消えたい私は、いつか消える君に恋をした。

朝の光は、容赦なく現実を連れてくる。

目覚ましが鳴る前に目が覚めるのは、もう珍しいことじゃなくなっていた。
天井を見上げたまま、しばらく動けない。
昨日の夜、公園で蒼と話したことが、ゆっくり浮かび上がる。

ーー怖いままでいいよ。

あの言葉は、優しさだったのか、それとも距離だったのか。

布団から抜け出し、カーテンを開ける。
白い朝日が差し込む。
影が床に落ちる。
私の影。
はっきりとした、輪郭のある影。

蒼には、それがなかった。

洗面所で顔を洗うと、冷たい水が頬を刺した。
鏡の中の自分は、いつも通りの高校生だ。
寝不足な目、少し乱れた前髪。

「凪、起きてる?」

キッチンから母の声がする。

「起きてるー」

「朝ごはんできてるよ」

リビングに入ると、味噌汁の匂いが広がっていた。
テーブルには、焼き魚と卵焼などが並んでいる。

「最近早起きね」

「うん。目が覚めちゃうの」

「ちゃんと寝れてる?」

お母さんの視線が心配そうに揺れている。

「大丈夫だよ」

反射的にそう言ってしまう。

本当は、眠りが浅あとわかっているのに。

「無理しないでね」

「うん」

それ以上、母は踏み込んでこなかった。
昔からそうだ。
私が言わないことを、無理に聞き出そうとはしない。

それが優しさだとわかっている。

でも時々、少しだけ寂しい。

学校へ向かう道、私は足元を見る。
自分の影が、アスファルトに伸びている。

もし今、蒼がこの場所にいたら。

隣にはきっと、何も落ちないのだろう。

教室はいつも通りの騒がしさだった。
紗季が大きく手を振る。

「おはよ、凪」

「おはよ」

「なんかさ、最近ますますぼーっとしてない?」

「そんなことないよ」

笑って誤魔化す。
紗季は、そんな私をじっと見つめた。

「悩みごと?」

「そんなのないよ」

即答すると、彼女は少しだけ不満そうな顔をした。

「言いたくなったら言ってね」

「ありがとう」

胸の奥が、ちくりとする。

言えるわけがない。

幽霊に会っているなんて。

放課後、私はいつものように公園へ向かおうとして、立ち止まった。

今日、行かないという選択は?

蒼は「毎日来なくてもいい」と言った。

でも、足は自然と公園の方へ向かっていた。

夕方の空は、薄く橙色に染まっている。
公園は静かで、子どもの姿もない。

ベンチのそばに、蒼は立っていた。

「今日は早いね」

「部活ない日だから」

「へえ」

蒼は相変わらず、少し距離を置いた笑みを浮かべる。

私はベンチに座る。
蒼も隣に腰を下ろす。

「凪」

「なに?」

「最近、無理してない?」

不意に核心をつかれた。

「、、、してないよ」

いつもの癖が出てしまった。
誰かに心配をかけないよう、取り繕ってしまう癖が。

「嘘だ」

そう、きっぱり言われた。

私は視線を逸らす。

「顔、疲れてる」

「蒼に言われたくない」

蒼だって、なんだか顔色が悪い気がした。

「俺は寝なくても平気だから」

「そういう問題じゃない」

思わず、強い口調になる。

蒼は少し驚いた顔をしたあと、静かに言う。

「ごめん」

その一言で我に帰る。

「あ、違うの。蒼が悪いんじゃない」

「じゃあ、なに?」

言葉に詰まる。、

私はきっと、怖いのだ。

蒼に頼りすぎてしまいそうな自分が。
蒼が消える未来が。
他人に何も言えない自分が。

「私さ」

ゆっくりと息を吐く。

「ここに来ると、楽になれるんだ」

「うん」

「学校でも、家でも、ちゃんとしなきゃって思うのに」

母と二人きりの生活。

父はいない。

母は一人で働いて、私を育ててきた。

だから私は、困らせたくない。
心配をかけたくない。

「でもここでは、全てちゃんとしなくてもいいんだって思える」

蒼は黙って聞いている。

「だけどね、楽な反面、どこか怖くも感じるの」

「なんで?」

「ここにしか居場所がなくなったらどうしようって」

言ってしまった。

蒼は、しばらく何も言わなかった。

風が吹く。
木の葉が揺れる。

「凪」

「うん」

「ここは、逃げ場でいいよ」

「、、、」

「でも、凪が思うように、ここだけにしてはいけない」

静かな声だった。

「凪には、家もある。学校もある。友達もいる」

「でも、、、」

「俺は、そのどれの代わりにも、なってあげられない」

胸が痛む。

わかっている。

わかっているけれど。

「俺は、凪の全部にはならない。なってはいけないんだ」

蒼は、まっすぐ前を見たまま言う。

「このことを忘れなければ、凪はきっと大丈夫だよ」

私は何も言えなかった。
蒼に「大丈夫」と言われても、怖いという気持ちがゼロにはならなかったから。

帰宅すると、母はまだ仕事から戻っていなかった。

静かな部屋。
電気をつけると、少しだけ安心する。

制服を脱ぎ、ベッドに座る。

蒼の言葉が頭を巡る。

ーー俺は、凪の全部にはならない。

それは、拒絶なんかではない。
でも、甘えを許さない優しさだ。

しばらくして、玄関の鍵が開く音がした。

「あら、凪。帰ってたのね」

「うん、ただいま」

「おかえり」

母は疲れた顔で笑う。

「今日も遅くなっちゃってごめんね」

「ううん、大丈夫」

「凪、もうご飯食べた?」

「まだ」

「じゃあ、一緒に食べよっか」

キッチンに並ぶ。
母が野菜を切る音が、規則的に響く。

「凪が最近よく行ってるのって、公園よね?」

「うん」

「昔から凪はあの公園好きだったわよね」

「そうだっけ」

「そうよ。近所の男の子とよく一緒に遊んでたわ」

昔のこと過ぎて、私の記憶には全然残っていなかった。