大正妖精綺譚

「そんなことよりお兄さま、聞いてくださる⁉︎ 晋一朗さんったらひどいのよ‼︎ 私がいるのに芸者遊びをなさっていたの‼︎」
「──それは本当かな、柳瀬くん」

 必要以上に声を大にして訴えると、瑠生は底冷えするような視線を晋一朗に向けた。わざと「お兄さま」と呼んだのに、もしかしたらこちらの意図が伝わっていないのかもしれないと思うほどの眼差しだ。
 一瞬怯んだように言葉を詰まらせた晋一朗だったが、すぐに短く言い返す。

「仕事です」
「私の知らないところで女性と会っていたのは事実でしょう⁉︎」

 渋い顔をする晋一朗に言いつのる。彼の表情だけは、演技ではなく素であろう。
 瑠生が白峰男爵を振り返った。

「申し訳ございません、白峰様。私は妹の援護をしなくてはならなくなってしまいました」
「そのようですね」

 白峰男爵は苦笑して、それから周囲を見渡した。

「……澪子もこのあたりにはいないようです。もう一度屋敷内を探してみます」

 婚約者の男もそれに頷く。
 このままやり過ごせるかと思った、次の瞬間。

 ──ぱきり、と乾いた音が響いた。
 男爵の視線が、ゆっくりと澪子たちの隠れているほうへ向かう。

「いまの音は……」
「待っ──」

 小姫が一歩踏み出しかけた、そのとき。

「…………」

 澪子がしずしずと木陰から現れた。
 なにごともなかったかのように、小さく首をかしげている。

「澪子、そんなところにいたのか」

 澪子は無言のまま、にこりとやわらかく微笑んだ。その仕草は、先程までとなにひとつ変わらないように見える。
 けれど、小姫はほんのわずかな違和感を覚えた。澪子の腕の中にいたはずの、小さな影が見あたらない。

「あっ……」

 そこでようやく、目の前の澪子は白玉が変身した姿なのだと気が付いた。
 男爵はなにも感じないのか、白玉が化けている澪子の背中を軽く押す。

「戻るぞ、澪子」

 こくりと頷き、白玉はおとなしく歩き出した。
 足音が遠ざかり、庭に静けさが戻る。
 小姫はすぐに木の裏へと駆け寄った。

「澪子さま──」

 そこにいたのは、本物の澪子とゼファーだった。
 あとを追ってきた瑠生が息を呑むのが聞こえる。

「白玉が……」

 澪子が声を震わせた。

「案ずるな。すぐに我が取り返してこよう」
「ちょっ──待って‼︎」

 躊躇なく屋敷へ向かおうとするゼファーを、小姫は慌てて引き止める。
 見るからに人ならざる森の精霊が姿を現せば、広間は大混乱になるだろう。
 先程の様子からして、ゼファーは人間を攻撃することにためらいがない。下手をすれば怪我人が出る。

「私が白玉を助けるから、あなたたちは早く行って!」
「ですが……」
「白玉は澪子さまのために、自ら囮を買って出たの。白玉のためにも、早くここを抜け出さないと」

 唇をきゅっと結び視線を落とす澪子を見て、小姫は晋一朗を振り返った。
 なにも言わぬうちに、晋一朗は察したように小さく頷く。その反応に背中を押されるように、小姫は澪子へ向き直った。

「実は、妖精を保護する手段があるんです。一時的に、安全な場所に移すことができます」
「本当ですか⁉︎」

 白玉を会場から連れ出すことさえできれば、魔導書を使うことができる。
 言葉を選びながら、小姫は続けた。

「けれど、すぐに会うことはできません。再会までに、少し時間がかかるかもしれない。それでもよければ──」
「お願いします」

 澪子はこちらを疑うこともなく、小姫の目を見てはっきりと頷く。
 そのとき、黙って成り行きを見守っていた瑠生が口を開いた。

「──先程から聞いていれば、妖精だとか保護だとか、いったいどういうことだい?」
「瑠生……」
「そういうお主は何者だ?」

 ゼファーの銀の瞳が、まっすぐに瑠生へと向けられている。

「妖精の気配がする。守護──いや、これは……」
「悪いけど、僕は妖精だなんて信じないよ。あなたのその姿も、余興の扮装なのでは?」
「瑠生! いまはそんな場合じゃないの!」
 
 小姫は澪子へ向き直った。

「行ってください。白玉のことは、私が必ず」

 安心させるように笑ってみせると、澪子が小姫の手をぎゅっと握った。小姫も硬く握り返す。

「小姫さま。二度も助けていただき、ありがとうございます」
「今度会ったら、ゆっくりお茶でもしましょうね」
「ええ。ぜひ……!」

 指先がゆっくりと離れる。
 澪子がゼファーへ視線を向けると、彼はなにも言わず隣に並んだ。
 二人は寄り添うように庭の奥へ歩き出し、夜の闇に溶けるように姿を消した。
 風が、あとを追うように木々を揺らす。ざわめきだけがその場に残った。

「……それで?」

 背後から、低い声が落ちる。
 瑠生が、まっすぐにこちらを見ていた。

「説明してもらえる?」
「見ての通りよ」

 小姫が肩をすくめてみせると、瑠生は小さく眉を寄せる。

「見たままでは分からないな」
「妖精だって言ったでしょう。先程の彼も、澪子さまのふりをして屋敷に戻ったあの子も、妖精なのよ。私は彼らを助けたいの。もちろん、澪子さまのことも」
「ひとりを助ければ、別のところで歪みが出る。白峰家だって騒ぎになるよ」

 瑠生の声は、責めるというより、静かに現実を突きつけるようだった。

「だからって、なにも選ばない理由にはならない。閉じ込められたまま、なにも知らずに生きるなんて、そんなの澪子さまがお可哀想」
「感情のままに動かないよう、いつも言っているだろう?」

 言葉を遮るように告げられ、小姫は唇を噛む。

「感情論だけでもありませんよ」

 晋一朗が静かに口を挟んだ。

「森の精霊は力の強い妖精です。ああいった存在は、より大きな問題を引き起こしかねない。本来でしたら彼も保護したかったところですが、澪子さんがいれば大丈夫でしょう。二人を行かせるという小姫さんの判断は、結果的に被害を最小限に抑えています」

 ちらりと晋一朗を睨んだのち、瑠生はふっと息をはいた。

「勝手にしろ、と言いたいところだけれど、小姫が巻き込まれて……いや、率先して首を突っ込んでいるのを、黙って見過ごすわけにはいかないな。婚約者に騙されていないとも限らないしね」
「ご心配なく。偽装ですから」
「芸者遊びのこと?」
「婚約そのものですよ」
「あっ、ちょっ……晋一朗さん⁉︎」

 せっかく瑠生に隠していたのに、あまりにもあっさりと晋一朗が告げてしまった。

「この人には、説明しておいたほうがいいだろう」
「へぇ……。偽装だったんだ?」

 瑠生がゆっくりと振り向く。小姫は「う……」と首をすくめた。

「そういうことにしておいたほうが、なにかと都合がよかったのよ」
「ならいいや」
「えっ?」

 てっきり恨みがましげに文句を言われると思っていたら、予想外に淡白な反応が返ってきた。

「詳しい話はあとで聞くよ。それより小姫は、澪子さまのふりをしている妖精を助けたいんでしょう? 急がないと」
「そうだけど……。どうして急に信じる気になったの」
「別にあれが妖精だろうとなんだろうと、僕には関係ないよ。ただ、婚約を偽装した理由があれらにあるなら、さっさと片付けたいだけさ。……ほら、行くよ」

 小姫と晋一朗が顔を見合わせている間に、瑠生はさっさと踵を返し、屋敷のほうへ歩き出していた。