大正妖精綺譚

 試すような声音に、小姫はぎゅっと下唇を噛んだ。指先が強張り、賽子を振る決心がつかない。
 能力を使わなければ、妖精王を止めることはできないだろう。
 けれど、この力こそが異変の原因なのだとしたら。これ以上みんなに、力を使ってもらうわけにはいかない。

「桜姫! 多分だけど、瑠生クン以外の能力なら使っても問題ナイと思う!」
「え……?」
「ボクたちはサイコロを介して妖精の力を借りているだけだけれど、瑠生クンは無意識に、自分の魔力まで使ってしまっていたんだと思う」

 創造の力。
 瑠生の能力だけ桁外れだった理由を、小姫はようやく理解した。
 妖精王の言葉が本当なら、問題なのは賽子そのものではなく、瑠生の力なのだ。

「……それなら」

 意を決して、腕を振り上げる。
 どうか、六だけは出ませんように。
 地面に転がった賽子が淡い光を撒き散らし、武の腕に紋様が浮かんだ。

「よっしゃ! 俺だな!」
「次!」

 続けざまに賽子を振ると、今度は環の力が解放された。環が困ったように眉尻を下げる。

「この状況では、私の能力はお役に立てないかもしれません」
「集まった妖精に協力してもらうってのはどうだ?」
「うまくいけばいいんですけどね」

 最後に、晋一朗の首筋に青い光が走り、足元の影が質量を増した。

「ひとまず、俺たち三人で対処しよう」

 赤帽子(レッドキャップ)の襲撃や龍神の暴走を経て、同時に能力を解放できるのは三人までだと分かっている。四人目へ能力を与えようとすると、先に発動していた力が消えてしまう。
 いまこの場で妖精王と対峙できるのは、三人だけだ。

「いや、俺たちも動けるよ」

 朔耶が足元に転がっていた丈夫そうな枝を拾い上げ、軽く振った。ひゅん、と風を切る音がする。
 つい先程まで満身創痍だったはずなのに、そんな様子は微塵も見せない。

「殺陣は得意なんだ」
「朔耶クン、立役に転向するの!?」
「いずれはね」

 朔耶は悪戯っぽく笑って、ノアにも棒を放り投げた。
 武が拳を構え、晋一朗も影を広げる。環は小姫と瑠生を自分の背に隠して後退った。

「おらァアッ!!」

 武が『怪力』を得た腕で、妖精王に殴りかかる。
 轟音が響き、衝撃で周囲の木々が大きく揺れる。しかし、妖精王は表情も変えず、武の拳を片手で受け止めていた。

「軽いな」

 妖精王が手首を返す。
 次の瞬間、武の身体が弾き飛んだ。

武兄(たけるにい)っ!!」
「くそっ、なんだこいつ!」

 地面を転がった武は、受け身を取って上体を起こした。
 その隙に朔耶が妖精王の懐へ飛び込み、喉元を狙って鋭い一閃を放つ。しかし、妖精王はそれを指先だけで受け止める。枝が先端から灰のように崩れ落ちた。

「面白い動きをする」

 まるで、見世物でも眺めるような口ぶりだ。
 直後、暴風が朔耶を吹き飛ばす。

「朔耶くん!」

 晋一朗が影を伸ばし、朔耶の身体を絡め取った。
 武とノアが同時に攻撃を仕掛けるが、その一撃も届かない。妖精王が袖を払っただけで、二人の身体は軽々と弾き飛ばされた。

「ぐあっ!!」
「痛った〜!!」

 晋一朗の影が妖精王の足元へ伸び、絡みつく。妖精王の動きが一瞬止まった。
 その隙に、武とノア、朔耶がふたたび構える。

 ──いける。

 そう思った瞬間。
 影が、音もなく裂けた。

「なっ……」

 晋一朗の目が見開かれる。
 妖精王は拘束を振り払ったことすら意識していないように、静かに首をめぐらせた。

「こんなものか」

 藍白の瞳が一同を見回す。

「もういい。飽きた」

 興味を失ったように、妖精王は瑠生へ視線を向けた。
 瑠生の身体が、びくりと震える。

「……っ」

 苦しげに眉を寄せ、瑠生が胸元を押さえる。呼吸が浅い。

「瑠生?」
「若さま!?」

 小姫と環の声にも、瑠生は反応を返さない。
 まるで見えない糸に引っ張られるかのように、瑠生の足が半歩、前へ出る。

「来い」

 甘やかな声音は、抗うことを許さない響きがあった。

「やめて!」

 小姫はとっさに瑠生の前へ飛び出した。

「瑠生を連れてはいかせない!」
「おまえではこれを扱えぬ」
「瑠生は物じゃない!!」

 叫んだ瞬間。
 妖精王の指が空を示した。
 轟音とともに、夜空に閃光が走る。雷が公園裏手の洋館へ落ち、悲鳴が響く。硝子が砕ける音がして、爆ぜた炎が夜空を赤く染め上げた。

「きゃあああっ!!」
「火事だ! 逃げろ!!」

 騒然とする街の声に、小姫の顔から血の気が引いた。

「な……」
「次はおまえに落としてみせよう」

 脅しではない。妖精王は本当にそうする。
 瑠生の肩が大きく震えた。

「……やめろ」

 かすれた声だった。

「僕は行かない。なにを言われても、僕は人間界で生きる。妖精界の崩壊など知ったことか」

 空気がびりと震えた。
 瑠生の足元から淡い光が溢れ、木々がざわめく。
 妖精王がしらけた様子で瑠生を見下ろす。

「人間界にも影響は出ているというのに」
「だからといって、あなたに従う理由にはならない」

 瑠生は吐き捨てるように言った。

「賽子なんて作らなければよかった。人間との間に子どもなんて作らなければよかった。人間界を巻き込んで脅しているのは、あなたじゃないか」
「脆い物が壊れるのは当然だろう。滅びるなら滅びればよい。しかし、妖精界はそうはいかない」

 妖精王がさっと手を振り地面を指した。
 瞬間。大地が激しく揺れ動く。
 立っていられないほどの衝撃に、小姫は思わず膝をついた。

「きゃっ!?」
「小姫‼︎」

 石畳が割れ、木々が軋む。
 遠くで建物の崩れ落ちる音が響いた。
 突風。雷鳴。
 帝都全体が、悲鳴をあげているかのようだ。

「なんだよこれ!」
「このままでは街が……」

 武が舌打ちする。
 環が険しい顔で周囲を見回した。

 地鳴りは収まらず、遠くに幾筋もの火の手が上がっているのが見える。悲鳴と怒号が夜風に乗って響き、街が騒然としているのが分かった。

「おまえがこちらへ来ぬ限り、人間界はいつまでも危険にさらされ続ける」

 遠くでまた、悲鳴があがった。
 燃え広がる炎が夜空を赤く染めていく。
 瑠生は迷うように視線を上げた。群青色の瞳が、小姫を映す。

「……僕が行けば、小姫は巻き込まれずに済むの?」
「瑠生⁉︎」
「少なくともこの娘は助けてやろう」
「だめよ瑠生。これはあの人がやっていることで──」

 言い終わる前に、轟音が響いた。
 間近の街灯へ雷が落ち、破片が飛び散る。

「さぁ、早く来い」

 聞き分けのない子どもを諭すような口調で、妖精王が手を差し伸べる。
 瑠生の肩が、ぴくりと揺れた。
 
「おまえが来れば、妖精界は安定する。人間界への影響も、いずれ収まるであろう」
「そんな保証、どこにあるの」

 小姫は妖精王を睨みつけた。

「あなたの言うことなんて、信じられるわけないでしょう!」