大正妖精綺譚

 唇を噛んでうつむいたとき、瑠璃色の光が目に入った。

「あれは──」

 小姫は瞬時に駆け出して、床に転がる賽子を拾うと、そのまま腕を振り上げた。

「そこの能面男!」

 小姫の手から放たれた賽子は煌めきながら宙を飛び、晋一朗の首元に打ち当たる。
 青く輝き『()』という符号が浮かび上がった。

「なっ、おまえ──」

 首元から転がり落ちる賽子を受け止めながら、晋一朗は驚いた顔を小姫に向ける。
 その手から賽子をひったくると、小姫は続けざまにノアへと賽子を投げつけた。

「ノアさん、お願い!」
「えっ⁉︎ わっ⁉︎」

 反射的に腕を上げて防御しようとしたノアの手のひらに、賽子が当たった。
 明るい黄色に光ったかと思うと、今度はその手に『()』と現れる。

「さあ、これであなたたちにも『なんらかの能力』が備わったはずよ!」
「俺たちまで従者(ヴァレット)にするとは……」
「お姫サマの行動力はスゴイねぇ」

 ノアが苦笑いをもらしたとき、その身体に異変が起こった。

「……ッ⁉︎」
「ノアさん?」

 肩を押さえて膝をついた彼の腕に、金色の毛が生じ、爪が鋭く伸びていく。

「なに、ガ……」

 ノアの声に、獣の唸り声がまじる。
 翠の瞳が燃えるように煌めいたかと思うと、次の瞬間、バリッと服を裂き、一匹の狼が現れた。美しい黄金の毛並みに、小姫は思わず息を呑む。

「綺麗……」
「おいおいおい、どうなってんだ⁉︎」

 武が咄嗟に小姫をかばうように背に隠す。
 晋一朗が、狼と化したノアに慎重に問いかけた。

「ノア、大丈夫か?」

 すると、牙の覗く口から、少しくぐもったやわらかい声が返ってくる。

「ボク、どうなってるの?」
「理性は失っていないようだな」

 晋一朗が小さく息をついた。

「ノアさん、狼になってます……」
「ええっ⁉︎ ホント⁉︎」

 ノアはパタパタと耳を動かし、金色の毛を逆立てた。

「か、可愛い……」

 思わずその毛並みに手を伸ばしかけたとき、上空からバサッと羽ばたく音が聞こえた。赤い鱗が炎のように揺らめいて、じんわりとした熱気が広がる。

「遊んでないで、早くあいつを捕まえるぞ」
「待って、まだあなたの能力が分かってない」
「確認済みだ」

 いつの間に、と晋一朗を見つめると、その足元で彼の影が不自然に揺らいだ。
 まるで水面のように波打ったかと思うと、晋一朗の手の動きに合わせて液体のように広がっていく。床を這った影は、ノアが落とした燭台を拾い上げた。

「影が動いてる⁉︎」
「物理的に干渉できるとは、あながち悪くない能力だ」

 晋一朗は満足げに口角を上げると、パチンと指を鳴らした。その音を合図に、影が一気に流動し、壁伝いに火蜥蜴へと押し寄せる。火蜥蜴は鋭く鳴いて、熱風を撒き散らしながら影から逃れた。

「すばしこいな」
「ボクに任せて!」

 ダンッと、ノアが後ろ脚で床を蹴りつけて跳ね上がった。鋭い爪を振りかざし、火蜥蜴の動きを止めるべく攻撃を仕掛ける。しかし、火蜥蜴も負けじと身をひねり、間一髪でノアの爪を回避した。
 壁を伝って器用に着地したノアは、小姫の前に戻ってくると、しょんぼりと尻尾を垂らす。

「逃げられた〜」
「よっしゃ、次は俺の番だ!」

 武が拳を鳴らして進み出る。
 火蜥蜴は逃げ道を探すように天井近くを旋回していたが、晋一朗の影に追われ、徐々に追い込まれていった。行き場をなくした火蜥蜴が地上に降りるのと同時に、武が拳を振り上げて、全力で地面を殴りつける。

「おらぁぁあっ‼︎」

 衝撃で瓦礫が舞い上がり、火蜥蜴が体勢を崩して隙を見せた。

「いまです‼︎」

 小姫の声に、ノアが咆哮をあげて飛びかかる。前肢で火蜥蜴の胴を捕らえたところへ、晋一朗の影が素早く伸びて、網のように絡みついた。

「やった……!」

 安堵の声をもらした小姫に、晋一朗の鋭い声が飛ぶ。

「まだだ! 封印しろ!」
「封印……?」

 ハッとして、小姫は抱きかかえていた本へ視線を落とした。

「空白の頁を開いて、先刻の呪文を!」

 言われるままに本をめくり、美しい図鑑のような紙面の中から、真っ新な場所を探す。挿絵も文字も載っていない頁で、指先が止まった。
 小姫はごくりと喉を鳴らして、大きく息を吸い込んだ。

「──此の書に憩い、暫しの安らぎを得よ。時満ちるとき、然るべき処へ還さん!」

 閃光が走り、火蜥蜴の身体が本へ引き寄せられる。輪郭がみるみる薄れ、染料のようににじみながら頁の中へと吸い込まれ、やがて完全にその姿を消した。
 小姫は急いで本を閉じた。

「成功したの……?」

 誰にともなく問いかけると、狼姿のノアが小姫の足にそっと身を寄せる。

「本を広げてごらん」
「でも……」

 また妖精を逃がしてしまうのでは、と不安に思っていると、ノアはふわりと尻尾を揺らした。

「意識して開けば大丈夫だよ」

 おそるおそる本を開くと、白紙だった頁に、火蜥蜴の姿が鮮やかに写し取られていた。赤い鱗や尻尾の炎が、まるで生きているかのように精緻に描写されている。
 武が額の汗を拭いながら、訝しげに本を覗き込んだ。

「この蜥蜴はどうなったんだ? 死んだのか?」
「本の中で眠っているだけだよ」

 ノアの穏やかな声に、武はますます眉をひそめる。

「どうなってんです、姫さん」
「私にもさっぱり……」

 と、小姫が肩をすくめたとき、ぽんっと乾いた音がした。
 金色の狼が光に包まれ、ほどけるように消えたかと思うと、すぐ隣に人影が現れる。

「あ、戻った」

 全裸のノアが、安堵したように自分の姿を見下ろしていた。

「手のひらの数字も消えたよ」

 ほら、と手を上げて振り返る。

「きゃあああっ⁉︎」
「おわあああっ‼︎」

 反射的に悲鳴をあげると、武も叫びながら小姫を引き寄せ、ノアを半ば突き飛ばすように晋一朗のほうへ押しやった。
 晋一朗が、長椅子に置いてあった羽織を素早くノアへと投げる。

「そういえば、狼化したときに服が破けていたな」
「アハハ、そうみたいだね」

 羽織に腕を通しながら、ノアがのんきに笑う。前を合わせて裾を整えると、小姫に言った。

「ゴメンね、もう大丈夫だよ」
「……本当ですか?」

 武の腕の中からそろりと視線を向けると、ノアは足を軽く交差させ、芝居がかった仕草で胸を張った。丈の長さが心許ない。

「似合う?」
「それ以上動くな! 見える!」

 即座に怒鳴った武が、ハッとしたように小姫を見下ろした。

「大丈夫か⁉︎」
「えっ?」
「なんも考えず掴んじまったけど、『怪力』のままだったら、姫さんの腕を折っちまってたかもしんねえ」

 粉々になった木彫りの置物が脳裏に浮かび、背筋が凍る。

「怖いこと言わないでよ」
「あの力、なんだったんだ……?」

 武のつぶやきに、晋一朗とノアが顔を見合わせた。

「それについては──」
「ウン。きちんと説明しないとね」