大正妖精綺譚

 自室に入った小姫は、ようやく肩の力を抜いて息をついた。

「喋っちゃだめって言ったでしょう?」

 座布団の上にタビを下ろすと、ぱたりと尻尾を揺らしてこちらを見上げる。

「ねえねえ。ぼくのなまえ、タビ?」
「そうよ。気に入った?」
「うん!」
「ならいいけど……」

 自分が連れて帰ってきたのに、命名権を松蔵に取られてしまったのが、なんだか悔しい。
 ほんの少しだけ、是松(これまつ)の気持ちが分かったような気がした。

「それより、他の人の前では普通の猫のふりをする約束でしょう?」

 声をひそめてたしなめると、タビはきょとんと首をかしげる。

「にゃあにゃあ?」
「ちょっとわざとらしいけど、そんな感じ」

 棒読み加減に笑いながらタビの頭を撫でていると、襖の向こうから控えめな声が聞こえてきた。

「小姫お嬢さま」
「……たま(にい)? どうぞ」
「失礼いたします」

 静かに襖が開いて、お盆に小さな器を乗せた(たまき)が入ってくる。

「旦那さまが、これを猫にと──」
「ごはんっ?」

 タビが目を輝かせて、環の足元へ駆け寄った。
 お盆を持つ環の手が、ガタッと揺れる。

「ごっ、ごはん⁉︎ ごはんを持ってきてくれたのね⁉︎ ありがとうたま兄‼︎」

 大声でまくし立てながら、小姫はタビを抱き上げて袖で覆った。
 ゆっくりと瞬きをした環が、眼鏡を押し上げながら静かに口を開く。

「……いまのは」
「なっ、なにっ?」
「猫が喋ったように見えましたが」
「気のせいじゃないかしら⁉︎」

 じり、と距離を詰められる。
 環は背をかがめて、小姫の顔を覗き込んだ。眼鏡の奥から、確かめるような視線を投げかけられる。

「お嬢さま」
「いまのは、ええと……そう、腹話術!」

 小姫の苦し紛れの言い訳に、環は小さく息をつくと、お盆を置いて正座した。

「そういえば、昼間の件について、まだ詳しい説明を伺っておりませんでしたね。改めて、お聞かせいただけますか」
「うっ」

 思わず、腕の中のタビを抱き寄せる。
 すると、タビは「にゃあ」と鳴いて小姫を見上げた。

「かんねんしたら?」
「…………そうね」

 これでは誤魔化しきれない。
 タビに諭され、小姫はがくっと肩を落とした。



「────妖精、ですか」
「そう。信じてくれる?」

 おそるおそる問いかけると、環の視線がすっとタビに向けられた。
 タビは器に顔を突っ込み、夢中でごはんを頬張っている。

「これ、おいしいね!」
「食べながら喋らないように」
「はぁい」

 素直に返事をするタビに、環はわずかに目を細めた。

「お嬢さまがどれほど腹話術に長けていようと、これほどの芸当はできないでしょう。ですので、本物なのだろうな……と。墓地での件もありますしね」
武兄(たけるにい)もたま兄も、理解が早くて助かるわ」

 小姫はほっと胸をなで下ろした。
 思っていたよりもあっさりと受け入れてくれるのは、実際に見ているからなのだろう。

「おや、髙澤(たかざわ)くんも知っているのですか?」
「うん。武兄も従者(ヴァレット)なの」
「従者というのは?」

 どう言えばうまく伝わるのか考えて、小姫は懐から『妖精王の賽子(サイコロ)』を取り出した。

「これなんだけど……、あっ‼︎」

 指先が滑って、賽子が転がり落ちる。ころころと畳の上を転がって、四の面を上にしてぴたりと止まった。
 次の瞬間、ぱんっと弾けるように、橙色の明るい光が広がる。

「やっちゃった!」
「なにが起こったんです?」
「賽子を転がすと、出た目の従者の力が解放されるの」
「四はどなたなんですか」
「武兄」

 本人が目の前にいなくても力の解放ができるのかは分からない。けれど、もし発動してしまったら、いまごろ武は急に『怪力』になって困っているかもしれない。なにかを壊してしまう可能性もある。

「使用人棟に行ってくる!」

 武は敷地内の別棟で、両親や弟たち家族と暮らしている。
 様子を確認しに行こうと、小姫は慌てて立ち上がった。すると、今度は足先で賽子を蹴飛ばしてしまう。

「わぁっ⁉︎」
「お嬢さま、落ち着いてください」

 部屋の隅まで転がった賽子の出目を確認するより早く、濃い緑の光とともに、環の頬に『()』の紋様が浮かび上がった。

「……ごめん、たま兄」
「つまり私は、五の目の従者なんですね。たしか、ノアさんという方が『妖精を誘引する』能力だと仰っていましたが──」

 環が賽子の出目を確認しながら言った、そのとき。
 視界の端を、なにかがよぎった。てのひらほどの大きさの影が、畳の上をさささっと走る。
 ごはんを食べ終え、毛繕いをしながらくつろいでいたタビが「にゃっ!」と鳴いた。

小人(ブラウニー)がきたよ!」
「小人?」
「小さな妖精さんだよ。たまにぃの匂いにつられてでてきたみたい」
「たま兄の匂い?」

 妖精を誘引する能力により、なんらかの香りが発生したのだろうか。
 くんくんと鼻をひくつかせてみるが、小姫には感じ取ることはできなかった。

「お嬢さま、小人が──」
「えっ?」

 視線を移すと、髭を蓄えてとんがり帽子をかぶった子鬼のような妖精が、『妖精王の賽子』を持ち上げているところだった。
 小人は小姫と目が合うと、びっくりした顔をして、賽子を持ったまま部屋を出ていってしまう。

「ちょっと待って……‼︎」