大正妖精綺譚

「おまえさんが、柳瀬(やなせ)の坊っちゃんだね?」
「はい」
「瑠生のこと、ひとつ頼まれて欲しい」

 腰を深くかがめて頭を下げる是松に、晋一朗は一瞬たじろぐ。が、すぐに表情を引き締めた。

「武、環。それから、お仲間の方々も……」

 武と環が姿勢を正す。ノアと朔耶も、それに倣って背筋を伸ばした。

「詳しいこたァ分からねえが、瑠生のやつが皆さんに迷惑をおかけしてんだろ? 叱り飛ばすためにも、俺の前に引っ張ってきて欲しい」
「……はい、かならず」

 晋一朗の返答に、是松はゆっくり顔を上げた。

「よし」

 低く落ちた声に、不思議と場の空気が引き締まる。
 先程までの孫を案じていた祖父の顔は消え、鋭い眼光が帝都の夜を射抜く。
 そこにいるのは、かつて是松一家を束ねた男だった。

(いさむ)。八丁堀へ回れ。商店街の連中じゃ火の手を抑えきれねえだろう。若い衆と一緒に手ェ貸してやんな」
「へいっ」

 武の父、勇は短く返事をすると、すぐさま踵を返す。

「森谷は烏森の連中をまとめろ。あそこは店も芸者衆も多い。収拾つかなくなる前にどうにかしろ」
「承知しました」

 静かに一礼した森谷の空気が、すっと変わる。温厚な家令の面影が薄れ、細められた目の奥に鋭さが覗いた。

「松蔵も叩き起こさねえとな」

 是松は煙管を咥え直した。

「小姫。こっちは俺たちに任せろ。──だから、瑠生をよろしくな」
「任せてください。親分!」
「ったく、なにが親分だ」

 小姫の返事に是松は呆れたように鼻を鳴らすが、その口元はどこか嬉しそうだ。

「行くぞ」

 夜の街へ駆け出していく是松たちの背中は、とても大きく見えた。

「うわぁ……、格好良い〜」

 朔耶がすっかり見惚れた様子で、目を輝かせる。

「まさか小姫ちゃんのお祖父ちゃんが、あの是松親分だったなんて」
「……血のつながりはないの」

 事情を知る環が、はっと顔を上げた。

「お嬢さま、それは──」

 小姫は小さく首を振って、環を制した。
 隠したままにはしたくなかった。
 瑠生を迎えに行く。
 そのために、みんなの力を借りるのなら、なおさら。

「私と瑠生も、本当の兄弟じゃない」

 言葉にした瞬間、胸の奥がちりりと痛んだ。
 幼い頃は気にしたことなどなかった。けれど成長するにつれ、血のつながりというものを意識させられる瞬間は幾度もあった。茶会や夜会の席で、家柄や血筋の話になるたび、自分だけが薄氷の上に立たされている気がした。
 それでも、小姫にとって櫻宮(さくらみや)の人たちはみんな家族で、瑠生は、大切な兄弟だった。

「本当は、私なんかがみんなに頼る資格なんてない。けれど──」
「だからどうした」
「え……」

 顔を上げると、晋一朗は心底不思議そうに眉をひそめていた。

「おまえが庶子ではなく養子だということは、縁談のときから知っていた」
「ええっ⁉︎」

 小姫が目を丸くするなか、晋一朗はさらりと言った。

「柳瀬の情報網を舐めるな」

 あまりにも当然のように言われて、思わず言葉を失う。
 けれど晋一朗は、そんなことは本当に些細だと言わんばかりだった。

「おまえは、あの慈善パーティーで言っていただろう」

 晋一朗の目が、まっすぐ小姫に向けられる。

「自分のほうが先だった、と」

 小姫の脳裏に、あの日の会話が蘇る。

「自分のほうが姉だと言うのなら、弟を迎えに行ってやらなくてどうする」

 その声は静かなのに、不思議なくらい力強く、小姫の胸に真っ直ぐ届いた。
 
「たしかに、姫さんのほうが姉貴っぽいとこあるよな」

 武が頭の後ろで腕を組みながら小姫を見て笑った。
 朔耶も両手を腰に当てて言う。

「小姫ちゃんだけに、おいしいところは持って行かせないよ」
「ここまで来て帰る選択肢はアリマセーン」

 何故か片言になったノアに環が小さく吹き出し、ずれた眼鏡を直しながら柔らかく微笑んだ。

「お嬢さまの、お望みのままに」

 小姫は唇を噛みしめた。
 ひとりじゃない。
 胸の奥が熱くなる。泣きそうなくらい、嬉しかった。