「ここのクレープって美味しいよな」
しきりに頷く海音の隣で、新作のキャラメルチョコバナナクレープを大きな口で頬張る。
夕焼けを見ながらクレープをふたりで食べるのは、特別で嬉しいと思ってしまう。
海音は今やクラスの人気者だし、学年でいちばんのイケメンだと言われている。スポーツ万能で頭も良く、ぶっきらぼうに見えて案外優しい。
そんな人がこんな冴えない女子とクレープを食べるなんて、きっと嫌だろうな。
被害妄想に浸って思わずため息をつきそうになるが、慌てて呑み込んだ。
「夕愛、このクレープ食べる?ベリーベリースペシャルめっちゃ美味しいから」
食べかけのクレープをずいと差し出され、フリーズしてしまった。一応受け取ったものの、どうするべきなのかがわからない。他の女子にもこんなことをしているのだろうか。
海音が気にしていないのならいいけど、これって、間接キスになっちゃうのでは。
「あ、ごめん……」
海音は大きく腰を曲げ、頭を抱えた。
「不衛生だよな。本当にごめん。俺、デリカシーなさすぎ……」
「べ、別に大丈夫だよ!間違えることは、誰にでもあるよ……」
フォローになってない言葉を繰り返しながら、両手にクレープを持ってフリーズする私と、赤い顔を隠しながら俯く海音。
気まずさを振り払うように笑って見せると、海音は少しずつ、落ち着きを取り戻していった。
クレープを彼に返して、アイスの溶けそうな部分をペロリと舐めた。
大好きなチョコレートと食べるとすごく甘いけど、私はこれくらいの甘さのほうが好きだ。
最後の欠片を口に押し込んで、手を合わせる。
「あのさ、話したいことがある。今日はクレープ食べるためもあるけど、話をしたかったんだ」
さっきまで美味しそうに頬張っていたクレープが消え、海音の顔から笑みが消えていた。
「俺に隠し事とかあるんじゃないか?最近、表情が暗いし……」
急に心配され、背筋がぞくりとなる。もしかして、気づかれた?私の悩み。いや、病気に。
「や、あるわけないじゃん。あったらこんな、元気ないって!もー心配しすぎ。海音のほうがもしかして悩みとか、あったりして?」
あれ、上手く笑えない。表情筋が凍ってしまったかのように動かない。
「あのさ、もう、やめよう……」
手首あたりをぐっと掴まれた。その力強さに驚く。彼の掌は驚くほど冷たくて、震えていた。
「嘘つくなよ。ずっと、無理してんだろ?俺に話したらきっと楽になるよ」
「海音には関係ないじゃん……別に大丈夫」
あえて、冷たい言葉を海音にぶつける。彼の手を振り払い、薄く笑う。今は笑顔を意識しない。そして私は、嘘をつき続ける。
「私のこと何も知らないくせにさ。知ったような口、きかないでよ」
もう、関わらないほうがいい。こんな、変な子なんかと。海音に、これ以上悲しい思いをさせたくない。それなら、私が離れればいい。嫌われればいい。
彼はきっと自分を責めるだろう。なぜ、病気に早く気づけなかったのだろうと。優しいからこそ、その苦しみを一生背負い続けることになってしまう。
「だからさ、もう、やめ……」
「俺、夕愛が心配だ。自分がその程度の人だって決めつけて、傷ついたことに蓋をして、見てみぬふりをして。傷ついたんなら、言えよ。癒やすのも必要だろ……」
その心配そうな顔を見ると、再び心臓がぎゅっと鷲掴みにされたように痛む。でも、さっきとは違って苦しい痛みじゃなくて、なぜだか嬉しい。
感情を失いつつある私は、複雑な感情がわからなくなっていく。どうすれば、この感情の名前を見い出せるのだろう。
「今まで夕愛にこのことを言えなくて、ごめん。本当は、気がついていたんだ。夕愛が何か抱えてて、苦しんでるってことに。でも、夕愛から言ってほしくて。無理やりじゃ、本音はわからないって思ってたから」
海音が私の頬を両手でそっと包み込んだ。頬に当てられた手がひんやりとして心地いい。思わず、目を閉じる。
コツンと額に優しく何かがぶつかった。そろそろと目を上げると、目の前には海音の顔がある。
「少しは、俺を頼ってよ……俺は、夕愛のことが……」
途中で口を噤み、笑った。
「友達だから。大切な」
そっと離れた海音は苦しげに目を細めた。
「どうかしたの?どうしてそんなに、苦しそうなの?」
私の呼びかけに首を横に振り、微笑を浮かべる海音のほうがつらそうだった。
でも、その目は真っすぐに私を捉えていて、苦しげでも揺るぎない決意が込められている。
夕愛の苦しみを教えて、と。
「話したら、海音がつらくなっちゃう。私の手で誰かを苦しめるのはもう、嫌なの……」
私が今まで海音に胸の内を曝け出せなかった理由。
ただ単純に、怖かった。
病気のことを打ち明ければ、海音は寄り添ってくれるかもしれない。でも、それ以上に苦しみを募らせることになる。
「それでもいい。俺と夕愛でお互いの苦しみや不安を半分にすればいいんだよ。ひとりじゃ重すぎても、ふたりならきっと大丈夫」
きっぱりと言い切る海音の言葉に、嘘は含まれていなかった。
「こんな私の、話を聞いてくれるの?」
「もちろん。いくらでも聞くよ」
「海音は苦しくならない?話を聞くことで、つらくなったりしない?」
「夕愛が話してくれないほうが悲しいし、つらいよ」
「幻滅しない?」
「するわけないだろ。俺は夕愛のこと、大切な友達だと思ってるんだから」
私の質問にひとつひとつ答えて柔らかく微笑む海音の言葉に、胸の奥から光が溢れてくるように感じた。
私の全てを受け入れてくれる彼を、人間を、初めて信じたいと思った。
「私ね、ずっとつらかった。苦しかった。夏実と彩音と上手く話せないし、心の距離が遠く感じる。継母が大嫌いで、お父さんとふたりきりで暮らしたくて。お母さんが亡くなってから、ずっと、ずっと我慢してた」
漏れ出た不安を海音は声も出さずに、ただ聞いてくれる。私の内側から出る本音は濁流のように押し寄せてきて、止まらない。
「私ずっと、死にたいって思ってた。ここにいる意味あるのかなって。誰も必要としてくれないんだから、私なんていなくてもいいんだって」
海音の目から大粒の涙が零れ落ちた。あとからあとから流れてきて、服にしみを作っていく。
「ごめん、俺が話を聞けばよかった。強引でもいいから、話をすればよかった。今度はさ、困ったら、俺に助けを求めてよ。叫んでよ。必ず、夕愛を見つけて助け出してみせる」
抱きしめてきた海音の肩に顔を埋めながら、ごめんと囁く。
「夕愛、何か言った?」
「ううん、何も。ただ、ありがとうって言ったの」
嘘をついて、ごめん。
苦しめて、ごめん。
泣かせて、ごめん。
病気のこと、どうしても言えない。ごめん。
でもね。
これからは、海音になんでも話したいと思ったよ。
楽しいことも、苦しいことも、ありふれた会話でいいから、これからも海音と話したい。
あぁ、そっか。
私。
ーーーーー海音のことが、好きなんだ。
*
ごめんと力なく呟いた夕愛の言葉の意味を聞き返そうと思ったけれど、それは叶わなかった。
「夕愛?」
突然ぐったりと俺の腕の中に倒れ込んだ彼女の身体をしっかりと抱きとめ、呼びかける。
「夕愛……おい、夕愛!どうしたんだよ……おい!」
彼女の顔はいつにも増して青白くなっている。頬にそっと触れると、驚くほど冷たかった。
震える指でスマホを操作し、救急車を呼んだ。周りにいた人達がいろいろと手伝ってくれたけれど、あまり覚えていない。
ただ、はっきりと記憶に残っているのは、車内で夕愛が目を覚まし、力なくぽつりと漏らしたひと言だけだった。救急隊員の指示のせいで、そのひと言はかき消されてほとんど聞こえなかった。
「あぁ、そっか……」
ただ、それだけだった。その後が、知りたかった。
でも、俺に聞く価値なんて、ないのかもしれない。
彼女の柔らかな微笑、朗らかに笑ういつもの姿、時折見せる、切なげな瞳。その全てが愛おしかった。
再会した瞬間にわかった。この子は昔出会った、俺の初恋の人だと。
幼稚園の頃だったから、君はもう覚えていないかもしれない。でも、俺は片時も君を忘れたことはなかった。
再会のときは酷かったが、あの雰囲気を作り出したのは俺だ。照れくさくなってしまって、思わず反抗的な態度をとってしまった。
でも、段々と素直になれたように思う。それは夕愛が昔と変わらなかったから。
でも、昔よりも嘘をつくようになっていた。自分の心を深く傷つけるような嘘ばかりつく夕愛に、俺は腹立たしく思ってしまった。なんで素敵な人なのに、自分を卑下してしまうのか。
何度もそう言おうとした。でも、言えなかった。そのせいでまた、夕愛の苦しみに気づけなかった。
今、夕愛は病室のベッドの上で横たわっている。
機械の電子音は一定のリズムを刻んでいて、夕愛がまだ生きていることを知らせてくれている。けれど、夕愛の頬は青白く、固く閉ざされた瞼を見る限り、俺は安心できなかった。
あれからもう1週間も経っているのに、夕愛は目を覚まさない。
その1週間のうちにいろいろなことがあった。
夕愛の両親が一度、お見舞いに来た日があった。
涙を流す父親と、苦虫を噛み潰したような顔をする母親にどこか、変だなと思ってしまった。
夕愛の父親から、母親は実は、夕愛と血の繋がりはない継母であると聞いた。
だからあんなに冷たい目をしているんだ。そのことは父親は気づいていないようだった。
毎日お見舞いに行く俺と、夕愛の父親。母親は忙しいから、用事があるからと理由をつけて、お見舞いに行こうとはしない。
それから毎日ふたりでお見舞いに行くものの、現状は変わりそうになかった。

