部屋にいると、俺の電話が着信した。マナーモードにしていたのでバイブレーションのみ。スマホの画面を確認し、部屋の外へ出た。少し部屋を離れてから電話に出る。
「もしもし」
「涼介?なんでLINE見ないのよぉ」
電話の相手は畑梨花。俺の彼女だ。シーズンスポーツサークルに所属している。
「悪い。今まで滑ってたから」
そう言った俺だが、実は梨花からメッセージが入っている事は知っていた。知っていながら放置していた。まあ、滑っていたのは本当なので、嘘をついたわけではないが。
「涼介、そっちに行くって私に言ってなかったよね?なんで言ってくれないの?」
「え?あ、悪い。急に決まったから」
「急にって……まあいいわ。あのね、私たちは今夜が最後の夜だから、友達が気を遣ってくれて部屋を空けてくれるの。だからこっちに来ない?」
梨花は、最後は優しい、いや、甘い声になって言った。つまり誘っているのだ。部屋に。いつもなら、誘われれば行っただろう。どうでもいいと思いながら、断る理由を考えるのも面倒だから。でも今は……雪哉の顔が浮かんだ。よく分からんが、今女を抱く気には到底なれない。
「あー、本当に悪いんだけど、こっちは抜けらんないから」
断ってしまった。
「……うそ。もしかして涼介、そっちに好きな人でも見つけたわけ?だから急にそっちに乗り換えたってわけ?」
梨花はちょっと激高し始めている。
「落ち着けって。そんなんじゃないよ」
「じゃあ、私がそっちに行くから!」
「いや、こっちは5人部屋だからさ。無理だよ。明日、帰り道気を付けて」
「このまま終わりなんてイヤよ!涼介!」
梨花はまだ何か言いかけていたが、俺は電話を切った。もう、どうでも良くなった。こいつとも終わりだな。元々どうでもいいのだが。本当に梨花には悪いけど。
 俺は女に執着した事はない。何となく、断るのが面倒だから誘われると付き合うだけだ。でも、何だか今は梨花と会いたくなかった。断るのが面倒なんじゃなくて、梨花と恋人ごっこをする事が面倒だった。

 「いいだろ」
「ダメだよ」
「いいじゃん、雪哉」
「やーだ」
俺が廊下の奥で電話をして、戻ろうとしたらこんな声が聞こえてきた。ちょっと小声で話しているようだ。そして、部屋へ戻る途中でそいつらの前にさしかかった。すると、それはなんと神田さんと雪哉だった。
「あれ?」
俺が驚いて声を掛けると、2人はもっとびっくりしていた。
「涼介、どうした?」
神田さんが言った。
「ちょっと電話。どうかした?なんか言い争ってたみたいだけど」
俺が言うと、2人は顔を見合わせた。
「ううん、何でもないよ」
雪哉が言って笑った。
「そうだよ、争ってなんかないよ」
神田さんも笑った。
「そう?ならいいけど」
「部屋に戻ろう!」
雪哉が俺にそう言って、
「じゃね、バイバイ!」
と神田さんに手を振った。いつもニコニコしている雪哉。その笑顔は好きなんだけど、なーんかこう、雪哉の歪んだ顔とか、泣き顔とかも見てみたいような。うわ、俺変態じゃんか。何考えてるんだ俺は。怖い怖い。
 翌朝スキー場へ行き、これから滑ろうという所へ、
「涼介!良かった、会えた」
と言って、梨花が目の前に現れた。
「ああ。もう帰るの?」
俺が言うと、
「そう。だから、最後に涼介に会いたいと思って」
梨花はニッコリ笑ったが、正直何も感じない。俺、どっかおかしいのかな。
「もう、涼介は冷たい。私、涼介の彼女だよね?」
また出た。
「いつ東京に帰ってくるの?それも聞いてないんだけど」
いちいちうるさい。
「だいたい1週間後だよ」
「ねえ、毎晩とは言わないからさ、たまには電話してよ。ね?」
「う……ん」
どうしよう。出来る気がしねえ。でも、今それを言っても始まらない気がする。言い合いになるだけだ。
「あれ?梨花ちゃんじゃん!どうしたのー?」
「え?雪哉くんじゃん!何なにー、雪哉くんスキー部なのー?」
梨花と雪哉が感動の再会?を果たし、手を取り合ってぶんぶん振っている。
「あれ?2人は知り合い?あ、そっか。2人とも文学部なのか。でも学科は違うよな?」
俺は思わずそう言った。確か、梨花は英文科だったような。あれ、違ったかな?
「学科は違うけど、けっこう共通の授業があったんだよね。雪哉くん、イケメンで優しいから、みんなに人気なの」
文学部は女子が多い。こんなにイケメンな雪哉がいたら、そりゃあモテるだろうなあ。
「ふーん」
俺がつまらなそうな返事をしたら、雪哉がパッと俺の顔を見た。ハッとした様子。
「あ!もしかして梨花ちゃんが言ってた、カッコイイ彼氏が出来たっていう、あの彼氏って……」
雪哉はそう言って、俺を見てから梨花を見た。
「うふふ、そうなのー。私たち、お似合いでしょ?」
梨花はそう言って、腕を組んできた。だが、俺はそれが嫌だった。別に今までは構わなかったのに。でも、もう要らない。梨花は要らない。雪哉の前でこういう事をしたくない。俺は梨花の腕を自分の腕から剥がした。乱暴にならないように、少し気を付けながら。
「何?」
梨花がきょとんとする。
「ごめん、もう別れよう」
「はぁ?」
梨花ではなく、近くにいて見て見ぬ振りをしていたスキー部員の男たちが、揃って声を上げた。
「お前、こんな可愛い子を、なぜ今ふる必要がある?」
「ずるいぞ三木、じゃない、ひどいぞ三木!」
先輩達が口々に言う。そうだよな、俺はいつも「来る物拒まず」だったし「去る者追わず」だった。自分から拒んだり、逃げたりするのは俺じゃないみたいだ。
「やっぱり他に好きな人が出来たんでしょ。それもスキー部にいるんだよね?そうでしょ。じゃなかったら、説明がつかないわよ。急にサークル抜けてこっちに来てさ、私が部屋を用意したのに来ないし。絶対そうだよね?誰?どの子?」
梨花はそう言って周りを見渡した。スキー部に女子は少ない。多分2~3人しかいない。俺はしゃべった事もない。
「梨花ちゃん、多分違うと思うよ。涼介は女の子とは接してないし。毎日スキーばっかりしてるから」
雪哉がフォローしてくれた。本当に、俺はスキーがやりたくてここにいるのだろうか。それだけの為に?上手くなりたい為だけに?俺は雪哉の顔を見た。俺は、雪哉みたいになりたい。いや、雪哉と一緒にスキーがしたい、のかな。一緒にスキーが出来てすごく楽しい。雪哉が滑るのをずっと見ていたい。だからここにいる。それを女に邪魔されたくない。
 俺が黙ってしまったので、梨花は帰った。これで梨花と別れられるのかどうか。後で面倒な事が待っていないか。多少不安が残る。
 「なあ、演芸会の出し物決めた?」
夜、部屋でそんな話題になった。
「演芸会って?」
俺が言うと、
「あ、そっか。ミッキーは知らないのか。合宿最後の夜に演芸会があるんだよ。宴会なんだけど、みんな1つずつ芸をする事になっているのさ」
鷲尾が説明してくれた。
「うっそ、何それ。みんな何やるの?」
俺が聞くと、
「俺はけん玉」
鷲尾が言った。
「俺たちは漫才をやるぜ」
牧谷と井村が肩を組んでそう言った。
「マジ?すげえ。で、雪哉は?」
俺が言うと、雪哉は、
「僕は、タンブリング、かな。ちょっと恥ずかしいんだけど」
と言った。タンブリングって、宙返りとか?ああ、雪哉は体操教室のスキーキャンプに参加してスキーが上手くなったと言っていたよな。つまり体操を習っていたというわけだ。
「それは、すげえ楽しみだな」
俺がそう言うと、鷲尾と牧谷がチラチラっと俺と雪哉に素早く視線を走らせた。何だ、今の。
「で、涼介はどうするの?」
雪哉は照れ隠しのように、慌ててそう言った。
「え……どうって。急に言われても何も出来ないし」
とは言ったが、俺が人前で披露出来るものは1つしかない。俺はバンドでボーカルをやっているのだ。歌を歌うしかない。とはいえアカペラで歌うなんて無理。そこまでの歌唱力なんかない。せめてギターがあれば。
 あ、ギターと言えば神田さん!神田さんはギターリストだ。きっと演芸会でもギターを弾くに違いない。早速聞いてみよう。ということで、神田さんの部屋へ向かった。が、途中でタバコを吸う神田さんを見つけた。喫煙所になっているロビーの一角だった。まあ、ホテルじゃないからロビーと言っても大した規模ではないが。
「神田さん、ギター持ってる?」
「なんだ、藪から棒に」
時代劇っぽいセリフだな。
「演芸会があるんだって?今聞いたんだ」
俺が言うと、神田さんはタバコの火をもみ消した。いつも、ボーカルの俺の前ではタバコを吸わない神田さん。喉に悪いからだそうだ。
「ああ、持ってるよ。ギターリストはいつだって持ち歩いてるさ。いつ披露するチャンスが訪れるか分からないからな」
「なるほど。でも、スキー道具も持って、着替えとかも持って、その上ギターって無理じゃね?」
どうやって持つの?
「車で来てるんだよ」
スキー部は、ほとんどみんなスキー板もブーツも自前だ。俺はスキーウエアだけは自前だが、道具はみんなレンタルだ。手袋とゴーグルはこっちに来てから買ったし。
「そっか。基本的に違うんだな」
思わず独り言を言った。
「それで、ギターを持ってるとどうなんだ?」
「ああそうそう。演芸会で俺も何かやらなけりゃならないだろ?それで、歌でも歌おうかと思ってさ。だからギターを……」
「ああ、貸して欲しいのか?」
「いや、弾いて欲しいなーと」
テヘヘっと笑った俺。
「お前なあ」
「何?」
「自分で弾け」
「いや、あんまり上手く弾く自信ないし。弾き語りとかハードル高けーよ」
「はぁ。だからお前はダメなんだよ」
神田さんは溜息をつき、頬杖をついた。
「お前はさ、無駄に顔が良いから、いや、ハンサムを無駄遣いしてるから、バンドに誘ったわけだよ。分かるか?」
「うん」
「だけどお前、とびきり良いのは顔だけか?恋愛は宙ぶらりんでいつでも半端だし、ギターも歌もシーズンスポーツも、みーんな中途半端じゃないのか?」
「う……」
痛いところを突かれた、気がした。分かっている。俺は何が得意かと聞かれても、いつも迷ってしまう。何が好きかと聞かれてもそう。中途半端か。
「何か、これが欲しい!とか、こうなりたい!とか、強く思う事はないのかい?」
神田さんが言う。俺は思わずうなだれる。何もない。強い欲求がない。ゆえに中途半端。
 そこへ雪哉がやってきた。俺がうなだれていたからか、心配そうな顔をしている。おっ、笑顔じゃない顔を見た!あぁ、そういう顔もいいなあ。
「涼介、どうしたの?神田さんに怒られた?」
雪哉は神田さんの隣に座って、向かい側に座っている俺をじっと見た。うわぁ、この距離で見つめられると……。
 あ!今、急にある思いが胸に沸いた。そうだ、俺は雪哉が欲しい!こんなに何かを、いや、誰かを欲しいと思ったのは初めてかもしれない。そうだ、雪哉にかっこいいとこ見せる為にも、やっぱりギターの弾き語りを……いや、神田さんと比べられて逆にかっこ悪いのか……。
「どうしたんだ?なんかお前、情緒不安定だな。失恋したばっかりだからか?」
神田さんが言った。
「失恋?何の話?」
俺が言うと、神田さんが一瞬ぽかんとした顔をして、それからふふふっと笑った。
「まあ、何だかわかんねえけど、ギター弾いてやるよ。伴奏すりゃあいいんだろ?何の曲にする?」
そう、言ってくれたのだった。
 とうとう合宿が終わりに近づいてしまった。帰る日はスキーをせずに出発だそうで、前日がスキー最終日だった。いつも通り準備体操をし、基本的な滑りの練習をし、テクニックの練習をし、午後には自由時間になった。いつも俺は中級コースを滑りに行っていたが、今日だけは上級コースに行こうと決めていた。最後に練習の成果を試したい、とかそんな理由ではない。最後にもう一度、雪哉が上級コースを滑るところを見たいのだ。初めて雪哉を見た時の、あの感動が忘れられない。
 とはいえ、雪哉と一緒にリフトに乗って行っても、あっという間に行ってしまう雪哉。後ろからでも見えるけれど、俺は前から迫り来る雪哉を見たい。なので、俺は頑張って途中まで進んで、少し広くなっているカーブの所の雪壁の辺りに止まった。ここで次に雪哉が下りてくるのを待ち構えていようというわけだ。我ながらナイスアイディア。まあ、ちょっとストーカーっぽいけども。
 リフトは空いているからすぐに来ると思ったが、意外に待っていると遅い。ちょこっと進んでみたりしながら、上ばかり気にしていた。人が来るとハッとして見上げるが、牛柄のウエアーではなかったりして。スキー部の先輩なんかも何人か通り過ぎた。
「お?どうしたよ?」
先輩に聞かれて、
「あ、ちょっと人を待っているんです」
バカ正直に言う俺。だって、他に何か止まっている理由があるか?言い訳が思いつかないのだ。だが、先輩はそうか、と言って特に深く考えずに行ってくれた。良かった。
 しばらく待っていたら、やっと雪哉が来た。雪しぶきを上げ、リズム良くこちらへ進んでくる。まるで踊っているかのようだ。ドキドキしながら見つめていると、雪哉が俺を見つけて、こちらへ近づいて来た。そして、目の前でシュッと止まる。
「涼介どうしたの?怪我でもした?」
ああ、心配してくれるんだな。優しい。
「いや。ただ、雪哉が滑るところを見たくて、待ってたんだ」
「えっ……」
雪哉はやけに驚いて、一瞬固まってしまった。
「あれ?どうしたの?」
俺が声を掛けると、呪縛から解けたようにハッとして、そして笑った。
「やだな、変な事言わないでよ」
「俺、変な事言ったかな?」
「変だよー。じゃ、行こっか」
雪哉が先を促す。行こうと言われても、どうせ雪哉と俺とでは滑るスピードが違うのだ。
「先に行っていいよ」
俺がそう言うと、
「いいじゃん、一緒に滑ろうよ」
と言う。普通なら嬉しいセリフだ。だがしかし、自分の実力に自信の無い俺。もうちょっと緩やかな坂なら、それなりに格好良くも滑れるが、ここだとかっこ悪い滑り方になりそうで。俺が黙っていると、
「ゆっくり行くからさ」
と雪哉が付け足した。ま、そういう事なら。
「分かった。じゃ、ゆっくりで」
俺はそう言って、えっちらおっちらスキー板を移動させ、滑り出した。

 「だいぶ上手くなったじゃん」
下へ着くと、雪哉がゴーグルを上げてそう言った。
「そう?」
俺、ちょっと嬉しい。自分でも、初日と比べたらだいぶ上手く滑れたと自覚している。いやー、筋肉痛に耐え、下着を洗濯し、頑張った甲斐があったもんだ。俺は結局何の為に1週間もスキーの修行を積んだのだろう。上手くなりたいから、なんて事は後付けだ。こうして雪哉に褒めてもらいたかったとか?少なくとも、疲れていてもまだ終わって欲しくない。明日東京に帰ったら、雪哉にはしばらく会えないのだから。
 夜になり、風呂に入った後にみんなで体育館に集まった。学校の体育館ほど広くはないが、バスケのコートが1つ取れるくらいの広さの体育館。流石合宿所だ。そこにテーブルと座布団が並べられ、食事と酒が準備された。これは合宿所の人と俺たちスキー部員が共同で準備したのだ。
 演芸会はけっこう盛り上がった。雪哉は広いところでタンブリングを見せてくれた。バック転が出来るとか、羨ましい。あの顔でバック転が出来るなんて、それこそアイドルにでもなれそうなのにな。
「雪哉、アイドルになろうとか思った事ないわけ?」
演技を終えて戻ってきた雪哉に俺がそう聞くと、
「ないない、柄じゃないから」
と笑って言う。そうやってニコニコ出来る辺り、アイドルに向いてそうだけど。
「ユッキー、良かったよ!」
「すごいじゃん!」
俺と雪哉の会話をこれ以上続けさせない、というあからさまな態度で、鷲尾と牧谷がグラスを掲げた。そして雪哉も自分のグラスを持ち、3人でカチンとグラスを合わせた。その後で、鷲尾と牧谷が俺を一瞬睨む。何だよ、俺が何をしたって言うんだ。
 そして、とうとう俺の番になった。因みに、順番はくじ引きで決まっていた。俺と神田さんが2人でやることになっていて、ギターを持った神田さんがステージの中央の椅子に座り、調弦をする。俺が暇を持て余して神田さんの近くをウロウロしていると、
「何歌うの?」
と部員から聞かれた。
「えーと、紅蓮華」
と言うと、
「ぐれんげ?それってまさか、Lisaの?」
と他の部員から聞かれる。
「そうです」
「すげえ」
「キーは下げますよ」
「まさかのアニメソングかあ」
と誰かが言うから、
「え?神田さん、言ってないの?」
俺は神田さんを振り返った。神田さんは、
「何を?」
と、とぼける。いや、俺たちの会話を聞いていなかったのかもしれない。
「俺たちのバンドが、アニソンバンドだって事」
俺がそう言うと、
「え!?アニソンバンド?」
「うそー!知らなかった」
「まさかの?どう見てもお前らロックだろ」
少々酔ってきた部員達が、口々に好き勝手な事を言う。
「アニソンにはロックもありますよ」
だが、俺は気にせず飄々とそう返す。最近アニソンは熱いのだ。良い曲いっぱいあるのだ。
 調弦が終わったので、神田さんが俺に目配せをし、ギターで前奏を弾き始めた。うん、やっぱりカッコイイ。神田さんのギターがカッコイイので、俺の歌なんて脇役だ。部員のほとんどが神田さんの方を見ている。俺はリラックスして歌い出した。いつもそう。ライブでは、神田さんが見た目もギターも目立つので、ボーカルの俺はけっこう気が楽なのだ。MCも俺はほとんどやらない。
 部員たちは合いの手を入れて盛り上がっていた。歌いながら部員達を見回していると、ふと、まっすぐに俺を見ている視線を感じた。それは雪哉だった。あ、そうだ。俺、雪哉にカッコイイとこ見せようと思ってこの歌を歌うことにしたのに、すっかり忘れていた。とにかくこの苦行を終わらせようと、そればかり必死になっていて。よーし、今からでも。
 雪哉の方を見つめて、手を伸ばす。歌の歌詞に合わせて。女子だとキャー!という悲鳴を上げてくれる、そういうテクニック。だが、当然雪哉は悲鳴を上げない。そりゃそうか。俺は何をしたいんだろう。何を望んでいるのだろう。
 歌が終わって、拍手をもらって、席に戻った。やっと落ち着いて飲める。
「イエーイ、ミッキー最高」
酔っているのか、井村がそう言ってグラスを掲げた。
「おう、サンキュー」
俺も自分のグラスを持ってカチンと合わせた。
「どうだった?」
俺が周りのみんなにそう問いかけ、雪哉の顔を見ると、雪哉は顔を赤くしていた。
「あれ、ユッキー顔が真っ赤だよ。もうそんなに酔ったの?」
鷲尾が言うと、
「えっ、いや、そういうわけじゃ。あ、僕ちょっとトイレ行ってくる!」
雪哉は何やら動揺して、ピューっと出て行ってしまった。
「大丈夫かな」
俺がつぶやくと、
「ねえ」
急に、鷲尾と牧谷が顔を近づけてきた。さっきまで酔っ払った風だったのに、真面目な顔をしている。
「な、なに?」
「ミッキーさ、ユッキーの事、狙ってないって言ったよね?彼女がいるから」
鷲尾がすごむ。
「う、うん。言ったよ」
俺はたじろぐ。
「でも、この間彼女と別れたよね?」
牧谷もすごむ。
「それは、そうだけど」
またもや俺、たじろぐ。
「どうでもいいけどさあ、ミッキーみたいなイケメンがチラついてると、困るんだよねえ」
2人は俺から少し離れて、普通の位置に戻った。そして鷲尾がそんな事を言って溜息をつく。
「チラついてるって」
その言い方に俺は苦笑する。まあ、確かに俺はちょっとイケメンだけれども。
「でも、雪哉だってあのイケメンだろ。もう彼女とかいたりしないのか?俺の元カノが、雪哉は人気者だと言ってたぞ」
酒を飲みながら俺が言うと、
「うーん、それは分からないが……少なくとも女の影は感じないんだよな」
牧谷が言った。
「それで、お前ら告ったりしないのか?」
俺がそう言うと、鷲尾と牧谷は顔を見合わせた。そして、
「いやー、無理無理」
と鷲尾は言って顔を伏せ、
「俺は、冗談で何度か言ってるけどな。大抵はぐらかされるんだ」
と牧谷が言った。この間自分がリードしていると言ったのは鷲尾だったはずだが……やっぱりそうは思えん。それにしても、告白をはぐらかすか。雪哉は、もし俺が好きだと言ったらどうするだろうか。やっぱりはぐらかすのだろうか。

 全員の出し物が終わると、なんとバスケをやると言い出す。もうさんざん酒が入ってるって言うのにマジかよ。やっぱりスキー部も体育会系だったか。
 だが、俺も酔っているから深く考えずにバスケに参加した。そして、雪哉がボールを持ったので、そのボールを取ってやろうと近づいた。すると、クルクルっと俺の周りをドリブルで回ったかと思うと、あっという間にシュートを決めた。俺はほとんど動けずに首だけ巡らせてゴールの瞬間を見た。
「すげー」
俺が呆然としていると、
「ユッキーは中高時代、バスケ部だったらしいよ」
と井村が言った。何?スキーと体操だけでなく、バスケも上手いと?中高とやっていたという事は、本当はバスケが一番すげえんじゃないか?とにかく、運動神経がすこぶる良い事だけはよーく分かった。
 俺はスキー部のLINEグループに入れてもらい、同室だったみんなと個人的にも繋がった。よし、これで雪哉にも連絡が取れる。みんな車に乗り込み、それぞれの実家に帰る。実家が近い人に乗せてきてもらった人もいる。俺の事は、神田さんが送ってくれる事になった。
「神田さん、実家に帰らないの?」
助手席に乗り込みながらそう言うと、
「来週バンドの練習があるだろ」
と神田さんが言った。そうだった。春休み中にライブがあるのだ。そのために週1回くらいは練習を入れてある。それゆえ、神田さんは大学近くの下宿先へ帰るというわけだ。送ってもらいながら、俺は神田さんに聞いてみた。
「神田さん、なんで雪哉をスキー部に勧誘したの?」
「ナンパしたって言っただろ」
「いやだから、なんでナンパしたんだよ?」
「そりゃお前、イケメンだからだよ。最初はバンドに誘ったんだけど、あいつ音楽は苦手だって言うからさ、それならスキーはどうかって」
なるほど。スキーが上手い事を知っていて誘ったのではなく、最初はバンドに誘ったのか。
「なんだ、俺と一緒か」
俺が言うと、
「お前と雪哉は違うよ、全然」
前を向いたまま(運転しているから当たり前だが)神田さんがそう言った。
 東京の実家に帰った俺。比較的暇な生活をしていると、どうしても……雪哉に会いたくなってしまった。出逢ってから1週間毎日ずっと一緒にいたのに、急に離ればなれになってしまって、あれは夢だったのではないかとさえ思えてくる。あんなにイケメンで、スキーが上手くてバスケも上手くてバック転さえできちゃうやつ、他に見た事がない。それでいて、オレオレ感がなくていっつも笑っていて、可愛いやつ。
 やばいやばい。思い出すと苦しい。しかも俺たち、事故とはいえキスまでしちゃって……。うっ、やられた。とにかく会いたい。友達なんだし連絡してもいいかな。でも、しつこいやつだと思われたくない。暑苦しいやつだと思われて、避けられたらどうしよう。
 悶々とした挙げ句、とにかく遊びに誘ってみようと思った。雪哉は東京都民なんだから、多少遠いけれども電車に乗ってこっちに来られるだろうし。そうだ、吉祥寺とか八王子とか、その辺で会えばいいのでは?というわけで、思い切って夜の9時頃、雪哉に電話をかけた。スキーから帰ってきて4日ほど経っていた。
「あ、もしもし?雪哉?」
「涼介?どうしたの?」
「あの、さ。今度遊びに行かない?同じ東京だしさ、映画とか観ない?八王子なら出やすい?」
手に汗を握りながら一気に言った。だが、
「うーん、そうだねぇ。行きたいんだけど……。バイトあるし、ちょっと無理かなあ」
と断られてしまった。こういうのもあっさりと言うのだろうか。一応、行きたいんだけど、と言ってくれたが、本心はどうだか。俺、フラれたのかな。
 そういえば、自分からデートに誘うとか、初めてかもしれない。友達とどっか行こうというのはまあ、あったかもしれない。けれども彼女と2人でどこかに行く時は、大抵彼女の方からここへ行きたいとか、いついつに会おうとか、一方的に言われてOKするだけだった。
「そっか、んじゃ、またね」
悲壮感を極力出さないようにして電話を切った。そうか、俺まだちゃんと雪哉に気持ち伝えてないもんな。まずは告白しなきゃな。だけど……やっぱり断られるだろうな。もし俺の事が好きなら、今のデートだって断ったりしないだろうし。ショック。そもそも、男同士で付き合う気なんか、雪哉にはないのだろう。そりゃそうだ。俺だって今まで考えた事もなかった。こんなに夢中になれる相手が、まさか男だなんて。
 俺たちのバンドは「スライムキッズ」という名である。一応大学のサークルである。サークルとして登録すると何がいいって、大学内の練習室を使える事だ。スタジオを借りれば金がかかる。その点、学内の練習室は無料でありがたい。時々学内に入れない時もあってスタジオを借りる事もあるのだが。入試のシーズンとか。
 俺たちスライムキッズにはファンがいる。まあ10人くらいだけど。それでも毎回ライブに来てくれて、ライブ後には取り囲まれたりする。他のメンバーには、
「涼介、もっと愛想良くしろ」
と言われる。だが、よく知らない女が、
「リョウスケー!」
などと言って来るのは多少抵抗がある。まあバンド内での俺はRyosukeという事になっているから、そうなるのも仕方ないのだが。ただ、俺たちは単独ライブではなく、ライブハウスのイベントに参加させてもらう事が多いので、アウェイ感を感じる場所もあるわけだが、そんな時にファンの人達が来てくれるととても安心する。だから、ありがたいとは思っている。
 そして春休みのライブ当日である。会場は、渋谷の外れにある地下の小さいライブハウスだ。駅前で待ち合わせたバンドメンバー4人は、揃ってこのライブハウスにやってきた。
「ここ、初めてだね」
俺が言うと、
「そうだな」
メンバーの1人、ドラムのシオンが言った。ベースのシュリは、
「狭いのかと思ってたけど、けっこう広いじゃん」
と言った。シオンもシュリも俺と同じ2年生だ。
 楽屋はあるが、出演者全員は入り切らないので、荷物を置いたら客席にいる。リハーサルを順番にさせてもらい、それが終わると客が入ってくる。
「あっ、いた!リョウスケ~来たわよ~」
数人の女性が入って来て、俺たちの方へ寄ってきた。ありがたいファンの方々だ。
「うちのバンド、ビジュアル系バンドじゃないのに、よくファンが集まるよな」
「ほんとだよな」
シオンとシュリが小声で話してクスクスと笑っているのがすぐ後ろで聞こえる。だが、ファンの方々は俺にプレゼントを渡すのに夢中らしく、2人の会話は聞こえていないようだ。
「ありがとうございます」
どういうテンションでもらえばいいのか、俺はアイドルでもスター選手でもないのでよく分からない。どうもギクシャクする。
「やあ、いつも来てくれてありがとね」
そんな俺に代わって、神田さんが彼女たちの相手をしてくれる。結局話術では神田さんの方が彼女たちを夢中にさせているのだ。また神田さんに「お前は顔だけ」と言われそうだが。
 俺たちの出番が回ってきた。前のバンドが引き上げてから、自分達の楽器の用意をする。俺はマイクの準備。あと一応サイドギターを弾くのでその準備もする。ギターを持って歌うのだが、実は半分も弾けていない。だって歌いながら弾くとか無理なんだけど。だからまあ飾りのようなもんだ。歌の無い所ではちょこちょこっと弾いているけれど。
 客席の明りが消え、ステージのみが明るい状態になった。そして曲が始まる。こうなると客の顔は全然見えない。途中ミラーボールが点いてうっすらと見えるようになった。そこですかさずファンサービス。俺はなぜか、面と向かってのリップサービスは出来ないのだが、ステージと客席に分かれていると割と大胆なファンサービスが出来るのだ。一人一人を指さしてウインクしたりとか。
 客席からキャーキャーという悲鳴が上がり、満足する。そして神田さんのMCが入って2曲目になった。今度は割と客席が明るくなった。すると……。
 自分の目を疑った。目の前に雪哉がいたから。客席には椅子があり、後ろにはバーがある。そのバーのカウンターのところに立っている客もいる。もちろん、この中には出演者も混ざっているわけだが。雪哉はカウンターと客席との間に立っていた。ほぼセンターに立っていた。荷物を持たず、上着のポケットに手を突っ込んで、こちらを見ていた。

 自分達の歌を3曲やって、俺たちはステージを下りた。ギターを片付け、楽屋に荷物を取りに行く。その時に俺は雪哉を目で探した。さっきはセンターに立っていたのに、あっという間にどこかへ消えたのだ。
 探していたら、出入り口近くに立っている雪哉を見つけた。俺は思わず走り寄る。
「雪哉、来てくれたの?」
「うん」
雪哉はやっぱりニッコリしてくれる。会いたかった、ずっと会いたかった。俺は今ものすごく感動している。でも……俺、ライブの事知らせたっけ。ああ、神田さんがスキー部のグループLINEに宣伝流していたか。
「今日も、良かったよ」
ちょっと歯切れが悪い。社交辞令ならもっとさらっと言いそうなものなのに。
「ありがと。あのさ、これから」
と言いかけた時、ダーッとファンの方々が押し寄せてきた。
「あ、俺荷物取ってくる!」
俺は慌ててそう言うと、楽屋へ一目散に逃げ込んだ。神田さんがいないと、ファンの方々とは上手くつき合えないのだよ。
 楽屋から荷物を出して来て、メンバーみんなでライブハウスを出た。もう俺らのファンや雪哉も外へ出ていた。ファンの方々にはそれなりにおしゃべりにお付き合いし、帰ってもらった。
「んじゃ、今日は解散かな」
「おう。またな」
俺たちはそれぞれ帰る事にした。だが雪哉は俺たちを待っている。俺がちらっと雪哉の方を気にすると、神田さんが、
「涼介、ちょっと飲むか?」
と俺に言った。
「え?雪哉は?」
俺が言うと、
「もちろん、雪哉も一緒だ」
と言って笑う。俺は心の中でガッツポーズ。
「じゃあ、俺も行くよ」
だが、すましてそう言った。にやけるのを必死に堪えて。

 雪哉と神田さんと3人で居酒屋へ行った。端っこの席にしてもらって、角の壁にギターを2本立てかけた。そして生ビールで乾杯する。
「乾杯~!」
ジョッキをカチンと合わせ、ぐっと一口飲んだ。そして、
「雪哉、ライブどうだった?」
と聞いてみた。
「うん、今日も良かったよ」
事も無げに言う。
「今日もって、前にもライブに来てくれた事あるの?」
俺が驚いて雪哉の顔を覗き込むように言うと、雪哉はちょっと照れたように笑った。
「あるよ」
そう言った。知らなかった。
「じゃあ、俺の事見たことあったんだ。スキー場で初対面かと思ってた」
何だか腑に落ちない。俺も雪哉を見た事があっただろうか。いや、こんなイケメン一度見たら忘れないのに。それにしても、演芸会で紅蓮華をやったのも、実は雪哉には目新しい物じゃなかったのか。何だか色々恥ずかしいな。
「ちょっとトイレ行ってくるな」
神田さんが席を立った。俺と雪哉ははす向かいに座っていた。何となく2人きりになるのは照れる。実は初めてかもしれない。いや、周りに知らない人はいるんだけども、知っている人が見ていないのは初めてかも。
「僕、実は……ファンなんだ」
雪哉が何か言ったが、最後は小さすぎて聞こえなかった。
「何?ファンとか言った?」
と俺は雪哉に聞いた。
「あ、うん。あのね、僕ずっと涼介のファン、だったんだ」
そう言うと、雪哉は畳んだおしぼりで顔を隠した。
「!」
呼吸が止まったかと思った。ファンだと言われる事はたくさんあったけれど、今までとは全然違うものを感じる。喜びというか、衝撃というか、動悸息切れ、興奮……。
「ゆ、雪哉!俺、俺さ、雪哉の事が好きなんだ。好きに、なっちゃったんだ」
思わず勢いで言ってしまった。すると雪哉がおしぼりをポタッとテーブルに落した。ああ俺たち、もしかして両想い?そうなの?
 と、興奮している所へ神田さんが戻ってきた。忘れちゃいけない、今は2人きりのデートではないのだ。
「どうした?なんか……緊迫してないか?」
神田さんが言う。俺は一度唾を飲み込んだ。落ち着け、まずは落ち着こう。そして、闇雲にビールをグビグビっと飲んだ。
「すいません!お代わり!」
俺がジョッキを上げて店員に向かって言うと、
「あははは、お前が大きい声出すと目立つよな。無駄にイケメンだからよ」
神田さんが俺を見て笑う。そして隣に座っている雪哉を見る。雪哉が黙ってうつむいているので、神田さんは雪哉の頭に手を置いた。
「どうした?何かあったのか?」
そう雪哉に声を掛け、次に俺の顔を見る神田さん。むう。なんと言えばいいのやら。何も言わない方がいいのやら。俺が目を泳がせていると、
「まさか……」
神田さんの目が、急に鋭くなった。俺と雪哉を交互に見る目が。
「え、何?」
たじろぐ俺。
「涼介、お前まさか、雪哉を口説いていたり、しないよな」
「え……」
そこへビールがやってきた。
「お待たせしましたー!」
俺たちは店員がいなくなるまで黙っていた。動きも止まっていた。今のうちに何か考えようと思ったのに、あっという間に店員はいなくなった。
「口説いてるって言うか、まあ、告ったっていうか」
ごまかしや嘘が言えない俺。バカ正直に言うと、神田さんは雪哉の肩に腕を回し、自分の方へぐっと引き寄せた。
「悪いな涼介。雪哉は俺のもんだ。お前にはやらないよ」
って!真面目な顔をして言う。嘘だろ?いや、その雰囲気は嘘じゃないような。俺は口をぱくぱくさせたが、何も言葉が出てこなかった。雪哉はやっぱり黙っていた。でもさっき俺のファンだって……。俺の頭は混乱した。そしてビールを飲み干すと、一人で店を出たのだった。