アディラーゼ王国は海からなる広大な国土を持つ大国である。
そんなアディラーゼ王国には二人の聖女がいた。代々聖女の家系であるリーゼ公爵家の聖女。カトレア・リーゼ"は日々、聖女としての勤めに精進《しょうじん》していた。
「今日も朝から結界の魔力を強めて、その後は魔物が出たという森に向かい、王立騎士団の方達と共に魔物を倒し。これから王都にある病院に行かなければならないと。本当、休む暇もないわね……」
私の名はカトレア・リーゼ。
このアディラーゼ王国の聖女である。
代々聖女の家系であるリーゼ公爵家の長女である私は妹であり私と同じ聖女であるアリス・リーゼではこなせない聖女の仕事を日々、肩替わりしている為、日々やることが山積みだ。
「お父様とお母様はアリスではできないと決めつけているだけよ」
妹のアリス・リーゼは私とは正反対のおっとり、のほほんとした性格である為、聖女の仕事の中でも非常に危険が伴う仕事をお父様とお母様がアリスに任せることはない。
まあ、アリスの見た目からして弱々しく、少し、いや大分抜けてる所があるから危険な仕事を任せることをしないのは良い判断であるとは姉である私も思っているのだが。
「あの子ももう少ししっかりしてくれればいいのだけど」
カトレアは南近くにある森と王都を繋ぐ大きな川が流れた橋の上を渡り歩きながら独り言のようにポツリと自身の胸の内を言葉にする。
歩きながら頭上を見上げれば穏やかに流れる雲と青白い空の色がカトレアの青色の瞳に映った。
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日々の忙しさに追われながら、時間は流れ。季節が春から夏へと移り変わった頃、私とアリスは両親に呼び出された。
私とアリスがリビングへと入るなり、お父様とお母様は真剣な顔で私とアリスに向かい側の席に座るよう促す。
「それで話って何かしら?」
私はアリスと共に両親の向かい側の席に腰をかけるなり、真剣な顔つきでいるお父様とお母様に問い掛けた。
「来週の土曜の夜、王城で舞踏会が行われるらしいんだが、その舞踏会に招待された」
「家族全員、招待されたから。カトレア、アリス。貴方達二人も舞踏会に出席することになるわ」
「まあ、そうなんですね! 楽しみですわ〜!」
王城での舞踏会に招待されるのは今回が初めてではないが、今までは両親のみが招待されていたのに、何故、今回は私とアリスも含めて招待されたのだろう。
少し何かが引っ掛かったカトレアであったが、嬉しそうなアリスの声色が耳に届いたことによりハッと我に変えり口を開く。
「そうね、楽しみだわ」
この時の私はまだ知らなかった。まさか舞踏会で思いもよらぬ相手に全てを奪われることになるなんて。
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これは、今尚、アディラーゼ王国で知られる行方知れずとなった聖女と亡国の王女が外の世界を旅して色々なことを知りながら、出会いと別れを紡ぎ、大切な物を手に入れて幸せになる。そんな二人の少女のお話。
静かな夜の空の下、私とアリス。そしてお父様とお母様の家族四人を乗せた馬車は王城の正門を潜り、ゆっくりと速度を緩めて止まった。
「降りるわよ」
お母様《エリシア》の声でお父様はお母様と共に左側のドアを開けて外へと出る。
私とアリスも両親である二人に続いて馬車の外へと出た。
「それじゃ行こうか」
「ええ、そうね」
お父様とお母様はそう言い手を繋いで歩き出す。私とアリスはそんな二人の後ろにつき、少し距離を空けて歩き始めた。
夜の穏やかで夏の生暖かい風が服越しに当たり、サラサラと私の腰まである白髪の髪も揺れる。
隣を見れば目の前にいる両親を見つめているアリスの穏やかな横顔がカトレアの瞳に映った。
「ねえ、お姉様。私はお姉様と違って弱々しくて頼りないから、危険が伴うような聖女としての仕事を任せてもらえないのかしら……」
隣を歩くアリスが突然、そんなことを口にしたことに私は少しばかり驚きアリスを見る。やはり本人も思うことはあったらしく、不満げな顔をしていた。
まあ、不満に思わないはずがないか。ここは姉として助言をしてあげる為、閉じていた口を開く。
「アリス、貴方も私と同じ聖女なのだから、どんな危険な仕事でも私と同じようにこなせるはずよ。貴方が現状に不満を感じているのなら、その不満をまずはお父様とお母様に伝えることね」
「そうね、そうよね! ありがとう、お姉様」
優しい笑みを浮かべながら私にお礼を述べたアリスの顔を見て、私も自然と笑みが溢れた。
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舞踏会が行われている会場に着いた私達家族四人は二手に分かれて行動することになった。
「お姉様、このケーキ、王都にある有名なケーキ屋で売られている物だわ! これ食べていいのよね?」
アリスは広い会場の中の左端にある横長のテーブルの上に置かれている透明なショーケースの中にある苺が載せられたショートケーキを見て私に問い掛けてくる。
「ええ、食べていいみたいよ。それにしても人が多いわね」
「じゃあ、早速食べようかしら。そうね、お姉様は人が沢山いる所が苦手だったわよね」
「苦手よ、人酔いしちゃうし、疲れるもの……」
そう、私は人が沢山いる所や賑やかな場所があまり得意ではない。その為、まだ会場に着いたばかりであるのにもう家に帰りたいと思ってしまっている。
「まあ、わからなくもないわね。あ、あれって……!?」
「ん? どうかしたの?」
「ううん、何でもないわ……!」
「そう、」
煌びやかな音楽と賑やかな人の声が混ざり合って、私の耳に届く。
まだ来たばかりだけれど、少しばかり頭痛がしてきた私はアリスに『疲労で頭痛がしてきたから少し外へ出て夜風に当たってくるわ』と伝えてその場を後にした。
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「はぁ、もう家に帰りたい……」
会場の外へと出た私は星が瞬く夜空を見上げながら今の気持ちを声にする。
舞踏会はなんて煌びやかで賑やかで疲れる場所なのだろう。と思いながら、会場から漏れる音楽に耳を傾ける。
「綺麗な曲ね」
暫く外で夜風に当たりながら会場から漏れて聞こえてくる音楽を聴いていた私だったが、音楽が次の曲へと移り変わった頃、私は再び会場へと戻る為、夜空に背を向けて歩き出した。
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会場の中へと再び足を踏み入れた私が妹のアリスの元へと戻って来ると、そこには妹と楽しげに話すこのアディラーゼ王国の第一王子であり、私の婚約者であるデュース・ヴィリスがいた。
「デュース王子殿下、お久しぶりです」
私がそう声を掛ければ、楽しげに会話をしていたアリスとデュースは会話を中断して私を見る。
「これはこれは、カトレア、お久しぶりですね」
「ええ、アリスと何の話しをしていたの?」
「他愛のない世間話ですよ」
「そうなのね」
何故だろう。何かが腑に落ちない。
そう思ってしまうのはアリスを見るデュース王子殿下がとても優しくて好意があるように感じたからだろうか。
「カトレア、私は貴方に言わなければならないことがあります」
唐突に真剣な顔をしてそう言い出したデュースを見て嫌な予感がした。
「私はアリスと婚約します。カトレア、貴方には申し訳ないと思っていますが私は愛しているんです。初めて会った時からアリスのことを」
「そう、ですか……」
嫌な予感はやはり的中した。
腑に落ちないと思っていた矢先のこれだった為、妙に納得がいってしまう。
「お姉様、ごめんなさい。本当はもっと早くに私の方から言うべきだったのに。私、デュース様がお姉様の婚約者だと知っていたけれど、好きになってしまったの。許して、お姉様……」
アリスから涙混じりに謝罪されたが、もう私は冷めた感情しか湧いてこなかった。
「そうなのね、ではデュース王子殿下、私との婚約は破棄ということでよろしいでしょうか?」
「ああ、それで構いません」
「わかりました。では、妹を幸せにしてあげて下さい。では、私はこれで失礼します」
私は踵を返してその場から立ち去る為、歩き出す。後ろからアリスの呼び止める声がしたが、立ち止まることはしなかった。
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再び会場の外に出た私は階段の前で足を止めて、夜の空を見上げた。
「お父様やお母様、デュース王子殿下からも愛されて本当に幸せな子よね、貴方は……」
私は全く両親や周りにいる人間から愛されていない訳ではないのかもしれない。けれど、妹の方が私より何倍も周りから愛されているのは今日に至るまでの日々の中で目に見えてわかっていた。
私にはあって、貴方にはない物があるように、アリス、貴方にも私にはない物を持っている。それは私からしたらとても羨ましく感じられる物。
「結局、周囲から凄く愛されるのは、可愛くて、守りたくなるようなか弱い人なのよね」
この日、私は婚約者であった第一王子デュース・ヴィリスに婚約破棄をされ、心に決めた。
「もう、この国に居たくないわ。もう何かどうでも良くなってしまったから聖女の勤めを放棄して国を出ようかしら」
聖女の勤めを放棄して国を出たら、大問題であることはわかっているが。この国にはアリス・リーゼというもう一人の聖女がいる。
彼女に全て任せよう。誰からも愛される彼女に。
「帰りましょう」
静かな夜空の下で私は独り言のように呟き、歩き出した。
舞踏会が行われている会場を抜け出して、徒歩で王都にある家へと帰って来た私は家を出る為の準備を始めた。
荷物を鞄に詰めて、両親とアリス宛の手紙を書き終えた頃にはもう9時を回っていた。
「あら、もうこんな時間? 手紙はリビングの机の上に置いてっと。行きましょう」
一人そう呟いた私は荷物が入った鞄を手に持ち、生まれ育った家を出て、月明かりと街灯が照らす夜道を歩き始めた。
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夜の12時過ぎ頃、アリスと父親《ロヴィン》、母親《エリシア》の三人は馬車で家へと帰宅する。
「もう、あの娘ってば舞踏会を途中で抜け出すなんて、何を考えているのかしら!」
「まぁまぁ、エリシア、落ち着いてくれ」
「お父様、お母様、お姉様は悪くないわ。悪いのは私なのよ」
「アリス、貴方は何も悪くないわ。デュース王子殿下はあの娘よりも貴方を選んだ。ただそれだけなのだから」
アリスと両親はそんな会話をしながら馬車を降りて家の中へと入る。両親は先に帰ったであろうカトレアを叱る為に玄関からカトレアを呼ぶが。
「カトレアー! ちょっと話しがあるから来てちょうだい!」
母親《エリシア》のカトレアを呼ぶ声に何の返事もなく、父親《ロヴィン》は顔を顰める。
「返事がないな。おーい、カトレア、いるのか? いるなら返事をしてくれ」
父親《ロヴィン》の声にも返事はなく、アリスは不安そうに両親を見る。
「寝ているんじゃないかしら。とりあえずリビングに行きましょう」
「そうね、」
「ああ、ん? カトレアの靴がないぞ!?」
お姉様が普段履いている靴が玄関にないことに気付いたお父様の言葉に私とお母様は慌てて靴を脱いで、リビングへと向かった。
「カトレア、いないわ……」
「お母様、机の上に何か置いてあるわ!」
アリスは机の上に置いてあるカトレアがアリスと両親宛てに書き残した手紙を見つけて、手に取る。
「お母様、これ、お姉様からの手紙だわ」
「そうみたいね」
「ええ、こっちの青い封筒の方がお母様とお父様宛てで、紫の封筒の方が私宛てみたい」
アリスは隣に立つエリシアに青い封筒に入ったカトレアからの置き手紙を手渡す。
アリスから青い封筒を受け取ったエリシアは手紙を手に持ち、まだ玄関にいるであろうロヴィンの元へと行く為、リビングから出て行く。
「お姉様は私を恨んでいるのかしら……」
リビングに残されたアリスは紫の封筒を見つめながら静かに呟く。数分後、アリスは決心したように封を開けて中にあった2通の手紙を読み始めたのであった。
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その頃、カトレアは王都を通り過ぎ、アディラーゼ王国とラバディース国の国境の間にある森林の中で夜を越す為の準備をしていた。
「まずは、火を起こしましょうか」
夜の森は王都の街よりも少し暗く、何か出るかもしれないという怖さがあったが、幸い今日は月が出ている為、月の明かりのお陰でそこまでの暗さではなかった。
「やっぱり焚き火があると野宿感あるわね」
カトレアは赤く揺らめく焚き火を見つめながら独り言のように呟く。
これからは当分一人だ。アディラーゼ王国から出たことないカトレアにとって外の世界は未知である為、少しばかりの不安もあったが、不安な気持ちを上回るくらいワクワクしていた。
「これから長い旅になりそうね」
穏やかな声色で呟いたカトレアの声は夜の静かな空気に溶け込むように消えていった。
翌日の夕方頃、私はアディラーゼ王国とラバディース国の間にある森を抜けた。
森を抜けた私は今、ラバディース国の港へ向かっている。
「此処がラバディース国の王都……!!」
私は両道に立ち並ぶ色鮮やかな建物を見つめながらラバディース国の王都を歩いていた。
空が茜色に染まりつつあるが、王都は人々の賑やかな声で溢れていた。
ラバディース王国とは少し雰囲気が違う王都の景色に私は胸を高鳴らせる。
「アディラーゼ王国の王都の建物はこんなに色鮮やかではないし、こんな縦に大きくないから何か新鮮だわ」
縦に大きいビルのような建物が割と多く立ち並ぶんでいるラバディース国の王都。
建築業が他国よりも圧倒的に発展していることで知られているラバディース国。
近年はラバディース国の優れた建築技術を学ぶ為、他国から研修や留学で訪れる者達が増えているらしい。
「船が出るまであと1時間くらいね。思ったより余裕を持って港に着けそうで一安心だわ」
ラバディース国の王都から港へと続く緩やかな坂道を下り歩きながら、私は左腕に付けていた腕時計を見てホッと胸を撫で下ろした。
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出航の20分前に港へと辿り着いた私はディアーヌ帝国行きの船に乗り込む。
「人が多いわね」
船内は学生や観光客。老夫婦や家族連れの人々が大半を占めていた。
私はそんな人々を横目で見て歩きながら事前に予約していた部屋へと向かっていたのだが。
「あの、すいません。少しいいですか?」
唐突に背後からそう声を掛けられた私は足を止めて声の主がいる方へと向く為、振り返る。
「何でしょうか?」
私に声を掛けてきた相手は私と同い年くらいの青髪ショートボブヘアーの女の子だった。
そんな彼女の空色の瞳は真っ直ぐこちらを見つめている。
「あの、私、部屋の予約を取り忘れてしまって。お金は払うので同室させて貰えませんか?」
「え……? 同室ですか!?」
見ず知らずの赤の他人にいきなり同室を頼むことに驚いた私だったが、目の前の自分と同い年くらいの彼女は真剣な顔で私を見てから、頭を深く下げてくる。
「どうかお願いします……!」
「頭を上げてちょうだい! わかったわ、取り敢えず部屋に行きましょうか」
人がいつ通ってもおかしくない客室の前の通路で頭を下げられている所を見られるのは非常に困る。取り敢えず部屋で色々聞くことにしよう。私はそう心に決めながら突如、同室させて欲しい。と声を掛けてきた女の子と共に部屋へと向かう為、再び歩き始めたのであった。
部屋へと着き、部屋の中へと入った私は荷物をベット近くにある机に置いてから少女に向き直り口を開く。
「えっと、まず自己紹介するわね。私はカトレア・リーゼ。アディラーゼ王国出身よ」
「カトリア・リーゼ…… って、アディラーゼ王国の最強の聖女って言われている、あのカトリア・リーゼさんですか!?」
どうやら私のことを知っているらしい。
目の前の少女は驚いた顔をしながら、私の顔をまじまじと見つめてくる。
「ええ、私のこと知っているのね」
「はい! 勿論知ってますよ。あ、私はシエナ・アメリアと言います。エルドアナ国の第一王女です」
そう言い柔らかな笑みを浮かべた彼女《シエナ》。
私はそんな彼女が放った第一王女という言葉に思わず聞き返してしまう。
「え……?」
「エルドアナ国の第一王女シエナ・アメリアと言います! って言っても私の国は亡国と化してしまったんですけどね……」
「亡国と化してしまったってどういうこと?」
私がそう問い掛ければ、シエナは悲しげな顔をしながら話し始めた。
「エルドアナ国で1週間前、クーデターが起こったんです。私は側近のお陰で何とか国外へ逃亡することができたんですが…… 陛下は勿論、お母様やお兄様。そして私の大切な騎士達は皆、殺されて死んでしまった」
エルドアナ国。は西に位置する国である。
鉱物資源が豊富な国として知られている国でもあったような気がする。
「そうなのね……」
「はい、あの、この船でカトレアさんと出会ったのも何かの縁だと思うんです。だから、その…… 私の護衛になってくれませんか?」
「護衛、ですか……?」
「はい、私の護衛であった者は全員、私を守り命を落としてしまいましたので。ごめんなさい、いきなりこんなことを言って。けれど、一人では色々と不安なのです……」
シエナは一国の王女様だ。
もしかしたらこれから先の旅の中で、彼女の存在その物が何かの役に立つことだってあるかもしれない。デメリットも多少はあるが、メリットの方が大きい。
カトレアは少し考えた後、目に前にいるシエナを見て返事を返す為に声にする。
「いいわよ。シエナ、貴方の護衛になるわ」
「本当ですか!?」
「ええ、これからよろしくね、シエナ」
「はい! こちらこそよろしくお願いします!」
こうして私はエルドアナ国の第一王女シエナ・アメリアの護衛となった。
⭐︎°⭐︎°⭐︎°
その日の夜、私とシエナはお互いのことを知る為に今に至るまでにあったことを話した。
「婚約者から婚約破棄されたですか…… それも婚約破棄してまで王子が側にいたいと思ったのは実の妹。何か漫画みたいですね」
「ええ、確かに漫画みたいな展開よね。けど、私、これでよかったのだと思っているの」
「どうしてですか?」
シエナはわからない。といったように首を傾げて私に聞き返す。
私はそんなシエナを見てから、穏やかな声色で自分の今の気持ちを言葉にする。
「もし私が婚約破棄をされていなかったら、私はアディラーゼ王国から出るなんてことはきっとしなかった。ずっとあの国で聖女としての勤めを果たしていたと思うわ」
そう、婚約破棄をされたから私は自国から外に出るという大胆な行動が出来たのだ。
婚約破棄をされていなかったら私はきっと、今もあの国で聖女としての勤めを果たしていた。
「愛していた人から婚約破棄されたお陰で私は自由の身になれたのよ」
「強いんですね、カトレアさんは……」
そう言ったシエナは一瞬を曇らせるが、すぐに穏やかな顔つきになる。
私はそんなシエナを見て思う。
私の話しを聞いて彼女はどう思ったのだろうかと。
「強くなんてないわ。私は弱い人間よ…… それに私からしたら貴方の方が強い人間に思えるわ」
「そんなことないです! カトレアさんは強いです。婚約破棄をされて、妹さんのことを選んだ王子に暴言を吐かず、妹さんを責めもせず、幸せになって下さい。なんて、私が同じ境遇に置かれたら、カトレアさんのように受け入れられません!」
シエナの熱弁にカトレアは苦笑いする。
いつか、私にも大切に思って愛してくれる人ができるだろうか。
「私も受け入れたくはなかったのだけれど。何故か納得いってしまったの。愛されるのはやっぱり妹のような可愛くて守ってあげたくなるような子だって……」
「まあ、そういう人の方が男受けはいいかもしれませんが、私は嫌いです。そういう女の人」
シエナは強い口調でそう言い、カトレアの方に体を向けて、両手でカトレアの手を優しく包み込む。
「シエナ……?」
「大丈夫です。私はこれからずっとカトレアさん、貴方の側にいますから!」
「あら、それはそれで困るわね!」
「え、困るんですか!?」
「ふふ、困らないわよ。ありがとう」
これから彼女《シエナ》と歩んでいく旅路はどんな物になるのだろう。きっと彼女《シエナ》と過ごす日々は楽しい物になるに違いない。と思いながらカトレアはシエナの暖かな手の温もりを感じながら優しい笑みを溢した。
ディアーヌ帝国行きの船に乗り込んでから1週間が経った頃、船はようやく目的地のディアーヌ帝国へと到着した。
「此処がディアーヌ帝国の港街。港だからもあるかもだけれど、凄い人ね」
「そうですね〜! じゃあ、行きましょうか」
シエナは柔らかい笑みを浮かべてそう言い私の手を取り、優しく握る。突然のシエナの行動に驚いたが『人が多いので逸れないように手を繋いでおきましょう』と付け足されので、納得して頷き返した。
「ええ、」
私はシエナに手を引かれて乗ってきた船に背を向けて歩き始めた。
⭐︎°⭐︎°⭐︎°
船を降りた日の夕方頃、私とシエナはディアーヌ帝国の帝都《リリバーナ》に辿り着いた。
「着いたわね」
「帝都なだけあって出店が沢山ありますね〜!」
シエナの言葉通り、両道の端には沢山の出店が立ち並んでいる。
色とりどりの果物や、野菜、焼きそばなどの食べ物以外にもアクセサリーに服など。様々な品物が売られていた。
「何だかお腹空いてきちゃったわ」
「何か買いますか?」
「ええ、そうね。そうしましょうか」
私とシエナは両道に立ち並ぶ出店に売られている食べ物を横目に見ながら、何を食べようかという他愛のない話しをしながら歩き始める。
「はぁ、はぁ、はぁ、うっわ!?」
「え……!?」
しかし、前方から走ってきた少年が勢いよく私にぶつかってきたことによりシエナとの会話は中断されてしまう。
「あ、申し訳ない!! 怪我はないか?」
私よりも年下であろう金髪の少年はぶつかった謝罪をしてから私を心配そうに見つめてくる。
「ええ、大丈夫よ」
「そうか、ならよかった! そして申し訳ないんだが、お前の背中を貸してくれないか?」
「え……? それってどういう……?」
私の問い掛けに答えることもなく、少年は私の背後に周り、羽織っていた白いフードマントの中に後ろから入る。
「え!? ちょっと何して!?」
「頼む、追われているんだ。追っ手の騎士達が居なくなるまででいいから隠してくれ……!」
少年の必死なお願いに私は仕方なく頷き。少年を追っ手の騎士達から隠すことにした。
シエナは私の横で何故かにこにことしている。私はそんなシエナを横目にちらっと見て、何で笑っているのだろうか。と疑問に思う。
「こっちに走って行ったはずなんだが、居ないな……」
「全く、あのお方は私達が目を離すとすぐ何処かに行ってしまう。本当困った物だ」
「13歳と言えど、まだ子供だ。それにあのお方の身に何かあったら俺達の首が飛びかねん」
ほんの少し離れた所でそんな会話をしている男達が私の視界に入る。
どうやらあの男達がこの少年を追っている騎士達のようだ。
騎士達の探している少年は私の背後のフードマントの下に隠れながら私の服の後ろをギュッと掴んでくる。
「大丈夫よ。気付かれていないから安心して」
少年を安心させる為に私の背後のフードマントの下で隠れている少年に向けてそう言葉にすれば少年は返事代わりにまた後ろの服をギュッと掴む。
数分後、騎士達は立ち去って行き、私とシエナは騎士達の後ろ姿を見えなくなるまで見送ってから、少年に声を掛ける。
「騎士の人達行ったわよ」
「もう、出てきて大丈夫ですよ!」
シエナと私がフードマントの下で身を隠していた少年にそう伝えると、少年は恐る恐る私のフードマントの後ろから出てくる。
「ありがとう。感謝する! 何かお礼をさせてくれ」
そう言い軽く頭を下げてきた少年を見て、私は気付いてしまった。
身につけている衣服は平民が着るような物ではなく、幼そうに見える外見とは裏腹に受け答えや、礼儀がしっかりしている。
「貴方、平民ではないわね?」
「察しがいいな。ああ、俺は平民ではない。このディアーヌ帝国の第一皇子ロディス・ディオノーゼだ」
「え!? そうなんですか?」
シエナは少し驚いてから、目の前にいる少年を上から下までじっくりと流し見てから頷く。
「確かに、衣服からして平民ではないですね!」
「シエナ、貴方、気付いていなかったのね」
「うむ。お前達はこの国の人間ではないな。観光で来たとかか?」
「まあ、そんな所かしらね」
ディアーヌ帝国には観光で来たというより、旅の途中で訪れただけである。しかし、観光と言ってしまった方が何かと都合が良いから観光と答える。
「そうかそうか、では、お礼として、俺が帝都を案内してやろう!」
「わー、ありがとうございます!」
「ではこの帝都で1番美味しい食べ物を案内しながら教えてほしいわ。その後はあまりお金が取られない良さげな宿屋に案内してくれるかしら?」
少年は私の言葉を聞いて、自信たっぷりの笑みを浮かべて『任せておけ!』と返答する。
そして、私とシエナは少年と共に再び帝都の街並みを歩み出したのであった。