久しぶりに踊るのに、思ったよりもなめらかに身体が動いて、肩の力がふっと抜ける。
先程までの居心地の悪さが、少しだけ遠のいた気がした。
「意外と踊れるんだな」
「あなたこそ」
くるくると回りながら、晋一朗と言葉を交わす。
「それで、どうしてここへ?」
「父の代理で姉と来ている。おまえは?」
「瑠生と一緒よ。一人で挨拶に行っちゃったわ」
無作法ではないかと気になるけれど、こういった場で、瑠生はどうしてか小姫を人前に出したがらない。
到着時のような陰口から守ろうとしてくれているのかもしれないけれど、瑠生ばかりが受け止める必要はないはずだ。
「前から思っていたのだが、どうして兄を呼び捨てにしている?」
「……私のほうが先だったから」
そう言うと、晋一朗はよく分からないというふうに首をかしげた。
松蔵の庶子とされてはいても、小姫も瑠生も、櫻宮家との血のつながりは一切ない。
けれど、それを引け目に感じたことは一度もなかった。松蔵は少々甘いのではないかと思うくらい、小姫と瑠生を大事にしてくれている。
血は水よりも濃し、なんて言うけれど、血より濃い水だってあるはずだ。
是松一家の再興が一番の夢ではあるけれど、もし家族以上に大切な人ができることがあれば、小姫は自身の生まれについて、全て打ち明けるつもりでいる。
もっとも、晋一朗はあくまで偽装の婚約者なのだから、そこまで説明する必要はない。
「どうした?」
「……強くなりたいと思って」
櫻宮の家名や瑠生に守られるばかりではなく、自分自身の力で生きていきたい。
胸の奥にあった思いが、ふいに口をついて出た。
「おまえは十分、強いと思うけどな」
「え……?」
思いがけない晋一朗の言葉に、ついきょとんとしてしまう。
その拍子に、足がもつれた。
「わっ⁉︎」
ぐらりと体勢が崩れかけた瞬間、ぐっと腰を引き寄せられた。抱き寄せられるような形になって、晋一朗との距離がぐんと縮まる。
「急に止まるな」
「あなたが変なこと言うから……」
なんだか晋一朗には、しょっちゅう助けられているような気がする。
落ち着かなくなって顔を背けると、そらした先で、群青色の瞳と視線がぶつかる。
挨拶を終えたらしい瑠生が、人の流れの向こう側からこちらを見ていた。
人混みの中でもすぐに分かる、整った姿。けれどその表情は、いつものやわらかなものとは少し違って見えた。
「怒ってる……?」
「別に怒ってない」
「あなたじゃなくて──」
視線を戻して言いかけたとき、ぐいと腕を引っ張られた。身体が傾いて、固い胸に顔から飛び込む。
「ぶっ……!」
見上げると、いつの間に来たのか、瑠生の白い喉が目に入った。身長差のせいで、至近距離では表情まで窺えない。
「瑠生? 急に引っ張らないでよ!」
「ごめんごめん。大丈夫?」
軽い調子で謝るけれど、瑠生は離れる気配がない。そのまま腕の中に閉じ込められた。
「どうしたの?」
「離れていたから、少し心配だったんだ」
責めるでも怒るでもない、どこか平坦な声が間近で響く。
「櫻宮さん──」
割って入った晋一朗が、まっすぐに瑠生を見た。
「はじめまして、柳瀬晋一朗です」
「……ああ、きみが」
瑠生はわずかに目を細め、ほんの一瞬だけ晋一朗の全身をなぞった。
「小姫の婚約者……だっけ?」
やわらかに返す声。けれど、小姫に回された手は離れない。
「ええ。ご挨拶が遅くなりました」
晋一朗は視線をそらさず、静かに一歩前に出る。
二人に挟まれるような形になって、小姫は息苦しさに似た気まずさを覚えた。
「彼女に舞踊にお付き合いいただいていました」
「そう。もう返してもらってもいいかな?」
瑠生はわずかに微笑んで、少しだけ小姫を引き寄せる。
「いい加減、兄弟離れしてよね……」
思わずこぼすと、瑠生は一瞬だけ目を瞬かせて、それからいつもの笑みに戻った。
「それは無理かな。だって、小姫は僕のものでしょう?」
「瑠生」
さっきから聞いていれば、いくら家族とはいえ、返すだのものだのと、いささか失礼ではないだろうか。
上目遣いに瑠生を睨むと、彼はくすりと笑って、ようやく腕の力をゆるめた。
「冗談だよ。柳瀬くん、小姫の相手をしてくれてありがとう」
「……いえ」
そのとき、甲高い悲鳴が聞こえてきた。
「キャーッ‼︎」
「なに……?」
視線の先で、給仕の銀盆がひっくり返り、グラスが床に飛び散った。花の飾られた卓からは花びらが舞い落ち、周囲では人々がつまづくように転んでいる。
まるで、見えないなにかに翻弄されているかのような騒ぎだ。
「もしかして……」
妖精のしわざ、かもしれない。
晋一朗を振り返ると、彼も同じことを思ったのか、こくりと小さく頷いた。
視線を走らせ、騒ぎの元凶を探す。すると、視界の端でなにかが跳ねた。
白く細長い身体に、ふさふさの尻尾──鼬のような生き物が、するすると床を走っている。
足元をくぐり抜けられた人々が次々と転倒した。
「見つけた……!」
小姫は周囲を見回して、そっと舞踏服の裾をつまんだ。そして、鼬の進行方向に踏み込むと同時に裾を持ち上げ、そのままバサリと座り込む。やわらかな布がふわりと広がり、鼬を覆った。舞踏服の下で鼬がばたばたと暴れるのを、小姫は上から押さえ込んだ。
「捕まえた!」
「小姫さん⁉︎」
突然駆け出した小姫を追ってきた晋一朗が、ぎょっとした様子で足を止める。
「おい、もしかしてその中に──」
「今日はさすがに本は持ってこられなかったから」
「だからって、おまえ……」
「仕方ないでしょ」
魔導書に封印ができないのなら、物理的に捕まえるしかない。
めずらしく目を白黒させる晋一朗に小声で言い返し、裾を丸めて鼬の動きを完全に封じた。
「危害は加えないから、おとなしくしていて」
布越しにささやくと、鼬は「きゅう」と小さく鳴いて静かになった。
小姫は芝居がかった仕種で額に手を当て、天を仰ぐ。
「嗚呼っ、人に酔ってしまったわ! 晋一朗さん、外の空気を吸いたいわ! 連れて行ってくださる⁉︎」
大根役者なのは承知している。
ぐいと袖口を引くと、晋一朗は眉間に皺を寄せたまま、ため息とともにその場にかがんだ。
「……失礼」
雰囲気もへったくれもなく、晋一朗は軽々と小姫を抱え上げた。
こうして抱き上げられるのは二回目だ。前回は動揺してそれどころではなかったが、意外と力があるのだな、と改めて思う。男の人なんだ、と妙なところで実感してしまった。
なんだか落ち着かなくなって、そわそわしていると、人混みをかき分けて瑠生が走り寄ってきた。
「小姫! どうしたの⁉︎」
幸い、鼬を捕まえるところは見られていなかったようだ。瑠生は心配そうに小姫の顔を覗き込む。
「大丈夫⁉︎」
「人酔いしてしまったようです。少し庭で涼んできます」
晋一朗が答えると、瑠生は迷いなく手を伸ばす。
「代わろう」
「私は大丈夫だから、向こうを手伝ってきてあげて」
やんわりと断って、小姫は騒ぎに戸惑っている客たちのほうへ視線を向けた。
「あんなのどうだって──」
「晋一朗さんのお姉さまもいらしているの。心配だから、様子を見てきて」
「……分かった」
瑠生は一拍おいてから、諦めるようにゆっくりと息をはいた。晋一朗をまっすぐに捉え、刺すような視線を送る。
「頼んだよ」
そう言って、瑠生はようやく踵を返した。
人の流れの中へ戻っていく背中を見送っていると、晋一朗がぽつりとつぶやく。
「嫌われてしまったようだな」
「瑠生は誰にでもあんな感じよ」
「……そうだろうか」
先程までの居心地の悪さが、少しだけ遠のいた気がした。
「意外と踊れるんだな」
「あなたこそ」
くるくると回りながら、晋一朗と言葉を交わす。
「それで、どうしてここへ?」
「父の代理で姉と来ている。おまえは?」
「瑠生と一緒よ。一人で挨拶に行っちゃったわ」
無作法ではないかと気になるけれど、こういった場で、瑠生はどうしてか小姫を人前に出したがらない。
到着時のような陰口から守ろうとしてくれているのかもしれないけれど、瑠生ばかりが受け止める必要はないはずだ。
「前から思っていたのだが、どうして兄を呼び捨てにしている?」
「……私のほうが先だったから」
そう言うと、晋一朗はよく分からないというふうに首をかしげた。
松蔵の庶子とされてはいても、小姫も瑠生も、櫻宮家との血のつながりは一切ない。
けれど、それを引け目に感じたことは一度もなかった。松蔵は少々甘いのではないかと思うくらい、小姫と瑠生を大事にしてくれている。
血は水よりも濃し、なんて言うけれど、血より濃い水だってあるはずだ。
是松一家の再興が一番の夢ではあるけれど、もし家族以上に大切な人ができることがあれば、小姫は自身の生まれについて、全て打ち明けるつもりでいる。
もっとも、晋一朗はあくまで偽装の婚約者なのだから、そこまで説明する必要はない。
「どうした?」
「……強くなりたいと思って」
櫻宮の家名や瑠生に守られるばかりではなく、自分自身の力で生きていきたい。
胸の奥にあった思いが、ふいに口をついて出た。
「おまえは十分、強いと思うけどな」
「え……?」
思いがけない晋一朗の言葉に、ついきょとんとしてしまう。
その拍子に、足がもつれた。
「わっ⁉︎」
ぐらりと体勢が崩れかけた瞬間、ぐっと腰を引き寄せられた。抱き寄せられるような形になって、晋一朗との距離がぐんと縮まる。
「急に止まるな」
「あなたが変なこと言うから……」
なんだか晋一朗には、しょっちゅう助けられているような気がする。
落ち着かなくなって顔を背けると、そらした先で、群青色の瞳と視線がぶつかる。
挨拶を終えたらしい瑠生が、人の流れの向こう側からこちらを見ていた。
人混みの中でもすぐに分かる、整った姿。けれどその表情は、いつものやわらかなものとは少し違って見えた。
「怒ってる……?」
「別に怒ってない」
「あなたじゃなくて──」
視線を戻して言いかけたとき、ぐいと腕を引っ張られた。身体が傾いて、固い胸に顔から飛び込む。
「ぶっ……!」
見上げると、いつの間に来たのか、瑠生の白い喉が目に入った。身長差のせいで、至近距離では表情まで窺えない。
「瑠生? 急に引っ張らないでよ!」
「ごめんごめん。大丈夫?」
軽い調子で謝るけれど、瑠生は離れる気配がない。そのまま腕の中に閉じ込められた。
「どうしたの?」
「離れていたから、少し心配だったんだ」
責めるでも怒るでもない、どこか平坦な声が間近で響く。
「櫻宮さん──」
割って入った晋一朗が、まっすぐに瑠生を見た。
「はじめまして、柳瀬晋一朗です」
「……ああ、きみが」
瑠生はわずかに目を細め、ほんの一瞬だけ晋一朗の全身をなぞった。
「小姫の婚約者……だっけ?」
やわらかに返す声。けれど、小姫に回された手は離れない。
「ええ。ご挨拶が遅くなりました」
晋一朗は視線をそらさず、静かに一歩前に出る。
二人に挟まれるような形になって、小姫は息苦しさに似た気まずさを覚えた。
「彼女に舞踊にお付き合いいただいていました」
「そう。もう返してもらってもいいかな?」
瑠生はわずかに微笑んで、少しだけ小姫を引き寄せる。
「いい加減、兄弟離れしてよね……」
思わずこぼすと、瑠生は一瞬だけ目を瞬かせて、それからいつもの笑みに戻った。
「それは無理かな。だって、小姫は僕のものでしょう?」
「瑠生」
さっきから聞いていれば、いくら家族とはいえ、返すだのものだのと、いささか失礼ではないだろうか。
上目遣いに瑠生を睨むと、彼はくすりと笑って、ようやく腕の力をゆるめた。
「冗談だよ。柳瀬くん、小姫の相手をしてくれてありがとう」
「……いえ」
そのとき、甲高い悲鳴が聞こえてきた。
「キャーッ‼︎」
「なに……?」
視線の先で、給仕の銀盆がひっくり返り、グラスが床に飛び散った。花の飾られた卓からは花びらが舞い落ち、周囲では人々がつまづくように転んでいる。
まるで、見えないなにかに翻弄されているかのような騒ぎだ。
「もしかして……」
妖精のしわざ、かもしれない。
晋一朗を振り返ると、彼も同じことを思ったのか、こくりと小さく頷いた。
視線を走らせ、騒ぎの元凶を探す。すると、視界の端でなにかが跳ねた。
白く細長い身体に、ふさふさの尻尾──鼬のような生き物が、するすると床を走っている。
足元をくぐり抜けられた人々が次々と転倒した。
「見つけた……!」
小姫は周囲を見回して、そっと舞踏服の裾をつまんだ。そして、鼬の進行方向に踏み込むと同時に裾を持ち上げ、そのままバサリと座り込む。やわらかな布がふわりと広がり、鼬を覆った。舞踏服の下で鼬がばたばたと暴れるのを、小姫は上から押さえ込んだ。
「捕まえた!」
「小姫さん⁉︎」
突然駆け出した小姫を追ってきた晋一朗が、ぎょっとした様子で足を止める。
「おい、もしかしてその中に──」
「今日はさすがに本は持ってこられなかったから」
「だからって、おまえ……」
「仕方ないでしょ」
魔導書に封印ができないのなら、物理的に捕まえるしかない。
めずらしく目を白黒させる晋一朗に小声で言い返し、裾を丸めて鼬の動きを完全に封じた。
「危害は加えないから、おとなしくしていて」
布越しにささやくと、鼬は「きゅう」と小さく鳴いて静かになった。
小姫は芝居がかった仕種で額に手を当て、天を仰ぐ。
「嗚呼っ、人に酔ってしまったわ! 晋一朗さん、外の空気を吸いたいわ! 連れて行ってくださる⁉︎」
大根役者なのは承知している。
ぐいと袖口を引くと、晋一朗は眉間に皺を寄せたまま、ため息とともにその場にかがんだ。
「……失礼」
雰囲気もへったくれもなく、晋一朗は軽々と小姫を抱え上げた。
こうして抱き上げられるのは二回目だ。前回は動揺してそれどころではなかったが、意外と力があるのだな、と改めて思う。男の人なんだ、と妙なところで実感してしまった。
なんだか落ち着かなくなって、そわそわしていると、人混みをかき分けて瑠生が走り寄ってきた。
「小姫! どうしたの⁉︎」
幸い、鼬を捕まえるところは見られていなかったようだ。瑠生は心配そうに小姫の顔を覗き込む。
「大丈夫⁉︎」
「人酔いしてしまったようです。少し庭で涼んできます」
晋一朗が答えると、瑠生は迷いなく手を伸ばす。
「代わろう」
「私は大丈夫だから、向こうを手伝ってきてあげて」
やんわりと断って、小姫は騒ぎに戸惑っている客たちのほうへ視線を向けた。
「あんなのどうだって──」
「晋一朗さんのお姉さまもいらしているの。心配だから、様子を見てきて」
「……分かった」
瑠生は一拍おいてから、諦めるようにゆっくりと息をはいた。晋一朗をまっすぐに捉え、刺すような視線を送る。
「頼んだよ」
そう言って、瑠生はようやく踵を返した。
人の流れの中へ戻っていく背中を見送っていると、晋一朗がぽつりとつぶやく。
「嫌われてしまったようだな」
「瑠生は誰にでもあんな感じよ」
「……そうだろうか」
