大正妖精綺譚

 晋一朗が店先に出て看板を仕舞まっている間に、ノアは奥の長椅子へと小姫たちを促した。
 一緒の席に着くわけには、と頑なに首を振る武を小姫の横に無理やり押し込み、ノアも向かいに腰を下ろす。

「改めまして、ボクはノア。イギリスから来たんだ。晋一朗とは仕事で知り合って、色々手伝ってもらってて……。あ、仕事っていうのは美術品の買付なんだけど、本命は日本の風俗や信仰の調査なんだ」
「学者先生なんですか?」

 驚いた小姫に、ノアは笑いながら手を振った。

「そんな立派なものじゃないよ。ほとんど趣味みたいなものさ。民間伝承を辿りながら、日本の妖精を調べてるんだ」
「日本の妖精?」
「河童、雷獣、座敷童に小豆洗いとか──」

 それは妖怪では、と思ったのが顔に出たのか、ノアがふたたび笑う。

「妖精、精霊、妖怪、妖魔……、様々な呼び方があるけれど、きっちり区別する必要はないと思う。人ならざる(あやかし)──魔性の存在であることに変わりはないから」

 魔性という言葉に、小姫は思わず息を詰めた。

「ボクは、教訓や現象を仮託した概念ではなく、妖精そのものを調査しているんだ」
「妖精、そのもの────」

 店先から戻ってきた晋一朗が、ノアのうしろに立って言った。

「火蜥蜴を見ただろう? 普通の蜥蜴は火は吐かない」
「さっきのは、さらまんだ? って妖精なんですかい?」

 武の問いに、ノアは大きく頷く。

「あのコは西洋の妖精でね。日本の妖精──分かりやすく区別して妖怪と言うけれど、彼らから見れば外から来た存在、外来種になるんだよ」
「貿易の貨物に、外国の植物や動物が紛れ込むことがあると聞いたことがありますが、もしかして妖精も……?」

 小姫が首をかしげると、ノアが身を乗り出した。

「そう! 妖精は人間界と並行して存在する妖精界から来ると言われているんだけど、人間界を気に入って住み着いちゃうコが結構いるんだ。そしてそのまま、その土地に馴染んでいく」
「馴染む?」
「気候や文化に影響されて、性質や振る舞いが変わっていき、気が付ければその国の住人となっている。そんなコが、さらに別の土地、日本に流れてくると……どうなると思う?」
「えっ? えーっと……」

 急に答えを求められ、あたふたと考えを巡らせるが、そもそも妖精の話自体、小姫にはまだぴんときていない。
 困った様子の小姫を見て、ノアがくすりと笑った。

「もともと日本にいる妖怪とは違う性質を持ったまま入り込むわけだからね。数が増えれば、当然、居場所や力の均衡が崩れる。つまり、在来種である妖怪の環境や生態系を壊してしまう可能性があるってコト」
「なるほど……」

 妖精やら妖怪やらと言われて遠い話のように感じていたけれど、植物や動物に置き換えれば腑に落ちる。

「ボクは妖怪の調査の傍ら、妖精の保護活動をしているんだ。妖精界や、それぞれの地域に還すためにね。だけど……」

 ノアは少し困ったように視線を伏せ、机の上の本を見つめた。晋一朗が引き継いで、淡々と告げる。

「せっかく保護した妖精を、おまえが逃がした、というわけだ」
「えっ……」

 小姫の喉が、ひくりと鳴った。

「キミが落としたあの本は、『魔導書』という魔導具で、捕まえた妖精を一時的に封印して入れておくカゴのようなモノでね……」
「ええっ⁉︎」

 つまり、小姫が本を落としたときに、籠の蓋を開けてしまったということだ。あのとき現れた美しい少女や半透明の小人は、本の中に入っていた妖精たちだったのだろう。

「私、なんてことを……」

 絶句してうなだれた小姫に、晋一朗が言った。

「魔導具は本来、誰にでも扱えるものじゃない。俺がノアの手伝いをしているのは、魔導書が所有者であるノアではなく、俺を主人に選んだからだ」
「選んだ……?」

 顔を上げると、晋一朗は肩をすくめた。

「だが、いまは違う。魔導書は、きみを主人と改めた」
「魔導書が、私を……」

 偶然でも間違いでもなく、意思をもって選ばれた。
 心臓がどくりと音を立てる。

「フフッ」

 場の空気を和らげるように、ノアが笑った。

「晋一朗ってば、魔導書にウワキされて拗ねてる」
「拗ねてない」

 即座に返して、晋一朗はむすっと視線をそらした。
 武が「あの〜」と口を挟む。

「さっき言ってた、ばれっと? ってのは?」

 晋一朗が瑠璃の賽子を本の横に置いた。面には、点の代わりになにか模様が描かれている。

「これは『妖精王の賽子』という魔導具だ」
「これ! こいつが腕に当たってから『怪力』になったんだ!」

 武が二の腕をさすりながら言うと、晋一朗は頷いた。

羅馬(ローマ)数字の賽子で、一から六の目にそれぞれ従者と呼ばれる使用人を定めることで、魔導具に込められた妖精の力を使うことができるようになる」
「たしか、武兄は……」

 小姫が宙に『Ⅳ』と書いてみせると、ノアが穏やかに言った。

「四だね。晋一朗は一で、『影を操る』能力。ボクは二だったと思うけど、『狼に変身する』能力だったね」
「ということは、三と五と六の従者を決めれば、あと三つ能力が手に入る……?」

 こんな事態を招いておきながら、小姫は自分の中に好奇心がわいているのを感じていた。
 もっと知りたい。妖精たちのことも、不思議な力のことも。

「妖精なんて言ってもなかなか信じてもらえないし、無関係の人を巻き込むわけにもいかないから、サイコロは使わないようにしようと思ってたんだけど……」
「見事に巻き込まれちまいました」

 武が頬をかいて笑うと、晋一朗が当然のように言い放った。

「おまえは櫻宮家の運転方だろう。主人の失態を補うのは当たり前だ」
「それはそうですが……って、いけねえ! 姫さん、早く帰らねえと!」
「でも……」

 自分のせいで妖精たちを逃がしてしまった以上、この事態にきちんと向き合わなければ。

「旦那さまがお待ちなんです。今日のところは──」
「いいだろう」

 意外にも、晋一朗があっさりと頷いた。

「今後のことは、また改めて話せばいい。──どうせ、嫌でも会うことになる」
「えっ?」

 どういう意味か聞き返すより先に、魔導書と賽子を押し付けられる。

「これはおまえが持っていろ」
「待って、まだ聞きたいことがたくさん……」
「行きますよ、姫さ──じゃなかった、お嬢さま!」

 武に急かされ、本を抱え直した小姫は、うしろ髪を引かれながら骨董屋をあとにした。
 腕に抱いた魔導書の重みが、胸の奥に小さなざわめきを残していた。