大正妖精綺譚

 日本橋の大通りは、行き交う人々の喧騒に包まれていた。洋装の紳士や袴姿の女学生、杖をついた老人や子供たち。様々な人の姿が見える。
 市電がチン、と警鐘を鳴らしながら横切り、線路脇へ避けた人々の間を、今度は人力俥が駆け抜けていく。
 小姫は人波を縫うようにして石畳を渡ると、大通りから少し外れた小間物屋に立ち寄った。
 色とりどりのリボンや簪、麗糸の手袋が並び、見ているだけで胸が躍る。

「見て、朔耶くん。このリボン可愛い!」
「本当だ。……小姫ちゃんに似合うのは、これかな」

 そう言って、朔耶は薄墨がかった桜色のリボンを手に取った。

「桜色のものはたくさん持ってるだろうけど、こういう落ち着いた色合いは少ないんじゃない?」
「たしかに。大人っぽくて素敵だわ。これにする」

 会計を済ませ、小姫はその場で新しいリボンを髪に結んだ。
 店を出ると、通りの端へ俥を寄せていた武がこちらに気付き、軽く手を上げる。

「お待たせ、武兄」
「いいものはありましたか?」
「うん。はいこれ」

 小姫は抱えていた紙包みのひとつを武へ差し出した。

「なんです?」

 首をかしげながら包みを開いた武が、目を丸くする。
 中には、紺色の麻地に白い蜻蛉柄を染め抜いた手拭いが入っていた。

「いつものお礼と、従者(ヴァレット)にして巻き込んじゃったお詫び」
「そんなん気にしなくていいんだよ。でも、ありがとな」

 武は照れくさそうに鼻をかきながら、手拭いを肩へ掛けた。
 思った通り、よく似合う。

「朔耶くんにも」
「俺は楽しんでるからいいのに。……って」

 包みを開いた朔耶が、ぱちりと瞬きをする。

「これ……」
「お揃いにしちゃった」

 手元の灰桜色のリボンと、小姫の髪を交互に見比べて、朔耶はむくれたように唇を尖らせた。

「小姫ちゃん、俺が男ってこと忘れてないよね?」
「忘れてないけど、朔耶くんも似合いそうだなって」
「それ、褒め言葉として受け取っていいのかなぁ」

 ぶつぶつ言いながらも、嬉しそうにリボンを撫でる。

「ありがと。大事にするよ。ねぇ、髪に結んで?」

 甘えるようにそう言って、朔耶は髪を結びやすいように身をかがめた。
 伏せられた睫毛は驚くほど長く、白い横顔は女の子よりも可憐に見える。屋敷のみんなが気付かなかったのも無理はない。
 妹がいたらこんな感じなのかしら……と、朔耶に怒られそうなことを思いながら、小姫は結び目を整えた。

「はい、できた」
「武さん見て見てー。小姫ちゃんとお揃い!」
「似合ってんぜ、朔耶お嬢さま」

 武が笑いながら、俥に置いていた瓶を差し出す。ビー玉入りのラムネ瓶が、陽射しを受けてきらりと光った。

「待ってる間に買っといた」
「わ、嬉しい」

 小姫はさっそく瓶に口をつけた。しゅわりと弾ける冷たさが喉を抜ける。

「冷たーい。おいしー!」
「姫さん、それ一気に飲むもんじゃないぞ?」
「だって暑いんだもの」
「小姫ちゃんって豪快だよねぇ」

 一気に飲み干した小姫の隣で、ちびちびとラムネ瓶を傾けていた朔耶がくすりと笑う。
 そのとき、通りの向こうに見覚えのある姿が見えた。詰め襟の学生服姿の晋一朗が、こちらに気付いて足を止める。

「小姫さん?」

 からん、と瓶の中でビー玉が音を立てた。
 いつもとは違う姿が新鮮で、ついまじまじと見つめてしまう。

「晋一朗さん。……その格好」
「学校帰りですから」

 当然だろう、とでも言いたげに返したあと、晋一朗は小姫の隣へ視線を向けた。

「お友達ですか?」

 涼しい顔で問いかけられ、朔耶がぶふっと吹き出した。
 晋一朗が怪訝そうに眉をひそめたとき、うしろからパタパタと靴音が聞こえた。背広姿のノアが駆け寄ってくる。

「待ってよ晋一朗──って、桜姫! 武クンに、朔耶クンも!」
「……えっ?」

 ぎょっと目を見開いた晋一朗に、朔耶が堪えきれないように笑いだす。

「あはははっ、まったく気付いてない!」
「ボクはすぐに分かったよ!」

 ぽかんとする晋一朗の横で、ノアが得意げに胸を張る。

「朔耶くん、なのか……?」
「あまりの可愛らしさに驚いた?」

 しなだれかかる朔耶を、晋一朗は露骨に嫌そうな顔で押し返した。

「なぜ女性の格好をしている。この時間ここにいるということは、盈月座(えいげつざ)は休みなのだろう?」
「そうだよ。小姫ちゃんとデートするために変装してるってわけ。一応、晋一朗さんにも気を遣ってあげたつもりなんだけど?」
「別に、気を遣われる理由はないが……」

 晋一朗の視線が小姫に向く。

「……よく二人で出掛ける気になったな」
「えっ?」

 思わぬ方向から話を振られ、小姫はぱちぱちと瞬きする。

「武兄も一緒だけど?」
「そういう問題ではなく……」

 晋一朗はそこで言葉を切り、深々とため息をついた。

「まあいい。これから日比谷公園に行く。おまえたちもついてこい」
「日比谷公園?」

 小姫は鸚鵡返しで聞き返す。
 大噴水や花壇が配置された、洋風近代式公園だ。ピクニックにはもってこいの場所だけれど、まさかそのお誘いではあるまい。

「妖精のしわざと思われる事象が、複数噂されている。ノアと調査に行くところだ」
「なるほど」

 晋一朗の言動には妖精がつきものなのは分かってはいたけれど、少しだけがっかりしてしまう。
 それと同時に、そんな自分に驚いた。
 これではまるで、晋一朗ともお出掛けを楽しみたかったみたいではないか。

「残念だったね」

 朔耶がこっそりと肩を寄せてくる。

「別に、ピクニックなんて興味ないわ」
「ピクニック?」
「……なんでもない。なにが残念なの?」
「晋一朗さんは騙せないって言ってたからさ」

 たしかに、晋一朗なら朔耶の変装をすぐに見抜くと思っていた。否、期待していたのかもしれない。
 
「俺が可愛すぎるせいで、ごめんね?」
「もうっ! 可愛いけど可愛くない!」

 くすくす笑いながら覗き込んでくる朔耶の頬にラムネ瓶を押しつけながら、小姫はノアを振り返った。

「それで、どんな噂があるんです?」
「何者かに足や腕を切りつけられたり、転ばされたり、石を投げられたりするんだって」

 ノアが困ったように眉尻を下げる。

「そんなに凶暴な妖精がいるんですか?」

 いままで見てきた妖精たちからは、そのような悪意は感じなかった。
 無意識にまわりに影響を与えてしまうことはあっても、意識的に人間を傷付ける妖精がいるなんて。
 これ以上の被害が出る前に、妖精を封印しなければ。
 小姫はぱっと顔を上げた。

「早く行きましょう!」