大正妖精綺譚

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「ただいま戻りました」
「小姫ぇ〜‼︎」

 玄関に入るなり、どたどたと床を鳴らして松蔵がやってきた。
 抱きつこうと広げられた腕をすんでのところでひらりとかわし、小姫はぴしゃりと言い放つ。

「騒がしいですよ、お父さま」
「だってぇ〜‼︎」

 松蔵は、彫りの深い顔立ちにきりっとした口元、きっちり整えられた口ひげがよく似合う、強面ながらもどこか洒落た雰囲気の壮年の紳士だ。が、娘の前ではそれも形無し。
 またやってる、とばかりに出迎えの女中が呆れまじりに微笑んでいる。

「武を迎えにやったのに、なかなか帰ってこないから心配していたんだよ」
「私のわがままで、少し寄り道をしていたのです」
「また海老茶式部(女学生)ごっこをしていたのかい?」

 小姫の袴姿を見ながら、松蔵が言った。

「学校に通いたいのなら、いつでも手配するよ」
「動きやすいからこの格好をしているだけです。勉強なら、(たまき)さんがいるでしょう?」

 環というのは、住み込みの書生だ。高等商業学校に通う傍ら、櫻宮家の雑務を手伝っている。
 小姫にとっては、ときおり勉強を教えてくれる家庭教師のような存在だ。

「ところで小姫……」

 コホンと咳払いをした松蔵が、こちらを窺うような表情をみせた。揉み手でもしそうな様子に、小姫はしらけた目を向ける。

「お断りします」
「まだなにも言っていないじゃないか‼︎」
「縁談のお話でしょう? お断りします」

 再度告げるが、松蔵は懲りずに訴えてくる。

「爵位こそ辞退されたが、先方は由緒正しいお家柄なんだ。ほら、写真もあるぞ! 歳もお前と同じだし、なかなかの男前だ!」
「大切なのは見た目ではなく中身です。私、義侠心があって義理人情に厚い年上の殿方が好みなの。たとえば、是松親分のような!」
「あぁ……、親父のせいで男の趣味がすっかり拗れてしまった」
「なにを仰るの! お祖父さまほど素晴らしい男性は他にいません!」

 鼻息荒く言い切ると、松蔵は困ったように笑いながら、小姫の頭に手を置いた。
 殴るだけだった実父と違い、松蔵はことあるごとにこうして頭を撫でてくれる。もう小さい子供ではないのだから、と思いつつも、心地良さに甘えてしまう自分もいた。

「親父ほどじゃないかもしれんが、中身も男前かもしれないだろう? とにかく、一度会ってみようじゃないか。日程はこちらに任せてくれるね? では、私はこれで」
「あっ! ちょっと、お父さま!」

 身上書の入った封筒を押し付けて、松蔵は逃げるように廊下を引き返していった。
 自分のためを思ってくれていることはよく分かっている。それでも、小姫は夢を諦めるつもりはない。
 封筒を見つめ、ひとつ息をついたとき、背後から低い声が響いた。

「受けるの?」

 驚いて振り向くと、長身の男が柱にもたれかかっていた。

瑠生(るい)!」
「おかえり、小姫」

 小姫の兄、櫻宮瑠生がふわりと微笑んだ。

 その身にまとうどこか儚げな雰囲気は、彼の出自ゆえのものなのだろう。
 白みがかった茶色の髪に、青と灰が混ざり合った複雑な色の瞳。やや日本人離れした端正な顔立ちは、彼が異国の血を引いていることを物語っている。
 それがどれほどの負担となっているのか、小姫には計り知れない。
 孤児だった瑠生は、小姫と同じく是松に拾われ、櫻宮家の跡継ぎとして育てられた。いまは私立の名門塾に通いながら、松蔵のもとで仕事を学び、実務にも携わっている。

 いまでこそ表立って騒がれることは減ったが、混血児というめずらしさから、差別や偏見を受けることも少なくなかった。幼いころは、同年代の子供たちの輪に入ることが難しく、瑠生はいつも小姫の影に隠れていた。

 瑠生の正確な年齢は分からない。医師の見立てにより、小姫より二つ上の十九歳ということになってはいるが、先に拾われた自分こそが姉である、と小姫はこっそり思っている。

「縁談がきたんでしょ?」

 静かに小姫のもとへ歩いてくると、返事を待つでもなく、瑠生は自然な手つきで封筒を取り上げ、中から写真を抜き取った。

「ふぅん、これが相手か」
「あっ、ちょっと!」
「これは、なかなか……」
「な、なかなか……?」
「なかなか、つまらなそうな顔をしているね」

 淡々と言って、瑠生は写真をひらひらと振った。
 見るつもりはなかったのに、目の前でちらつかせられれば気にもなる。
 小姫が覗き込もうとすると、瑠生は写真をさっと封筒に戻し、そのまま自分の懐に仕舞った。

「どうして隠すのよ」
「興味ないんじゃなかったの?」

 腕を組んで見下ろしてくる瑠生に、小姫は思わず口ごもる。

「縁談には興味ないけど……」
「小姫の夢は、是松一家の再興──ひいては、人々を助けることでしょう?」
「そうよ」

 まっすぐ瑠生を見つめると、彼はどこか満足そうに頷いた。

「それなら、ずっとこの家にいればいい。小姫が望む『救済』は、ここで全部できるのだから」

 静かな声で、瑠生が告げる。

「いずれは僕が、父上の跡を継いで当主になる。そうしたら、社会事業支援にもっと力を入れよう。公益財団を新たに設立してもいい。二人で、櫻宮家を盛り立てよう。ね、小姫」
「瑠生……」

 いまでも櫻宮商会は、教育機関や社会事業に対して出資している。
 けれど、小姫が思い描くのは、支援の行き届かない人たちの救済だ。低所得者や生活困窮者、そして、自分のように親に捨てられてしまう子供を一人でも多く減らしたい。
 そのためには、もっと確実に手を伸ばせる仕組みが必要だ。

 そんなことを考えていると、小姫の頬に、瑠生の指先がそっと触れた。なぞるように撫でられたかと思うと、次の瞬間、鼻先を軽くつままれる。

「ふがっ」
「ふふっ」

 まるで子供をあやすような笑みを浮かべて、瑠生は懐をぽんと叩いた。

「これは、僕から父上に返しておくよ」

 それだけ言うと、瑠生は廊下の向こうへと姿を消した。

「もう、瑠生ったら……」

 つままれた鼻先をこすって、小姫は小さく苦笑した。
 瑠生が過保護なのは、いまにはじまったことではない。心配性で、優しくて。こちらの返事を聞くより前に、先回りして話をまとめてしまう。お節介に思うこともあるけれど、今回ばかりは瑠生のおかげで、縁談は回避できるかもしれない。

 妖精、魔導書、賽子。骨董屋で出会った、現実とは思えない不可思議な出来事。
 思い返すと、胸の奥がそわそわする。迷惑をかけてしまったけれど、ほんの少しだけ、楽しいと思ってしまった。

 けれど、外に出た妖精たちが、人に害をなさないともかぎらない。

 小姫は、魔導書をぎゅっと抱きしめた。
 責任を取るためだけではない。人も妖精も、取りこぼすことなく助けたい。

「私が、なんとかしないと!」

 きっと世の中は、これから大きく変わっていく。
 ならば自分も、できることをやらなくては。
 取り残される誰かを、見過ごさないために。