急いで雪哉を追いかけた。しかし、マンションを出たらもう雪哉の姿はなかった。どっちへ行ったのか分からず、とりあえず駅の方へ行ってみたが、会えずじまいだった。メッセージを送ったが既読スルー。電話を掛けたが出てくれなかった。もう仕方がない。夜にでもまた電話しようと思って一旦諦めた。
 大学へ行って講義を終え、帰ろうとしたら井村に会った。
「あ、ミッキー、いい所にいた」
そう言うと、俺をちょっと人の居ない方へ引っ張っていった。
「あのさ、ユッキーとはどうなってんの?」
井村は小声でそう聞いてきた。
「ああ、えーと……、無事つき合う事になったよ」
以前、雪哉には恋人がいるからまだつき合っていないと話した事があったので、そう伝えた。ちょっと照れる。
「そうか、おめでとう。でも、それだとちょっと問題なんだけど……」
井村は先程あった話を聞かせてくれた。
 井村は、昼休みに牧谷とたまたま会い、一緒に学食で飯を食った後、しゃべっていたそうだ。すると、牧谷の電話が着信した。
「もしもしユッキー?どうしたの?」
と牧谷は井村の目の前で電話に出た。初めはのんびりとした調子だった牧谷は、だんだん深刻な感じになって、
「ユッキー、今からそっち行くから。今どこ?」
と言いながら立ち上がり、井村に目配せだけして、電話をしながら去って行ったそうだ。
「なんか、怪しい気がしてさ。まあ、ミッキーとユッキーがつき合ってるんだったら、俺の取り越し苦労だとは思うけど」
と井村は言った。
 その話が本当だとすると、雪哉が泣きながら牧谷に電話をかけ、辛い事があったから話を聞いて欲しいとでも言ったのではないだろうか。俺と美雪ちゃんの壁ドンシーンを目撃した雪哉が、自分を慰めてくれる相手を牧谷に定め、呼び出したのではないか。
 目の前に、慰める牧谷と甘える雪哉の像が浮かんだ。男の事で辛い事があったからって、別の男に慰めてもらおうなんて……雪哉がそんな軽いやつだとは思わなかった。幻滅だ。牧谷に好意を寄せられている事を、雪哉も気づいているだろう。そんな、自分に好意を寄せている相手に慰めてもらおうなんて、なんて浅ましいんだ。雪哉がそんな男だったなんて。
 だから、俺はその夜も電話をしなかった。
 次の日の夜、バイトが終わって帰宅した頃、雪哉から電話が掛かってきた。一瞬躊躇しつつも、雪哉の可愛い笑顔が頭に浮かび、電話に出た。
「もしもし?」
雪哉の声がした。俺が黙っていると、
「涼介、ごめん。美雪からちゃんと聞き出した。涼介は悪くないよね。でも、僕はトラウマになっていて、つい逃げ出してしまったんだ」
雪哉が言う。誤解は解けたようだ。だが、あまり喜んでもいられない。牧谷の事があるから。
「別にいいよ。でもお前、それで昨日は牧谷を呼び出したんだろ?」
つい、冷たく言ってしまう。
「え?」
雪哉はそう言った後、しばらく黙った。だから俺は続けた。
「トラウマは分かるけどさ、それですぐに別の男に慰めてもらおうなんて、ちょっと軽くないか?」
「ち、違うよ!昨日はマッキーに借りていた本を返そうと思っただけだよ。慰めてもらおうとか、そんな事全然……」
「でも、牧谷がお前の事を好きなの、知ってるんだろ?牧谷はお前からの電話ですっ飛んで行ったそうじゃないか。泣き落としで呼び出して、それで」
「違うって!泣き落としなんて!」
「俺、なんかお前に幻滅したな」
俺がそう言うと、しばらく黙った後、雪哉はそのまま何も言わずに電話を切った。

 うおー!俺は何をしているんだ。何て酷い事を言ってしまったんだ!言った3秒後に後悔した。雪哉は本を返す用事があって牧谷に電話をして、でも、多分泣いた後だったから声がおかしくて、それで牧谷が血相変えて出て行った、そんな所だろう。それで、会った2人がどうしたのかは分からないが、まさかいきなり寝たりはしてないだろう。友達なんだから。
 ああ、それが分かっていながら、つい話の流れで感情が高ぶり、暴言を吐いてしまった。今までの雪哉の言動を見ていたら、そんな軽いやつのはずはないのに。俺はどうしてあいつを信じられなかったのだろう。今、声を聞いたら、ちゃんと以前の気持ちに戻っていたのに……。後悔先に立たず。
 後悔し、懺悔した俺は、改めて雪哉に電話を掛けた。しかし、やっぱり出てくれなかった。

 雪哉は、俺が雪哉に対して持っていたイメージとは、ちょっと違っていたのかもしれない。あいつの性格を見誤っていたかもしれない。
 なんだかんだ1週間が過ぎ、またスキー部のトレーニングの日がやってきた。この数日の間、何度か雪哉に電話を掛けたが、一向に出てくれないし、メッセージにも返事をくれなかった。
 俺が集合場所に行くと、みんな既に来ていた。雪哉もいた。どんな顔をして会えばいいのやら、と躊躇いながら近づいていくと、雪哉も俺が来た事に気がついた。そしてあろう事か、ササッと牧谷の横へ移動して座ったのだ。しかも、牧谷と腕を組むようにして、
「マッキー、今日暇?」
と、俺に聞こえるように大きい声で言ったのだ。周りにいた鷲尾や井村もぎょっとして雪哉と牧谷を見た。
「え、今日?うん、暇だけど」
牧谷が少し狼狽えて答える。そりゃそうだよな、憧れのユッキーに腕を取られて話しかけられたのだから。
「じゃあさ、ご飯食べに行こっか?」
雪哉はそう言って、俺の方をこれ見よがしに見る。なんだー?俺に何か言って欲しいのか?うーん、ここで嫉妬して、俺と行こうなどと言ったら負けな気がする。
「あーあ、今日暇だなぁ。誰か一緒に飲みに行ってくれないかなー」
つい、俺も大きい声で言いながら伸びをしたりして。チラッと雪哉を見ると、ちょっと悔しそうに唇を引き結んでいる。しめしめ。すると、
「なーに?三木くん暇なのー?私も暇だから、一緒に行ってあげるわよ」
って、スキー部外の女子から声が掛かった。
「え?」
驚いてそちらを見ると、確かにちょっと顔見知りの女だった。俺がどうしようかと思っていると、
「はいはーい!私も暇!三木先輩、私と一緒に行きましょうよー」
今度は知らない女も寄ってきた。そして、俄にそこら辺がザワザワし始めた。
「やばい」
俺、まずい事を言ったかも。ほら、雪哉がこれを止めてくれないと!そう思って、雪哉の方を振り返ると、ものすごく悔しそうな顔をしてこちらを見ているが、相変わらず牧谷の腕を掴んでいる。どうする?雪哉、お前はどうする?俺はどうする?
「ねえ、そしたらさ、ミッキーも一緒に行こうよ。俺たちと」
そこへ、牧谷がたまらず声を発した。とりあえずナイス助け船だ。女どもは断って、牧谷と雪哉と俺の3人でご飯を食べに行くことになった。
 トレーニングが終わり、3人で近くのファミレスに入った。雪哉はササッと牧谷の隣に座る。そして、俺の事をチラ見するのだ。あーむかつく。俺は2人の前にどっかりと座った。
「あ、俺ちょっとトイレ行ってくる」
牧谷はピューっと逃げた。あれ、なんで逃げるんだよ。2人で置いて行かれたら気まずいじゃないか。俺と雪哉は目を見交わしたが、とにかくそれぞれメニューを手に取った。
 沈黙が耐えられず、何か言わずにはいられなくなった。メニューに目を落しつつ、
「なんだよ、あれ。なんで牧谷を巻き込んでるんだよ」
とりあえず、言いたい事を言ってみた。
「僕に幻滅したんだろ?嫌いになったんだろ?だったら、僕が誰と何しようがどうでもいいじゃないか」
同じくメニューに目を走らせながら、雪哉が言う。完全に拗ねているな、これは。
「いや、だからそれは……」
俺が言いかけると、牧谷が戻ってきた。なので、この話は一旦打ち切り、注文をした。
 3人では、とりあえず当たり障りのない話をしつつ、飯を食う。雪哉がドリンクバーの飲み物を取りに行った時、俺は牧谷にふと聞いてみた。
「そういえば、牧谷が雪哉に貸してた本って何?」
「ああ、法律の本だよ」
と、牧谷が即答した。ふむ、牧谷は法学部だもんな。雪哉がなぜそれを借りたのかは知らんが、とにかく雪哉の言い訳は本当の事だったと認めよう。
「なんで知ってるの?ユッキーが俺に本を借りてた事」
他意なく、牧谷が聞いてきた。
「え?えーと、この間ほら、その本を返した時の事をさ、ちょっと井村に聞いたから」
また、バカ正直な俺が言うと、
「ああ、あの時ね。ユッキーが泣いてると思って、慌てて行ったんだよな」
牧谷が言いながらちょっと笑う。
「そ、それで?雪哉は泣いていたのか?」
俺は前のめりに聞いたのだが、ちょうどそこへ雪哉が戻ってきてしまい、牧谷はもうその質問には答えてくれなかった。
 それ以上何事もなく食事が終わり、解散した。その後で、牧谷からメッセージが来た。ちょっと話したいから、明日の昼休みにある教室へ来いと書いてあった。
 翌日、指定された教室へ行くと、牧谷の他には誰もいなかった。
「よう」
「おう」
とりあえず挨拶をして、近くの椅子に座る。買ってきたサンドイッチなどを広げ、俺が食べ始めると、牧谷が話し始めた。
「あのさ、君たちどうなってるの?」
「え?」
いきなり、なんだ?
「ミッキーとユッキーは、喧嘩でもしてるわけ?」
「ああ、まあ……そうなんだ」
渋々認める。
「それで、どうして俺が間に入らされてるんだよ」
確かになぁ。たまたま本を返すタイミングだっただけで巻き込まれて。いや、待てよ。それがもし鷲尾だったとしたら、この役割は鷲尾だったのだろうか。まさか、牧谷だから、牧谷がそれなりにイケメンだから巻き込んだとか。だとしたら雪哉め、やっぱり軽いやつじゃないか。
「ミッキー?」
俺が黙ってしまったので、牧谷が俺を呼んだ。
「ああ、えーと。それは、つまり……。ほら、あれだよ」
「何を言ってるんだよ。もしかして2人はつき合ってるわけ?それで痴話げんかでもしたから、ユッキーは俺と仲良くしてミッキーに当てつけてるってわけ?」
おお、よく分かっているじゃないか。
「適切な説明、ありがとう」
「やっぱりそうかぁ。ミッキーに取られちゃったんだなー。危ないとは思ったんだよね。ミッキーはイケメンだからな」
「雪哉は面食いだからな。多分」
自分でこれを言うのも何だが。
「でも、喧嘩中って事は、ワンチャンこのまま別れるって事もありなわけ?いや、そうだよ。俺今すげーチャンスじゃね?」
牧谷がちょっと興奮気味に言う。
「いや、それは」
俺が言いかけても聞く耳持たず、
「そうと分かればもう遠慮はしないよ。俺はこのチャンスをものにするからね。じゃ!」
呼び出しておきながら、牧谷は俺を置いてさっさと行ってしまった。俺はそのまま座って飯を食った。
 バイトや課題やバンドの練習などもあり、一週間はあっという間に過ぎる。次のスキー部のトレーニングの日がやってきた。
 先週は、雪哉が牧谷にこれみよがしに近づいて行った。今日は一体どうなるのかと不安に思いながら俺が姿を現すと、なんと!牧谷が雪哉の肩に腕を回しているではないか!仲間内で輪になって座ってしゃべっている。牧谷が無遠慮に雪哉にくっついているものだから、鷲尾は話しながらもチラチラと牧谷の腕に視線を走らせていた。遠目で見るとちょっとおかしい。
「よう」
俺は思わず、牧谷が雪哉の肩に回している腕を振り払うようにして、2人の間に割って入った。すると鷲尾がニヤッと笑った。
「よう、ミッキー」
鷲尾が言った。牧谷の顔を見ると、明らかに憮然としている。雪哉はまだ俺の物なんだよ、というメッセージを視線に込める。冗談じゃない。牧谷には負けられない。
 トレーニング中も、2人組になって柔軟体操をする時などは、牧谷が真っ先に雪哉と組む。仕方なく俺は鷲尾と組む。鷲尾も面白くなさそうな視線を牧谷に送る。でもごめん、鷲尾にチャンスはないぞ。元々自分の方がリードしていると言っていた鷲尾だが……鷲尾よ、残念ながら全くそうではないぞ。
 ランニングも終わり解散になった。今日はこの後の約束をしていないが、一体どうしたものか。モヤモヤしつつも、みんなで着替えて外に出た。
 少々薄暗い黄昏時。みんなで門の所へ行くと、
「涼介さん、見ぃつけた!」
と、女の子の声がした。近づいて来たショートボブの女子は、
「美雪!」
雪哉にそう呼ばれた、雪哉の妹だった。
「あ、お兄ちゃんもいたの?」
美雪ちゃんがそう言うと、
「え!?」
井村、鷲尾、牧谷が同時に声を上げた。
「もしかして、ユッキーの妹?」
井村が言う。
「うん」
雪哉が答える。
「うわー、そっくりだね」
井村が言うと、
「よく言われます」
美雪ちゃんが可愛く答えた。そして俺の方に向き直り、
「涼介さん、ちっともうちに来てくれないから、迎えに来たわよ」
と言う。
「あのね、言ってるでしょ、俺は君には興味ないの」
俺が言うと、
「えー、嘘でしょー」
美雪ちゃんが俺の腕を手にとってぶらぶらさせる。
「やめなさい」
俺はぶらぶらされていない方の手で美雪ちゃんの手を剥がした。すると、
「あ、美雪ちゃんって言うの?」
「すっごい可愛いね。大学生?」
牧谷と鷲尾がずずいっと近寄ってきて、俺と美雪ちゃんの間に入ってきた。俺は押し出されて彼らの後ろへずれる。何だ何だ?
「ユッキーに妹がいたなんて知らなかったよ。一緒に住んでるの?」
「うん」
「へえ。あ、俺ね、牧谷って言うんだけど」
「あ、そう」
牧谷のやつ、まさかとは思うが……すっかり美雪ちゃんに夢中じゃねえか。鷲尾もそうだが、牧谷も必死に美雪ちゃんに自分を売り込んでいる。思わず目が点。
「はあ」
少し離れたところで、雪哉が大きな溜息をついた。はっとして雪哉を見る。そうか、雪哉が言っていたのはこれか。自分に気がある男子が、美雪ちゃんを見ると途端にそっちに夢中になってしまうという現象。
 実験したいと思っていたが、図らずも結果が出た。こいつらも、やっぱり例に漏れず美雪ちゃんの虜に。
「行こう。」
雪哉が俺の腕を取って歩き出した。
「ああ。」
美雪ちゃんを囲む男子らは放って置いて、俺たちは大学を後にした。
 「あの、さ。ごめん。軽いやつだとか、幻滅したなんて言って」
歩きながら、俺は雪哉に謝った。
「いいよ。それより、僕の方こそごめん。マッキーと、涼介にあてつけるような事して」
雪哉が俯きがちに言った。
「いや、いいよ、全然」
ホッとして、思わず笑みがこぼれた。良かった、なんか分かんないけどわだかまりが解けたみたいで。
「みんな、あれなんだよ。あれ」
雪哉は振り返らずに、後ろを人差し指で指して言った。それだけで分かる。美雪ちゃんを見るとああなってしまう、数多の男達。
「ああ。」
ちょっと笑って相づちを打つと、
「涼介は、違うんだね」
雪哉が言った。
「え?何?」
俺が聞き返すと、
「涼介は、美雪に取られなかった。ありがとう」
雪哉は歩きながら、頭をコツンと俺の肩に乗せた。すぐに放したが……か、可愛い!俺はガバッと雪哉の肩を抱いた。俺、幸せだ。
「どうして涼介は大丈夫なの?」
肩を抱かれたまま、雪哉がそう聞いてきた。
「女には飽きてるとか?モテモテだもんね」
雪哉がチラッと俺の顔を見て言う。
「言っただろ?お前と美雪ちゃんは全然違うんだよ。雪哉の方が可愛い」
「そうなの?」
「うん。ねえ、雪哉の部屋、行ってもいい?」
俺が聞くと、
「あー、美雪が邪魔するからなあ」
雪哉が言いよどむ。
「じゃあさ、ラブホ行く?」
更に耳元に口を寄せてそう言うと、
「え?いや、でも、僕行った事ないし!」
雪哉は慌ててそう言って、俺の腕から出て離れた。なんで離れるんだよ。
「行った事ないなら、行ってみようよ」
「でも」
「そんなに高くないよ。割り勘にすれば、飲みに行くより安く済むって」
「だけど、入るのが恥ずかしいよ」
「大丈夫だって。旅行客だけど、金がないからここに来たようなフリしてればいいじゃん」
「何それ?」
「だから、観光ホテルやビジネスホテルは高いから、ラブホに泊まるだけっていう設定で」
俺がそう言うと、雪哉はあはははと笑った。そして、
「何か変わるの?それで」
と言う。
「何も変わらないけど、気分の問題だろ?そういう人達もいるんだから、大丈夫だって」
「つまり、恋人じゃなくて、友達のフリして入るって事?」
「まあ、そういう事だな」
雪哉はそこでちょっと黙った。なので、俺は実行に移す。
「じゃ、決まりね」
そう言って、今度は手をつないだ。そして、徐々に暗くなりつつある道を駅へと進み、繁華街へと向かったのだった。
 11月上旬、学祭がやってきた。俺たちのバンド「スライムキッズ」もステージを持たせてもらった。土曜と日曜、それぞれに3曲ほど野外ステージで演奏をする。室内でも演奏をする。なかなかの忙しさ。お祭り騒ぎである。
 スキー部でもアイスクリームの天ぷらを作って売るそうだ。何となく雪っぽいからとか何とかで、毎年恒例だそうだ。雪哉は部長なので、そちらの準備で忙しそうだ。
「ステージは絶対に観に行くからね」
雪哉がそう言ってくれた。
 当日、美雪ちゃんも友達を連れて大学を訪れ、アイスクリームの天ぷらを食べに来た。案の定、鷲尾や牧谷にちやほやされていた。ちやほやされて満足なのか、俺の方にはさほど興味を示さなくなった美雪ちゃん。まあ、雪哉と俺が上手く行っている事は分かっているのだろう。だが、お友達の方は……。
「ねえねえ、あの人だれ?めっちゃカッコイイ!」
と、俺の方を見て美雪ちゃんの袖を引っ張りながら言っていた。

 「スライムキッズです、よろしく!」
俺たちの野外ステージが始まった。今のセリフは俺ではなく、神田さん。そして、歌を披露した。
 ステージを終えて舞台を降りると、雪哉が俺を迎えに来た。俺が雪哉の元へ行こうとしたところへ、ダーッと女子達が押し寄せて、俺と雪哉の間を遮った。
「カッコ良かったです!」
「きゃー!」
「握手してください!」
よく分からんが、いっぺんに色々言われた。差し出された手をとりあえず握って、握って、更に握って、俺は進んだ。早く雪哉の所へ行きたいのだ。そして、やっと雪哉の目の前に着いたと思ったら、今度はおっさんが2人、俺たちの間を遮った。
「すみません、私たちこういう者なのですが」
名刺を渡された。芸能プロダクションと書いてある。
「は?」
「君、芸能界でデビューしてみる気はないかい?」
おっさん達は言った。

 早瀬と名乗る30代くらいのおっさんと、川上と名乗る50代くらいのおっさんだった。名刺を渡され、マジマジと見たが、知っているような知らないような名前のプロダクション名で、胡散臭い。
「君は歌も上手いし、ルックスもいい。歌手として十分通用すると思うんだよね」
早瀬は言った。
「既に女の子達から人気者だしね、絶対成功するよ。私たちに任せてみないか?」
川上は言った。
「はあ」
いきなりそんな事を言われても困る。
「でも……あまり人前に出るの、得意じゃないんで」
俺が言うと、
「いやあ、十分だよ。あまりしゃべらないのも、ミステリアスでいいと思うよ」
「君のようなルックスしてたら、普通の人でいるのは勿体ないだろう。スターにならなきゃ、スターに」
口々に言われる。
「どうした?涼介」
そこへ神田さんが現れた。何かもめ事かと思って駆けつけてくれたのだろう。
「じゃあ、ちょっと考えてみてくれよ。ここに連絡してくれ。良い返事を待っているよ」
神田さんが来ると、おっさん達は早々に立ち去ってしまった。
「ん?トラブルか?」
神田さんが言う。
「いや、そういうわけじゃないけど。なんか、プロダクションの人だって」
「ほお」
神田さんは、俺が持っている名刺を見てそう言った。
「涼介!すごいじゃん、スカウトされたんだね?」
すぐ目の前にいた雪哉が、やっと邪魔なおっさん達がいなくなったのでこちらへ来た。
「スカウトねえ。まあ、遅いくらいだがな」
神田さんがにやりと笑った。神田さんはもう就職先が決まっているので、一緒にデビューしようとは思わないようだ。

 俺と雪哉は2人で歩いた。飯時だったので、その辺でホットドッグと焼きそばを買ってきて食べた。俺はずっと気がかりだった。
「なあ、あのおっさん達、どうして神田さんが来たら逃げるように行っちゃったんだろう」
すると雪哉は気軽に笑って言った。
「神田さんの前でスカウトの話をするとさ、バンドに対するスカウトだと思われちゃうでしょ?でも、あの人達は涼介だけをスカウトしたかったから、それで逃げたんじゃない?」
「ああ……」
なるほど。確かにその線はあり得る。
「どうするの?」
雪哉が俺の顔を覗き込んだ。
「どうするって?」
「スカウト、受けるの?」
「いや、まさか。俺の柄じゃないって」
「そうかなあ。僕は、向いていると思うけどな」
雪哉が意外な事を言う。
「どこが?」
「とにかく、華やかなルックスだし。それに、涼介は歌がいいんだよねー。普段もかっこいいけど、歌う時はまた別格なんだよー。オーラ出ちゃうんだよねえ」
俺がすぐ目の前にいるのに、遠くを見るような目をして、雪哉は俺の事を褒めた。別格ってなんだ?オーラってどんなもの?
「そうかねえ」
「そうだよ!これはチャンスだよ、涼介。やってみなよ」
雪哉がこんなに背中を押してくれるとは思わなかった。俺だけだったらきっと名刺もさっさと捨ててしまうところだったと思うが、何となく、一度連絡してみようかという気になった。
 早瀬に連絡をすると、あるカフェで待ち合わせをする事になった。雪哉もついてくると言うので、2人で行く事にした。雪哉はバイトがあるので、その時間まで居るという事で。
 また、早瀬と川上が一緒に来た。雪哉を見ておや、という顔をした2人だが、雪哉が、
「僕はバンドメンバーではありません。彼と親しいので、ちょっと付き添いです」
と言うと、
「ああ、そう」
早瀬がそう言って、川上と目を見交わし、とりあえず俺たちの前に座った。
「まずは、今日来てくれてありがとう。これから、デビューまでの道のりについて話すね」
早瀬がそう切り出す。すっかりデビューする前提で話が進んでいる。
「最初に、事務所に所属する為の手続きがあります。書類に名前などを書いてもらったりね。それから、しばらくの間はレッスンを受けてもらいます。歌のレッスンです。今既に歌えていると思うけど、歌手になって長時間コンサートをすると、正しい発声法でないと喉を壊してしまう事もあるから、ちゃんと先生に付いてレッスンをしてもらうよ」
早瀬が説明をしながら、目の前に書類を並べる。
「あの、いつ頃デビュー出来そうですか?」
俺は聞いた。就活を平行してするのかどうなのか、それが問題だ。本格的に就活する前にデビュー出来るなら、就活について考えなくていいのだから。
「そうだね、遅くとも1年後にはデビュー出来ると思うけど、もっと早いかもしれない。レッスンの経過次第では、3ヶ月後くらいに出来るかも」
川上が言った。3ヶ月だったら、大学4年にしてデビューという事になる。それはありがたい。親にも就活についてあれこれ言われずに済む。
「いいじゃん、涼介。就活しないで済むね」
雪哉もそう言った。まるで自分事のように嬉しそうに。
「ああそれと、君がデビューすれば人気者になるのは間違いない。そうすると、雑誌記者などにつけ回される事になる。だから、今のうちから身辺整理をしておいてもらわないとね」
川上が言った。
「身辺整理、ですか?」
何の事か分からず、聞き返した。身の回りの整理整頓?家の片付け?
「恋人の事だよ。恋人がいるなら別れて、もし遊んでいるような相手がいるならきっぱりと手を切る。手切れ金が必要なら言ってくれれば何とかするから」
川上が言った。急に、大人の仲間入りをしたような気がした。確かに俺は既に二十歳を超え、酒も飲んでいるけれど、そういう事じゃなくて、何だか大人の汚い世界というか、損得勘定とか、ドロドロした物を感じた。
「恋人も、ですか?」
と聞いたのは雪哉だった。
「そう。彼にはきっと大勢のファンが出来る。マジ恋するファンもたくさんね。その時に、恋人がいるとなったら大変な事になるんだよ。今のうちに別れておいた方がいい」
何勝手な事を言ってるんだか、このおっさんは。俺は別にファンが欲しいわけでも、マジ恋してもらいたい訳でもない。
「あ、僕そろそろ時間だから。涼介、ちゃんと手続きするんだよ!それじゃあ、失礼します」
雪哉はそう言ってそそくさと立ち上がり、出て行った。
「彼もずいぶんイケメンだねえ。彼は歌の方はどうなの?君と2人組でデビューってのもありじゃないか?」
「本当ですよねえ、僕もそう思います」
川上と早瀬がそう言って笑った。雪哉は音楽が苦手だそうだから、多分そういう話にはならないと思うが。
 彼は恋人です、と喉元まで出かかったが、辞めた。今し方、恋人とは別れろと言われたばかりだから。女じゃなければ構わないんじゃないだろうか。黙ってつき合っていれば、親友だと偽って一緒にいてもバレないではないか。
 事務所に所属するための書類にサインはしたものの、正式な契約をするには、登録料とレッスン料が必要だと言われて戸惑った。これはやっぱり詐欺なのかな、と身構えた。
「こちらもほとんど先行投資する訳だけど、うちのような小さい事務所だと、歌の先生を雇うにもお金が必要でね。それほど高額ではないから。デビューすればすぐに取り返せるよ」
早瀬に言われた。確かにうん十万もするなら断るが、登録料は2万円で、レッスン料は1ヶ月1万円と言われた。3ヶ月でデビュー出来るなら5万だ。それくらいならバイト代で何とかなる。
 と言うわけで数日後、5万円を手渡して手続きは済んだ。
「レッスンは来週からね。土曜日の夜だけど、いいかな?」
「はい」
そう言われて、別れた。レッスンの場所は後ほど連絡をくれるという話だった。
 雪哉と会える日、一緒にラブホに行ったものの、どうも雪哉に元気がなかった。そして、最後にとうとう涙を流した。
「どうしたんだよ、何があった?」
両肩に手を置いて問い詰める俺。すると、雪哉は涙を手でぬぐって言った。
「これで、お別れしよう。僕が一緒にいたら、涼介の迷惑になるから」
「何言ってるんだよ。別れるなんて嫌だよ」
「でも、デビューするには恋人の存在は邪魔になるでしょ」
目に涙を一杯に溜めて、雪哉が訴える。
「そんなのバレないだろ?俺たちが一緒にいたって、友達だと思われるだけだよ」
「いや、違うよ。こうやって、この場所に出入りするのを見られたら、どれだけ悪い噂になるか」
「………」
うっかり黙ってしまった。確かに、ラブホに出入りする所を見られたり、写真を撮られてバラまかれたりすると、ちょっとまずいだろう。
「ま、確かにラブホはまずいけど。そうしたら場所を変えようよ。そうだ、一緒に住めばいいじゃん。俺が稼ぐようになったら、部屋を借りてもやっていけるよ」
「すぐに稼げるようになんて、ならないよ。それに、一緒に住んだら怪しいじゃん」
ポロポロッと雪哉の目から涙がこぼれた。うーん、そんなに難しい問題じゃない気がするのに、どうも具体的に策が思い浮かばない。
「とにかく、涼介が無事にデビューして、僕がちゃんと就職して独り暮らしするようになるまで、つき合うのは辞めよう。……すごく嫌だけど」
雪哉はそう言って、俺の胴体にしがみついて泣いた。俺は雪哉の頭を撫でながら、結局何も言えなかった。