大正妖精綺譚

 日比谷公園に辿り着いたとき、空はすでに鈍色に沈んでいた。ざわざわと木々が鳴り、まるで不安に怯えているかのようだ。

 けれど、園内を横切る人々は、いつもと変わらない様子だった。家路を急ぐ会社員らしき男性も、長椅子で談笑する学生たちも、誰ひとり異変に気付いていない。

 小姫は息を切らしながら、公園の奥へ駆け込んだ。
 一歩進むごとに、空気がじわじわと熱を帯びていく。生ぬるかった風が、次第に肌を焼くような熱気へ変わっていった。胸騒ぎが強くなる。
 次の瞬間、熱風が頬を打った。

「……っ‼︎」

 視界の先で、大樹が炎に包まれていた。
 轟々と音を立てながら燃えているのに、不思議なことに煙はほとんど上がっていない。
 燃え盛る炎は、どろりと暗い色をしていた。

「そんな……」

 喉の奥から、かすれた声がもれる。
 皺だらけの顔で笑いかけてくれた人面樹。彼が、目の前で燃えている。

「水を‼︎」

 晋一朗が叫ぶ。武や環が駆け出そうとするが、しわがれた声がそれを制した。

「待ちなされ」

 みしり、と大樹が軋む。炎の奥で樹皮がゆっくりとうごめき、うっすらと老人の顔が浮かび上がった。

「この炎は、水では消えんよ」
「人面樹さん!」

 駆け寄ろうとすると、ぱちぱちと火の粉が舞い、熱気が肌を刺した。

「こらこら、来るでない」

 人面樹は苦笑しながら小姫を止めた。話すたびに、枝葉がぼろぼろと焼け落ちる。

「逃げなさい、お嬢さん」
「でも……!!」
「もう、間に合わん」
「誰がこんなことを……」

 人面樹が淡々と答える。

「妖精王じゃ」
「妖精王が、ここに……?」
「やつは、息子を迎えに来たと言っておった」

 どくん、と小姫の胸が鳴る。
 人面樹の視線が、ゆっくりと小姫の隣に移った。つられて小姫も振り返る。
 夕闇のなかでも、瑠生の淡い髪と硝子めいた瞳は、ひどく目を引いた。
 脳裏に、龍神の言葉がよみがえる。

 ────其方、人間か?

「……瑠生が、妖精王の息子?」
「そんなわけ……。僕は、人間で──」

 浅く息をはく瑠生に、人面樹は静かに告げた。

「半分はのぅ」
「半分……?」
「おまえさんは、人間と妖精の(あい)の子であろう」
「そんな、こと……」

 あまりにも突拍子のない話。
 けれど、否定しきれなかった。
 瑠生は身元も分からぬまま櫻宮家に引き取られた孤児だ。本人も、両親のことはなにも覚えていないという。
 色素の薄い髪と瞳、白い肌。どこか西洋人めいた、整った顔立ち。異国の血を引いているからなのだと、誰もがなんとなく思っていた。
 だけど、それらすべてが、妖精の血に由来するものなのだとしたら──。

「……Half elven」
「ノアさん? いまなんて──」
「瑠生クンは、半小神族(ハーフエルフ)なのかもしれない」

 時折見せる、ぞっとするほど冷たい眼差し。どこか浮世離れした、不思議な雰囲気。
 すべてに説明がついてしまう気がして、小姫の背筋を冷たいものが流れ落ちる。

 そのとき。
 ざくり、となにかが断ち切られるような音が響いた。

「──え?」

 人面樹の幹へ黒い亀裂が走り、巨大な枝がぼろりと崩れ落ちる。老人の顔が苦悶に歪んだ。

「が、ぁ……ッ」
「人面樹さん!!」
「逃げ──」

 言い切らぬうちに、炎が人面樹を焼き尽くした。
 その向こうに、人影が浮かび上がる。

 夜風に揺れる白金の髪は地に着くほど長く、紫紺の炎に照らされ淡く輝いている。
 長い睫毛に縁取られた瞳には白目がなく、硝子のような藍白だけで満たされていた。
 すっと通った鼻梁。作り物めいた輪郭。そして、人間よりも長く尖った耳。
 やわらかな薄布を幾重にも重ねた装束は、風をはらむたび、光を反射する水面のようにゆるやかに波打つ。

 息を呑むほど流麗なのに、どうしてか背筋ばかりが冷えていく。

 男は崩れ落ちていく人面樹を一瞥すると、興味を失ったように視線を外した。
 そして、藍白の瞳で瑠生を捉えると、口だけで笑みを形作る。

「ようやく見つけた」

 甘やかな声音。
 なのに、逃げ出したくなるほど恐ろしい。

 直感した。
 目の前にいるのが、魔性のもの──(あやかし)たちを統べる王なのだと。

「迎えに来たぞ。我が、愛し子──」