大正妖精綺譚

「……誰ですか、あなた」

 瑠生(るい)は蒼白な顔で男を見据えていた。その瞳には、警戒と戸惑いが入り交じっている。
 かろうじて絞り出された声に、妖精王(ハイエルフ)はゆるやかに首を振る。

「覚えておらぬか」
「そもそも初対面でしょう」
「……ああ、そうか。おまえは私を見たことがなかったな」

 妖精王は独り言のようにつぶやくと、そこでようやく思い至ったみたいに首をかしげた。

「母からはなにも聞いておらぬのか」
「僕には父も母もいない」
「あれは死んだのか?」

 あれ、とは瑠生の母のことだろうか。
 悲しみも驚きも、なんの感慨もなくこぼされた言葉に、小姫(こひめ)は思わず眉をひそめた。

「まぁいい。おまえが覚えておらずとも、私がおまえの父であることに変わりはない。おまえは、私と人間の女の間に生まれたのだ」
「違う。勝手なことを口にするな」

 即座に否定した瑠生の声には、拒絶がにじんでいる。
 妖精王は不思議そうに瞬いた。

「事実を話してなにがいけない」
「黙れ‼︎」

 鋭い声が響く。握りしめられた瑠生の拳は、白くなるほど力がこもっている。

「いまさら現れて父親面するな。僕は、人間だ」
「否。おまえは半小神族(ハーフエルフ)だ。人の世に紛れて生きるのは向かぬ」

 藍白の瞳が、瑠生をまっすぐ見据える。

「妖精界と人間界、両界に異変が起きているのは知っているであろう? ──原因は、おまえだ」
「……っ?」
「おまえは境界の子だ。どちらの理にも触れられる。おまえが人間界(こちら)で妖精の力を使うたび、世界は歪む。妖精は狂い、自然は荒れ、両界は壊れていく」
「うそだ……」

 かすれた声がもれ、瑠生の顔から血の気が引いていく。

 人面樹(じんめんじゅ)の言っていた、妖精界の揺れ。帝都が裂けるという予言のような言葉。龍神が語った、帝都を覆う異様な力。禍々しく強大な妖精の気配。
 それらが、ひとつの形を結ぶ。
 その中心にいたのは妖精王だけではない。瑠生もまた、その一端だったのだ。

「来い。妖精界が崩れかけている。維持するには、王の力を継ぐ器が必要だ」
「器……?」
「私の新たな依代だ。……おまえが必要なのだよ」

 妖精王に、感情の揺らぎはみられない。
 愛し子と呼びながら、まるで道具を求めるような声音だった。

「ふざけないで」

 気付けば、小姫は妖精王を睨みつけていた。

「瑠生は物じゃないわ。突然現れて、勝手なことばかり言わないで‼︎」

 妖精王が初めて、小姫へと視線を向けた。
 藍白の瞳には、感情らしい感情がほとんど映っていない。
 ぞくり、と全身が粟立つ。

「おまえがこれ(・・)を、こちらへ繋ぎ止めているのか」

 直後、空気が裂けるような音がした。
 晋一朗(しんいちろう)が小姫の腕を強く引くと同時に、先程まで立っていた場所を、紫紺の炎が薙ぎ払う。

「……っ!?」

 地面へ倒れた小姫を、晋一朗がかばうように抱き込んだ。
 爆ぜる音が響く。地面が黒く焼け焦げ、じわりと溶けた。
 晋一朗と小姫の前に、朔耶(さくや)とノアが滑り込むように立ちはだかる。

「若さま!」

 (たまき)(たける)が瑠生を呼び、肩を揺さぶる。
 けれど、瑠生は反応しなかった。まるで魂だけが、どこか遠くへ引き摺られているみたいに、青ざめた顔で立ち尽くしている。

「人間風情が。私の子へ触れるな」
「瑠生には瑠生の人生があるの! 勝手に連れていこうとしないで!」
「騒がしい」

 言葉で通じ合える相手ではないのだと、本能が告げていた。
 小姫は震える手で、賽子(サイコロ)を握り締めた。淡い光が指先からこぼれる。
 すると、妖精王がはじめて興味を持ったように目を細めた。

「……ほう。いつだか私が作った玩具ではないか。まさか人間界に流れていたとは」
「えっ……?」
「そうか。これが急に力に目覚めたのは、その魔導具が原因であったか」

 瑠生が妖精の力を使い始めてから、妖精界は揺れはじめた。人間界では妖精が暴れ、龍神すら正気を失い、帝都では異変が相次いだ。

 瑠生の力の覚醒が、すべてのはじまりだったのだとしたら。
 瑠生を妖精の力へ導き、この運命へつなげてしまったのは──

「そんな……」

 声が震えた。息がうまく吸い込めない。
 妖精王はそんな小姫を眺めながら、愉快そうに目を細めた。

「おもしろい。どんな能力を得たのか、私に見せてみるといい」