大正妖精綺譚

 新たに現れた個体は、「ゲタゲタッ!」と笑いながら木々の向こうへ跳んでいく。
 小姫は日傘を振り回した。

「待ちなさいったら!」
「小姫ちゃん!」

 頭上から朔耶の声が降ってくる。
 白い翼を翻し、東屋の屋根へ舞い降りた朔耶が、逃げていく影を指差した。

「二匹ともあっちに行った! 俺が追いかけるよ!」
「ボクも!」

 ノアが強靱な四肢で地面を蹴る。ばっと芝生が散り、二人は同時に飛び出した。

「俺も行きます!」

 武も慌てて後を追う。
 ばたばたと遠ざかっていく背中を追いかけようと、小姫は日傘を握り直した。

「大丈夫か」

 晋一朗が、小姫の肩を見つめて訊いた。
 石が当たったところは熱を持ちはじめていて、脈打つように疼いている。
 けれど、心配をかけたくなくて、平気なふりを装った。

「平気です。私たちも追いかけましょう」
「きみはすぐ、自分のことを後回しにする」

 静かな声音。叱られているわけでもないのに、胸の奥がそわそわと落ち着かなくなる。

「だって、放っておけないんだもの」
「……知っている」

 ぽつりと返された言葉に、小姫は思わず瞬いた。
 まるで、自分のことをよく分かっているみたいな言い方だ。

「行かないと……」

 半ば誤魔化すみたいに言って、小姫は足早に芝生を横切った。
 背後で、晋一朗が小さく息をはいた。



 木立の奥へ入るにつれ、夏草の匂いが濃くなり、夕暮れの薄暗さが足元へ落ちる。
 獣の唸り声のするほうへ向かっていくと、木々に囲まれた場所で、ノアが低く身構えていた。威嚇しながら、二匹の赤帽子を追い詰めている。武と朔耶が逃げ道を塞ぐ。
 逃げ場を失った赤帽子たちの目は、怒りでぎらぎらと輝いていた。

「ギッギッ!」
「姫さん、賽子を!」

 ころん、と転がった賽子が淡く光る。
 出目を確認するより早く、武の二の腕に『()』の紋様が浮かび上がった。

「俺の出番だな!」

 と、同時に。

「えっ!?」

 頭上から、朔耶の驚く声が聞こえた。
 純白の翼が、光の粒になって消えていく。朔耶の身体が、かくんと傾いた。

「朔耶くん!!」
「待っ──」

 反射的に駆け出した小姫の腕を、晋一朗が掴もうとする。が、指先は虚しく空を切った。
 勢いを殺しきれず、小姫と晋一朗はもつれるようにしてつんのめる。武がとっさに、二人をまとめて抱きとめた。
 その頭上に、朔耶の身体が降ってくる。武は片腕を伸ばし、落ちてきた朔耶を軽々と受け止めた。『怪力』のおかげで、その身体はびくともしない。武の腕は、しっかりと三人を支えていた。

「っぶなぁ……!」

 武にしがみついたまま、朔耶が大きく息をはいた。

「心臓が潰れるかと思ったぁ」
「馬鹿か!!」

 晋一朗が小姫に向かって声を荒げる。

「なぜ飛び出した!?」
「だ、だって……」
「猪かきみは! あのままぶつかっていたら二人とも潰れていたぞ!」

 晋一朗の真剣な眼差しに、小姫は息を呑んだ。

「頼むから、少しは自分の身を顧みてくれ」

 声ににじむ焦りが、かえって胸に刺さる。
 朔耶を助けることしか考えていなかった。
 けれど、もし武が来てくれなければ、本当に大怪我をしていたかもしれない。

「ごめんなさい……」

 そう答えると、晋一朗はようやく力を抜いたように目を伏せた。

 と、そのとき。
 背後からぽんっと音が聞こえた。

「この音、まさか──」

 嫌な予感を覚えつつ、そろりとうしろを振り返る。
 見慣れた金髪の青年が、全裸で芝生の上に四つん這いになっていた。

「きゃぁぁあああっ‼︎」

 小姫はバッと日傘を開いて視界を遮った。
 朔耶が小姫の前に立つ。

「ノアさん隠して! 早く!」
「えっ、どこを?」
「全部だ‼︎」

 きょとんと首を傾げるノアへ、武の怒鳴り声が飛ぶ。
 晋一朗が学生服の上衣を脱いで、ノアに渡した。

「これでなんとかしろ」
「ありがとー」

 のんきに笑って、ノアは素直に学生服を羽織る。

「下を隠せ‼︎」

 赤帽子たちが「ゲタゲタゲタッ!」と耳障りな笑い声を響かせた。

「妖精に笑われてるぞ」
「ひどいなぁ」

 ノアが学生服を腰に巻いて立ち上がる。

「桜姫。もう一回サイコロを振って、ボクを狼に戻してくれない?」
「や、やってみます」

 小姫が賽子を地面へ放つと、鮮烈な青い光とともに、晋一朗の首筋に『()』の紋様が現れた。
 
「──俺か」

 晋一朗の影が、ざわりと揺れる。
 赤帽子たちの笑い声が、ふいに止んだ。
 怯えたように後ずさった一匹の足元へ、黒い影が這う。生き物のようにうねり、そのまま赤帽子の身体へ絡みついた。

「ギャッ!?」
「おらッ、暴れんな‼︎」

 もがく赤帽子を、武がすかさず地面へ組み伏せる。
 もう一匹が木の上へと逃げ出そうとした瞬間、晋一朗が鋭く目を細めた。
 影が地面を滑るように走り、赤帽子の片脚を絡め取る。

「いまだ!」

 小姫は魔導書(グリモワール)の空白の(ページ)を呼び出した。

「此の書に憩い、暫しの安らぎを得よ──」

 呪文に呼応するように光が溢れ、赤帽子たちはゆっくりと本へ引き寄せられていく。

 ──封印できる。
 そう思った、次の瞬間。

「ギィィッ!!」
「……っ⁉︎」

 封印されかけた一匹が、最後の抵抗とばかりに鉤爪を振り上げた。

「小姫!!」

 晋一朗の声が響く。
 避けるより先に、鋭い衝撃が肩を裂いた。

「……くっ」

 肩口が灼けるように熱を持つ。
 淡紅色の着物へ、どっと血がにじんだ。
 
「小姫ちゃん‼︎」
「桜姫‼︎」

 膝をついた小姫の身体を、朔耶とノアが左右から支える。
 小姫は震える指に力を込め、魔導書を支え直した。

「時満ちるとき、然るべき処へ……還さん‼︎」

 強く紡いだ言葉とともに、赤帽子たちの身体が光に呑まれる。断末魔のような叫びを残して、二匹は本の中へと姿を消した。
 ふっと、あたりが静まり返る。

「……っ、小姫ちゃん!」

 静寂のなか、朔耶の強張った声が響く。
 肩口から溢れた血が、ぐっしょりと着物を濡らしていた。
 ノアが小姫を近くの木に寄りかからせながら、晋一朗を呼ぶ。

「止血しないと。……晋一朗!」
「ああ」

 晋一朗はすぐに小姫の傍へ膝をついた。
 しゅる、と黒い影が伸び、小姫の肩へ絡みつく。ぎりぎりと締め付けられる感覚のあと、血の流れが弱まった。

「晋一朗さん……?」
「少し我慢してくれ」

 朔耶が髪のリボンをほどき、差し出した。

「これ使って! 早く!」

 晋一朗が受け取り、影で押さえていた傷口へ素早く巻き付ける。
 ぎゅっと結ばれた途端、鋭い痛みに小姫は小さく息を呑んだ。

「……っう」
「俥まで運ぼう。抱えるぞ、姫さん」

 武が小姫を支え起こそうとした、そのとき。
 低くしわがれた声が、頭の真上から降ってきた。

「まぁ待たれい」