大正妖精綺譚

 数日後。

 帝都を襲った天変地異の爪痕は深く、街のあちこちで復旧作業が続いていた。
 資金や人員の手配など、櫻宮(さくらみや)家も様々な形で復興に携わっているが、人々の間でなにより話題になっていたのは、義賊『是松(これまつ)一家』の再来だった。
 すでに解散したはずの一家がふたたび集結し、是松親分を筆頭に、被災者の救助や支援に奔走したという。
 もっとも、明治の頃のように、奪った財を再分配するような真似はせず、瓦礫の撤去や炊き出し、行方不明者の捜索といった活動で貢献したらしい。
 それだけに、人々の称賛は大きかった。
 
 そんな祖父の活躍を耳にしながら、小姫は自室で頬杖をついていた。

「お祖父さまばっかり、ずるい……」
「お嬢さま、お加減はいかがですか」

 お盆を持って部屋に来た久子(ひさこ)が、心配そうに声をかける。
 小姫は苦笑しながらお茶を受け取った。

「またそれ? なんともないって言ってるじゃない」
「ですが……」
「だから平気だって。家に閉じこもっているほうが具合が悪くなりそう。出掛けてきてもいい?」

 立ち上がりながら伸びをすると、久子がすかさず言った。

「必ず(たける)さんをお連れくださいね」
「はぁーい」


     *     *     *


 武の引く人力俥に揺られながら、小姫はぼんやりと街並みを眺めていた。

 帝都を襲った大災害。
 その日、小姫は日比谷公園で倒れているところを発見された。
 しかし、どうしてあの場にいたのか、いつ災害に巻き込まれたのか、まったく覚えていなかった。
 肩の傷痕も、いつのものなのか分からない。
 小姫は、半年ほどの記憶を失っていたのだ。

 なにもかも忘れてしまったわけではない。
 たとえば、神隠し騒ぎのあった慈善パーティーに出席したことは覚えている。でも、その場でなにをしていたのかは思い出せない。
 浅草へ出掛けた記憶もある。芝居を観た気がするし、誰かと話した気もする。しかし、どれも霞がかかったように曖昧だった。

 医師の話では、強い衝撃を受けた際に、記憶障害が起こることがあるらしい。
 不安がないと言えば嘘になるけれど、日常生活に支障があるわけでもなかった。
 ただ、以前よりもぼんやりと物思いにふける時間が増えた気がする。
 なにか大切なものを置き去りにしてきたような、そんな漠然とした感覚だけが、胸の奥に残っていた。

「どちらへ向かいましょうか、姫さ──じゃなかった、お嬢さま!」

 武が走りながら尋ねてくる。

「そうねぇ……」

 店先の看板や幟が次々と流れていくなか、ふと、色硝子を贅沢に使った『翠柳堂』という看板が目に留まった。

武兄(たけるにい)
「だから髙澤(たかざわ)ですってェ。どうしやした?」
「あそこ、なんのお店か知ってる?」

 小姫はきらきらと光る看板を指差した。
 武がちらりと店先を見やる。ほんの一瞬だけ、言葉を選ぶような間があいた。

「……少し前にできた骨董屋だな。寄ってみるか?」
「いいの? ありがとう!」
「踏み台出すから待て!」

 人力俥から飛び降りようとしていた小姫は、おとなしく腰を下ろした。
 武が差し出した手を借りて地面に降り立ちながら、首をかしげる。

「なんで分かったの?」
「長年の勘ですかね」

 肩をすくめた武に見送られ、小姫は店に足を向けた。



「ごめんくださーい……」

 そっと扉を開くと、カラン、と頭上で呼び鈴が鳴った。
 どうやら、西洋の品を中心に取り扱っている骨董屋のようだ。
 店内には、金髪の青年と、とても綺麗な少年がいた。
 なぜだか、二人のうしろ姿が懐かしく見える。
 二人はなにやら話し込んでいたが、扉の音に気が付いた少年がぱっと振り返った。

「……あっ」

 少年が、思わずといった様子で声をもらす。
 まるで泣くのを堪えているかのような表情に、小姫は思わず足を止めた。

「こんにちは、お姉さん。なにか買いに来たの?」

 少年は一瞬で表情を整え、微笑んだ。
 泣きそうに見えたのは気のせいだったのだろうか。

「そういうわけではないのだけれど……。あら。もしかしてあなた、盈月座(えいげつざ)の……?」

 少年の目が丸くなり、次の瞬間には、花が咲くようにほころんだ顔になった。

「俺のこと知ってるの? 嬉しいな」
「あなたのお芝居を観たことがあるような気がするの。でも、詳しくは思い出せなくて……。ごめんなさい! 役者さんにこんなこと、失礼ですよね」
「ううん。記憶がないんだから仕方ないよ」

 少年のあっさりとした言葉に、小姫は目を瞬いた。
 どうして記憶がないことを知っているのだろう。
 もしかしたら、以前からの知り合いなのだろうか。
 不思議に思っていると、傍らにいた金髪の青年が穏やかに口を開いた。

「あいにく店主も店員も席を外していてね。ボクたちは店番代わりの常連客、といったところかな」

 流暢な日本語で言いながら、青年は小姫に黒猫の胸飾り(ブローチ)を差し出した。

「可愛らしいお姫サマには、こちらを」
「わぁ、可愛い。私、こんな猫を飼っているんです。足先だけが白くて……」
「足袋をはいているような?」
「そうなんです! 鳴き方が変わっていて、『ねうねう』って言うんですよ」
「あはは。下手くそだね」

 少年がなんだか嬉しそうに笑う。
 青年が、胸飾りを手早く包んで差し出してきた。

「これはボクからのプレゼント。受け取って」
「初対面の方にいただくわけには……」
「そう言うと思った。じゃあ、あとでキミのご兄弟に請求しておくよ。それでいい?」

 片目をつぶって見せる青年に、少年が呆れ声を向ける。

「そんなことしたら怒られるよー?」

 彼らは瑠生のことを知っているようだ。
 それなら、やはり自分もどこかで会っているのかもしれない。懐かしいと感じたのは、間違いではなかったのだ。

「あのっ……」

 問いかけようとした瞬間、青年の指先がそっと唇に触れた。言葉が、そこで止まる。

「答え合わせはまた今度ね、桜姫」