「猫が……喋った……」
「ぼく、ねこじゃないよ」
尻尾をゆらりと揺らして、黒猫が答えた。
猫じゃないと言っているけれど、その姿はどう見ても猫だ。顔つきがまだ幼いせいか、耳が大きくみえる。
「おまえ、もしかして猫の妖精か……?」
「そぉだよ」
晋一朗の声がわずかに弾む。
「妖精と会話できるとは……」
「よかったね」
他人事のように返しながら、黒猫は「よいしょ」と箱から抜け出してきた。
小姫が受け止めてそのまま膝に乗せると、嬉しそうに身体を丸める。
「具合はどう?」
「なんともないよ」
気が付けば、先ほどまでの衰弱が嘘のように、毛並みがつややかになっていた。指先に触れる感触も、頼りなさはなくなっている。妖精ならではの回復力なのだろうか。
「どうしてあの場所に倒れていたの?」
背中を撫でながら尋ねると、黒猫はついっと鼻を上げた。
「猫又さんにおいかけられて、まいごになったの」
「そ、そうなの……」
猫又というと、尻尾が二つに分かれた猫の妖怪のことだろうか。
一瞬、実在するのか、と思ったけれど、目の前には喋る猫の妖精がいるのだし、いまさら驚くことでもない。
聞けば、うっかり猫又の縄張りに入り込んでしまい、追い立てられてしまったらしい。妖精といっても、そのあたりは普通の猫と変わらないようだ。
小姫はちらりと晋一朗を見た。
「この子、封印しないといけませんか?」
「まさか飼いたいとか言わないだろうな」
「だって、可愛くて……」
前脚で耳の裏をかく仕草に、思わず頬がゆるむ。
晋一朗も目を細めた。
「気持ちは分かるが……ゴホンッ。猫に見えても妖精だ。しかも喋る。封印したほうが本人のためだろう」
「ふーいん?」
「本の中で眠りにつくんだ。折を見て、元いた国に戻してやる」
黒猫はぴんと耳を立てたまま、じっと晋一朗を見つめていたが、ぷいと顔をそらして背中を向けた。
「ふーいんやだ!」
「本の中のほうが安全だぞ? 飢えることもないし、猫又に追いかけられることもない」
「やだぁ!」
黒猫は晋一朗から逃げるように、小姫のわきに頭をもぐり込ませようとする。
押し付けられる体温が心地良い。両手で抱き上げて膝の上に戻すと、小姫は黒猫に微笑んだ。
「それなら、情報屋さんとして協力してくれない?」
「じょーほー屋さん?」
「そう。妖精や、妙な気配のする場所を見つけたら、教えて欲しいの」
黒猫は小さく首をかしげた。
「それなら、ふーいんしない?」
「うん、しない」
小姫が答えると、金色の瞳がぱっと輝く。
「じょーほー屋さんする! じょーほー持ってくる!」
「ありがとう。私は小姫っていうの。よろしくね」
「よろしく、コヒメ」
嬉しそうに、小さな頭が胸元にすり寄ってくる。
黒猫の頭を撫でながら、小姫は晋一朗を見上げた。
「そういう訳なので、この子はうちで預かりますね」
「まったく……。なんでもかんでも、勝手に決めるな」
ため息をつきながらも、晋一朗の表情はやわらかいままだった。
* * *
猫の妖精というのは種族名であり、個別の名前はないらしい。
この黒猫にどんな名前をつけようかと考えながら、小姫は迎えに来た武の人力俥に揺られて、櫻宮の屋敷に戻った。
腕にぬくもりを抱えたまま玄関に入ると、すぐに松蔵が顔を見せる。
「小姫ぇぇえ! やっと戻ったか!」
「遅くなりました」
「聞いたぞ。今度は本当に猫を助けたようだな。晋一朗くんが理解のある男で本当に良かった!」
「え、ええ。そうですね……」
曖昧に笑ってやり過ごしていると、松蔵は「どれどれ」と身をかがめ、小姫の腕の中を覗き込んだ。黒猫は少しだけ警戒するように耳を動かしたが、すぐに落ち着いて松蔵を見返す。
「おお、真っ黒だな。……おや、足先だけ白いのか」
ガシガシと猫の頭を撫でてから、松蔵は顎に手を当てた。
「そうだなぁ……。タビ、だ」
「タビ?」
「こいつの名前だ。ほら、足袋をはいているような模様じゃないか」
「そんな安直な!」
黒猫だからおはぎ、あんこ、スミ、などと考えていた小姫も人のことは言えないのだが。
「……って、飼ってもいいの?」
「そのつもりで連れて帰ってきたのだろう?」
なにをいまさら、という顔で、松蔵はくしゃりと小姫の頭を撫でた。
「きちんと面倒をみるように」
「分かりました!」
きっと許してくれるとは思っていたけれど、それでもこうして受け入れてもらえると、やっぱり嬉しい。
そのとき、小姫の腕の中で、黒猫──タビが口を開いた。
「ねえねえ!」
安心したのも束の間、ひやりと背中に冷たいものが走る。
松蔵が怪訝そうな表情を浮かべた。
「こいつ、いま喋らなかったか……?」
「ねっ、ねうねう! にゃうにゃうって鳴いたのよ! きっと名前が気に入ったのね‼︎」
慌てて言い繕うと、松蔵は嬉しそうに相好を崩して頷いた。
「おお、そうかそうか。賢いやつだなぁ」
人前では喋らない約束だったのに、これでは先が思いやられる。
腕の中を見下ろすと、当の本人は気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らしていた。
「ぼく、ねこじゃないよ」
尻尾をゆらりと揺らして、黒猫が答えた。
猫じゃないと言っているけれど、その姿はどう見ても猫だ。顔つきがまだ幼いせいか、耳が大きくみえる。
「おまえ、もしかして猫の妖精か……?」
「そぉだよ」
晋一朗の声がわずかに弾む。
「妖精と会話できるとは……」
「よかったね」
他人事のように返しながら、黒猫は「よいしょ」と箱から抜け出してきた。
小姫が受け止めてそのまま膝に乗せると、嬉しそうに身体を丸める。
「具合はどう?」
「なんともないよ」
気が付けば、先ほどまでの衰弱が嘘のように、毛並みがつややかになっていた。指先に触れる感触も、頼りなさはなくなっている。妖精ならではの回復力なのだろうか。
「どうしてあの場所に倒れていたの?」
背中を撫でながら尋ねると、黒猫はついっと鼻を上げた。
「猫又さんにおいかけられて、まいごになったの」
「そ、そうなの……」
猫又というと、尻尾が二つに分かれた猫の妖怪のことだろうか。
一瞬、実在するのか、と思ったけれど、目の前には喋る猫の妖精がいるのだし、いまさら驚くことでもない。
聞けば、うっかり猫又の縄張りに入り込んでしまい、追い立てられてしまったらしい。妖精といっても、そのあたりは普通の猫と変わらないようだ。
小姫はちらりと晋一朗を見た。
「この子、封印しないといけませんか?」
「まさか飼いたいとか言わないだろうな」
「だって、可愛くて……」
前脚で耳の裏をかく仕草に、思わず頬がゆるむ。
晋一朗も目を細めた。
「気持ちは分かるが……ゴホンッ。猫に見えても妖精だ。しかも喋る。封印したほうが本人のためだろう」
「ふーいん?」
「本の中で眠りにつくんだ。折を見て、元いた国に戻してやる」
黒猫はぴんと耳を立てたまま、じっと晋一朗を見つめていたが、ぷいと顔をそらして背中を向けた。
「ふーいんやだ!」
「本の中のほうが安全だぞ? 飢えることもないし、猫又に追いかけられることもない」
「やだぁ!」
黒猫は晋一朗から逃げるように、小姫のわきに頭をもぐり込ませようとする。
押し付けられる体温が心地良い。両手で抱き上げて膝の上に戻すと、小姫は黒猫に微笑んだ。
「それなら、情報屋さんとして協力してくれない?」
「じょーほー屋さん?」
「そう。妖精や、妙な気配のする場所を見つけたら、教えて欲しいの」
黒猫は小さく首をかしげた。
「それなら、ふーいんしない?」
「うん、しない」
小姫が答えると、金色の瞳がぱっと輝く。
「じょーほー屋さんする! じょーほー持ってくる!」
「ありがとう。私は小姫っていうの。よろしくね」
「よろしく、コヒメ」
嬉しそうに、小さな頭が胸元にすり寄ってくる。
黒猫の頭を撫でながら、小姫は晋一朗を見上げた。
「そういう訳なので、この子はうちで預かりますね」
「まったく……。なんでもかんでも、勝手に決めるな」
ため息をつきながらも、晋一朗の表情はやわらかいままだった。
* * *
猫の妖精というのは種族名であり、個別の名前はないらしい。
この黒猫にどんな名前をつけようかと考えながら、小姫は迎えに来た武の人力俥に揺られて、櫻宮の屋敷に戻った。
腕にぬくもりを抱えたまま玄関に入ると、すぐに松蔵が顔を見せる。
「小姫ぇぇえ! やっと戻ったか!」
「遅くなりました」
「聞いたぞ。今度は本当に猫を助けたようだな。晋一朗くんが理解のある男で本当に良かった!」
「え、ええ。そうですね……」
曖昧に笑ってやり過ごしていると、松蔵は「どれどれ」と身をかがめ、小姫の腕の中を覗き込んだ。黒猫は少しだけ警戒するように耳を動かしたが、すぐに落ち着いて松蔵を見返す。
「おお、真っ黒だな。……おや、足先だけ白いのか」
ガシガシと猫の頭を撫でてから、松蔵は顎に手を当てた。
「そうだなぁ……。タビ、だ」
「タビ?」
「こいつの名前だ。ほら、足袋をはいているような模様じゃないか」
「そんな安直な!」
黒猫だからおはぎ、あんこ、スミ、などと考えていた小姫も人のことは言えないのだが。
「……って、飼ってもいいの?」
「そのつもりで連れて帰ってきたのだろう?」
なにをいまさら、という顔で、松蔵はくしゃりと小姫の頭を撫でた。
「きちんと面倒をみるように」
「分かりました!」
きっと許してくれるとは思っていたけれど、それでもこうして受け入れてもらえると、やっぱり嬉しい。
そのとき、小姫の腕の中で、黒猫──タビが口を開いた。
「ねえねえ!」
安心したのも束の間、ひやりと背中に冷たいものが走る。
松蔵が怪訝そうな表情を浮かべた。
「こいつ、いま喋らなかったか……?」
「ねっ、ねうねう! にゃうにゃうって鳴いたのよ! きっと名前が気に入ったのね‼︎」
慌てて言い繕うと、松蔵は嬉しそうに相好を崩して頷いた。
「おお、そうかそうか。賢いやつだなぁ」
人前では喋らない約束だったのに、これでは先が思いやられる。
腕の中を見下ろすと、当の本人は気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らしていた。
