「はあ」
授業が始まる前、机に突っ伏して思わず溜息をつく。雪哉と仲良くなりたい。今思えば焦りすぎた。いきなりキスまでしちゃってさ。もっと普通に友達として仲良くなって、一緒に出かけたりして……。もう遅いけどな。
「どうしたん?溜息なんかついて」
ここにも出没する篠崎。
「俺、恋愛経験がなさ過ぎてダメだ。どうしたらいいんだか」
思わずそう呟くと、篠崎は珍しく何も言い返さなかった。不思議に思って顔を上げると、篠崎は固まっていた。3秒後に動き出した篠崎は、
「お前ねえ。恋愛経験がないだと?どの口が言うんだか」
やはり悪態をついた。
「いや本当にさ、ちゃんと人を好きになった事がなかったから」
「ふうん。つまり、今は好きな人が出来たってわけだな。どうして告白しないんだ?」
篠崎は、誰なのかとは聞かずにそう聞いた。
「したさ」
俺はそう答える。
「で、ダメだったわけ?」
「うーん、俺の事は好きなんだと思うんだけど、既に恋人がいるからダメだって」
「はあ、なるほどねえ」
篠崎は感慨深げに言った。
「どういう事か何となく掴めたぞ。そうか、相手は律儀な人なんだな」
律儀か。
「なんかいい方法ないかなあ」
「あるぜ」
篠崎が自信ありげに言うので、驚いた。
「何?どんな方法?」
つい前のめりになる。
「相手の彼氏に浮気をさせればいいんだよ。そうすれば彼女は彼氏を捨て、お前の元に来られるじゃないか。罪の意識を感じずに」
「なるほど。とはいえ、どうやって浮気をさせるんだ?」
「可愛い子を差し向けるとか?」
篠崎はいい加減な事を言っておどけた。そう簡単にいくかよ。ましてや可愛い「男の子」を差し向けなければならないとなったらハードル高すぎだろ。可愛い男の子なんて雪哉以外にいないし。
 だが、方向としてはなかなか良い。神田さんが浮気をしてくれたら、雪哉は俺の元に来てくれるに違いない。神田さんも、後ろめたさから俺たちを咎められないだろう。何か神田さんに浮気をさせる手はないだろうか。
 何かを調べるとなればネット検索するしかない。男を堕としてくれる男の子を見つけるのだ。うっわ、ダメだ。いかがわしいサイトしかない。それに「男を堕とす」というワードで、多くは「女が」という前提でヒットしてしまう。あまり意味が無い。困ったな。やっぱり無理かな。
 神田さんは就職活動を始めていた。スキー部の活動にも出てこなかったし、バンドの練習も最近はなかった。だが、ようやくバンドの練習が出来る日が来て、大学内の練習室にバンド仲間が集まった。神田さんは髪を切らず、後ろで1つに結んでいた。
「神田さん、髪切らないんですか?」
俺が言うと、
「当たり前だろ。短髪の黒髪じゃあ、ロックに似合わねえ」
「流石ですね」
他のメンバーが言って笑う。バンドの練習は和やかに終わり、シオンとシュリが帰った後、神田さんが俺を止めた。
「涼介、ちょっといいか」
「うん」
俺たちはそのまま居酒屋へ行った。前回はほとんど一緒に飲めなかったから、飲み直しだ。
「カンパーイ!」
ジョッキを合わせてそう言うと、俺たちはビールをグビグビっと飲んだ。
「くわーっ、うめえ」
神田さんは豪快にジョッキを空け、もう一杯頼んだ。俺のビールはまだ半分以上残っている。
「涼介どうした。進んでないな」
「話があるんだろ?……雪哉の事?」
遠慮がちに言うと、神田さんは腕組みをした。
「お前、本当に雪哉に惚れたのか?」
「悪いけど、そうなんだ」
「そうか。ワンチャン、お前は男には興味がないんじゃないかと思ったんだけどな」
「俺もそう思ってたよ。でも」
「分かってるよ。雪哉は特別だよな。俺も同じだ」
つまり、神田さんも元々男が好きなわけではないという事か?
「雪哉がお前に気があるんじゃないかってのは、薄々気づいてたんだ」
「え……そうなの?」
「ああ。ライブの時にあいつを見ると、いつも俺の方を見ていないからな」
「え?」
「まあ、みんな大抵ボーカルを見るもんだから、それは自然かもしれないけども、普通恋人が出ているステージだったらよ、恋人の方を見るだろ?それが、俺の事を見ていない。雪哉は他のお客と同じように、お前の事を、目をキラキラさせて見ていたからな」
そうだったのか。いや、うちのバンドは神田さんが目立っていて、俺のファンの数人以外は俺ではなく神田さんを見ているものだ。でも雪哉は……。
「でも俺、雪哉がライブに来てたのなんて知らなかったよ。見た事なかったと思うよ」
「そりゃあ、お前と雪哉をわざと会わせないようにしていたからな。まさかライブ会場でもなく、大学内でもなく、あんなところで出逢っちまうとはなあ。因果というか、運命というか」
そう、いつも同じ大学内にいたし、しょっちゅうライブ会場で同じ空間にいたのに、出逢ったのは東京から遠く離れた雪山だった。
「会わせないようにしてた?」
「ああ。雪哉が本気でお前に惚れちまうのを恐れたんだよ。まあヤキモチだな」
2杯目のビールをちびちび飲みつつ、神田さんはそう言った。
「神田さん、俺本気なんだ。雪哉が俺の事を好きなら、雪哉を俺にくれ。譲ってください!」
俺はテーブルに両手をつき、頭を下げてそう言った。しかし、
「ダメだ。絶対にやらないよ」
神田さんはそう言った。やっぱりダメか。真正面からぶつかるという手は消えた。