大正妖精綺譚

 環にまとわりついていた鬼火が、ぴたりと動きを止めた。
 ひとつ、またひとつ。光がほどけるように離れ、すうっと空へ浮かび上がる。
 ふたたびひとつの青白い光の玉に戻ると、小姫たちを導くように、ある一点へと向かっていった。

「行きましょう!」

 小姫は迷わずあとを追った。
 鬼火は崩れかけた小さな石の塔の上に留まり、ふわふわと浮遊している。
 近くで横倒しになっていた石碑に目を留め、環が言った。

「動物の供養塔のようですね……」

 鬼火は供養塔の周りをくるくると旋回している。
 なにかあるのだろうかと裏へ回ると、土にまみれ、黒い毛に覆われた小さな塊が横たわっていた。

「……猫?」

 小姫は裾に土がつくのも構わず、膝をついた。
 そっと腕を差し入れ、衰弱しきった小さな身体を抱き上げる。
 すると、腕の中でかすかに猫の前脚が動いた。足先がきゅっと着物を掴む。

「生きてる……!」

 小姫は顔を上げて、周囲を漂う鬼火を見つめた。

「この子を、見つけてほしかったのね」

 鬼火は、応えるようにゆらりと揺れた。

「任せて。かならず助けるから」
「鬼火は死んだ動物の魂ともいわれているんだ。ここに納められていたコたちが、この猫を託したかったのかもしれないね」

 ノアが静かにそう言って、供養塔を優しく撫でた。
 小姫は猫を抱いたまま、そっと頭を下げる。

「……連れてきてくれて、ありがとう」

 青白い光は猫を撫でるように揺れたあと、小姫の周りを一周し、そのまま静かに消えていった。
 しばらく宙を見つめていると、晋一朗が小姫の横に膝をつく。

「晋一朗さん?」
「よこせ」

 背広を脱ぎ、小姫の腕の中の猫をそっと包み込むと、そのまま抱いて立ち上がった。

「早く立て。行くぞ」
「行くって……」

 どこへ、と小姫が問うより先に、晋一朗はぶっきらぼうに答えた。

翠柳堂(すいりゅうどう)


     *     *     *


 晋一朗の姉、朱美(あけみ)が経営する骨董屋『翠柳堂』の二階には、わずかな居住空間があった。
 畳に簡素な調度品が置かれているだけの、ひっそりとした部屋だ。
 その中央、小さな座布団の上に、黒い猫が寝かされている。

 店にいるのは、小姫と晋一朗の二人だけだ。
 朔耶は明日の舞台の支度があると言って先に帰り、ノアも鬼火の件で調べたいことがあると店をあとにした。環は一度櫻宮家へ報告に戻り、迎えを手配すると言っていた。

 小姫は猫のそばに膝をついたまま、じっと動けずにいた。
 抱き上げたときの感触が、まだ腕に残っている。黒い毛並みは土に汚れ、細い身体はあまりにも軽かった。
 猫の背中にそっと触れると、かすかに上下している。けれど、その呼吸はあまりにも弱く、いまにも消えてしまいそうで怖かった。

「……あまり触るな」

 低い声に、顔を上げる。
 箱を抱えてきた晋一朗が、少しだけ眉を寄せてこちらを見ていた。

「弱ってるんだ。そっとしておいてやれ」
「……でも」

 なにもしないで見ているなんて、できそうになかった。
 晋一朗は箱を畳に置くと、座布団ごとそっと猫を移動させた。その上から毛布をかけて、丁寧に包み込む。
 布の端を整えようと手を伸ばした小姫の指が、晋一朗の手に重なった。冷えていた指に、じんわりとした体温が伝わる。

「す、すみません」
「いや……」

 それきり、言葉は続かない。
 猫のかすかな呼吸だけが、耳に届く。

 その呼吸が、わずかに変わった。
 息を潜めて箱の中を覗き込むと、猫のまぶたがぴくりと動いた。そのままゆっくりと持ち上がる。神秘的な金色の瞳が、まっすぐに小姫を映した。

「起きた……」

 思わず声がこぼれた、次の瞬間。

「おはよぉ」
「…………え?」

 目の前の小さな猫から、子供のようなあどけない声がした。
 気のせいだろうか。ぱちりと瞬きをして、もう一度猫を見る。息を止めたまま見つめていると、猫もまた、ぱちりと瞬きをした。

「きみが、たすけてくれたの?」
「喋っ──⁉︎」

 驚きのあまり、喉の奥に声がつかえる。
 隣にいる晋一朗も、同じように言葉を失っているようだった。