ返しをしているので、彼らはあれで成り立っているのだ。俺はそれが羨ましい。
 結城ともっと近づきたい。隠している本音があるなら暴きたい。小野田のような距離で話をしてほしい。
 俺だけ特別だと勘違いしそうになるけど、結城は誰にでも同じように接している。それが嫌だ。
 この感情は、かつて理解できなかった恋というもので、独占欲のようなものだろう。どうにかなりそうな苛烈な心を、ほかの人はどうやって抑えているんだろう。
 俺は抱えられなくて伝えたのだけど、彼は友情としてとらえたらしい。

「白雪くんは?」
「え?」
 聞いていなかった。自分の世界に入ってしまっていた。
 全員の視線が俺に刺さる。急に話を振られ、俺は縋るように話題を振った張本人を見る。
「部活無くなるのどーですか?」
「ああ、えっと、さびしい」
 正確には結城と二人の時間が減るのが、だ。
「ほらほらー、ねっ小野田くん!」
「俺は別に寂しくないんで仲間意識やめてください」
「ばーか」
「あほ」
 小学生でもしないような悪口を言い合う二人を横目に、嫉妬心を押し殺す。
「結城くん最初やる気無さそうだったのに粘るねぇ」
 今井先生が生ぬるい笑みを浮かべる。この人、絵のアドバイスは的確なのに、どうにもやる気が無い。昼行灯という言葉が似合いそうな御仁だ。
 結城は最初、数合わせで入ったそうだ。本人はバイトに力を入れたくて部活にもほとんど来ていなかった。
「そらもう今楽しいですからね! バイト代画材に飛ばすくらいには、あと俺白雪くんのファンなんですよ。推し!」
「え、え?」
 俺の絵を気に入ってくれているのは知っている。本人が何度も伝えてきたから、結城の好意はちゃんと俺に届いていた。でも、それをこうして公言するのは何故なのだろう。俺の方が恥ずかしくなってきた。
「その白雪くんが寂しいって言ってるので!」
 俺のためと言いたいのか、これはもしやだしに使われているのかもしれない。
「あと、安野先輩がどんどん縮んでってるし、今ちゃん先生にやる気出してほしい」
「やっぱり痩せたかな? 皆に言われる……」
 確かに前はもちもちしていた安野先輩だが、今は、もち、くらいになっている。表情も心なしか元気がない。柔らかい笑顔が萎んでいくのは心が痛む。
「先輩たちも! ちょっとだけお付き合いしてみませんか? 部長あれなら俺やるし、逆にやってくれるなら協力するし。小野田もそう言ってるんで」
「おい」
 絶対言ってない。巻き込まれた小野田の顔が般若のようになっている。
 背筋を伸ばして発言していた結城が口を閉ざすと、しんと静まり返る。その様子にさっきまで元気だった結城も、徐々に落ち込んでいく。
 そして結城は、再び机にぺたりと伏せ「我儘ですよねごめんなさい」と零す。その頭には心なしか垂れた耳が見える。幻覚だ。
 可愛い。抱きしめて撫でたい。膝の上で手を握りしめ、衝動に耐える。
 しばしの無言の後、口を開いたのは意外にも岬先輩だった。隣の山岸先輩とこしょこしょと何かを話し、意を決したように顔を上げた。
「じゃあ、部長、やろうかな……。とりあえず春まで様子見というか……。やっぱ無理そうってなったら、結城くんに変わって貰っても良い?」
「全然おっけーです! ね、今ちゃん!」
「え、えー? 良いけどぉ、急だね」
「結城くんがあまりにも、その、ね」
「うん、なんだろ。しょんぼり感がすごくて」
 女子の庇護欲を煽るオーラでも出ていたのだろうか、俺も結城を撫でまわしたかったので彼はそういう能力があるのかもしれない。

 こうして部長に関してはなんとかなり、部も来年まで寿命が延びた。
 文化祭の展示は、俺と安野先輩の課題で描いていたものと新作、結城と小野田のものも展示することとなる。
 ただ展示するだけだと、活動内容が分かりにくそうだという結城の意見で、一般参加者向けのチラシを配ることになった。展示に来て下さい、というより部員募集の内容だ。それの製作担当が、岬先輩と山岸先輩だ。

 結城は提案したのも二人に依頼したのも自分だから、と二人と内容を決め、その後も何度か話し合いも行っているようだった。
 今も、完成原稿を受け取って盛り上がっているところだ。余談だが、安野先輩は予備校の関係で今日はいない。
 二人はいつも何の漫画読んでるのか、どんな絵が好きなのか、自分も絵のお勉強をしているが上達しない。とあれこれ話をして、結城が二人の先輩と仲良くなっていくのを、部活のたびに目撃してしまう。
 距離の詰め方がすごい。前までは俺にもあんなだった。やはり誰にでもそうなのか結城。俺だけじゃないんだ。俺が勝手に、俺は結城の中ですごい大きな存在で、愛されていると勘違いしていただけだ。
 なのに愛の告白をするだなんて、俺は馬鹿だ。彼は友情として受け止めていたけど、本当はちゃんと理解して上手く流されただけなのではないだろうか。結城に限ってそんなことあるわけない。たぶん。
 自分の悪いところだと思いつつも、悪い方へ考えてしまう。やっぱり、絵の事だけを考えていた方が楽なようにすら感じる。なのにどうして、誰かにそばに居てほしくなるのだろう。
 机の上に木製パネルと和紙、刷毛に糊、カッターやハサミを広げる。夏に買った岩絵の具で絵を描いたものを展示に使おうと思った。
 日本画に関してはまだ知識が浅いが、なにごとも挑戦。やりたいからやる。
 集中しなくてはと思うのに、前方から聞こえる楽し気な声に気を取られてしまう。結城はもう俺に興味がないのだろうか。
 そんなことを考えていると、頭になにか軽いものが当たってぽとりと床に落ちた。
 丸めた紙だ。不思議に思いつつ手に取り、広げると雑な字で「見すぎ」とだけ書いてあった。
 投げられた方向には、小野田が居た。彼はオイルパステルを段ボール紙に滑らせているところだった。紙とパステルが擦れる音が微かに響く。
 紙を畳んで彼の元に持っていくと、小野田は胡乱な表情で俺を見上げた。
「なに」
「返す」
「いらねーよ」
「そんなに、見てた?」
「見てた」
 小野田はどうやらライオンを描いているようだ。さまざまな色を使ってビビッドに描かれる雄々しい猫科に、彼も絵を嗜む人間であるということを認識できた。結城が美術部に来ないことを惜しんでいた気持ちも良く分かる。
「ぼかさないのか」
「こうしたほうがくっきりして好き」
 オイルパステルも混色ができる。水彩のような滲む混ざり方ではないが、味のある色になって俺は好きだ。
 結城が懐くだけあって、小野田も話しやすいかもしれない。今のところ、彼からは悪感情しか伝わって来ないが、これだけ隠す気配が無いと逆にやりやすい。
 笑顔で近づいて、影で悪口を言う人間のがよっぽど苦手だ。
「結城のこと、なんだけど」
 話を切り出すが、返事は無い。このまま続けるか悩んで立ち尽くしていると、小野田はおもむろに立ち上がる。そして、無言で俺の腕をひっぱり部屋を出た。
 廊下を行き来する生徒は少なく、話し声も聞こえない。窓から差し込む光は柔くて温かい。だが、小野田から出る空気はどこかひんやりしていた。
「あいつ、誰にでもああだから」
「それは、分かってる」
「そうかぁ? 自分には特別優しいとか思ってない?」
 言われて、言葉に詰まる。
 俺は結城の中で、大きな存在になっている、と思っていた。それは否定できない。
 好きだって言ったら、好きだって返ってくるとどうしてか信じていた。
「まあ? 俺は結城にとって幼馴染っていう唯一無二だけど? 白雪は偶然会った絵が上手い友達くらいですねぇ」
 小野田の顔が今まで見たこと無いくらいいい笑顔になっている。すごい、俺のが背が高いのに見下されている気がする。
 もしかして、小野田も結城が好きなのだろうか、部活に来なくなったのも結城が俺のところにばかり来るから不快だったのかもしれない。ということは、ライバルなのだろうか。
「小野田は結城が好き、なのか?」
「その言い方やめろ。誤解するなよ。いや、なんでそうなった?」
「え、だって、唯一無二とか、その」
 牽制するようなことを言うから、もしかしてと思ったのに、どうやら違うらしい。小野田は苦虫を噛み潰したような顔で首を横に振っていた。
「うん? もしかして、お前あいつにそういう気があんの?」
「ある」
「そんなはっきりと……。もっと良い人居るだろ、てか、無限にモテるだろお前!」
 そういう問題ではない。好きな人に好かれないと意味が無い。
 結城はレオくんみたいで可愛くて、優しくて明るくてそして可愛い。甘えたい。抱きしめてほしい、そんな気持ちの悪い感情が俺の中でひしめいている。
 それを爽やかかつ真摯に伝える術を持たない俺は、ただ無言で小野田の目を見た。
「まじ? ふーん。、あ勘違いするよな。俺も一時期こいつ俺の事好きかもってどきどきしてたことがある」
「え」
「でもあいつは誰にでもああだって気が付いたし、その頃結城はお隣のお姉さんに夢中だったから勘違いだってすぐ戻れた」
 お隣のお姉さんに夢中、どうしよう、結城と色恋沙汰が結びつかない。よろしくない妄想をしてしまいそうだが、今はそうじゃない。結城は今もその人を想っているかどうかが大事だ。
「結城は、まだその人が?」
「いや、その人あいつの兄貴とくっついたし」
「あ、そうなのか、複雑だな」
「安心しろって言いたいけど、諦めな? 俺ならまだしも、会って数か月のお前に可能性があるとは思えないってーか」
 俺ならまだしも? 戻れたって言っていたけど戻れていないのでは、と疑念が生まれる。
 にやにやしている小野田の心情は分からない。ただ、結城と俺を遠ざけようとしているのは分かる。やはりライバルなのか。
 俺が黙っていると、小野田はさらに続ける。
「男同士とかこのご時世あんま気にしねぇけどさ、あいつは年上のお姉さんタイプが好きなんだよ」
「本人が言っていたのか」
「言ってない」
「じゃあ可能性はある。結城はきっと俺を好いてる」
「何その自信。なら本人に聞けよ」
「ところで小野田は結城が」
「そこは本気で違う」
「じゃあ結城が小野田を好きって言ったら」
「ないない」
「どうして?」
「兄弟みたいなもんなの、お互いな」
 分からない感覚だ。自分の兄弟とそういう関係になるということは、俺でもありえないと思うことだ。だが二人は兄弟ではないだろう。人間の心は難しい、下手したら宇宙より恐ろしい。
 首を横に振る小野田に、それならライバルではなく友達になれるのかもなんて考えてしまった。
「ちなみに、結城に好きっていったら伝わらなかった」
「そんなことある?」
「ある。友達に好きって言われるの初めてだって照れてた」
「あー、うん、脈ないんじゃね?」
「まだ分からない」
「そうですか、ふーん、じゃあ応援してやろうか?」
 思わぬ提案に、俺は呆気にとられ言葉を失う。
 そんな俺を面白そうに目を細め、どうする? と小野田が首を傾げた。三白眼気味だからというわけではないが、どうにも何かを企んでいるような表情に思える。
「どうして、そんな」
「俺はお前が失恋するのが見たい」
「は?」
「何でも持ってるやつがアホに捨てられる所が見たい」
 言い換えなくても最低だ。気が付いてはいたが、小野田は本当に俺のことが気に入らないらしい。
 人に嫌われ、嫌味を言われることに慣れた俺だが、ここまで正面切って傷つけたいと宣言されたのは初めてだ。結城、友達は選ぶべきだ。
「もし、結城が俺を好きだと言ったら?」
「飯が不味い」
「そうか、なら結城には俺を好きになってもらう」
「いいよ、俺は邪魔はしないからな。手助けが必要なら言えよ」
「なんで助けるんだ? 失恋して欲しいんだろ」
 あまりにも理解不能な行動なため、疑問が口から出てしまう。
「助けを得た上でこけるのが見たい」
「本当に結城を好きじゃないのか?」
「違う。もう一つ理由を言うと、ネタになる」
「話のネタ? 言いふらすのか、いじめは良くない」
「いや、言いふらさんわ。珍しい体験はしておくに越したことはないってこと」
 どういうことだ。メモ帳出して何やら書きこんでるけど、ネタってもしかしてコントでもやるのかな。小野田が美術部に来なくなったのは、絵よりお笑いの方に注力したいからなのか?
 とにかく、俺は結城に好きと言ってもらいたい。純粋に両想いになって「愛している」とあの声で言われたい。小野田を見返したいのは、おまけだ。
「俺が結城に振られたらどうする」
「飯くらい奢る」
「じゃあ両想いだったら友達になってくれ」
「なんで? やだ」
「相談相手は必要かと」
「やだ」
 何なんだこいつ。いっそ清々しいので、嫌いになれないのがすごい。結城が懐くだけある。小野田もすごく変だ。
 絵は俺の心の拠り所だ。
 上手く語ることができない心情を、色にのせて紙に広げる。画材は何でもいい、鉛筆だけでも絵は描ける。何も考えないで、ただ手を動かしているだけで楽しい。
 ――お前が居るから俺が受賞できなかった。お前と一緒に絵を描いても楽しくない。
 ――白雪くんて顔は良いのに何考えているか分からない。喋れないから絵を描いてるんでしょ? あはは、やめなよ可哀想じゃん。
 ――絵なんて習わせるんじゃなかった。お兄ちゃんたちは真面目に生きてるのに、どうして真冬はできないの。
 夢の中で巡るのは、いつだって過去の声だ。
 憤り泣きわめく声、嘲る声に落胆する声。どれも俺にとっては、どうでも良くてどうでも良くない。

「まーくん、どう? 学校」
 入学して一週間程、叔父である秋二が夕飯として買ってきた弁当を広げながら俺に問う。
 黒塗りの座卓は汚れ一つ無いほど磨かれ、持ち主に愛されているのだろうことが伝わる。叔父さんは家を空けることが多いが、自分が気に入って買ったものの手入れは怠らない。
 派手な柄シャツに、赤と黒という目立つ髪の色をしているから奇抜な性格をしていると思われがちだが、根っこは真面目なのだと思う。
 ファッションデザイナーとして日本だけではなく海外も飛び回る人だから、適当な性格ではやっていけないのかもしれない。
「別に、何も」
「えー? 友達は? 部活は? やっぱ美術部なんだよね」
「部長は良い人だけど、部活は壊滅寸前」
「どういうこと……。もっと美術部強いところにすれば良かったのに」
 俺の通う南高、浜南高校はかつては名の知れた顧問の元、美術部もそれなりに活気があった。はず、なのに今は見る影が無い。
 部内に同級生が二人いるけど、一人は来ないし一人は目も合わせて来ない。二年の女子の先輩たちは、漫画を読みに来ているようなものだ。絵も描いているが、あれはたぶん同人誌の原稿。
 漫画も美術にカテゴライズされるのだろうし、顧問的には問題がないということだと思っている。
 出される課題は月に一度、公募があれば参加の協力はする。その程度の緩い活動。俺は二つの大きなコンクールに出すことにした。
 母と初めて口論をして、収拾が付かないまま逃げるように叔父の元へ来てしまった。
 かつては母も俺の絵を褒めてくれていたのに、今は疎ましいと言われてしまう。
 賞を取った絵は家の中に飾られていたのに、いつの間にか無くなっていた。それに気が付いたときは俺の存在ごと消されたような、指先が冷えるような感覚だった。
 友達も上手く作れない。もうあきらめた。他人というものは、遠くから好きなように俺を笑いものにするだけの存在だ。
 恋人は、良く分からない。好きでもない相手と、告白をされたからというだけで付き合ったら、私に興味がないのだろうと責められた。否定することができず、最低な男だと泣かれてしまった。
 この時俺は深く反省した。愛というものは、その人にとって重く意味のあるものなのだと理解し、今後は自分の心が動かない限り拒否しようと心に決めた。
「僕ぁねぇ、まーくんが人生楽しいってなってくれたら嬉しいなぁ。絵でも、別のことでもね」
「無理かも」
「はやいはやい。まあまあ、悩みがあったらいつでも良いなさい。叔父さんができる限り相談に乗るから」
 叔父さんは弁当を俺に手渡し、炭酸が抜けたような笑みを浮かべる。
 人当たりがよく、世渡り上手。きっとそういうのも、才能なんだと思う。叔父さんは自分の実力と、人脈を駆使してどんどん活動範囲を広げている。それはこの人の人間性によるものも大きいのだろう。
 かつて通っていたアトリエの先生も言っていた。この業界で生きていくなら、横のつながりは持っておいて損は無い、だって。俺には一番難易度が高いものだ。
 リアルで話すのも苦手、ネットならどうだろうとSNSをやってみたけど全然だめ。ただの落書き記録みたいになってしまった。
 考えれば考えるほど、憂鬱だった。これから先、俺の人生は叔父さんの言う通り楽しいってなることはあるのだろうか、漠然とした不安が広がっていく。


「まーくん、どう? 学校」
 デジャブ。俺は海鮮丼を口に運びながら、前もこんな話したな、と思い出す。
 たまには外で食べようと久々に会った叔父に連れ出され、車で三十分ほどの所にある海鮮丼専門の店に来た。
 まぐろ、ほたて、サーモンにうに、いくらが乗った丼と、すまし汁。叔父さんはもっと食べろというけど、器の大きさが通常のものより大きいので、これでも普段より食べている方だ。
 店内は大衆食堂然としていて、店員さんの声も活気がある。店の壁に貼られたメニューの紙は、店主が書いたのだとか。ダイナミックな筆遣いで、目をひかれる。
「友達ができた」
「えっ大丈夫?」
「大丈夫って?」
「いや、ごめん。嬉しくて不安になった」
 分かるような、分からないような。俺も少し不安だ。
 結城という犬のような同級生と仲良くなったことを伝えた。叔父は嬉しそうな顔をして湯呑を傾ける。
 最初から俺に話しかけていたらしいが、俺はその頃「無」だったので覚えていない。
 結城は俺の絵が好きなのだという。傍で見たがるし、俺とも話をして友人になりたがる。夕飯に誘われたときは驚いたけど、ご家族も仲良くて、楽しかった。
 ここで叔父さんに伝えるべきか悩むのは、俺が結城を恋愛的な意味で好きだということだ。
 小野田にはストレートに言えたのに、やはり身内となると言い難い。この人はきっと、笑ってくれるだろうが、否定されたら落ち込んでしまう。
「結城くんねぇ、どんな子?」
「犬みたいで可愛い」
「さっきから犬しか情報が無い……」
 かずのこボールという謎の食べ物を口に運びつつ、叔父さんは苦笑いする。
 あまり喋ると、ぼろが出てしまいそうだ。語れる範囲だと、明るくていい子、くらいだろうか。
「明るくて、いい子。俺と正反対」
「まーくんはいい子だよ」
「結城は、誰とでも仲良くなれて、俺にも同じように笑ってくれる」
「そういうやつには警戒しな、にこにこしてるやつほど怖い。僕は人当たりが良い人ほど距離を置くようにしてるんだ」
「俺もそう思ったけど、結城は本当に結城だから」
「全然分からないけど、結城なんだ?」
「結城」
 申し訳ないくらい言葉が見当たらない。俺はこんなだから友人ができないのだろう。
 出会って数か月、だけど俺は彼のことが好きだ。最初は彼を拒否していたというのに、どうしたことだろう。
 結城は依存性がある。人を肯定し、受け入れて居心地の良い空気を作る。なにより、どんな俺でも一緒に居てくれると言っていた。こんな人、出会ったことが無い。
「今まで会ったことが無いタイプで、一緒に居てすごく楽しい。この先の人生、結城が居たらそれで良いって思ってしまう」
「それは凄い。宗教みたいだね。気をつけなさい、優しい人ほど怖いよ」
「叔父さんに何があったんだ」
「いろいろね」
 酸いも甘いも経験しているだろう大人のいろいろは怖い。聞かないでおこう。
「にしても、まーくんは結城くんが好きなんだねぇ」
「好きだ」
 果たしてその好きはどっちの好きだろう。否定するのも変なので、俺は肯定をする。
 言葉にして感情を固定すると、どうにも恥ずかしい。鼓動が早くなったような気がして、誤魔化すようにほたてを口に運ぶ。
「成就するといいね」
「……っ、そ、そういう、話?」
「あれ? 違った? ごめんごめん」
 合っているが、そういう意味で言ったとは露とも思わなかった。眉根を寄せる俺に、叔父さんは悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

 翌日、叔父さんに見送られつつ目的の場所を目指す。
 今日から小野田と結城と一緒に登校することになっていた。
 夏の気配を残す空は、朝だというのにじりじりと焼くような日差しを地上に落とす。夕方になると肌寒くなってきたので、秋は近いのだろう。あと少しの辛抱だ。
 今はもう慣れた通学路を歩き、目印の赤いポストまでたどり着く。
 そこには、すでに小野田と結城が立っていて、結城はまだ目が覚めていないのか頭が首の座らない赤子みたいにぐらぐらしている。
「おい起きろ、寄りかかるなー」
「人という字は支えあって出来てるんだって……」
「一方的に寄りかかるのは支えてないのよ」
 いつも通りの仲の良さ。俺も結城に寄りかかってもらいたい。
 一歩、二歩、二人に近づけば、先に気が付いた小野田が、結城を肘で小突く。
「あ、おはよー」
「おはよう」
 いつもよりふにゃふにゃしている結城は、力なく手を上げる。
「わーまじで白雪くんと小野田だぁ、やったー」
「なんだそれ」
「助かるー、どっちかに気を使って登校しないで済むー」
「そういう本音は隠せよ」
「めんどかったんだよねぇ。お前ら仲良くしろってずっと思ってた。特に小野田」
 腕を組んで、結城は一人しみじみ頷く。
 俺たちの間で板挟みになっていた心労を思うと、何も言えない。ただ、それを口にされると気を使っているのかいないのか悩ましくなってくる。こうして悪意無く伝えてくれた方が、気が楽ではある。
 三人揃って歩き出す。誰かと登校なんて何時ぶりだろう。小学生の班登校、中学の彼女との登校くらいか。
 結城が一人先を行くから、俺と小野田が二人で歩いているみたいになっている。気まずいので戻ってきてくれ。
「ほーら、脈無し」
 ぼそ、と俺にだけ聞こえるように小野田が呟く。
 横目でそっちを見ると、にやけた小野田と目が合った。まだ、結城は何も言っていない。というか、俺だって何もしていない。
「そんなの、この時点で分かるわけない」
「いーや分かるね。あいつは俺とお前が仲良くなれば満足なわけ、お前個人をどうのなんて」
「本人はまだ何も言ってない」
 煽る意図で放たれた言葉に、つい語気が強まる。結城、友達は選ぼう。この人良くない。
「どした? 二人で内緒話かー? 仲良しさんじゃん急にどゆこと」
 ゆらりと振り返った結城が、溶けたような笑みを浮かべる。可愛い。
 俺だって分かっている。結城は誰にでも平等に優しくて懐いて、レオくんのようにしっぽを振って愛嬌を振りまくんだ。
「お前の悪口言ってた。入ってくんな」
「小野田ならまだしも白雪くんがそんなわけないじゃん」
「あ、ああ、その、結城のこと話してた」
「ほらな」
「えっ」
「ちょ、いや、ちがう!」
 動揺しておろおろする俺の肩をばしっと叩いて、小野田が俺たちを追い抜かす。俺を応援するとか言っていたけど、逆だ。邪魔をしようとしている。
 大通りに出て、信号を渡ればあと少しで駅だ。道行く人の姿が増えてきた。
 今ここで、結城が好きだともう一度伝えたらどんな反応をするのだろう。前みたいに、友情で終わるのだろうか、それとも小野田がアシストして方向を修正してくれたりして……なんて期待しない方が良いか。
 叔父さんに素直に相談しておけば良かった。好きです、愛しています、これをスマートかつしっかり伝えるにはどうするのが正解なんだろう。
 隣で悲し気な顔をしている結城に、もう一度「違うよ」と声を掛けた。
「結城のことが好きだって話をしていた」
「今そう言われると絶対嘘ー! って思うじゃん」
「本当」
 不貞腐れてむっと唇を突き出す表情が幼くて、つい頬が緩んだ。
「笑うと余計信憑性無くなるぞぉ」
「ごめん、でも嘘じゃない」
 俺の言葉に、結城は一度まばたきをする。それから少しだけ微笑むと、
「じゃあ、白雪くんは信じる」
 と目を細めた。
 ふとした時に、結城はこういう笑い方をする。普段は犬のようなのに、こういうときは猫のように思える。何が言いたいかというと、ちょっとずるい。そこに存在するかも分からない感情を見出してしまう笑顔だ。
 俺は、結城のこの表情が嫌いで好き。
「あのぉ、まじでこれで行くんですか?」
「いまさらなに言ってんの? ほら頑張れ結城ちゃん!」
「そうだぞ、森ちゃんのが悲惨なんだからしゃきっとしろ」

 我が校の文化祭は、一日目に各クラスごとの模擬店やら展示、出し物とかが行われて二日目に文化部の活動発表となる。
 本日俺と白雪くんは、クラスの模擬店に参加である。ちなみに、執事・メイド喫茶。男はメイドで、女子は執事という逆転コスプレ店だ。
 俺は接客と案内担当なのでメイドさんをやる。
 バイトで接客をやってるならメイドだってできるだろうという理由で、勝手に決められてしまった。白雪くんは接客無理なのが明白なので裏方だ。看板やメニュー表を作ったり、当日は洗い物とかお掃除。惜しい人材だが、無理強いは良くない。
 文化というと大人しい響きとは裏腹に、校内は活気に満ちていて生徒たちもせわしなく準備に駆け回る。
 小野田のクラスは、幽霊の体の中をテーマとしたお化け屋敷らしいけど、何度聞いても幽霊の体の中とは? となってしまう。
 本日の接客担当男子組は、スタイリストさんである女子たちにあれこれ弄られ、なんとも愛らしい姿になっていた。
 短い丈のスカート、フリルのついたエプロン。ツインテールのウィッグ。そして猫耳。盛に盛られた俺は、鏡を前に苦笑いするしかない。
 隣で悲しげな顔をする森は、クラシックメイドスタイルで長いスカートで頭にはドアノブのカバーに似た帽子をかぶっていた。
「こんな短いのパンツ見えちゃう……」
「そんなに動かないっしょ、ほらお店の準備手伝ってきて」
 わざとらしく恥ずかしがってみるが、さらっと流され教室を追い出される。着替えは空き教室を利用して行われていた。荷物や簡単な調理器具なども持ち込まれている。もちろん、火は使わないものだ。

 森と一緒に自分の教室に戻ると、ピンクや水色で愛らしく飾り付けられた我がクラスが見えた。
 脚立に上って学級表札にピンクのお花を張り付けているのは、白雪くんだ。彼の周りには、心なしか嬉しそうな表情の女子が数名いるではないか。きみたち、仕事をしなさい。
「ういー、進捗どっすか」
 俺が手を振ると、白雪くんがこちらを向く。さっきまで渋い顔で細かい作業をしていたが、目が合うとほんのり笑ってくれた。
「これで終わり。……なんで結城は、その、短い」
「メイドさんも多種多様、クラシックにジャージメイドにヴィクトリアンにミニスカ、フレンチ……」
「え、詳しくね? 結城ってそういう趣味」
「メイクしながら教えてもらった。ちなみに俺は、なに」
 脚立から下りた白雪くんは、俺の姿を数秒見て「ミニスカ?」と答えた。たぶんそう。
「結城似合うじゃーん! 可愛い」
 くだらない会話をする俺たちに、クラスの女子、たしか田村さんが割って入る。
「ええー? やっぱ? メイクさんが上手かったのもあるけど、やっぱ素材っていうかぁ」
「ウケる。自信ありか、あ、森と二人で並んで! 写真撮っとこ」
「俺も? もー、はい結城ちゃん」
 嫌そうにしつつも、案外乗り気な森くんは俺を手招きするとぐいと肩を引き寄せる。予想外の接触に、一瞬体が強張った。
 肩を組んだポーズだと可愛くない、と叱られてしまい、俺たちは普通に手でハートを作って全力の笑顔を見せる。クラスメイトからの爆笑を聞きいていると、なんだか自分で自分が面白くなってきた。こういうのは羞恥心を捨てて、楽しんだ方が精神的にも良い。
 撮影会が終わり、ようやく森との距離が正常に戻る。やっぱり人には適正距離ってあるよな。近いと緊張しちゃう。
「白雪くんも撮るかー? ハート作っちゃるぜー」
 女子たちの後ろでぼんやりしていた白雪くんに声をかける。こういうのあまり好きではないだろうな、と拒否される前提のお誘いだったが、意外にも白雪くんは小さく頷いた。
 予想外すぎて、今日雪が降るのかな? と心の中でびびっていると、控えめに肩に手を置かれた。
「ピースにする? あ、違う! 白雪くんはハート! 指ハートして! あとちょっと離れて結城」
「え? まてまて、こんな離れたら白雪くんのソロショットじゃん!」
「ソロが欲しいので!」
 どんどん白雪くんから離され、ツーショットとは、という状態になったあたりでさすがにつっこみをいれたが、彼女らは気にした様子も無く普通に白雪くんの写真撮っていた。悲しいじゃん。お写真許可取ったの俺ですよ。
 推しの写真を撮った人々は、さあ次の仕事だとばかりに解散していく。なんだったんだよ。腰に手をあてむっとする俺に、白雪くんがそっと寄ってくる。
「結城、俺ので」
 白雪くんがスマホを撮りだし、控えめに差し出す。どうやらこれで撮りたいようだ。ご要望とあらば叶えてやろう。
「じゃ、俺が撮ってあげようじゃない」
「森きゅんやさしー」
「お前が可哀想すぎて優しくしたくなった」
 写真撮りたがったのは白雪くんだから、俺ではなく白雪くんに優しくしたのでは? やや不満だがまあ良い。
 再び白雪くんが俺の肩に手を乗せる。どうしてもそれなんだ。そんなに寄る必要無いと思うんだけどな。わずかな緊張を隠しつつピースをする。
「ハートじゃないんだ」
 無言で頷く白雪くんに、森は「はい撮るぞー」と声をあげる。次いでシャッター音がして、撮影終了。
「ありがとうございます」
「どういたしましてー。じゃ、お仕事しますかぁ」
 白雪くんにスマホを返し、森が大きく伸びをする。格好は女性なのに仕草も声も男過ぎる。や、男なんすけどね、俺も森も。
「戻ろうか、あ、てか休憩一緒だよな――」
 道行く人々を避け、俺は白雪くんを振り返る。彼は何やらスマホを操作しているらしかった。
「できた」
「へ? あっ!」
 す、と前に出された画面には、さっき撮った俺と白雪くんのお写真があるではないか。待ち受けに設定していたのか、意味解らんさすがに恥ずかしい。
 自分の思う可愛い顔をした俺が、白雪くんがスマホ使うたびに出てくるとか地獄すぎんか。いや、アプリのアイコンで隠れるからぎり致命傷で済むかな。済まんわアホ。
「なん、やめ……!」
 俺が手を伸ばすと、ひょいと避けられる。焦る俺をスルーして、白雪くんはなんてことない顔でスマホをスラックスのポケットに戻す。
「中の準備手伝おう」
「え、ええ? 後で変えてね?」
 そろそろと顔を覗き込んで問うが、返事は無い。どういうことだ。

 一般参加者が来る頃になると、準備中の騒がしさとは違う雰囲気に変わる。呼び込みや、人々の話声が波のように響いて、こっちも負けないように声を出す。
 先生やクラスの人たちに許可を得て、美術部のチラシを配ることにした。俺が店の前でお客様をご案内している時限定で、廊下を歩く人にほいほいと渡す作戦である。
 明日の展示にはもちろん来てほしい、だけど新部員が増えることも大事なので新入部員求! という内容も盛り込んでいる。

 チラシを描いてくれたのは、二年の岬先輩と山岸先輩だ。文字がいっぱいあると読まない人も居るだろうから、絵と最小限の文字で、とお願いした。二人とも、漫画を嗜んでいるだけあって白黒でも映えるイラストとなっていた。
 彼女らと話す内に、二人が好きな漫画のキャラを描くのが楽しいから、美術部に入って絵を描いてるのだと知った。
 実は今ちゃん先生に背景や人物のアドバイスも貰っていたそうだ。一応仕事してたんだあの人。
 ただ、内容は完全に趣味のものだから、美術部の活動としてはよろしくないと本人たちは感じていたらしい。部長拒否もそこからきていた。
 それがどうしてやる気になったかって聞いたら、あまりにも俺が落ち込むからというのと、もう少し見ていたいからだそうだ。
 前半は分かるんだけど、後半の意味が分からずぽかんとしていたら、気にしないでくれとはぐらかされた。
 え、もしかして、俺に甘酸っぱい感じの感情抱いてたりします? 青春始まっちゃうかな、ごめん小野田先行くかも。
 その質問をした時に「結城くんはどうして部活を続けたいの?」と聞き返されて、白雪くんのためが七割くらいとは言えず、最近お絵描きがとても楽しいと口にした。
 嘘じゃない。少しずつしか成長していないけど、昨日よりましなんじゃん? と自画自賛している時間は好きだ。

 模擬店では、スタートから少しだけ店内での接客、その後外で受付やら案内係だ。
 バイトでも笑顔は褒められるのでメイド服の存在を忘れてバイトモードに入る。バイト先がコンビニだから飲食店てどうすんの? と手探りだったが何とかなるもんだ。

「明日は文化部の展示かぁ」
「そーなんすよ、もし来るなら美術部もよろしくでーす」
「いけたらいきまーす」
 ご来店してくださった女子二名に、例のチラシを渡し元気にお見送り。
 彼女らは中学生だそうで、この学校に入る可能性がある。媚びを売って損はない。
 意外とチラシを貰ってくれる人が多い。こういうお祭りの空気だからこそ、ガードが緩くなるのだろう。路上でティッシュを配っている人はきっともっと苦労しているのだろうな、そう思うと少し優しくなれそう。残り少ないチラシを整え、一人ほほ笑む。
「わ、っと」
「おーっとすんませーん」
 油断をしていたら、背後から思い切り何かがぶつかってきた。振り返ると、大学生くらいの男子グループだ。四人並んでいて圧迫感がある。あれか、OBってやつかな。
 笑顔で会釈し、床に散らばったチラシを拾う。踏まれなくて良かった。
「あれぇ、男子か」
「見りゃ分かるだろ、お前よりでけーよ」
 紙を拾って立ち上がっても、彼らはまだ居た。興味深そうに俺の顔をじろじろと見てくるので、つい体を引いてしまった。
 少し柄の悪いタイプか、こういうお客様はバ先にもよく来る。だぼだぼのお洋服とあごひげに色付きの眼鏡、あ、サングラスかこれ。
「歩き疲れてません? どうですかお茶でも!」
「えーどうしよっかな、可愛い子いる?」
「皆可愛いですよ!」
「ゆうきちゃんも可愛いもんね?」
 ぶつかってきた男が、俺の名札を見て笑う。後ろでやめろよばか、と大爆笑だ。お客様が楽しいなら何よりです。小道具担当が可愛くデコってくれた名札、あまり触ってほしくないです。
 でも、そろそろ退いてほしい。ここに用がある人が居るかもしれないし、狭い廊下なので通行の妨げになっている。何とかしないと、無理やり店内に押し込むか。
「これ下どうなってんの?」
「え? わ、ふ、普通です」
 短いスカートの裾を持ち上げられ、焦って一歩下がる。
 見ます? とはさすがに言えない。友達同士ならそれくらいの軽口は許されるだろうが、彼らは他人。
 こういう反応すると余計に絡むんだよなぁ、失敗した。こういうデメリットがあるから、弱点は克服すべきだよな。次の一手、どうしよう。引き攣った笑みのまま固まっていると、突然腕を引かれた。
「結城、休憩」
 俺を背後に隠すように、白雪くんがOBたちの前に立つ。俺に用事があるはずなのに、なんだかターゲットが違うような。
「中入りますか?」
「え、いや、大丈夫」
「そうですか。では」
 さらっと会話を終え、白雪くんは俺の背を押す。後ろで、でっか、と言う声が聞こえた。でかいよな。急に現れると、敵襲か? ってなる。
 有無を言わせぬ圧があったのか、彼らは興が削がれたとばかりにその場を去った。
「あー、助かった。ありが、と?」
 お礼を言おうとしたのだが、白雪くんの行動が奇妙すぎて言葉が出なくなる。
 何故か俺の腰に、着ていたカーディガンを巻いている。夏用の薄めの生地でさらっとしたものだ。
 困惑していると、俺と交代で案内係をやる女子がやってきた。髪の毛をサイドで結んで服は黒のスーツだ。俺もその格好良いの着たかった。
「結城くん交代、休憩どうぞー」
「はーい後よろしく」
 手を振って、着替えが置いてある教室に向かうべく一歩踏み出す。
 休憩はローテーションで、その時間で他の出し物を見に行ってこいというスタイルだ。明日は少し変わって、時間も短く休憩は無し。代わりに後夜祭がある。参加自由。
 白雪くんは俺にカーディガンを装備させてから、何もしゃべってくれない。話しかけてはいるのだが、出会った頃のように無言だ。
「絶妙にネタにできない感じの女装やめろ?」
「こっちの台詞なんだけど、ちょっと似合うコスプレやめな?」
 昼飯代わりに模擬店でたこ焼きを食し、小野田のクラスであるB組に向かった。
 店外はやたらファンシーなお化けたちで彩られ、全体的にハロウィン色の強い雰囲気だ。中は、ちゃんとお化け屋敷なのかと思いきや、ミニゲームが点在するアトラクションみたいになっていた。お化け屋敷を銘打っているのに、輪投げをやらせるとはどういうことだ。楽しかったけどね。
 小野田は出口にて、来てくれてありがとうのお土産を渡す係をしていた。
 フランケンシュタインをイメージしたメイクと、頭にはボルトの飾り。ぼろぼろのジャケット。ひょろ長い小野田くんが着るとフランケンというよりゾンビっぽい。
「で、なんで腹にカーディガン巻いてんの? 冷えた?」
「わからん。写真撮ろうぜ」
「仕事中なんだけど」
「接客も仕事っしょ? 白雪くんも入る?」
 とりあえず誘うが、首を横に振られてしまう。
 仕方なしに小野田と二人で自撮りをすることに。クラスの女子に、小顔に見える手の置き方教えてもらったからやってみた所、小野田に爆笑された。可愛いって言え。
「ひー、あひる口やめろって、ノリノリじゃん」
「やっぱこういうのは、堂々としてたほうがそれっぽいんすよ」
「立ち方が男らしくてメイドさんには見えない」
「うるせぇこういうのが好きなのもいんだよ」
 そう、人の性癖は千差万別。この格好でモテても嬉しくないけどね。
「で、そいつ何」
「白雪くん」
 ちら、と俺の後ろに立つ白雪くんを見て小野田が口元を歪める。笑ってるのか微妙なラインだ。
「ちげーよ、ご機嫌斜めでちゅか」
「煽りあいできるくらい仲良くなってくれて俺は嬉しい」
「たまに頭おかしいのかなって思うよ、お前の事」
「なんでだよ」
 あきれ顔の小野田に、同じ顔をし返してやった。
 俺もちょい困っている。妹がご機嫌斜めになったときみたいだ。まじで喋らないから何が悪いかも分からないあれ。
「ガキじゃないんだから、そういうのやめとけー」
 余計な一言を放って小野田は定位置に帰る。離れた位置で手をひらひらと振って、あっちに行けと視線で促していた。なんと薄情な男だ。
 お仕事を邪魔してやろうかと思ったが、丁度出てきたお客さんの対応を始めたのでやめた。
 手に持ったかごからプレゼントを渡す姿を見て、俺たちもあれを貰ったのを思いだす。
 中身はなんだろう、手のひらサイズの四角い紙袋を開くと、中からはお化けのアクリルキーホルダーが出てきた。可愛いけど、こういうのは夏希にあげよう。どうせ取られるから、先手を打って献上だ。
 白雪くんが貰ったのも同じだろうか、聞こうか迷うのはどうにも様子がおかしいからだ。
「あのさ」
「ごめん」
 急な謝罪に聞き返す暇も無く、手を引かれる。
 縺れる足をなんとか動かし、白雪くんについていく。この格好のまま校内をうろつくのはちょっとアレなんですが、よく考えたら今更か。

 どこに行くのだろう、ひたすら無言で歩いて歩いて、人混みを避けつつたどり着いたのは今はもう使われていないごみ収集所だった。
 別棟一階一番奥、廊下の先が土間になっていて、そこにごみを集めて焼却炉にシュート! というのがかつてのごみ捨てだったそうな。今は物置となっており、使われていない机や、謎のカラーコーンなどが放置されていた。
 人の気配が遠い。休憩終わりまでに戻らないといけないのだが、大丈夫かな。
 ていうか、ごめんてなに? どしたん話きこか? なんて、茶化すように言うのはやめよう。
 白雪くんは後ろを向いたまま動かない。
 白いワイシャツが良く似合う背中だ。ただ、いつもはぴんとしている背筋が今はしょんぼり曲がっているのが気がかりである。
 背骨に触れるように、そっと手のひらで撫でる。
「っ」
「あ、ごめん」
「や、違う、ごめん」
 お互い謝ってたら埒あかないと思うんです。
 埃っぽくて薄暗いこの場所でも分かるくらい、白雪くんの頬が赤いような。もしや体調不良。ならここに居るべきではない。
「だい、じょぶ、ですか?」
「だめかも」
「保健室行く?」
「そういうのじゃない」
 違うんだ。俯き加減のお顔も美しい。愁いを帯びた表情が似合いすぎる。
「結城、が」
「ごめんね、俺なんかしたか?」
「結城が、好きだ」
 またそれか、今言う事なのだろうか。ああ、待てよ。わざわざここで口にするという部分に注目し、意味を推理しろ。
 形の良い耳も朱に染まり、ピアスの鈍い銀が際立つ。もともと色白だから、赤くなるとすごく分かりやすい。
 頭の中が纏まらない。辿りつけそうでつかない答えに、梟のごとく首を曲げている俺に、白雪くんが焦れたように手を伸ばす。
 柔い力で抱き寄せられ、喉がひゅっと鳴る。今日は人との接触多いな。そろそろ克服の時だと神の声が聞こえそう。
「本当に、良くないと思っているんだ。でも、どうしていいか分からなくて」
 耳元で震える声がする。俺の思考は完全に停止していて、白雪くんの体温が意外と高いと言う事しか把握できずにいる。
「結城が誰かに触られるのも嫌で、スカート捲られるのも嫌だ。すごくやだ」
 スカートは俺も嫌でした。これからスカート履いてる女性を悪漢から守らねば、と誓うくらいには嫌でした。
「人間は宇宙じゃないから許容量が狭い……」
「そらそうよ」
「俺はどうして、こう、上手くコントロールできないんだろう」
 何やら悔いている。背中に回った腕に徐々に力がこもっていくのが分かる。
 服の上から伝わる腕の形、心臓の音、体温。僅かに動くだけで、俺を抱きしめている人間が人間だって認識する。当たり前だって言われるだろうが、この感覚は実に説明が難しい。
「好きだ。結城に好きって言われたい」
「う、おお、あの、その」
「結城」
 耳元で喋られるとぞわぞわする。こそばゆい。
 ああ、そろそろ駄目だ。ぐらぐらした頭で、白雪くんの肩を叩く。
「ご、ごめん、あの、俺、実は苦手で」
「……!」
 俺の言葉に白雪くんが息を飲む音が聞こえた。あ、これ勘違いされる。駄目だ。
「触られるの、なんか、びゃーってなっちゃって」
「え……、でも小野田とは、結構」
「小野田くらいになると、家族みたいなもんだから平気なんだけどさ」
「おのだ」
 口の中で小野田と繰り返すの、ちょっと怖いからやめて。ちゃんと言っておこう。別に隠していたわけではないし、変な奴と思われたくなかっただけだし。
「さとちゃん事件の後、ちょっと人間が駄目になりまして。その時近所のお姉さんに、人と話す時緊張するなら、全員じゃがいもと思えって教えられてさ」
「よくあるおまじないだ」
「そうそう。俺はそれを実行して実行して、仲いい人以外を同じ人間ではないと思うことで精神を保ってしまって、今もその癖が抜けないんだよね……」
「じゃあ、今まで俺のことも人じゃないと思ってた?」
「いや、人間だけど違う生き物、みたいな」
 例えるなら、線のこっち側と向こう側。急にこっちに来られると縄張りを荒らされたみたいに感じるのだろう。
「変でしょ」
「何となくわかるから、別に」
 分かるんだ。夏休みに聞いた話的に、白雪くんも似たようなことがあったのかもしれないな。
「で、好きってもしかして、恋とか愛?」
 白雪くんの腕から解放されたというのに、まだ心臓がうるさい。これはいつものとは違うかも。原因不明。
 俺の質問に、白雪くんは戸惑いつつもしっかりと首肯した。
 もしかしなくても、俺は一度この告白をスルーしているような……。何故あの時訂正してくれなかったんだ。申し訳なさで、前が見えなくなりそう。
 好きって、好きか。俺を、なんで? 待て、好きって何? やばい冷静になって受け止めると、どうして良いか分からない。
 ていうかお前、俺と付き合っても居ないのにぎゅってしたり嫉妬してたんか。嫉妬はまだしも抱きしめるのは早いだろ。
「えっ? 俺を好き? おかしいって」
「お、おかしくない」
「俺だよ?」
「結城だからだ」
 切羽詰まった表情に、俺は小声でまじかぁと呟く。今、物凄く動揺している。
 お隣のお姉さん、奈々ちゃんを好きになった時は、漠然と好きだなぁ。いい匂い、優しい大好き、みたいな感情を持っていた。
 白雪くんはどうだ。お友達、そして推し絵描き。仲良くなれて嬉しいけど、恋人になりたいとは思っていなかった。
「よく考えろ、俺たちは出会ってまだ一年も経ってない。そして、俺は思うんです。白雪くんはこれから、俺よりも素晴らしい人間と沢山出会うだろうって!」
「俺は今結城が好きで、死にそうだ。これからなんて知らない」
 生死にかかわる問題。甘酸っぱいはずの愛の告白が急に重力増した。
 論点をずらした俺が悪い。だよな、今の話だもんな。未来を考えて今好きな人を諦めるって意味不明だよな。
 どこかから聞こえる笑い声が、むなしく響く。
「結城に触りたい。触らせてもらえる人間になりたい。一緒に居てほしい結城じゃないと駄目なんだ」
「ストップ、ちょっと待って、キャパオーバーするから」
 クールな見た目のわりに熱いじゃないか、友達でいましょうって言ったらどうなるんだ。
 一度落ち着くため、自分の頬を叩く。俺の体温も上がっているのか、手のひらがあったかい。この嫌ではない、まんざらでもないっていう感じが厄介だな。
「俺は、友達だと思って……」
「知ってる。だから、一回はこの感情を殺すべきかとも考えた。出来なかったけど」
 白雪くんの両目が、ゆらゆら揺れる。どんな顔でも様になるって羨ましい。
 とりあえず自分の感情を後ろに下げると、白雪くんを拒否する選択肢が消える。
 だって、心配だし。手を振り払ったら、二度と戻ってきてくれない気がする。人を二度と信用しなくなってしまいそう。俺も俺で、楽しくなってきたお絵描きが出来なくなる未来が見える。
 だが、そんな考えでじゃあお付き合いしましょうって、なんだか変。
 世の中にはなんとなくで付き合うやつらも居るのに、俺はどうしてこう融通が利かないんだか。
「俺以外ともっと触れ合うとか」
「それは、今は話してることに関係あるのか? 解決になると思ってる?」
 思いのほか強い語気で返事がきた。すごい、絶対逃がさないという圧を感じる。優しい絵を描くから、恋愛もふわっとした感じかと思ったけど違うぞこれ。
 選択肢を間違えたらゲームオーバーなタイプのゲーム感に、俺は口を閉ざす。
 そんな姿をどうとらえたのか、白雪くんは眉尻を下げた。
「ごめん」
「お、おう。謝るけど、引く気は無さそうっすね」
「無い」
 強情だ。お母様と喧嘩した時も、こんな感じだったのか。
 笑うしかない俺の頬を、白雪くんが撫でる。頬から耳、首の後ろに触れる手は、俺の体温を確かめているかのようだ。どうしても俺に触りたいのかしょうがない奴め。
「俺がおかしいのは分かってる。困らせてる。良くないと思ってる」
「ね、困っちゃうなぁ。俺、こんな格好だし? 格好付かないっていうか」
 あ、って顔した白雪くんは、それでも俺から手を離さない。さっき苦手って言ったからか、これでも控えめな方なんだろう。言わなかったらまたぎゅってされてた。
「俺がごめんなさいってしたらどうすんの」
「そ、れは……、もう、しかたない、から」
 声は震えて、瞳には水分が増えてきた。まばたきすると、ひかりがくるりと動いて揺れる。
 俺は間違いなく、この男に甘い。しょーがないなぁ! ってなってしまう。お兄ちゃんだからだろうか、どうしたものか。
「結城。時間をくれないか」
「時間?」
 弱気だった表情から、凛々しいお顔に戻った白雪くんはまっすぐ俺を見つめる。
「試しに付き合うのは、駄目、ですか……? それで、有りか無しか考えてほしい、というか」
 途中まで頑張っていたのに、声が徐々に力を失う。
 試しに付き合って、どうするんだ。そのまま恋人続行狙うというせこい手を使うわけではないだろうな。
「期間を決めて、その間に好きになってもらえないなら諦めるから。少しだけ夢を見させてほしい」
 みっともなくてごめん、と白雪くんがぽつりとこぼす。今日は謝ってばっかだな。
「なんつーか、俺相手にもったいないな、いろいろと」
「もったいなくない。結城に好きになってもらいたい。それで、小野田に報告したい」
「なんで小野田?」
「あ、えと、保護者」
 俺の保護者だったのかあいつ。何かやだな。
「で、期限は?」
「来年とか」
「バイトとかの試用期間は大体三か月だぜぇ」
「三か月、というと十二月、か」
 短いな、と小さく呟き、白雪くんはへにゃりと眉を寄せる。
「では、十二月二十四日まで」
「えっ、その日で良いのか? マジ?」
「どんな答えでも、その日だけは恋人でいてくれ」
 どういうことだ、諦め半分じゃん。クリスマスイブに恋人居ました! って言いたいだけの人みたいになってるよ。きみほどの人がそんなこと言うな。
 なんだか俺のが悲しくなってきた。少しの逡巡の後、白雪くんの頭に手を伸ばす。
 髪の毛に指を差し込み、ゆるゆると撫でると、白雪くんが大きく目を見開いた。
「じゃあ、しばらくよろしくね。不束者ですが」
「…………っ!」
「息して」
「こ、こちらこそ!」
 俺の手を取って、再びハグをする。触れ合った胸から早い鼓動が伝わってきて、力の抜けた笑いが出た。
 翌日、文化祭二日目。

 朝は最近多い三人での登校となったのだが、期間限定恋人という狂った状況にただ事ではない精神は、ぎこちない会話として表に出る。本当に口が回らない。
 小野田には不審な目で見られ、白雪くんは俺の様子を不安そうに見ていて、告白されて一応要望を飲んだ形の俺がおかしいみたいだった。
 美術部の展示は美術室ではなく、二階の集会などで使っている教室を利用した。
 展示の準備自体は前日に済ませてあり、あとはお客さんを待つだけだ。
 部員は、学年ごとに交代で教室で待機することになっている。

「へー一応形になってんじゃん」
「やっぱ才能あるかなぁ。 つーかお前、こういう絵じゃなくてあっちにすれば良いのに」
 展示パネルに飾られた絵を見ながら、小野田とだらだら会話をする。あっち、とは漫画だ。
 俺の言葉を無視した小野田は、ぷいとそっぽを向く。
 正直なところ初心者感満載の絵を飾られるのは、物凄く恥ずかしい。だがここは我慢。来年はもう少し成長していたいものだ。
 白雪くんの絵は、やはりすごい。宇宙を海中に見立てたもの、冬の冷たさと寒々しくも美しい星空の絵、春の鮮やかな花々。何個かはSNSで制作途中が載せられていたが、完成品は感じ方が全く変わる。
「あ、レオくんだ。三日に一回今日のレオくん画像送り続けた甲斐あるー」
「嫌がらせかよ」
 白雪くんの最後の絵は我が家の愛犬だった。愛らしい瞳、温かそうな被毛。これは間違いなくレオくん。後で写真撮らせてもらおう。
 小野田の絵は、パステルで描かれたライオンとかトカゲとか、動物がメインのものだ。ちょっとお洒落なデザイン画みたいな画風なのが、癪である。
「二人とも、そろそろ行くね」
「あ、はーい楽しんできてくださーい」
 ひょこっと顔を出した安野先輩は、これからお友達と最後の文化祭を周りに行くようだ。俺たちは、二年の二人が帰ってきたら遊びに行って良し。
 そういえば、さっきから白雪くんの気配が無い。お付き合いするとなってから、やたら傍に居たがるので、背後に居ないと変な感じだ。
 教室の前で待機して、必要なら中の案内と作品の説明をすることになっているため、小野田と俺は外に出る。もう一般参加者もちらほら来るだろう頃合いだ。俺としては、入り口に白雪くんを置いておきたい。客寄せパンダだ。
「おっ、白雪く……」
 教室を出ると、白雪くんが立っていた。ついでに一般参加者、だと思わしき男性も。
 すっごい派手な柄シャツに、光沢感のあるパンツ、そして厳ついサングラス。なにこれ堅気の人であってる? 今ちゃん先生来て。
 小野田と共に警戒状態になっていると、怪しい人はサングラスを頭に乗せてこちらに微笑む。
「まーくんのお友達かな? 初めまして、叔父の秋二です」
「おっ、おじさん? 初めまして、お友達の小野田と結城です! まーくんにはお世話になってます!」
「俺が小野田で、こっちが結城です」
「あはは、よろしくね」
 白雪くん、まーくんって呼ばれてるんだ。まふゆ、だからまーくんね。駄目だ、面白い。にやにやする。
「叔父さん、もう良いから」
「良くない良くない、保護者として活動内容をしっかり確認して帰るよ」
 白雪くんが秋二さんを帰そうとするが、秋二さんはのらりくらりと躱して展示室へ入る。
「えーと、そうだな。誰がなに描いたかとか聞きたいから案内欲しいなぁ」
「白雪行けば」
「……や、俺は」
「恥ずかしがり屋さんだなぁ、じゃ、結城くん!」
「おっけーっす! 何でも聞いてください」
 指名をされて一瞬驚いたが、白雪くんがもじもじしてるのでここは俺の出番でしょう。
 返事をした俺に、白雪くんが手を伸ばして止めようとしてきたが、見なかったことにして室内へ入る。
 第一村人ならぬ、第一お客様だ。大事にしないとな。見た目は凄いけど、優しそうだしお顔も白雪くんがダンディになったみたいで格好良い。
「白雪くんの絵から見ます?」
「いいや、最初からでいいよ」
「じゃ、安野先輩、部長からですね。先輩は……マスコット的可愛さがあります」
「ふふ、絵の説明じゃないんだ?」
 展示の最初の絵の前で、俺は固まる。そうだよな、何故人物から入ったんだ。とはいえ、絵の知識が中途半端なので、この絵がこういった技法でここに拘って描かれていて……とは説明できるわけもなく。
 窓際に座った可愛い女の子の絵、いやぁ、光の表現が素晴らしいですな。なんて浅すぎる感想しか浮かばない。
「ごめんごめん、良かれと思って教えてくれたのに、意地の悪いことを言った」
「い、いえ、何アホなこと言ってんだって感じですよね!」
「いや、真冬が誰とどうやって過ごしているかは聞きたいから、助かるよ。あの子、ちょっとコミュニケーションが苦手でさ」
 にこにこしたまま、秋二さんが足を進める。俺はそれに同意して良いのか、悩みどころだ。
 光沢感のある革靴が、歩くたびにこつんと音をたてる。こんな足先が尖った靴、足が痛くならないのだろうか。
「こっちに来てから学校に行くのを楽しそうにしていてさぁ、叔父としても安心してたんだ」
「そうなんですね。なんか、俺もほっとしました」
「きみが? どうして」
「最初全然お話してくれなくて、実は一緒に登校するようになったのも最近でして」
「それはそれは、甥っ子が苦労をお掛けして申し訳ない」
「あ、いえ、俺結構しつこく話しかけちゃったから、嫌じゃないかなって思ってて! 家でも楽しいって言ってるなら、ほっとするなって!」
 恩着せがましいことを言ってしまっただろうか、そういうつもりではなく、単純に彼が学校を楽しそうにしてくれている、という事実が嬉しかっただけだ。
 何か知らんが告白されるに至ったものの、俺は好きだけど学校は嫌だ、とかそういう状態だったらちょいと悲しいし。
 謎に親目線っぽい感覚だからかうまく言語化できず、変なことを口走った。
「結城くんのことは何度か聞いたよ。犬っぽいって」
「犬、ですか、へへ、よく言われます」
「誉め言葉だよ、可愛いって」
 喜んでいいのかな。もう俺は犬として生きても違和感ないのでは? でも、一応人類のプライドがあるので四足歩行は遠慮したいところだ。
 次の展示は俺だ。できるだけ早いところで! 記憶に残らなそうな位置で! と頼んだ結果白雪くんと安野先輩に挟まれた。これは公開処刑では、と首を傾げたい。
「ここは良いので、次行きましょ」
「どうして? 味があって良いよ。結城くんが描いたのかぁ」
「あー、白雪くんに教えてもらって頑張ったのですが、力が及んでいなくて恥ずかしい」
「いやいや、楽しそうに描けてるよぉ。真冬も教えるの楽しいって、結城くんとの時間が好きみたいだよ」
 楽しそうなのが伝わるなら良い。だから、海か空か分からない謎の青い絵をじっくり見るのを、おやめになって。
「色については教わった?」
「色? 塗り方なら教わりました」
「うんうん、じゃあ次は色の関係を聞くと良いよ。もっと楽しくなる」
 色の関係、補色とかそういうのだろうか。確かにそういうのを知れば、表現の幅は広がりそうだ。
 うんうんと頷く俺に、秋二さんは笑みを深くする。なんだろう、すごく温かい視線だ。我が子を見る目というのだろうか。
 この目、小学生の頃運動会でリレーの選手をやった時に見たな。ビデオカメラとスマホ装備の両親の目だ。
「結城くんには、これからもあの子と仲良くしてもらえたら嬉しい」
「へへへ、俺で良ければ……」
「駄目なわけないって」
 秋二さんも背が高い。俺の頭一個分くらい高い位置にある両目が、柔く細められるのを見上げて、曖昧に笑ってみた。
 さあ、次は白雪くん、といった所で教室の扉が開いた。女子のきゃらきゃらした明るい声が室内に入ってきた。
 声の方を見ると、クラスの女子とその知り合いらしき人たちに引っ張られた白雪くんが、死にそうな顔で立っているではないか。
 目が合うと、無言だが助けを求めているのがひしひしと伝わってきた。
「結城くん、助けないで良いよ」
「へ?」
「ああいうのも経験だ。経験は作品作りに役立つから」
「おおー! かっけーっす」
「でしょー?」
 悪戯っぽく笑う顔が、色っぽい。大人の男だ。俺これになる。
 尊敬のまなざしを送ると、秋二さんはさあ次だ、と明るい声を出す。最初あった警戒心はすっかり消え、散歩に行く犬のように秋二さんの後を追った。


「はい、お疲れ様! 後夜祭は自由参加です。帰ってもいいし、残っても良し」
「はーい、打ち上げは?」
「安野くんが忙しいので無しでーす。その代わり、先輩お疲れさまでした賞がありまーす」
 後片付けを終え美術室に戻った俺たちは、現在終わりの会をしているところだ。
 絵は一旦準備室へ戻し、展示パネルはみんなでせっせと倉庫に返した。重いものを持って何度も往復したせいで、腰が痛い。
 お疲れ様でした賞、知らないぞ。一年男子がぽかんとしていると、岬先輩たちが前に出て、可愛らしい包装をされた何かを安野先輩に手渡す。
「これ、私たちからです。今までありがとうございました」
 知らん、という顔をしている俺たちに、山岸先輩が首を振って何かを伝える。多分黙ってろってことだろう。
 他の2人も察したのか、うるさい男子組が揃って口を閉ざす。特に俺は、絶対ぼろを出すので無言一択だ。
「受験頑張ってください!」
「え、いいの? わあ、うれしいなぁ」
 眼鏡の下の瞳がうるうるしている。予想してなかったプレゼントなのだろう。ここまでほぼ一人で頑張ってきた安野先輩が、ここにきてようやく二人から部長らしい扱いをされている。そりゃもう、お疲れ様というか、良かったねというか、俺も嬉しいよ。
 家に帰って開けるね、と安野先輩がプレゼントを鞄にしまう。正方形のアレの中身はなんなのだろう。
「あ、あの、申し訳ないことに、何も用意で来てなくて」
「部長は良いんだよ、受験が落ち着いたら遊びにきな。あ、コンクールの結果はもうちょいかかるから後で連絡しまーす」
「はい、ありがとうございます」
 今ちゃん先生が先生っぽい。
 安野先輩は、去年から美術予備校に通っていたらしく今年に入ってからは、スケジュールを変えほぼ毎日行っているらしい。
 今日もこの後授業があるので、後夜祭は不参加なのだとか。忙しいのが終わったら、またふくふくした笑顔が見たい。
 二年の二人に、後はよろしくお願いします、と深々と頭を下げた安野先輩が俺たちの方を向く。
「みんなも、二人のサポートしてあげてね。今年は三人が来てくれて本当に嬉しかったよ。小野田くんには無理言ってごめんね」
「いいえ、どうせ帰宅部予定だったんで丁度良かったっす」
 最初は熱心だったくせに、白雪くんが居てガン萎えしてたくせに、いや白雪くんと俺が仲良しで萎えたんだっけ? 今は二人仲良しっぽいから忘れよう。
「白雪くんは、作品からいい刺激を受けさせてもらいました。これからも頑張って!」
「ありがとうございます」
「結城くんは居てくれるだけで良いなって」
「え? 置物?」
「あ、ちがうちがう。存在が助かるっていうか」
「ペットが職場に居ると、癒し効果で効率アップするって言いますもんね」
「ちょ、ちがうから、小野田くんやめてね」
 なんか俺だけおかしい。でも安野先輩が最後なのに真っ赤になって困ってるので、お世話になりました! で終わらせよう。小野田は後で、肩にパンチする。

 後夜祭の時間が近づき、安野先輩を皆で見送って、本日の活動は終了。
 二年が渡したプレゼントだが、二人でお金を出しあって買ったのだという。
 俺たちもお金を出すと言ったのだが、今回展示する作品も作らなかったし、皆は制作を頑張ってくれたから要らないと拒否されてしまった。
 今度それとなくお菓子を買って渡そう。お代の代わりになるかは分からないけど、お礼だ。お別れのプレゼントなんて頭からすっぽ抜けていた。さすが女子。助かる。

「え、お前後夜祭出るんだ!?」
 驚きのあまり、大きくなった声が美術室前の廊下にこだまする化祭二日目。

 朝は最近多い三人での登校となったのだが、期間限定恋人という狂った状況にただ事ではない精神は、ぎこちない会話として表に出る。本当に口が回らない。
 小野田には不審な目で見られ、白雪くんは俺の様子を不安そうに見ていて、告白されて一応要望を飲んだ形の俺がおかしいみたいだった。
 美術部の展示は美術室ではなく、二階の集会などで使っている教室を利用した。
 展示の準備自体は前日に済ませてあり、あとはお客さんを待つだけだ。
 部員は、学年ごとに交代で教室で待機することになっている。

「へー一応形になってんじゃん」
「やっぱ才能あるかなぁ。 つーかお前、こういう絵じゃなくてあっちにすれば良いのに」
 展示パネルに飾られた絵を見ながら、小野田とだらだら会話をする。あっち、とは漫画だ。
 俺の言葉を無視した小野田は、ぷいとそっぽを向く。
 正直なところ初心者感満載の絵を飾られるのは、物凄く恥ずかしい。だがここは我慢。来年はもう少し成長していたいものだ。
 白雪くんの絵は、やはりすごい。宇宙を海中に見立てたもの、冬の冷たさと寒々しくも美しい星空の絵、春の鮮やかな花々。何個かはSNSで制作途中が載せられていたが、完成品は感じ方が全く変わる。
「あ、レオくんだ。三日に一回今日のレオくん画像送り続けた甲斐あるー」
「嫌がらせかよ」
 白雪くんの最後の絵は我が家の愛犬だった。愛らしい瞳、温かそうな被毛。これは間違いなくレオくん。後で写真撮らせてもらおう。
 小野田の絵は、パステルで描かれたライオンとかトカゲとか、動物がメインのものだ。ちょっとお洒落なデザイン画みたいな画風なのが、癪である。
「二人とも、そろそろ行くね」
「あ、はーい楽しんできてくださーい」
 ひょこっと顔を出した安野先輩は、これからお友達と最後の文化祭を周りに行くようだ。俺たちは、二年の二人が帰ってきたら遊びに行って良し。
 そういえば、さっきから白雪くんの気配が無い。お付き合いするとなってから、やたら傍に居たがるので、背後に居ないと変な感じだ。
 教室の前で待機して、必要なら中の案内と作品の説明をすることになっているため、小野田と俺は外に出る。もう一般参加者もちらほら来るだろう頃合いだ。俺としては、入り口に白雪くんを置いておきたい。客寄せパンダだ。
「おっ、白雪く……」
 教室を出ると、白雪くんが立っていた。ついでに一般参加者、だと思わしき男性も。
 すっごい派手な柄シャツに、光沢感のあるパンツ、そして厳ついサングラス。なにこれ堅気の人であってる? 今ちゃん先生来て。
 小野田と共に警戒状態になっていると、怪しい人はサングラスを頭に乗せてこちらに微笑む。
「まーくんのお友達かな? 初めまして、叔父の秋二です」
「おっ、おじさん? 初めまして、お友達の小野田と結城です! まーくんにはお世話になってます!」
「俺が小野田で、こっちが結城です」
「あはは、よろしくね」
 白雪くん、まーくんって呼ばれてるんだ。まふゆ、だからまーくんね。駄目だ、面白い。にやにやする。
「叔父さん、もう良いから」
「良くない良くない、保護者として活動内容をしっかり確認して帰るよ」
 白雪くんが秋二さんを帰そうとするが、秋二さんはのらりくらりと躱して展示室へ入る。
「えーと、そうだな。誰がなに描いたかとか聞きたいから案内欲しいなぁ」
「白雪行けば」
「……や、俺は」
「恥ずかしがり屋さんだなぁ、じゃ、結城くん!」
「おっけーっす! 何でも聞いてください」
 指名をされて一瞬驚いたが、白雪くんがもじもじしてるのでここは俺の出番でしょう。
 返事をした俺に、白雪くんが手を伸ばして止めようとしてきたが、見なかったことにして室内へ入る。
 第一村人ならぬ、第一お客様だ。大事にしないとな。見た目は凄いけど、優しそうだしお顔も白雪くんがダンディになったみたいで格好良い。
「白雪くんの絵から見ます?」
「いいや、最初からでいいよ」
「じゃ、安野先輩、部長からですね。先輩は……マスコット的可愛さがあります」
「ふふ、絵の説明じゃないんだ?」
 展示の最初の絵の前で、俺は固まる。そうだよな、何故人物から入ったんだ。とはいえ、絵の知識が中途半端なので、この絵がこういった技法でここに拘って描かれていて……とは説明できるわけもなく。
 窓際に座った可愛い女の子の絵、いやぁ、光の表現が素晴らしいですな。なんて浅すぎる感想しか浮かばない。
「ごめんごめん、良かれと思って教えてくれたのに、意地の悪いことを言った」
「い、いえ、何アホなこと言ってんだって感じですよね!」
「いや、真冬が誰とどうやって過ごしているかは聞きたいから、助かるよ。あの子、ちょっとコミュニケーションが苦手でさ」
 にこにこしたまま、秋二さんが足を進める。俺はそれに同意して良いのか、悩みどころだ。
 光沢感のある革靴が、歩くたびにこつんと音をたてる。こんな足先が尖った靴、足が痛くならないのだろうか。
「こっちに来てから学校に行くのを楽しそうにしていてさぁ、叔父としても安心してたんだ」
「そうなんですね。なんか、俺もほっとしました」
「きみが? どうして」
「最初全然お話してくれなくて、実は一緒に登校するようになったのも最近でして」
「それはそれは、甥っ子が苦労をお掛けして申し訳ない」
「あ、いえ、俺結構しつこく話しかけちゃったから、嫌じゃないかなって思ってて! 家でも楽しいって言ってるなら、ほっとするなって!」
 恩着せがましいことを言ってしまっただろうか、そういうつもりではなく、単純に彼が学校を楽しそうにしてくれている、という事実が嬉しかっただけだ。
 何か知らんが告白されるに至ったものの、俺は好きだけど学校は嫌だ、とかそういう状態だったらちょいと悲しいし。
 謎に親目線っぽい感覚だからかうまく言語化できず、変なことを口走った。
「結城くんのことは何度か聞いたよ。犬っぽいって」
「犬、ですか、へへ、よく言われます」
「誉め言葉だよ、可愛いって」
 喜んでいいのかな。もう俺は犬として生きても違和感ないのでは? でも、一応人類のプライドがあるので四足歩行は遠慮したいところだ。
 次の展示は俺だ。できるだけ早いところで! 記憶に残らなそうな位置で! と頼んだ結果白雪くんと安野先輩に挟まれた。これは公開処刑では、と首を傾げたい。
「ここは良いので、次行きましょ」
「どうして? 味があって良いよ。結城くんが描いたのかぁ」
「あー、白雪くんに教えてもらって頑張ったのですが、力が及んでいなくて恥ずかしい」
「いやいや、楽しそうに描けてるよぉ。真冬も教えるの楽しいって、結城くんとの時間が好きみたいだよ」
 楽しそうなのが伝わるなら良い。だから、海か空か分からない謎の青い絵をじっくり見るのを、おやめになって。
「色については教わった?」
「色? 塗り方なら教わりました」
「うんうん、じゃあ次は色の関係を聞くと良いよ。もっと楽しくなる」
 色の関係、補色とかそういうのだろうか。確かにそういうのを知れば、表現の幅は広がりそうだ。
 うんうんと頷く俺に、秋二さんは笑みを深くする。なんだろう、すごく温かい視線だ。我が子を見る目というのだろうか。
 この目、小学生の頃運動会でリレーの選手をやった時に見たな。ビデオカメラとスマホ装備の両親の目だ。
「結城くんには、これからもあの子と仲良くしてもらえたら嬉しい」
「へへへ、俺で良ければ……」
「駄目なわけないって」
 秋二さんも背が高い。俺の頭一個分くらい高い位置にある両目が、柔く細められるのを見上げて、曖昧に笑ってみた。
 さあ、次は白雪くん、といった所で教室の扉が開いた。女子のきゃらきゃらした明るい声が室内に入ってきた。
 声の方を見ると、クラスの女子とその知り合いらしき人たちに引っ張られた白雪くんが、死にそうな顔で立っているではないか。
 目が合うと、無言だが助けを求めているのがひしひしと伝わってきた。
「結城くん、助けないで良いよ」
「へ?」
「ああいうのも経験だ。経験は作品作りに役立つから」
「おおー! かっけーっす」
「でしょー?」
 悪戯っぽく笑う顔が、色っぽい。大人の男だ。俺これになる。
 尊敬のまなざしを送ると、秋二さんはさあ次だ、と明るい声を出す。最初あった警戒心はすっかり消え、散歩に行く犬のように秋二さんの後を追った。

「はい、お疲れ様! 後夜祭は自由参加です。帰ってもいいし、残っても良し」
「はーい、打ち上げは?」
「安野くんが忙しいので無しでーす。その代わり、先輩お疲れさまでした賞がありまーす」
 後片付けを終え美術室に戻った俺たちは、現在終わりの会をしているところだ。
 絵は一旦準備室へ戻し、展示パネルはみんなでせっせと倉庫に返した。重いものを持って何度も往復したせいで、腰が痛い。
 お疲れ様でした賞、知らないぞ。一年男子がぽかんとしていると、岬先輩たちが前に出て、可愛らしい包装をされた何かを安野先輩に手渡す。
「これ、私たちからです。今までありがとうございました」
 知らん、という顔をしている俺たちに、山岸先輩が首を振って何かを伝える。多分黙ってろってことだろう。
 他の2人も察したのか、うるさい男子組が揃って口を閉ざす。特に俺は、絶対ぼろを出すので無言一択だ。
「受験頑張ってください!」
「え、いいの? わあ、うれしいなぁ」
 眼鏡の下の瞳がうるうるしている。予想してなかったプレゼントなのだろう。ここまでほぼ一人で頑張ってきた安野先輩が、ここにきてようやく二人から部長らしい扱いをされている。そりゃもう、お疲れ様というか、良かったねというか、俺も嬉しいよ。
 家に帰って開けるね、と安野先輩がプレゼントを鞄にしまう。正方形のアレの中身はなんなのだろう。
「あ、あの、申し訳ないことに、何も用意で来てなくて」
「部長は良いんだよ、受験が落ち着いたら遊びにきな。あ、コンクールの結果はもうちょいかかるから後で連絡しまーす」
「はい、ありがとうございます」
 今ちゃん先生が先生っぽい。
 安野先輩は、去年から美術予備校に通っていたらしく今年に入ってからは、スケジュールを変えほぼ毎日行っているらしい。
 今日もこの後授業があるので、後夜祭は不参加なのだとか。忙しいのが終わったら、またふくふくした笑顔が見たい。
 二年の二人に、後はよろしくお願いします、と深々と頭を下げた安野先輩が俺たちの方を向く。
「みんなも、二人のサポートしてあげてね。今年は三人が来てくれて本当に嬉しかったよ。小野田くんには無理言ってごめんね」
「いいえ、どうせ帰宅部予定だったんで丁度良かったっす」
 最初は熱心だったくせに、白雪くんが居てガン萎えしてたくせに、いや白雪くんと俺が仲良しで萎えたんだっけ? 今は二人仲良しっぽいから忘れよう。
「白雪くんは、作品からいい刺激を受けさせてもらいました。これからも頑張って!」
「ありがとうございます」
「結城くんは居てくれるだけで良いなって」
「え? 置物?」
「あ、ちがうちがう。存在が助かるっていうか」
「ペットが職場に居ると、癒し効果で効率アップするって言いますもんね」
「ちょ、ちがうから、小野田くんやめてね」
 なんか俺だけおかしい。でも安野先輩が最後なのに真っ赤になって困ってるので、お世話になりました! で終わらせよう。小野田は後で、肩にパンチする。

 後夜祭の時間が近づき、安野先輩を皆で見送って、本日の活動は終了。
 二年が渡したプレゼントだが、二人でお金を出しあって買ったのだという。
 俺たちもお金を出すと言ったのだが、今回展示する作品も作らなかったし、皆は制作を頑張ってくれたから要らないと拒否されてしまった。
 今度それとなくお菓子を買って渡そう。お代の代わりになるかは分からないけど、お礼だ。お別れのプレゼントなんて頭からすっぽ抜けていた。さすが女子。助かる。

「え、お前後夜祭出るんだ!?」
 驚きのあまり、大きくなった声が美術室前の廊下にこだまする。
「クラスの奴らと約束したから出る。え? 結城くん誘われてないの」
「なん、え? お、俺には白雪くんが居るからぁ」
「へーそっかぁ、うんうん。クラスに馴染めてる? あ、俺そろそろ行くね」
「うっざ、とっとと行けよ」
 わざとらしい声で心配してる風を装う小野田は、にやけた面で俺たちに手を振る。
 後夜祭とか、漫画とかにあるマイムマイムとか踊るやつじゃないし、楽しそうじゃないから気になんないもんね。カラオケ大会気になるけど良いもんね。
「後夜祭って、夜じゃなくても良いんだね」
「そういえばそうだな」
 まだ夜どころか夕方にも早い時刻だ。俺も誰かと合流しちゃおうかな、確かクラスでの打ち上げは明日だよな。今日は帰ってのんびりしても良いけど、高校で初めての文化祭だしどうしよ。
 と、迷っていると、白雪くんがぽんと肩を叩く。
「後夜祭、出たい?」
「え? いや、別に?」
「でも好きそう」
 微笑む白雪くんは、普段よりも柔らかい空気を出している気がする。
 今の今まで忘れていたが、俺たちは恋人ではないか。そりゃ甘い顔もしますよね。俺はそのやり方分からないんだけど、どうしたら良いの。
 ああでも、こういうみんなで騒がしくしているところを、二人でこっそり抜け出していちゃいちゃとかすっごく恋人っぽい。惜しむらくは、恋人(仮)なことか。
「ふ、二人で帰っちゃう?」
「でも」
「ほらーなんかさ、みんながわーわーしてる時に、二人の時間をとか結構よくない?」
 ひそひそ耳打ちすると、白雪くんは頬を染めるて頷く。
「じゃあ、あの、うちに来ないか」
「叔父さん居るんだっけ、菓子折りいる?」
「なんで菓子折り……? いらない。用があるから今日早めに来たみたいだ」
 甥っ子さんにはお世話になってます。ってやった方が良いかと思ったが、居ないのか。もっとお話したかった。
 家族が居ない家に二人きり、それはちょっと、大丈夫なのかな。白雪くんは澄んだ目をしていて、俺のような不純な思考は無さそうだ。実に申し訳ない。
 だが興味がある。白雪くん、下ネタ平気か? 夜のお供はどんな? とか聞いたらドン引きされるかな。待てよ、ここで俺の悪いところをアピっておけばちょっと思い直すかもしれない。
 昨日の夜少し考えたのだが、俺はどうして白雪くんと友達のままでいたいのだろう。友情と恋の境目はどこだ。
 俺は白雪くんが大好きだから、抵抗することに意味を感じなかったりする。でも恋愛感情ではないような、実に悩ましい。
 美術室を離れ、二階の階段を下りていると白雪くんが足を止める。
「結城」
「はい」
「手を繋いでみたい」
 まっすぐな淀みない声だ。そうだよな。そういうことしたいよな。さっき変なこと考えていたせいで、頭の中がちょっと変だ。
 わざわざ聞いたのは、俺が人に触るのが苦手だと知ったからこそだろう。気を使ってくれている。
「人目につかないとこなら、あの、白雪くん?」
「ん?」
「お試しの範囲って、どこまで?」
 後夜祭目的か、帰宅するのか、俺たち以外の生徒とすれ違うため声を潜めて聞く。恋人、とあえて言わなかったが、伝わるだろうか。
「どこ、まで?」
 あ、駄目だった。不思議そうに首を傾げている。
「その、恋人的なあれそれ? いろいろあるっしょ?」
「えっ、あっ」
 ぼそぼそ声で伝えると、白雪くんは火が付いたみたいに顔を真っ赤にした。ごめん、まだ早いか。でもきみがどこまで望むのかって、重要だと思う。心の準備というか、突然キスってなったら倒れちゃう。
「へ、変なことはしないから……!」
 鞄の中からマスクケースを取り出した白雪くんは、目にもとまらぬ速さで装着する。マスク持ち歩いてるんだね。
 顔が半分隠れたが、耳まで赤いので見る人が見たら様子がおかしいのが丸わかりだ。
「変なこと、って」
「あ、結城ちゃんじゃーん! 白雪くんも居る!」
「え?」
 階段下から聞こえてきた声に、驚いて体が浮きそうになる。
 振り返ると、夏に共にプールに行ったグループがいるではないか。やつら何気に仲良くなってんだよな。その中には森も居て、お前彼女どうしたの? って聞きたくなる。別れて次に行こうとしてるのだろうか。
「後夜祭行く?」
「帰ろうかなって話してたとこー」
「えーなにそれ! 良くないよ」
「うん?」
「二人も行こ、ほら!」
 手招きする女子の後ろで、男子が困り顔で立っている。お前らは白雪くんには来てほしくないんだろうな。
 俺は良いけど、白雪くんは嫌だろう。というか、ここは恋人優先して強気に行かねばなるまい。
「いやー俺らは」
「結城が行きたいなら良い」
「やった! じゃあ決定! 良いよね結城ちゃん」
 圧、物凄い圧を感じる。白雪くんが俺は行かないって言ってくれたら拒否も通ったと思うのですが、どうしてそんなこと言うのですか。女子の目がガチなんですけど。
 白雪くんと女子たちを交互に見て、最終的に頷いた。まあ、あれだ。これも経験、思い出作りだよな。
「だいじょぶ?」
「行きたいんだろ? 俺もたまには良いかなって」
「そうっすね」
 作品作りには、こういうのも必要ですよね。秋二さんの言葉を思い出しながら、俺は階段を下りた。
 時間っていうものは、まだまだ残っていると思っていても気が付くと経っているものだ。
 白雪くんと恋人(仮)になったとといっても、関係が大きく変化したわけではない。
 手を繋ぐのもたまに指をぎゅっとされるくらいだし、急に抱きしめるのもなくなった。友達に毛が生えた程度のやり取りだけだ。
 歩調を合わせて貰っているのだと思う。あれからひと月以上経つというのに、俺はいまだに好きとは、愛とは、という次元を彷徨っている。

「えー! レオくんスケッチしてたの、マジ? すげー」
「結城がせっかく送ってくれたから」
 部活後の帰路、本日小野田が用事で不在なため二人での帰宅となった。
 今日の白雪くんは朝から様子がおかしく、何かを隠している感じがしていたのだが、今理由が分かった。
 先ほど手渡されたA4サイズのスケッチブックは、俺が気まぐれに送っていたレオくんの写真を模写したものが描かれていた。たまに色がついていたり、デフォルメチックな絵柄でも描いてあったりして目が楽しい。
「朝渡したかったんだけど、荷物増やすのも悪いなって。あと、迷惑かもって迷った」
「迷惑なわけないって、俺は白雪くんのファンなので」
 ありがとう、と笑うと白雪くんは少しはにかむ。
 今日は、というか最近の白雪くんはノーマスクだ。俺と居るときはマスクが無い方が都合が良いらしい。なんでだろう。
 ページを捲って、違和感に気が付く。最後の方、レオくんが居ない。代わりの俺が良く知った顔が描かれているではないか。
「あの、俺が居るのですが」
「レオくん描き切ったから」
 文化祭の時のメイドさんの俺、レオくんと写っている俺、そこまでは分かるんだけど記憶の無い俺も居るではないか。
「知らん俺も居る」
「脳内で補った」
 なるほどね、だから本物より格好良いんだ。どういう反応が正解なんだろうこれ。
 白雪くんのおめめがきらきらしてるから、喜ばせようと思って描き溜めたんだろうな。嬉しい、すごく嬉しい。でも恥ずかしい。頭を撫でるべきか、悩ましいところだ。
「お礼に明日お菓子買ってくね」
「え、いや、そういうつもりでは……、明日は俺が付き合ってもらうのに、それだとなんか」
 明日は二人でプラネタリウムに行く予定だ。
 電車とバスを乗り継いて三十分くらいの所に、大型の娯楽施設が出来た。そこに寝そべって楽しむタイプのプラネタリウムがあり、土曜日はペア割引がある。
 それを知った白雪くんが、一緒に行かないかと誘ってきたわけだ。
「あ、春くん」
「へ?」
 そろそろ我が家、といった頃、聞き覚えのある声が俺を呼ぶ。
 驚いて振り返ると、うちの門から出てくる可憐なお姉さんが居るではないか。夕方の暗闇にも負けない輝く笑顔だ。
「え、奈々ちゃん?」
「ひさしぶり、今帰りなんだね。おかえりなさい」
「た、ただいま」
 以前はストレート黒髪だったのに、今はゆるふわブラウン髪の奈々ちゃんは、現在俺の兄と同棲中だ。お互い通う大学が近いからという理由で、やつと一緒に暮らしている。別れた時どうするんだろうと思ったが、順調らしい。
 奈々ちゃんが居るってことは、つまり――
「お、春じゃん、おかえりー」
「なんで居んの?」
「時間があったから顔見せにきた。てか友達? でっか、弟がお世話になっております兄です」
「こちらこそ、白雪と申します」
 軽薄な笑みで頭を下げる兄貴に、丁寧に名乗る白雪くん。最悪だ。この世でもっとも顔を見たくない、そして紹介したくない男との再会。
「奈々、おばさんとこ行かないと」
「そうだね、春くん後でね」
「後で?」
「母さんが飯食ってけって、良かったなー奈々ちゃん大好きだもんね」
「しね」
「生きる」
 けらけら笑って、兄貴は奈々ちゃんの家に向かう。奈々ちゃん家はすぐ隣だ。実は小野田より付き合いが長い。
 二人が去って、ようやく息ができた気がする。そして、そういうえば白雪くんも居るのだったと思い出す。
「ごめん、変なの見せて」
「いや、嬉しい」
「嬉しい?」
 俺の家族に会えて嬉しいってことだろうか、不思議に思っていると白雪くんは焦ったように首を横に振る。
「あの、結城もそういうとこあるんだって」
「そういうとこって」
「つんつんしたところ? いつもにこにこしてるから、たまに心配になる」
 言われて、兄への態度を思い出す。俺はどうしても、あいつにだけは反抗期が抜けない。無神経だし、人の嫌がることをして喜ぶし大嫌いだ。
「やっぱり、慣れてる人には素を見せるんだ。小野田とか」
「小野田と兄貴は違うから、マジで! あと、あれを素って言われるとめっちゃきついやつみたいじゃんか」
「言い方が悪かった、俺にも不機嫌な顔を見せてほしい」
「ええー? 余計にわかんない……」
「結城のいろいろな顔が見たい」
 言葉の選び方が直球だ。恋人ごっこを始めてからというもの、総合して「好き」という意味に繋がる台詞を、こうしてズドンと打ち込んでくる。
 まるでどんな俺でも好きみたいだ。考えれば考える程甘ったるくてむず痒い。
「そうですか、俺はあんま見られたくなかった」
「可愛い」
「もー良いから、ほら帰りなさい。また明日!」
「ん、また明日」
 顔が熱い。暗くて良かった。手を振って去っていく背を見送る。
 ずっと見てるとずっと振り返ってくるので、程よいところで俺はさっと家の中に引っ込んだ。


 兄貴と奈々ちゃんが居ると言う事は、食卓が狭くなると言う事。俺はお誕生日席に追いやられながら、黙々と食事を進める一刻も早くここを抜け出したい。
 家族の笑い声がこんなにも不愉快だとは、反抗期戻ってきちゃったかな。
「いやーこのまま奈々ちゃんが、冬矢のお嫁さんになってくれたら嬉しいよなぁ」
「ちょっと、気が早すぎでしょ。良い男が居たらのりかえてね奈々ちゃん」
 母も父も無神経ではないだろうか、奈々ちゃんが苦笑いをしている。兄貴は俺以上の男は居ないとか言ってるし、なんだこの家族。夏希はひたすら唐揚げ食ってて興味無さそうだ。
「春は彼女いねーの?」
「この子は美術部で忙しいの。廊下に飾ってある絵、お友達が描いてくれたやつなのよ」
 文化祭で展示したレオくんの絵だ。写真撮りたいと言ったら丸ごとくれた。俺のなのに、気が付いたら飾られていた。
「あのレオくんの絵ですか? すごい、高校生であんなに上手なんだ」
「……賞いっぱい取ってる。夏のコンクールもなんか取ってたな」
 夏に出したものは、審査員の推奨賞的なを取っていたような。コンクールのサイトに行くと、白雪くんの作品が載っていて感動した。みんなすごい作品だけど、俺にはいっとう輝いて見えた。宇宙のキラキラと空白のバランスが目を引くのだ。
「美術部って、お前絵なんて描かけんの?」
「春にい最近頑張ってるよ」
 夏希が俺の代わりに答えてくれた。助かるぞ妹よ。
「春くん繊細だから、絵も綺麗なの描けそうだよね」
「繊細? 春が?」
「うん、昔から人の事よく見て気を使ってくれてるっていうか」
 初めて言われたな、繊細。奈々ちゃんは何を思い出しているのか、一人頷く。
 奈々ちゃんは昔から、俺を他の人とは違う視点で見ている気がする。さとちゃん事件の後のアドバイスもそう、人をよく見てるのは奈々ちゃんの方だと思う。
「気を使うやつがさとちゃん事件引き起こすかぁ?」
「冬矢、ちょっと」
 なんて考えてると、クソ兄貴が俺の悲しき過去を引っ張り出す。本人は会話の一つのつもりで悪気が無いのが性質悪い。止めようとする奈々ちゃんはきっと天使だ。
 あれ、俺が自虐するのはまだ良いんだけど、この男に言われると物凄く腹立つんだよな。
「小学生の頃のことでしょ? 春も成長してるの!」
 言って、母も笑う。父もそうそう、と笑っている。
 ごちそうさま、と努めて冷静に声を出し、俺は席を立った。この空間がアウェイすぎて苦しい。