大正妖精綺譚

「小姫!」
「うまくいった?」

 先に外へ出ていた瑠生とタビが駆け寄ってくる。

「ええ、ちゃんと保護できたわ」

 ほっと息をついたとき、ぐら、と足元が揺れた。遅れて、ひりつくような痛みが走る。どうやら靴擦れを起こしているらしい。

「痛っ……」
「大丈夫かい」
「これくらいなんとも──」

 言い終える前に、視界がふっと持ち上がる。

「わぁっ⁉︎」

 気付いたときには、瑠生の腕に抱き上げられていた。
 やわらかな灯りの下、淡い舞踏服の裾がふわりと揺れる。

「大きくなったねぇ」
「重たくなったって言いたいの⁉︎」

 バシバシと瑠生の肩を叩くが、当の本人は楽しそうに笑っていた。その腕は揺らぐことなく、小姫を引き寄せて降ろそうとしない。

「もうっ、自分で歩けるよ!」
「分かってる。けど、歩かせたくない」

 はっきりと言い切られ、小姫は暴れるのを諦めて瑠生の首に腕を回した。
 タビが羨ましそうにこちらを見上げる。

「だっこ、いいなぁ!」
「……いいでしょう」

 開き直って答えると、ふいに晋一朗と目が合った。なにか言いたげに目を細めたかと思うと、小さく肩をすくめる。

「僕は戻って姉と合流しないと。男爵の様子も見ておきます」
「明日には、神隠しの噂でも立つかもね」

 瑠生が機嫌良く言った。

「では、今日のところはこれで──」
「あっ……」

 晋一朗はそれ以上なにも言わず、軽く会釈をすると、迷いのない足取りで屋敷へと戻っていった。
 漠然とした名残惜しさを感じながらその背中を見送っていると、瑠生がふいに口を開いた。

「少し庭を散歩しようか」
「……このまま?」
「うん。このまま」

 夜の庭園はひっそりとしていて、抱き上げられたまま見渡す景色は、どこか現実味が薄い。
 瑠生は歩みをゆるめることなく、そのまま石畳を進んでいく。足元にはタビが寄り添っていた。

「さっきの……」

 瑠生が群青色の瞳を細める。

「本の中に、妖精が吸い込まれたように見えたけれど」
「うん。元いた場所に還るときまで、この中で眠ってもらうの」
「柳瀬くんはどこまで知っているの?」
「妖精の保護は、元々は彼と、彼の仕事仲間のグレンヴィルさんという方の活動だったの。けれど、私が妖精を逃がしてしまって────」

 瑠生の腕に揺られながら、小姫はぽつぽつとこれまでの経緯を説明した。
 やがて長椅子に辿り着くと、ようやくそこへ降ろされる。
 並んで座ると、瑠生は寂しげに小姫を見つめた。

「どうしてはじめから僕に言ってくれなかったの」
「……余計な心配をかけたくなくて」

 瑠生に知られたら、いま以上に過保護になる。危ないからと、なにもさせてもらえなくなる気がした。

「環や髙澤(たかざわ)は従者にしたのに?」
「それは、成り行きで……」
「……ねえ、賽子を見せてくれる?」
「いいけど」

 小姫は懐から取り出した賽子を、そっと手のひらに乗せた。多面体に磨かれた瑠璃が、きらりと光る。
 その手をすくい上げるように、瑠生が下から手を重ねた。しっかりと掴まれて、指先が逃げ場を失う。

「瑠生……?」
「綺麗な石だね」

 静かに覗き込んだかと思うと、そのまま手を引き寄せられる。
 瑠生は賽子ごと、小姫の手のひらを自分の胸へと押し当てた。

「瑠生⁉︎ なにを──」

 とくん、と鼓動を感じた、次の瞬間。
 小姫の指の隙間から紫色の閃光が迸り、夜の闇を一瞬照らした。

「……っ⁉︎」

 なにが起きたのか理解が追いつかず、言葉が詰まる。
 瑠生はタイを解いて、シャツのボタンをいくつか外した。
 襟元から覗く白い肌。鎖骨の下──胸の中央に、『()』という符号が浮かび上がっている。

「うまくいったみたいだ」
「どうして……」
「こんなに楽しそうなこと、僕だけ仲間外れになんてさせないよ」

 瑠生は確かめるように紋様に触れ、ほんのわずかに口元をゆるめた。

「これで、僕もきみの従者(ヴァレット)だね」