大正妖精綺譚

 大通りを抜け、賑わいから外れた路地へ入ると、人通りはみるみるうちに少なくなった。
 喧騒が嘘のように遠ざかり、足音だけがやけに大きく響く。

 先へ進んだところで、小姫はハッと足を止めた。路地の奥に、朔耶と環の背中が見える。
 二人はじっと前方を見据えていた。視線の先に、青白い光が揺れている。
 宙を漂う光の玉は、捕まえられそうでいて、絶妙に届かない位置にいた。

「朔耶くん! たま兄!」

 駆け寄りながら呼びかけると、環がすぐに振り返った。わずかに息が上がっている。

「お嬢さま、これは、いったい、なにごとですか……っ」
「あとで説明する」

 短く返して、小姫も光の玉へ目を向けた。

「あの光、逃げてるんじゃなくて、俺たちをどこかへ誘導しようとしてるみたい」

 朔耶が視線を外さずに言う。
 青白い光は、近付けば少し先に進むだけで、決して引き離そうとはしない。
 いまも宙に留まって、こちらの話が終わるのを待っているかのようだった。

「……とりあえず、ついていってみる?」

 小姫がそう言った瞬間、光はそれに応えるように動き出した。やがて、細い路地の奥へと入っていく。

「……お寺?」
「ここ、廃寺だよ」

 朔耶の言葉に、そっと周囲を見回した。
 古びた門の向こうに、ひっそりと広がる墓地。傾いた石塔に、伸び放題の草木。人の手が入っている様子はなく、どこか時間ごと取り残されたような静けさがあった。まだ日が傾く時間ではないのに、そこだけ薄闇に沈んでいるかのようだ。
 青白い光は、墓石のあいだを縫うように、ゆらゆらと漂っている。

「怪火は墓地や沼地に出没して人間を迷わせるというが、わざわざ墓に案内するなんて、なにがしたいんだ?」
「いったい、なんの話をしているんです?」

 晋一朗のつぶやきに、環が戸惑ったように問いかける。
 それには答えず、晋一朗は小姫に視線を向けた。

「まぁいい。これなら簡単に保護できるだろう」
「そうですね」

 小姫は落ち着いて魔導書を取り出した。
 空白の(ページ)を開くと、やわらかな薄光が立ちのぼる。

「──此の書に憩い、暫しの安らぎを得よ。時満ちるとき、然るべき処へ還さん」

 ぱぁっと光が広がり、青白い光の玉は、小姫の持つ本へじわじわと引き寄せられる。
 が、次の瞬間。
 ぱんっと小さな破裂音がして、光の玉が弾き飛んだ。

「えっ⁉︎」

 驚いて魔導書を見ると、まるで封印を拒むかのように、チリチリと光の筋が戦慄いている。
 晋一朗が目を見開いた。

「どういうことだ」
「魔力を消耗させないといけないのかしら」

 そのとき、ぱちん、となにかが弾けるような音がした。
 光の玉がぱっと散って、ふたつ、みっつと分かれていく。それは瞬く間に数を増やし、気が付けば墓地のあちらこちらに光の玉が漂っていた。
 炎のように揺れる無数の青白い光が、小姫たちを取り囲む。

「……もしかして、怒らせちゃった?」
「虫取り網でも持ってこようか」
「無駄だろう」

 朔耶の軽口を晋一朗が切り捨てる。
 小姫は迷わず、環を振り返った。

「たま兄、協力して」
「もちろんです。けれど、どうやっ──もがっ⁉︎」

 言い終わるより早く、小姫は『妖精王の賽子』を環の頬へ押し当てた。
 木賊色(とくさいろ)の光が走り、まるで押印したかのように、環の頬に『()』の紋様が現れる。

「おまえ、また勝手に!」
「──来る!」

 晋一朗の声が飛ぶのと同時に、朔耶が叫んだ。打ち捨てられた卒塔婆を刀のように正眼に構える。

 ──ざわり、と。
 小姫たちを囲んでいた青白い光は一斉に動き、環へと勢いよく押し寄せた。

「うわぁぁあああっ⁉︎」
「たま兄⁉︎」

 青白い光の洪水が渦を巻く。
 そのときだった。

「なにやってるの〜?」

 場違いにのんびりとした声が、背後から響いた。
 いつからそこにいたのか、背広姿で革の手提げ鞄を持ったノアが、面白そうにこちらの様子を眺めている。小姫と目が合うと、嬉しそうにひらひらと手を振った。

「また会ったね、桜のお姫サマ」
「ノアさん! どうしてここに……」
「近くの学校で、ときどき英語を教えてるんだ。まぁ、お小遣い稼ぎのようなモノだよ」

 にっこりと笑ってから、ノアは真顔で晋一朗に詰め寄った。

「いくら婚約が決まったからって、初デートで墓地はナイんじゃない?」
「違う。おまえこそ、なにをしている」
鬼火(おにび)の群れが見えたから、めずらしいな〜と思って来てみたんだ。そうしたらキミたちが……って、朔耶クン⁉︎」

 ノアは晋一朗を押し退けて、朔耶の前に進み出た。翠色の瞳がキラキラと光る。

「どうして朔耶クンがこんなところに⁉︎」
「……俺のこと知ってるの?」
「モチロン! 盈月座の立女形! 朔月の華、長内朔耶! 実は以前からキミを贔屓にしていてね。記念にひと筆お願いしてもいい?」

 突如現れた西洋人が早口の日本語でまくし立てるのを、朔耶は目を丸くして見つめている。
 ペンを取り出そうと鞄をあさっていたノアの首根っこを、晋一朗が掴んで引き戻した。

「あとにしろ。ノア、鬼火とはどういうことだ。あれは怪火じゃないのか?」
「鬼火も怪火も、呼び方が違うだけで同じモノだよ」
「同じ……?」

 小姫は思わず聞き返した。
 視線の先では、いまも環が光に囲まれてもみくちゃにされている。

「ボクらが妖精と妖怪を使い分けているのと同じだよ。日本にいるのは鬼火、イギリスにいるのは怪火ってコト。蝶々なんかと一緒で、地域ごとの気候や地形に合わせて大きさや色が変わったりもするけど、それは適応が──」
「早くどうにかしてくださいぃぃぃ!」

 ノアの解説に、環の切実な声が割り込んだ。

「えーっと……カレは?」
「我が家の書生の長谷川です」
「もしかして、カレのコトも従者にしたの?」
「……はい。あと、朔耶くんも」
「ホント⁉︎ やったぁ、仲間だね!」

 無邪気に喜ぶノアに、小姫は少しだけ苦笑する。

「長谷川には、鬼火を捕まえるために従者になってもらったのですが、能力が分からなくて」
「それなら見ての通りだよ」

 ノアは笑いながら環を指した。

「カレの能力は『妖精を誘き寄せる』力だね。いまのカレは、虫を引き寄せる花の蜜みたいなものさ」
「……そんな能力もあるのか」

 ぽつり、と晋一朗がつぶやいた。どこか羨ましそうな響きが含まれている。
 あまりにも小さな声だったので、ノアたちの耳には届かなかったようだけれど、すぐそばにいた小姫には聞こえてしまった。
 思わず晋一朗を見上げると、彼は気まずそうに視線をそらした。

 いまのは聞かなかったことにしてあげよう。
 小姫はくすりと笑い、胸の中にしまい込んだ。

「──それで、鬼火は封印できないのか?」
「日本育ちの鬼火じゃ、保護対象にはならナイからね。難しいんじゃないかな」

 無数の鬼火はなおも環の周りをぐるぐると漂っている。けれど、襲おうとはしていない。
 小姫たちを迷わせることなく墓地へと連れてきたのは、もしかしたら、なにか伝えたいことがあるからなのかもしれない。
 小姫は一歩踏み出して、やわらかく尋ねた。

「ねえ、どうしてほしいの?」