GOLD〜豪剣の契り〜

 道場へ向かう公園に立つサクラも満開になった春。
 小学四年生になった稔は練習試合をしていた。相手は、門下生仲間の須藤という少年。稔より一つ上、小学五年生だ。
「ヤァァアー!」
「ドゥアアァー!」
 稔は、一つ上の須藤の気迫をも飲み込む気迫を発した。しかし……稔が須藤の『面』を狙い振りかぶろうとした、その瞬間!
「コテェ!」
『パァン!』
 須藤の竹刀が稔の『小手』を捉えた。
「小手あり!」

 試合を観る杏は腕を組む。
「うーむ……」
 須藤は、弱い相手ではない。寧ろ、『小手』を得意として、大会でも入賞することのある、強い部類に入る少年剣士だ。
 でも、杏は須藤を『強い』とは思っていなかった。ただ、器用に『小手』を決め、『勝つテクニック』に長けている剣士……稔が昨秋戦った、角口と同じタイプの剣道をする。
 稔の成長は目覚ましいものに見えた。しかし、成長が早ければ早いほど、挫折も早く訪れる。
 『面』で勝負する稔は、悉く『出小手』に負けるのだ。その挫折の時期に、稔は須藤と仲良くなった。どうも、嫌な予感がする。

「稔!」
 稽古後、杏は稔を呼んだ。
「今は勝とうなんて思わなくていいから。あんたは『自分の剣道』をやりなさい」
「でも……」
 稔は何だか煮え切らない。その時。
「おい、稔。帰ろうぜ」
 須藤が呼ぶと、稔は逃げるようにそちらへ行った。
「あ、ちょっと……」
 杏が呼び止めようとした時には、稔は須藤と共に道場を出ていた。
「うーん……」
 杏は腕を組んだ。
「子供に反抗される親って、こんな感じなのかな」

 帰り道。
「なぁ、稔。お前、どうして『小手』を打たねえの?」
 須藤が尋ねた。
「えっ?」
「『小手』打てるようになると、勝つん楽だぜ。動きも少なくて済むしよ」
「でも……『面』が僕の剣道だから」
 稔の頭の中を、杏から貰った金メダルがかすめる。
「あぁもう、そんなんに拘るなって。お前も、試合で入賞したいだろ? まぁ、でも俺は、今のままの方が、楽にお前に勝てるから助かるけどな」
 須藤が嫌な笑みを浮かべながら言うと、稔は下を向いた。

 次の稽古でのことだった。
「ドゥアアァー!」
「ウゥァアァー!」
 稔と杏が地稽古をしていた。
 剣先のギリギリ触れる間合いでの攻め合い。
 張り詰める緊迫感……の筈だった。しかし、その日に限って杏はお腹の調子が良くなかった。
 いてて……昨日、アイス食い過ぎたかなぁ。
 その刹那!『面』ごしにジッと杏の目を見ていた稔は、その刹那の心の隙を見逃さなかった。
 竹刀が瞬時に杏の手元へ伸びる!
「コテェ!」
『パァン!』
 杏の右手首を竹刀が打つ音が響く。
 杏は驚いた。百戦錬磨の自分が稔に負ける筈がない。他のことを考えていても、即座に反応できる筈だった。でも、今のは……本当に、稔が『小手』を打つ『瞬間』が分からなかった。
 稔も驚いた。杏は、今までひたすらに憧れ……天の上のような存在の剣士だった。それが、『小手』を狙ったら、一本取れた……。
「くそっ!」
 杏はすぐに体勢を立て直した。
 それからは、一本取れたのが嘘のよう。稔がどれだけ『小手』を狙っても、すりあげられ、抜かれ、返され、ボロボロに何本も取られた。
 しかし……まぐれで杏から『取れてしまった』この一本が、稔のこれからの剣道に大きく影響を与えることになったのだ。

 サクラの花びらが舞う春季市民大会。決勝の舞台に稔はいた。
「ヤァァアー!」
「ドゥアアァー!」
 気迫の掛け合い。やはり、稔の気迫は同学年の剣士の間では群を抜いている。しかし、狙うのは『面』ではない。
 相手の呼吸は一定。攻撃の警戒に切り替わることはなく、攻め合いながら一定の呼吸を続ける……。
 その刹那!
「コテェ!」
『パァン!』
 消えた!
 恐らく、相手はそう思った。微動だに、反応ができなかった。稔は、完全に相手の一定の状態の『瞬間』を裂く『小手』を決めたのだ。
「小手あり!」
 稔の春季大会決勝は『小手』での二本勝ち。剣道の大会での初優勝を飾った。

「やったじゃんか、稔。やっぱ言った通り、『小手』を打ったのが良かったな」
 試合後、須藤がニヤニヤしながら来た。
「うん……」
 稔が杏の方を見ると、まるで無関心に、自分の試合の準備をしている。稔は下を向いた。

「ったく、『勝つテクニック』なんて覚えやがって」
 杏はブツブツ言っていた。
「確かに、あいつは打つ『瞬間』が分からない。その『瞬間』の分からない『小手』は物凄い脅威ね」
 眉間に皺を寄せた。
「でも、相手とぶつかり合わずに『勝つ』……そんなの、私の『信念』に反するんだよなぁ」
 震える口角を上げ、怒りにも見える笑みを浮かべた。
 その日の中学女子の部では、杏はかつてないほどの早さで剣士達をなぎ倒して優勝した。そのことが、『怒りにも見える笑み』の意味を物語っていた。
 秋の市民剣道大会。稔は小学四年生男子の部で決勝まで勝ち上がった。
「コテ、メェーン!」
「メントォー!」
 稔はグイグイ前へ出て、相手を場外ギリギリまで追い詰めていた。
 もうすでに、開始早々に『出小手』で一本取っている。一本取った上で、尚且つ相手をギリギリまで追い詰めていた。ほぼ勝ったも同然の状態だった。
 稔はジワジワと前へ出る。
 相手の目線。この状況にも関わらず、それは稔の目を真っ直ぐ直視していた。
 捨て身の『面』が……来る!
 相手は稔の『面』を狙い、飛び込む。稔の竹刀は相手の手元へ吸い寄せられる!
「コテェ!」
 稔の竹刀は相手の『小手』を捉え、そのまま足と体を左へ捌いて綺麗に決めた。
「小手あり!」
 稔は決勝で二本勝ち、優勝を決めたのだ。観客席からドッと歓声が沸き起こる。
 しかし……
「チッ!」
 歓声を上げる観客達の中で、杏は一人舌打ちをした。
「どうして、そこで『小手』を打つかなぁ……」

「稔、凄えなぁ。お前、無敵じゃん」
「いやぁ、そんなことねぇよ」
 頭をポリポリ掻きながら門下生仲間達の賞賛に謙遜し、稔は辺りを見回した。
 いない。
 ほっと胸を撫で下ろした。
 その時、目の端に決勝の相手が映った。相手はぐしょぐしょに涙を流し、手拭いで顔を拭いている。それを見ると、急に心に靄がかかった。
 あの勝ち方で、本当に良かったのか?
 稔は、その想いを振り払うように防具を片付けて防具袋に戦利品の金メダルを入れ、試合会場を後にしようとした。
「私なら、あそこは『面』で勝負したけどね」
 出口を出て、不意に声を掛けられビクッと立ち止まった。見ると、目を瞑った杏が腕を組んで壁にもたれている。目を開け、稔をキッと睨んだ。
「あんたは一本先取してた上に、相手をギリギリまで追い詰めてた。気持ちの上でも、断然有利な筈だった。なのに、どうしてあそこで『小手』を打った?」
「だって、あいつが『面』を打つと分かってたから……」
 稔は俯いた。
「はぁ? あんた、私の教えた『面』があいつの『面』に負けるとでも思ったの?」
 杏は眉を顰めた。
「『面』でも勝てたかも知れないけど、『出小手』打ったら確実に勝てるじゃん」
「そうね、あんたは確かにあの試合では勝った。相手の手首を斬って『動き』を止めた。でも、相手の『息の根』を止めてない」
「息の根……」
「そう。もっと、欲を張りなさい。勝つために動きを止めるだけだなんて、勿体無い。私は『勝つためのテクニック』なんて教えてない。『どんな相手でも斬る剣道』を教えてきたつもりよ」
 でも、やはり稔は俯いた。
「だけど、俺……それでは勝てないんだ。俺、どうしても勝たなきゃならないんだ」
 すると、杏はまた目を瞑りため息を吐いた。
「やっぱ、『試合』に勝つためだけ、なのね。あんたはあの『試合』には勝ったけど、『気持ち』では完全に負けていた。相手の捨て身の『面』の方が輝いてたわ」
 美しい瞳で見つめるが、やはり稔は下を向いたままだ。
「でも、あんたがそれでよしとするのなら……もう、あんたに教えることは何もないわ」
 去って行く杏の寂しそうな後ろ姿に、稔は何も言うことができなかった。

「勝つためで、何が悪いんだよ」
 今日取った金メダルを手に持ち眺めながら、稔は自分の部屋で呟いた。
 去年のこの大会、自分は負けたけれど杏姉貴に金メダルを貰った。悔しかったけど、それ以上に杏姉貴の言葉が泣けるほどに嬉しくて、ぐしょぐしょになるまで泣いて……その金メダルは今でも大事に飾っている。
 でも、同じ大会で金メダルを取った筈なのに、何故だか全然嬉しくない。ぐしょぐしょに泣く相手の顔を思い出すと、やはり靄がかかったような、後ろめたい気持ちになる。
「くそっ!」
 稔は、金メダルを部屋の壁に投げぶつけた。

 翌週の稽古終わり。杏は桜と共に帰ろうとしていた。
「杏姉貴!」
 稔が呼ぶと、杏が振り返った。
「俺と……これから少し、手合わせして下さい!」
「もう、あんたに教えることはないって言ったはずよ」
 杏は流し目を送る。
「でも、俺、絶対に勝ちたいと思ったけど……やっぱり、あの勝ち方じゃあ嬉しくないんです。杏姉貴の剣道に憧れて剣道を始めたから、あの『面』で勝ちたいんです。お願いします。前のように、稽古つけて下さい!」
 すると、杏はすっと目を瞑る。
「チョコレートパフェ」
「えっ?」
「私に奢るなら、やってやってもいいわよ」
「ありがとうございます!」
 稔は目を輝かせる。
「あんたの腐った根性、叩き直してあげる」
 杏は担いでいた防具袋を置き、防具を取り出した。

「ドゥアアァー!」
「ドラゥアァー!」
 凄まじい気迫がぶつかり合い、道場中の彼方此方に突き刺さる。対峙した杏と稔は、同時にお互いへ向かい、真っ直ぐに飛ぶ。
「メンヤァアー!」
『バクゥッ!』
 杏の竹刀が稔の『面』にめり込む。
「やっぱ……凄い」
 稽古を観る桜も鳥肌が立った。稔も真っ直ぐに、大威力の『面』を打つ。しかし、杏の『面』の前では全く歯が立たない。
「クッ……」
 稔は振り返り、体勢を立て直そうとした。その瞬間!
「メンヤァアー!」
『バコォッ!』
 またしても杏の竹刀がめり込む。
「オラァッ!」
『バァン!』
 稔は杏から体当たりされ、弾き飛ばされた。その瞬間!
「メントォオー!」
 また、『面』を決められる……。
「お姉ちゃん……容赦ないな」
 桜は苦笑いした。でも、ただひたすらにやられている稔も『面』の奥で目を輝かせ、口元に笑いを浮かべているように見えて……何だか楽しそうだ。

「メンヤァアー!」
「メェェーン!」
『バクゥッ!』
 やはり、杏の竹刀が稔の『面』にめり込む。しかし……徐々に稔も杏の動きに付いてこれてきたように、杏の『飛び込み』にただ『乗られる』のではなく、自分からも『乗ろうと』しているように見えた。両者は振り返り、そして!
「メントォオー!」
「メンヤァアー!」
 杏の竹刀と稔の竹刀は、ついに同時にお互いの『面』を捉えた!
『ダァーン!』
 激しく体当たりし、ぶつかった。どちらも、薄っすら笑いを浮かべている。その場の二人にしか味わえない、言いようのない高揚感……快感。
 桜は、そんな二人が羨ましくて堪らなかった。

「いい? 次の一撃が本当の勝負。あんたは、次の一撃にあんたの全てを込めなさい」
 鍔迫り合いをしながら、杏が面越しに言うと稔は真っ直ぐ頷いた。二人は鍔迫り合いを解いて離れ、お互いに中心をとり、構えた。
「ドゥアアァー!」
 稔の気迫が突き刺さる。
 きた、きた!
 杏はニヤっと笑った。久しぶりに感じる、『ゾクッ』とする武者震い。
「ドゥオラアァー!」
 杏も負けない気迫を発した。鬼の気迫と鬼神の気迫のぶつかり合い。
 次の瞬間! 稔はクワッと目を見開き……飛ぶ!力の限り、真っ直ぐに。
 杏も飛ぶ!両者の竹刀は真っ直ぐに、お互いの『面』へ……
「メェェエーン!」
『バコォッ!』
 ほぼ同時の『面』。しかし、両者とも……そして、桜にも分かった。この勝負、勝ったのは……。
 しかし……
『ダァァーン!』
 稔は、杏から『面』を決めた瞬間に足を滑らせ、転倒したのだ。
「いててて……」
 腰をさする稔を見て、杏は苦笑いした。
「全くもう、お約束ね。ほれ!」
 稔の手を取り、立たせた。

「やればできるじゃない!」
 『面』を外した杏は、爽やかに言った。
「はい! でも、転んだから、一本には……」
「ああもぅ、細かいことはいい、いい。それより、あんた、気持ち良かったでしょ」
「はい! とても。それに、凄く楽しかった。正面からぶつかり合うって、こんなに気持ちよくて楽しいんだって」
「そう。その気持ちを、忘れないで」
 杏は真剣な眼差しで、稔を真っ直ぐ見た。
「剣道はその楽しさが、一番の強さの糧になる。あんたの最後の『面』。あれは、あんたの気迫が私に僅かでも勝っていたから決まったのよ。剣道では『勝ちへの拘り』なんか要らない。気迫が誰よりも勝っていたら、誰よりも強くなれるんだから」
「はい!」
 稔は目を輝かした。
「あんたの『面』は、全国でも通用する。その『面』を潰すな」
 杏は白い歯を見せて笑いながら、真っ直ぐに稔を見たのだった。

 半年後。満開のサクラが咲く試合会場で、春季市民剣道大会が開催された。小学五年生男子の部、決勝。
「ドゥォヤァアー!」
 稔の気迫が相手を圧倒する。相手が稔の手元に目を遣った、その刹那!
「メントォオー!」
『バクゥッ!』
 稔が渾身の『面』を決めたのだ。
「面あり!」
 勝負がついた二人は向かい合う。
「勝負あり!」
 稔の旗が上げられ、蹲踞した。
 この大会、稔は全ての試合を『面』で勝ち、優勝した。それは、杏との『豪剣の契り』を果たす、清々しい優勝だった。

「稔、お前、ホントめっちゃすげぇよ」
「マジで、全国行けるんじゃねぇ」
 試合後、門下生仲間は稔を絶賛する。しかし、稔の目は誰かを探し……杏と目が合った。
「よくやった!」
 杏は満面の笑みを浮かべる。
 その瞬間、初めて、稔は自分の優勝を実感した。心の底から痛くなるほどの感動が沸き起こり、熱い嬉し涙を流したのだった。
 稔は急ぎ足で道場へ向かっていた。季節は夏。街路樹に留まった蝉の声が響いている。しかし、蝉の声に混じり聞き慣れない声が聞こえた。
『ピーヨ、ピーヨ!』
 どこからだろう? 耳をすました。音の方向は……公園の中からだ。音を頼りにしゃがみ込んで、声の主を探した。
「こいつだ……」
 雛鳥が、公園の木の下の芝生の上で懸命に鳴き声を振り絞り、親を呼んでいた。木の上の枝には、その雛のものと思われる巣があったのだ。
「どうしよう……」
 何もできずに、ジッと雛を見つめていた。その時。
「みのるちゃーん、何してるの?」
 白い道着に白袴の杏が、スポーツドリンクの入った袋をぶら下げてやって来た。
「杏姉貴、稽古は?」
「私は重役だから、途中からでいいの。あんたこそ、遅刻よ。それより、そいつ、どうしたの?」
「多分、あの巣から落ちたんじゃないかな……」
 稔は目を細めて上を向く。すると、杏は袋を地面に置いた。
「落ちたんじゃないかな、じゃないわよ! 早く戻してやらなきゃ」
「えっ?」
 ぼやっとする稔を置いて、杏はスルスルと木に登った。
「いや、姉貴。危ない……」
「ほら、そのコ、渡しなさい」
 ある程度まで登った杏は、下へ手を伸ばす。稔は仕方なく、雛を拾って渡した。受け取った杏は、今度は上の木の枝に掛かっている巣へ、雛を持った手を伸ばした。
 あと少し、あと少し……よし、入った!
 雛を巣に戻した杏は、安心して一瞬気を抜いた。その時。
「あわわわっ!」
 足を滑らせて転落したのだ。稔は、咄嗟に受け止めようと動いた。
『ドシーン!』
「いたたたた……」
 木から落ちた杏は、稔が下敷きになっているのに気付いた。
「わわっ、ごめん、ごめん。大丈夫?」
 慌てて稔から離れる。
「はい。大丈夫です」
 稔はどうにか起き上がり、尻についた土を払った。
「あんた、もしかして、私を受け止めようとしてくれた?」
 杏は悪戯な笑みを浮かべる。
「別に、そんなんじゃないですよ。それより、無理しないで下さい」
「無理しないで?」
 杏は切れ長の目をキッと稔に向けた。
「あんた、剣道やって、強くなって、何を守れるようになった? 本当に強い奴は、どんなに小さな命でも命懸けで守るの。それができないようじゃ、あんた、本当に強くなったって言えないわよ」
 ザワッ……
 突如吹いた風が、公園の木々の枝を通り抜ける。それと同時に、稔の中を得体の知れない胸騒ぎが駆け抜けた。杏姉貴は、やっぱり立派だ。でも、何だかよく分からないけど……胸騒ぎがする。この立派さのせいで、姉貴が遠くへ行ってしまいそうな、漠然とした不安……。
「でも……やっぱり、あんま無理しないで下さい。だって、俺、あなたのことが……なんだから」
 消え入りそうな声で言った。
「なーに、しんみりしてるのよ。それに、何? 最後の方が聞こえなかった。もう一回、はっきし言いなさい」
 髪に葉っぱを付けながらも元気な杏を見て、稔は赤くなって目を逸らす。
「それは、次の……秋の大会で優勝できたら、はっきりと言います。それと……道着、早く直して下さい」
 杏の道着は、木から落ちた時の反動で胸元がはだけていた。
「何、あんた。生意気に年頃? こんなの、減るもんじゃなし、どんどん見ちゃいなさいよ。まぁ、あんまないけどね」
「やめて下さい」
 面白がってからかう杏に、稔はさらに真っ赤になって目を逸らした。

 その日の道場の稽古。
「メンヤァアー!」
『バクゥッ!』
 杏の『面』にますます磨きがかかっていた。
 それもそのはず。杏は夏の県大会を土曜日に控えていたのだ。
 杏の練習を見ている稔は、ドキドキと落ち着かなかった。さっき会った時は渡すどころじゃなかったが、稽古後にでも渡したいものがあった。だって、桜から聞いたんだけど、今日は……。

 稽古後。掃除を終了した稔は、杏の元へ走り寄った。
「杏姉貴! これ……」
 黒くて小さいケースを渡した。
「何?」
 杏はケースを開けた。そこには、ジルコニア製の人工物と思われるルビーのネックレスが入っていた。
「あんた、これ……」
「姉貴、今日、誕生日だったんでしょ。俺、お金持ってないからジルコニアしか買えなかったんだけど……プレゼントです」
「いや、ジルコニアっつっても高かったでしょ? 本当にいいの?」
 稔は頷いた。
「姉貴、剣道も強いけど、凄く綺麗だから……そういうのつけたら、めっちゃ似合うと思うんです。それと、さっき姉貴に伝えたかったこと……絶対に俺、秋の大会で優勝して、姉貴に伝えます」
 稔は真っ赤な顔で、それでも真っ直ぐに杏を見つめた。
 ドクン……
 杏の胸の中に、今まで響いたことのない鼓動が響き渡る。稔は顔を赤くしたまま、逃げるように道場を出た。
 うそ、やだ。何これ? 私、もしかして……
 杏はネックレスを見た。ここまでされたら、大鈍感な杏も流石に気付く。あいつの気持ち……。
「全く、私としたことが……。自分の育てた『鬼』に食われるとはね」
 杏は頬を赤らめる。しかし、今までで一番美しい純粋な笑みを浮かべて、そのネックレスをつけたのだった。

 県大会の日。
「じゃあね、桜。行ってくるわ」
 杏は竹刀と防具袋を持って玄関を出た。
「うん。気をつけてね」
 桜が笑顔で見送ると、上機嫌な杏は振り返り言った。
「絶対に優勝して帰ってくるからね!」
 首元にルビーを輝かせた杏は、鼻歌交じりに出掛けた。
「全く、分かりやすいんだから」
 桜はそんな杏を見て微笑んだ。杏はネックレスをつけたその日から、ずっと上機嫌だったのだ。

 快晴の青空の下。防具を担いだ杏は浮き足立っていた。数分おきに首に掛かっているネックレスを触り、微笑む。
 じんわりと込み上げる、温かい気持ち。私がこの大会で優勝して、あいつも秋の大会で優勝したら……私の気持ちも打ち明けてやろう。顔が自然にほころんだ。
 しかし、幸せを噛み締めながら歩道を歩く杏は気付いた。隣の車道を茶色くて小さいものが横切ろうとしている。
「子犬? あんな所に……」
 その時だった。横からトラックが、猛スピードで突っ込む!
「危ない!」
 思うより早く、体が動いた。即座に防具を置いて車道へ出て、瞬時に子犬を抱きかかえた。その瞬間!
 ダァァーン!
 杏は子犬を抱かかえたまま、物凄い衝撃と共に宙に浮いて、そして……地面に叩きつけられたのだ。

 何が起こった?
 体中が痺れて……痛いのかどうかさえ分からない。目が霞んで……何も見えない。でも……
「クゥーン」
 自分の抱える腕の中で、小さな命が懸命に自分を舐めているのが分かった。
「そっか。助かったんだ、お前……」
 だけど、舐められている感覚は消えてゆき……さらに霞みゆく視力に、意識だけは苦笑いした。
「でも、私の方は……ダメっぽいけど」
 微かに残る意識が遠くへ吸い込まれてゆく。しかし……
「お願い、もう少しだけ……」
 必死にそれに縋り付いて最期の言葉を想う。
「お父さん、お母さん……私、小さい時から迷惑かけてばかりだったけど、でも……こいつを見捨てること、できなかったんだ。許してね」
「桜……あんたは私よりずっとしっかりしてるから心配ないけど……いつまでも私のことを引きずらないで、ちゃんと前を向きなさいよ」
 そして……まだ辛うじてある首元の感覚から、ルビーの感触を感じる。
「稔……」
 ゆっくりと目を閉じた。
「できるなら……あんたが『最強』の金メダル、かける瞬間が見たかったな……」
 目の前にぼんやりと、金メダルをかけた稔が映り……徐々に薄くなってゆく。杏の目から涙が頬を伝い……意識は遠のき、快晴の青空の奥へと吸い込まれていった。

「稔、どうした?」
 道場での基本稽古を突然中断した稔に相手が聞いた。
「いや、何か、呼ばれたような気がしたから」
「え、誰も呼んでないぞ」
「そうか……」
 不思議に思いながらも、稽古を再開した。しかし、得体の知れない胸騒ぎ……数日前に感じたそれが、あの時よりはっきりと稔を襲い、言い様のない不安に駆られる。
 その時だった。
「大変だ! 春山の姉ちゃんが……」
 報せを聞いた門下生が青ざめ、動転して駆け込んだ。稔の体中を、冷たいものが通り抜ける……。

 杏が運び込まれた病院への道。稔と桜は、必死に走っていた。道着姿のまま、汗だくの二人は病院の階段を駆け上がり、病室に駆け込んだ。
 そこには……白いベッドの上に寝かされた少女がいた。そして、その顔の上には白い布が被せられている。その前では見覚えのある……あの時会った、桜の母親が顔を手で覆っている……。
 信じられない……いや、信じたくなかった。
 でも、白い布を被せられた顔の下……首元にあるネックレス。それは、確かにあの、プレゼントしたネックレス……。
「お姉ちゃん! やだ、起きてよ。お姉ちゃん!」
 桜が青ざめて白い布を取り……体を揺すった。
 白い布の下の顔は、所々に痛々しい生傷がついていたが、それでも美しく、綺麗な杏で……いつものような生気や温もりは全く感じられず、作り物の『人形』のようだった。
「お姉ちゃん、やだよ! やだー!」
 杏に縋り付き、泣き叫んだ。

 稔は、虚ろな足取りで歩んだ。ベッドの杏に近付くにつれて、目から涙が溢れ出す。
「姉貴……嫌だ、起きてくれよ。姉貴……」
 杏の腕に触れた。しかし、それは人形……。稔の知る温もりはなく、硬い……。
「姉貴……」
 稔は杏に顔を押し付け、声も上げずに……ただ、ひたすらに目から溢れ出る涙を押し潰していた。

 病室に入る足音。院長先生が、曇った表情で段ボール箱を抱えていた。
「本当は、病院に入れてはいけないんだけどね。お嬢さんが……命懸けで守った、小さい命だから」
 段ボール箱の中では、茶色の小さな……本当に小さな子犬が、片隅で震えていた。
「やっぱり、そうなんだ。姉貴は……姉貴は、最後まで、本当に強かったんだ……」
 稔の目から、涙が溢れて止まらなかった。

 翌日の通夜には、『剣信館』の皆が訪れた。道場で最大と言ってよいほど偉大で美しく、強かった女剣士の最期に涙を流さない者はいない。誰もが涙を堪えることのできないまま日が沈む。
 稔はかすれた声で桜の母親に尋ねた。
「あの……僕も今晩、お姉さんの側にいていいですか?」
「あなたは……」
 真っ赤な目の母親は、稔をまじまじと見つめて……そして、静かに微笑んだ。
「いいわよ。今晩、杏の側にいてやって」
 稔は桜の家族と一緒に、杏の棺桶の部屋に泊まった。

 みんな寝静まり……杏の死からずっと泣き続け疲れたのであろう桜も眠りについた時、稔は起き出した。薄明かりの中、棺桶の窓をそっと開けた。化粧で傷を隠され、長い睫毛の目を閉じて……人形になってしまった杏は、それでもやはり美しくて……稔は見つめ続ける。
「綺麗だよ、姉貴。本当に。でも……ネックレスつけてくれた笑顔が見たかったな……」
 稔の目に、また涙が込み上げた。その時。
「稔くん……だよね?」
 振り向くと、母親がいた。
「あなたが、杏にネックレスくれたんだよね」
 稔の横にしゃがんだ。
「本当に、こんなに一途に想ってくれるコを置いて逝っちゃうなんて、何してるんだろうね」
 杏の面影を持つ母親は綺麗で、でも少しやつれていて……でもやはり、悲しいくらいに気丈だった。
「でもね。杏は小さい時、『死』を身近に感じていたから……だからこそ、きっと、小さい命を見捨てることができなかったんだと思うの」
「『死』が身近だった……?」
 母親は、頷いた。
「あなたが見てきた杏からは想像もつかないかも知れないけど……杏は小さい時、命が危なくなるほど喘息がひどくて入院してたの。いつ激しい喘息発作に襲われるかとびくびくして……発作が襲うたびに『死』が自分を連れ去ってしまうんじゃないかって……自分のことを弱くて小さい存在だと思って震えてた。丁度、小学三年生くらいの頃だったかな。体調が良くなって、強くなりたいって剣道始めて、『弱い奴を守りたい、だから誰よりも強くなりたいんだ』って、いつも言ってて。それまでの人生を取り返すくらいに必死で打ち込んで、本当に誰よりも強くなっていったの」
 母親は噛み締めるように、ゆっくりと語った。
「短かったけど……本当に短かったけど、杏は杏なりに、命を燃やして、精一杯輝いていたのよね」
 稔は熱い涙を流した。稔の知っている杏……それはいつでも、元気いっぱいで、誰よりも強くて、眩いばかりに輝いていた。そして、その輝きは杏の中に『弱くて小さい自分』がいたから……だからこその輝きだったのだ。

 葬式では、稔は泣かなかった。杏は『いなく』なる……もう二度と会えないけれど、自分は杏の夢を背負ってるから……大好きな人の夢そのものだから、いつでも強くなければならないんだ。
 棺桶の杏の美しい顔の横にネックレスを贈って……ずっと、ずっと、この世で一番大切な人を見続けて……永遠に想い続けると誓ったのだった。

 葬式から帰った稔は、張り詰めていた力が抜けた。
 部屋のベッドでぐったりと横になると、いつの間にか意識が遠のいていた。気がついた時には日が変わっており、もう昼過ぎだった。目を覚ました稔は、また重く悲しい現実に引き戻されて体が重くなり、ベッドに横たわった。
 でも、何か忘れているような気がする。何だろう?
 ごちゃごちゃになっている頭を働かした。
 そうだ、子犬だ。あの子犬、一度、桜の家に預けられることになって、でも、桜の家はマンションで…………あの仔犬、どうなるんだ?
 稔は突然気になって起き上がり、外へ出た。
 桜の家への道を急ぐ。川の土手、青々とした芝生の上を小走りで進んだ。その時、ふと向こうの川岸で段ボールを持った少女が佇んでいるのを見つけた。
 あれは……桜! そして、持っているあの段ボールは……。
 桜はそっと段ボールを川面に置き、流そうとした。
「桜、何してる!」
 稔は叫んだ。土手を下りて川岸へ、桜のもとへ走り、段ボールを拾いあげた。
「やっぱり……」
 段ボールの中では、茶色い子犬がソワソワと動き回っている。
「こいつのせいよ」
 桜は真っ赤な目で段ボールを睨んだ。
「こいつのせいで、お姉ちゃんはいなくなった」
 だが、稔はゆっくりと桜の目を見つめた。
「なぁ、桜。そんなことして、姉貴が本当に喜ぶと思うか?」
 ぐっと下を向いた桜は、首を横に振った。
「杏姉貴はな、本当に強かった。どんなに小さい命でも、命を懸けて守った。だからな、俺達、強くならないといけないんだ。姉貴の分も、誰よりも。そうしたら……姉貴、絶対に喜んでくれるよ」
 開けた稔の目には涙が滲んでいたが……それでも、桜にしっかりと杏の遺志を伝えた。ぎゅっと目を瞑っている桜の顔の先の地面に、大粒の雨がポトポトと落ちた。

「なぁ、桜」
 川沿いを歩きながら、少し落ち着いた様子の桜に稔が言った。
「こいつ、俺が引き取るよ」
 段ボールの中を見た。さっきまで動き回っていた仔犬は、少し安心したのか片隅で丸まって眠っている。
「そんで、俺が立派に育てる。だって、姉貴が命懸けで守った命だもん」
 桜は黙って頷いた。
 それぞれの想いを胸に、二人はオレンジ色の夕陽の差す土手道を歩き続けた。しかし、稔はふと思い立って口を開く。
「そうだ、桜。俺達、これから戦わねぇ?」
「戦う?」
「そう。今から道場行って。何だか、無性に体動かしたい気分なんだ」
「え、でも……私、そういう気分じゃ……」
「いいから、いいから。行こうぜ!」
 半ば強引に道場へ向かった。

 道場の玄関の隅っこに置かれた段ボール箱の片隅では、子犬がすやすやと眠っていた。しかし……
「ドゥアアァー!」
「ヤァァアー!」
 凄まじい気迫のぶつかり合いに飛び起き、そわそわと段ボールの中を歩き回った。
「メン、コテェ!」
「メンヤァアー!」
 道場の予備ではあったが、長い間着けてなかったようにも感じられた防具をつけた二人は、激しくぶつかり合う。
 瞬時に間合いを遠ざけて離れた。そこからの、桜の怒涛の連続技!
「コテ、メン、メントォ、ドォオー!」
 桜の華麗な『剣舞』。稔の『目』をもってしても、ついてゆくのがやっとだ。
 辛うじて動きに付いていっていた稔は、隙をついて再度、間合いを遠ざけた。
 剣先をしっかりと桜の中心に向ける。体勢を立て直した桜も、すっと稔の中心を取る。
 そうだよな、桜。
 稔はニッと笑った。
 お前も、『尊敬し合う相手』との『真剣勝負』の時には、絶対に『面』のぶつかり合いで勝負するんだよな……。
 静寂が包む、緊迫した空気の中。『面』の奥から、互いの空気を感じ合う。
 その刹那!
 二人は飛ぶ。二本の竹刀は真っ直ぐに、そして同時に『面』を捉える!
『バクゥッ!』
『パァァーン!』
 『面打ち』の音も同時に響き渡る。互いに、真っ直ぐ残心を取った。
「……私の負けね」
 振り返った桜は『面』の奥で微笑む。
「そうだな」
 稔も爽やかな笑顔を浮かべた。
 完全に同時の『面』。恐らく、試合の審判も十人中九人は『相打ち』の判定をするだろう。
 それは、二人にしか分からない勝負……二人にしか分からない、僅かな『重さ』、僅かな『剣速』の差だったのだ。

「なぁ、桜」
 『面』を外した二人は、道場に寝転んでいた。
「ん?」
「やっぱ俺達ってさぁ。何があっても、剣道やめられねぇよな。だって、こんなに楽しいんだもん。姉貴が……真剣に相手とぶつかり合うことの楽しさを教えてくれたんだもん」
「うん」
 桜は目を閉じて頷いた。瞼の奥には、さっきとは違う温かい涙がじんわりと浮かんでいる。
 稔はゆっくりと体を起こした。
「俺さ。絶対に秋の大会、優勝する。そんで……姉貴に、俺の気持ちを伝える。だって……姉貴と、そう約束したんだから」
 桜は心の奥から熱い気持ちが込み上げて、何も答えられなかった。ただ、閉じた目から一筋の涙が頬を伝う。
 稔……ありがとう。
 何も言わない桜の胸を熱くするその想いは、稔の胸の奥にも確かに伝わった。
 もう薄暗くなっていた道場には、ぼんやりと満月の白い明かりが射し込んでいた。
 秋季市民大会決勝。終始前へ出る稔は、相手をギリギリまで追い詰めていた。
 場外ギリギリ、そして、精神的にもギリギリのプレッシャー……それに堪え兼ねた相手が飛ぶ。しかし、相手が飛ぶ瞬間には、稔はすでに飛んでいる……
「メントォォー!」
『バゴォッ!』
 豪剣の『面』は完全に相手を『斬り』、そして稔の優勝を決めた。

 大会後。稔と共に優勝し金メダルを手にした桜は場内を見渡した。
「あれ、稔は……?」
 見当たらない。となると、行き場所は一つだけ。
 桜は足早に会場を後にした。

 霊園の中、桜は姉の墓へ向かった。
 墓の前には……いた。首から金メダルをかけた稔。両手であの子犬を抱えている。
「ほら、あんず。お前の命の恩人、杏姉貴だぞ」
「そいつ、『あんず』って名前にしたの?」
 桜が声を掛けると、稔は少し頬を赤らめ、恥ずかしそうに頷いた。
「まぁ、あんたらしいけどね」
 柔らかく微笑む。
「貸して」
 桜が受け取ると、あんずは舌でペロペロ舐めた。
「ははっ、くすぐったい」
「そうだよな。それにこいつ、家で自由奔放に走り回ってるんだよ。杏姉貴のように」
 稔は、墓に向き直って……自分の首から金メダルを取って、墓石にかけた。
 金メダルには夕陽が反射し、煌々と光り輝いていた。
 夕焼けが鮮やかなオレンジ色に染める帰り道。眠るあんずを片手で抱く稔は、ポケットからそっと金メダルを取り出した。
 それはさっき墓石にかけたものではなく、少し古くて帯の部分が色褪せていたけれど……強い『想い』の託された金メダル。
「あんた、それ……」
「俺の初めての……姉貴に貰った金メダル。あの日から……これからもずっと、俺の一番の宝物なんだ」
「そっか……そうよね」
 二人の想いのこもった金メダルは、キラキラと光り輝いている。
「俺さ。姉貴にはもう二度と会えないけど……このメダルを見る度に、姉貴はずっと側にいてくれるって思える。どこまでも、誰よりも強くなれる。だって、姉貴は俺の……」
「憧れだから?」
 先に桜が言うと、あんずを抱きかかえる稔は少し赤くなって俯いた。そんな稔を、桜は真っ直ぐ見つめる。
「ねぇ、稔。お姉ちゃんさ、あんたの気持ち、気付いてたよ」
「俺の気持ち?」
 聞き返す稔を見て、柔らかく微笑んだ。
「あんたの気持ちが『憧れ』以上のものだったってこと。だって……流石のお姉ちゃんでも気付くよ。私に七月の誕生石聞いてきて、自分の貯金を全部はたいてまで、あんなネックレス、プレゼントしたんだもん」
「そっか」
 稔はじんわりと涙で滲ませながら、強がりの笑いを浮かべた。
「優勝して……気持ちを伝える前から、やっぱりバレバレだったんだな」
「それで……お姉ちゃんも、あんたのこと……」
「えっ?」
 強がりの笑いを不思議な表情に変えた稔を見て、桜は目を細めた。
「ううん、何でもない」
 優しく目を瞑る。
「あんたさ、これからもずっと、お姉ちゃんのこと好きでいてくれる? 浮気したりしない?」
 少し、悪戯そうに聞いた。
「ああ」
 稔も目を瞑る。
「姉貴はずっと見ててくれている。どんなに辛いことがあっても、どんなに挫けそうになっても……姉貴は笑顔で俺を見守ってくれている」
 稔は目を開け、夕焼けに染まる西の空を見上げた。
「だから、俺もずっと、姉貴のことを見続ける。最強の金メダルを手にする日がきたとしても、ずっと……」
 桜は、そんな稔をじっと見つめた。
 頭の中を、色んな想いが駆け巡る。
 お姉ちゃんと稔の関係が羨ましくて、時には嫉妬したこともあった。お姉ちゃんのことも、稔のことも好きだったから……それなのに、どうして二人の中に私が入り込めないんだろうって。
 でも、それ以上に二人の関係が大好きで……だから、二人には永遠であって欲しかった。
 運命よりも、愛情よりも深い『契り』で結ばれたお姉ちゃんと稔は、これからも……決して終わることはないんだ。
 そうだよね、お姉ちゃん。そう、信じていいんだよね……。

 桜はそっと涙を滲ませ、夕焼け空に光り輝く宵の明星を見つめた。そんな桜の気持ちに応えるように、稔は伝える。
「姉貴、好きだよ。出会った時から……そして、これからも……俺が最強になってからも、ずっと……」
 杏の笑顔のように眩く黄金色に輝く明星を見上げて、稔は永遠の想いを誓ったのだった。

作品を評価しよう!

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:0

この作品の感想を3つまで選択できます。

この作家の他の作品

青空に浮かぶ雲

総文字数/26,442

青春・恋愛11ページ

第57回キャラクター短編小説コンテスト「綺麗ごとじゃない青春」エントリー中
本棚に入れる
表紙を見る
BLUE SKY~裸足の女神~

総文字数/27,892

青春・恋愛8ページ

本棚に入れる
表紙を見る

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア