大正妖精綺譚

「騙された……‼︎」

 たまには一緒に昼食でもどうだ、と松蔵(まつぞう)に連れてこられた老舗料亭。
 案内された個室で父と横並びに座らされ、小姫(こひめ)はようやく、自分が松蔵の策略に嵌められたことに気が付いた。

「お見合いだなんて聞いて──」

 ない、と言いかけたところで、小姫ははたと口をつぐんだ。

 思い返せば、怪しい兆しはいくつもあった。
 晋一朗(しんいちろう)やノアに会いに行こうと思っていたのに、急に新しい着物をあつらえることになったり、作法の稽古を詰め込まれたりして思うように時間が取れず、(たける)にさえなかなか会えない日が続いていた。

 きわめつけは今朝だ。女中たちがやけに張り切って着物を選び、帯だの簪だのとあれこれ口を出してきた。特段こだわりのない小姫は、されるがまま着せ替え人形になっていたのだが、彼女たちがはしゃいでいた理由はこれだったのだ。
 途端に薄桜色の振袖が疎ましくなる。

「みんな共謀(グル)だったのね!」

 抗議の声をあげるが、松蔵は涼しい顔で湯呑を口に運んでいる。

「ただの食事会だよ。ほら、仲人さんがいないだろう?」
「それって、すでに家同士の話がついてるってこと⁉︎」

 席を立ちかけた小姫に、松蔵はのんびりと手を振った。

「まぁ座りなさい。こうでもしないと、おまえは相手の方と会おうともしないだろう。写真も見ていないようだしね」
瑠生(るい)がうまいこと断ってくれたと思ってたのに!」
「ははは。瑠生もあれこれ言っていたが、決定権はあくまで私にあるからね。とはいえ、本当に嫌だったら、断っても構わないから」

 そうまで言われては、小姫も強く出られない。
 櫻宮(さくらみや)家には恩がある。松蔵が自分に政略結婚を強いるとは思わないが、本来なら、もっと家のために尽くすべきなのだろう。父の優しさに甘えている自覚は十分あった。
 小姫はふっと息をはき、気持ちを切り替えるように背筋を伸ばした。

「……ただの食事会なんですよね。それなら、お料理を楽しむことにいたします」
「そうしてくれると嬉しいよ」

 松蔵が安堵したように微笑んだとき、待ち人の到着を告げる声がして、襖が静かに開かれる。

「お待たせいたしました」

 落ち着いた声音に視線だけを向けた小姫は、ぱちくりと目を瞬かせた。
 そこに立っていたのは、思いもよらぬ人物だった。

「どうして、あなたが……」

 灰青色の背広に身を包んだ能面──もとい、晋一朗が、女性を伴って入ってくる。
 声を詰まらせた小姫を一瞥すると、彼は一瞬だけ目を伏せて、それから愛想良く微笑んだ。

「またお会いしましたね」
「なっ……、えっ⁉︎ どういうこと⁉︎」

 小姫はうろたえながら、晋一朗と松蔵を交互に見やった。
 どうしてこの男が、この場所に。

「おや、娘とお会いになったことが?」
「先日、姉の経営する骨董店に、僕が店番をしていた際にご来店いただきました。彫刻作品をご購入くださいましたね」

 さらりと嘘を織り交ぜながら話すその様子は、なんの違和感も起こさせない。

「お嬢さまは縁談──いえ、本日の食事会のことはご存知ないご様子でしたので、僕からはなにもお伝えしなかったんです。驚かせてしまってすみません」
「い、いえ……」

 僕とか言っちゃってるし、と思っていると、晋一朗がにこりと笑いかけてきた。
 隙のない笑顔に、小姫はぎこちなく応えるしかない。

「改めまして、柳瀬(やなせ)晋一朗と申します。私学で学びつつ、父の商いを見習っております」
「晋一朗くんは、柳瀬商事のご令息なんだよ」
「柳瀬商事……」

 その名前は、小姫も耳にしたことがある。
 海運を中核事業とし、造船や貿易で隆盛を誇る一大財閥だ。

「うそでしょ」

 骨董店で見せていた無造作で無愛想な態度と、目の前の愛想笑いを浮かべた姿がどうしても結びつかない。
 信じられない思いで晋一朗を見つめていると、隣にいた女性がくすりと笑みをこぼした。

「はじめまして、小姫さん。晋一朗の姉の、柳瀬朱美(あけみ)です」
「は、はじめまして……」

 二十代前半くらいだろうか。透明感のある白い肌に、秀麗な目鼻立ち。襟と袖口に麗糸(レース)のあしらわれた一枚仕立ての洋装(ワンピース)が、彼女の清楚さを際立たせている。

「せっかくお店に来ていただいたのに、留守にしていてごめんなさいね」
「朱美さんのお店だったのですね」
「ええ。ほとんど趣味でやっているようなものなのだけれど」

 ということは、この人が武の言っていた噂の女主人なのだろう。品のある物腰にそこはかとない色気がにじんでいて、たしかに綺麗な人である。どこか気難しげで近寄りがたい弟とは対照的に、朱美はふんわりとした空気をまとっていた。

「父に急な仕事が入ってしまったため、本日は私が代理で同席させていただくことになりました。申し訳ございません」
「いやいや、朱美さんにお目にかかれて嬉しいよ」

 頭を下げる朱美に、松蔵が嬉しそうに手を振った。
 デレデレと頬をゆるめる父を小姫が横目で睨むと、松蔵は慌てて首も振る。

「いやいや、朱美さんとは仕事で縁があったのだよ」
「ええ。お店を構えるにあたって、櫻宮さまにお力添えいただいたのです」
「しかし、本当にあの場所でよかったのですか? やはり表通りのほうが──」

 和やかに続く大人の会話を呆気にとられたまま眺めていると、晋一朗が声をひそめて小姫に告げた。

「余計なこと言うなよ」
「どうしてあなたに指図されなくてはならないのよ」

 言い返したところで気配を感じ、顔を上げる。いつの間にか、松蔵と朱美が微笑ましそうにこちらを眺めていた。

「あらまあ、もうそんなに仲良しさんなのね」
「よかったな、小姫」
「違っ──」

 小姫が口を開くのと同時に、狙いすましたかのように襖が開き、料理が運ばれてきた。

「失礼いたします」
「…………っ」

 抗議の声は行き場を失い、喉の奥に引っかかる。
 松蔵はすっかり機嫌を良くし、朱美も柔らかな笑みを浮かべている。
 晋一朗は何食わぬ顔で窓の外へ視線を向け、庭の景色を眺めていた。

 こうして、小姫の胸の内などお構いなしに、食事の時間がはじまったのだった。