巻き上げられた雪が、太陽の光を受けてキラキラと光っていた。
そいつはシュッと音を立て、あっという間に通り過ぎた。
左右にリズム良く体を振りながら、あっという間に遠ざかっていく後ろ姿を、いつまでも眺めていた。
豆粒くらいに小さくなっても。
ザワザワとした居酒屋の店内。俺は空になったビールジョッキを高く掲げた。
「はーい、ただいま」
店員の若い女性が良く通る声でそう言うと、すぐに近寄ってきてしゃがんだ。
「生、お代わり」
俺が言うと、
「あ、俺も」
「俺も!」
同じテーブルのやつらがそう言った。
「はい、生3つですね!」
女性はそう言うと俺の顔をチラッと見て、はにかんだように微笑んだ。そして、俺ともう1人のやつのジョッキを持って、去った。
「あーあ、あの子もやっぱりこいつに堕ちたかぁ」
前にいたやつが言った。
「何々?」
「こいつ、三木涼介はとにかく女にモテんだよ」
大学のサークルの飲み会。女子は1次会で帰ってしまい、今男ばかりの2次会である。
「そうなの?三木、彼女いんの?」
俺が答える前に、腐れ縁が続いている幼なじみが答えた。
「涼介はね、彼女を切らした事がないんだよ。中学の時からずーっと、取っ替えひっかえ、引きも切らさず、だよ」
「へえ。三木、そうなのか?」
「いや、小6から、かな」
俺はつい、そこを訂正してしまった。そんな事はどうでもいい。あんまりこだわりがない。
「マジかよ!いいなあ。俺も彼女欲しいぜ」
「だからこのサークルに入ったんだろ?新入生女子、可愛い子けっこういたじゃん」
男どもは新入生女子の品定めを始めた。だが、俺はそんな話題には興味がない。
何となく、今も女と付き合っているが、あまり彼女とか恋人とかに執着はない。
「涼介はさあ、来る者拒まず、去る者追わずなんだよなー。な?」
また俺の話題に戻ってきた。
「だから、彼女がいつでもいるわけだよ」
幼なじみがそう言うと、
「いやいや、俺も来る者拒まずだけどさ、そもそも来ないからさ!」
「あははは、お前じゃ、来ないなー」
「なにー!」
周りは盛り上がっている。しかし、幼なじみの言葉は言い得て妙だ。来る者拒まず、か。何となく、付き合って欲しいと言われると「いいよ」と答えてしまう。だが、あまり長続きはしない。
「私たち、付き合ってるんだよねえ?」
と、何度聞かれた事か。聞かれたというか、問い詰められたというか?それでつい、
「嫌なら別れれば?」
なんて言うと、彼女は去って行く。そして、俺がフリーになった途端、また他の女子が来て、付き合って欲しいと言ってくる。だから、また「いいよ」と言う。その、繰り返しだ。
俺は、人を好きになった事がない。自分からつかみ取った恋愛はない。そう言った意味では、恋愛経験はゼロだ。人を本気で好きになってみたい。欲しい、と心から思ってみたい。
東京にあるS大学のシーズンスポーツサークルでは、毎年夏は海、冬はスキーに出かける。もちろん春や秋にもいろいろなスポーツをやるのだが、泊まりがけで出かけるのは夏と冬だけだ。
大学2年の夏、その当時彼女だった子に誘われてこのサークルに入会した。だが別れてしまったので彼女は退会した。俺はそのまま所属していた。腐れ縁の幼なじみ、篠崎もいたし、辞める理由もなかったから。時々体を動かすのも悪くなかったし。
そして冬の長期休みがやってきた。一応”春休み”か。1月下旬に試験があって、後はもう3月末までずっと休み。2月の初頭に我らシーズンスポーツサークルは、スキー合宿へ出かけた。
「うわー、すっげえ急だなぁ」
リフトを降り、少し滑ったところで仲間を待つ。しかし、そこから斜面を下りるのが、どうやらあまりに過酷な感じ。
「誰だよ、上級者コースがたいしたこと事ないって言ったのは」
「やばくない?私無理かもー」
初心者を除き、中級者以上のメンバーがリフトに乗ってここまでやってきたのだが、特別スキーが得意な人もいない状況だった。平日だからスキー場全体が空いているのだが、上級者コースは特にガランとしている。
「どうする?どうにか滑る?」
「えー、どうする?」
情けない声を出すメンバーたち。完全にビビっていやがる。
「大回りすれば大丈夫だよ」
俺が言うと、
「大回りって何?どういうこと?」
と、聞かれる。
「真横に近い感じにずーっとあっちまで行って、またこっちにがーっと行って」
ジェスチャー込みで伝える。
「ああ、なるほど」
「でも怖いよー」
なかなか進まない。
「そういえばさ、さっきうちの大学の連中がいたぞ」
篠崎がふと思い出した風にそんな事を言った。
「うそ、偶然が過ぎないか?知ってる人だったの?誰?」
「うちの大学のスキー部の連中だよ。俺は鷲尾ってやつと友達でさ」
サークルではなく部となると、ちゃんとスキーをやっているやつらだ。
「スキー部か。そりゃ、関東周辺のスキー場に現れても不思議はないわな」
俺はそう言うと、もうこれ以上待ちきれず、ストックを使って前へ進んだ。俺も大した実力ではないが、転びながらでも何とか下りられる自信はある。こんな所に突っ立っていたってしょうがない。
「あ、三木行くのか?俺も行く!」
篠崎が着いてきた。俺はボーゲンにして急な斜面を滑り出した。しかし大回りするので時間がかかる。それに、疲れる。上手いやつはあっという間に滑り降りるのだろうが、俺は疲れてコースの端っこで止まった。そして、仲間が来るかと思って後ろを振り返った。
すると―。まぶしい光でちょっと目がくらんだ。斜面の上から、雪しぶきを上げてシュッシュッといい音を立てながら、1人のスキーヤーが近づいて来た。俺みたいに大回りせず、短いスパンで折れ曲がり、あっという間に下りる。
「うわ、かっこいい……」
俺は思わず声に出した。そのスキーヤーをつい目で追う。牛みたいな白地に黒ぶちの模様のあるウエアーを着て、赤い帽子に赤と黒のゴーグルを付けたスキーヤー。
ずっと目で追っていたけれど、とうとう見えなくなった。そして、篠崎やその他メンバーがちらほらと俺に追いついてきた。
「三木、待っていてくれたのか。いやー、しんどいなここ」
篠崎が言う。
「ああ」
「どうした?心ここにあらずって感じだぞ」
篠崎が笑って言う。
「今、すげえ上手いやつが通った」
俺が言うと、
「見た見た!すげえな。プロじゃないか?もしくは地元民とか」
「……そうだな」
まだ休憩している篠崎を置いて、俺はまた滑り出した。さっきよりちょっと勇気を出して斜めに進む。スキーはイメトレが大事だ。上手いスキーヤーを見た後は、何となく自分もあんな風に滑れるような気がして、体が勝手に真似をする。……が、やっぱり転んだ。ゴロゴロと転がって、やっと止まった。やれやれ。
休憩と昼飯を兼ねて、リフト乗り場近くのラウンジに入った。今は小中学校が休みではないので、親子連れはほとんどいない。小さい子供を連れた家族が1組いるくらい。後はだいたい大学生と思われるグループばかりだった。
スキーと言ったらカレーかラーメンだろう。今日は晴れていて暑いくらいなので、ラーメンではなくカレーライスにした。カレーライスをトレイに乗せ、スプーンや水を取ろうと振り返ったところで、危うく人とぶつかりそうになった。
「おっと」
「うわ、ごめんなさい!」
謝ってきたのは若い男だった。俺と背丈が同じくらいで、すごく近くで目が合った。うっわ、イケメンだなあ。いや、可愛い?ぱっちりしていて印象的な目をしている。それに日焼けして、つまりは雪焼けで鼻や頬がほんのり赤い。赤紫色でふっくらした唇で、そしてなんとおでこにゴーグルの跡。前髪もぺっちゃんこで半分上向いちゃってるし。でも可愛い。
あっ!このウエアーは!顔なんぞを見ている場合ではなかった。このウエアーは、さっきの超絶スキーの上手いやつでは?牛みたいに白地に黒ぶちの模様だ。
「あの、大丈夫ですか?」
そいつが言った。
「あ?ああ、大丈夫、です」
「よかった。あ、水ですよね。あとスプーンもか」
なんと、そいつは俺のために冷水機からコップに水を入れ、スプーンまで取ってトレイに乗せてくれた。
「あ、どうも」
そこへ、
「雪哉、何やってるんだ?おい、俺の連れに何手ぇ出してんだてめえ」
と背後から声がする。しかもその声の主は俺の肩をがしっと掴み、俺を振り返らせた。
「あ!」
「あ?お前、涼介じゃねえか。なんでこんな所にいるんだ?」
「神田さんこそ!なんでいるんですか?」
びっくりした。
「俺はよ、スキー部だから」
「え?神田さん、スキー部だったの?」
「そうだよ。俺は長野出身だからな。スキーは上手いんだぜ」
「へえ、知らなかった」
「お前はなんでいんの?旅行か?」
「ああ、俺はサークルで」
俺と神田さんが話していると、
「ねえ神田さん、僕の事も紹介してよ」
さっきの可愛い、超絶スキーの上手い牛柄ウエアー君が言葉を発した。彼は雪哉という名前らしい。
「ああ、うちのバンドのメンバーの、三木涼介。それでこっちが……」
「神田さん!この人は、もしかしてうちの大学の?」
神田さんの紹介を遮って、俺が食らいつくように聞くと、ちょっとびっくりした様子で、
「あ?そうだよ。うちのスキー部の……」
と言いかけた。だが、最後まで聞かずに俺は言った。
「俺、スキー部に入部する!今すぐに。いいっすよね?」
自分でも驚きだが、目の前の2人はもっと驚いているだろう。目をまん丸くして、俺を見ていた。
どうして俺は、スキー部に入りたいと思ったのだろう。実は自分でもよく分からない。スキーが上手くなりたいかと聞かれたら、実際ノーだ。1つのスポーツをそれほど深くやろうとも思わない。ましてや冬に1~2回しか出来ないスキーが上手くなったところで、たいして自慢も出来ないではないか。
だが、あいつ……雪哉が滑っているのを見た時は、確かに格好いいと思った。正直憧れた。それでも、それがプロのスキーヤーだったり、オリンピック選手だったり、強豪校のスキー部の選手だったりしたら素通りしただろう。だけど雪哉は俺と同じS大の学生だった。東京の大学に通う学生だったのだ。俺もあんな風になれるかもしれない?出来れば、あんな風になりたい。
いや、本当にそうなのか?雪哉の顔を見るまでは、そんな事考えもしなかったのではないか。俺はもしかすると、雪哉に近づきたかっただけではないか。仲良くなりたいだけなのでは。
え?なんで?
俺は自分のサークルにさっさと別れを告げ、スキー部が泊まっている宿へ引っ越した。いつも何となく、で生きている俺にしては、今回の判断力と実行力は驚愕の境地だ。
サークルの方はホテルだったのに、スキー部の宿は合宿所。だいぶレベルが下がった。だが仕方ない。宿泊日数が違うのだ。サークルの方は2泊3日だが、スキー部は1週間泊まるそうだ。やばい、俺パンツない。
「き、急に入部とは……奇特な人がいるもんだね」
スキー部の部長である山縣さんが、メガネを片手で押し上げながら言った。
「すみません。俺、サークルじゃ物足りなくて。俺もスキー部の人達みたいに上手くなりたくて」
俺がそう言うと、神経質そうな顔からまんざらでもない感じに変化した山縣部長。
「まあ、そうだろうね。いいだろう。宿の人には了解を得ておくから、君は他の2年生と同じ部屋に泊まってくれ」
「はい!あっざーす」
というわけで、2年生の部屋を教えてもらい、入って行った。
今日の活動を終えた夕方。みんながスキー道具を乾燥室に置いて、続々と部屋に戻っている。続々と、とは言っても、1学年5人もいればいい方だ。4年生は2人しかいないので、3年生と合同の部屋だそうだ。
2年生は4人だったが、俺が入って5人になった。部屋は10畳ほどの広さで、布団も余っていたし、1人増えたところで特に問題ないようだ。
夕食は食堂で一斉に済ませ、風呂は思い思いに大浴場で済ませ、部屋で布団を敷いた。さてさて、ちゃんと自己紹介をしないとな。
「あの、俺三木って言います。経済学部です。今日からよろしくお願いします」
すると、4人が俺の周りに丸くなって座り、一人一人自己紹介してくれた。
「俺は鷲尾。俺も経済学部です。よろしく」
「牧谷です。法学部です。よろしく」
「井村です。情報学部です。よろしく」
「僕は鈴城です。文学部です。よろしく」
へえ、雪哉君文学部か。
「ユッキー、学科は?」
「心理学科だよ」
ユッキー?雪哉だから?鷲尾が雪哉をそう呼んだ。
「そうなんだ。知らなかったなあ」
牧谷が言う。
「あの、ユッキーって……」
俺は一応確認してみた。すると、
「ああ、鈴城君は雪哉だからユッキー。鷲尾はワッシーで、牧谷はマッキー」
井村が説明してくれた。そのネーミングは分かるけど、じゃあ井村は?
「それで、井村はイムラなんだよ」
雪哉が補足してくれた。何だかなぁ。
「あ、三木君はミッキー?!」
鷲尾が言う。
「うっ、それは……。いや、俺は名前が涼介だから、リョウスケって呼んでくれよ」
小学生の時のあだ名は確かにミッキーだったんだよ。もうやめてくれ。
「そういえば三木、じゃない涼介はどこ出身なの?」
井村に聞かれた。
「俺?東京だよ。みんなは?」
俺が言うと、それぞれ長野、群馬、新潟と答えてくれた。なるほど、皆さん雪国育ちかな。だが雪哉は、
「僕は東京だよ」
と言った。うそ、雪国じゃないの?あんなにスキーが上手いのに?
「東京なの?東京のどこ?」
俺が聞くと、
「多摩」
「ああ」
やっぱり山か。
「ちょっとぉ、それどういう意味だよー」
雪哉は笑ってそう言った。あ、可愛い。
「いや、山、じゃない坂が多そうだから、足腰鍛えられて、スキーも上手くなったのかなーって」
苦し紛れのフォロー。
「涼介は?東京のどこ?」
雪哉に聞かれたので、
「目黒」
と言ったら、
「め、目黒!?」
雪哉ではなく、他の3人が声をそろえて言った。
「な、何おしゃれな所に住んでんだよ。ま、そうだよな。涼介はそういう感じだよな、うん」
それは無視して、俺は雪哉にもっと聞きたい事があった。
「それで、雪国出身じゃないのに、なんでそんなにスキーが上手いの?」
すると、雪哉は言った。
「小学生の時に体操教室に通ってて、毎年スキーキャンプに参加してたから、かな」
「なるほど」
スキーキャンプか。それであんなに格好良く滑れるようになるのかは若干疑問だが、特に雪国に住んでいたとか、親がオリンピック選手だとか、そういう事ではないらしい。
それにしても、だ。最初は俺を囲んで座っていた面々が、いつの間にか雪哉を中心に丸くなっていた。3人とも、雪哉の顔ばかり見ているような気がする。雪哉の顔に夢中なんだな、こりゃ。こいつはやたらとイケメンだから……なのかな。
サークルの合宿と違って、こっちは酒も飲まずに早寝して、朝早くから揃って朝食。そして準備体操までして、スキー場へ向かう。まだリフトも動いていないだろうに。
「よう涼介。酒飲まずに眠れたか?」
神田さんに会うと、からかわれた。
「そっちこそ、こんな健全な事をしているとは思わなかったよ」
神田さんは肩まである髪にパーマをかけた、どこからどう見てもバンドマン。それこそ毎晩酒は欠かせないと言った雰囲気なのに、この有様だ。
「あはははは」
神田さんはただ笑った。
「おお雪哉。よく眠れたか?」
雪哉が現れると、神田さんは雪哉の頭をポンポンとやってそんな事を言った。ずいぶんと親しげ、というか、可愛がっている様子。
「うん」
だが、雪哉は意外にそっけない。
「ゆき……ユッキー?は、その……」
俺がもごもご言っていると、雪哉は吹き出した。
「雪哉でいいよ」
そして、まぶしい笑顔でそう言った。
「あ、うん。雪哉は神田さんと親しいの?」
俺が聞くと、神田さんが雪哉を見た。
「えっと、まあ」
雪哉がそう答えると、
「俺が雪哉をスキー部に誘ったんだぜ」
神田さんが言った。
「そうなの?なんで?」
「ナンパしたのさ」
「ああ」
一度は納得した俺。だが、どこでだ?どうして雪哉がスキーが上手いと分かったんだ?と疑問が目白押し。けれども、スキー場に到着してしまった俺たちは、部長の掛け声に従って滑る準備にとりかかる事になった。まあ、そのうち聞けばいいか。
「じゃあ、2人1組になって」
部長がそう言ったので、俺たち5人の2年生は顔を見合わせた。みんな、雪哉と組みたいのがありありと分かる。じりじりと雪哉の方へ近寄ろうとしているのだ。
「なるべく身長が近い人同士がいいよ」
また部長が言った。やったぜ。俺と雪哉は同じくらいの身長なのだ。他のやつらは明らかにがっかり。適当に組んで、余った1人は1年生と組んだ。
部長は更にこう言った。
「交互に後ろ向きに滑ろう。スイッチとかフェイキーって言うんだけどね」
えー!後ろ向きに滑る?やった事ないぞ。
「ごめん、俺出来ない」
素直にそう言うと、雪哉はニコッと笑って、
「大丈夫。まず僕から後ろ向きになるね」
俺たちは向かい合わせになり、ボーゲンでゆっくり滑り始めた。いや、雪哉はボーゲンとは逆に、前を開いて後ろを閉じている。はあ、そうやるのか。他の組はギャーギャー言いながら滑っている。どう考えてもかっこいいもんじゃなさそうな逆ボーゲンなのに、雪哉が滑るとなんかカッコイイ。シュッシュッとリズムよく進んでいる。
そして、次に俺が後ろ向きに滑る番。後ろ向きになって、後ろを閉じて……
「うわっ!」
いきなり前に倒れて手をついた。
「あれ?」
無理。
「ボーゲンを思い出して。後ろに重心をかけたら尻餅つくでしょ」
つまり後ろ向きの今は、後ろに重心をかけるって事か?
「でも、後ろに重心をかけるのは怖いよ」
俺が訴えると、
「エッジを使えば大丈夫。僕を見て。何の為に対面で滑ってると思う?前向きの人を見て、真似する為だよ」
雪哉が優しくそう言った。俺たちはゆっくり、実にゆっくりと進む。雪哉の板を見ながら、エッジを使ってブレーキを掛けつつ進む。
「そうそう、上手いじゃん。涼介才能あるよ」
こいつ、スキーが上手いだけじゃなく、教えるのも上手いのか。かなり嫉妬しちゃうな、これは。
「あ、止まって!」
雪哉が突然そう言った。が、急には止まれない。すると、雪哉が俺の腕をぐっと引いた。
ゴーグル同士がぶつかるゴツッという鈍い音が聞こえて、それから唇に柔らかい物が触れた。そして俺は雪哉の胸に思いっきり乗っかってしまった。
キャッキャッと子供の声が聞こえて、それが遠ざかっていった。小さい子供がいたから、雪哉は俺に止まれと言ったのだろう。そうか、対面で滑る理由は、前を向いているやつが進行方向の安全を確認するためでもあるんだな……とか、のんきに考えている場合ではない。
今、柔らかいものが俺の唇に触ったではないか!それは何だ?ゴーグルがぶつかった後なのだから、他に柔らかい物があるとすれば、それは唇同士がぶつかったという事ではないのか?雪哉の胸が上下している。だから生きている。が、動こうとしない。どうしよう。俺が止まれなかったせいで、突然知り合ったばかりの“男”とキスしてしまうなんて、あまりに最悪じゃないか、雪哉にとって。
「あ、あの……ごめん」
俺はおずおずと言いつつ、腕をついて起き上がった。
「大丈夫か?」
俺が心配になって声を掛けると、
「うん……大丈夫、だよ」
やっぱり歯切れが悪い。どうしよう。謝った方がいいよな。いや、今謝ったけど、足りないよな。土下座か?慰謝料でも払うか?
「大丈夫か、雪哉?」
そこへ、神田さんがやってきて、シュッと止まった。
「怪我でもしたか?」
「ううん、僕は大丈夫」
雪哉はそう言うと、差し出された神田さんの手を掴んで、シュタっと立ち上がり、シュルシュルっと進んで投げ出されたストックを拾った。立ち方もカッコイイ。神田さんが俺にも手を差し出してくれた。俺は手を掴ませてもらったもののすぐには立ち上がれず、結局神田さんの手を離して雪面に手をつき、まだ手にぶら下がっていたストックを使って頑張って立ち上がった。
「涼介、怪我してない?」
雪哉が近くまで来て言った。おいおい、今下りてったのに、もうここまで上がってきたのかよ。自由自在だな。
「ああ、大丈夫だよ」
俺はそう言いながら、雪哉の顔を見た。ゴーグルを透かして目を見ようとする。だが、光が反射してよく見えない。
「あの、ごめん……」
もう一度謝ってみたが、
「涼介は悪くないよ」
今度は明らかに、笑顔でそう言ってくれた雪哉。本心だと思いたい。